自室に戻ったら直ぐに、ローラが……。
「戻って来られるお姿が見えたので」
と言いながら、私の部屋にある丸テーブルの上まで、ミルクティーを持ってきてくれた。
そのタイミングで……
「帰ってきていたのか、アリス」
と言いながら、一度、ノックをしてくれたあとで、アルも私の部屋に入ってきてくれる。
二人とも、お父様から急遽、呼び出されてしまった私のことを心配して気にかけてくれていたんだと思う。
アルと一緒に、丸テーブルを囲っているアンティーク調の椅子に腰をかけて、ローラにお礼を一つ言ってから、ゆっくりとカップの縁に口をつけたあとで……。
「陛下からのお話は一体……?」
と、心配そうな表情を浮かべたローラから、問いかけられたその言葉に。
「婚約の話だったよ」
と、特に隠すようなことでもないため、サラッと声を上げれば。
「婚約ですか? 一体、どなたとのっ……?」
と、即座に返ってきた『ローラの不安』が入り交じったような声色に、私は、なるべく安心してもらえるように、落ち着いた声を出す。
「うん、あのね、ルーカスさんと」
「……っ⁉」
「……皇女様っ。
ルーカス様といいますと、エヴァンズ家との婚約になるということでしょうか?」
私の口からルーカスさんの名前が出たことで、目の前で絶句したような表情を浮かべたローラとは対照的に、ローラと一緒に私の部屋に来てくれて、傍に控えてくれていたエリスが私に向かって窺うように問いかけてくる。
こくりと、その言葉を肯定するように、頷けば……。
「あの方は、一体何を考えてっ……⁉」
と、怒ったような口調でローラがそう言ってくるのが聞こえてきたことで、私は思わず苦い笑みを溢してしまった。
近くでは、人間の『婚約』というものが今ひとつ、よく分かっていない様子できょとんと不思議そうな表情を浮かべたアルと、ここに来るまで、ずっと険しい表情を浮かべたままのセオドアの姿も見えて……。
確かにこの間、教会でルーカスさんに出会った時のことを考えると、ローラや、セオドアがこうして、私のことを必要以上に心配してくれるのも頷ける話ではあったから。
――そんなローラの姿に、私は慌てて、補足するように声を出した。
「心配してくれてありがとう。
でもね、多分、大丈夫。お兄様と私のこれからの関係性のことも考えた上での、ちゃんとした理由のある婚約だったから。……少なくとも、変な婚約の話ではないと思うっ!
私の返事も待つって言ってくれていて、婚約自体も、まだ正式に結んだ訳じゃないし。それに、ルーカスさんは私と婚約をしても、いずれはこの婚約が破棄になるだろうって確信しているような素振りだったから……」
「……それは、一体どういうことなのでしょう、か?」
私の話を聞いて動揺したように視線を彷徨わせ、戸惑いの声を上げるローラに、私は、お父様の執務室で話し合った内容を一から説明することにした。
ルーカスさんが将来『君主になるであろうお兄様』と、君主になるつもりだなんて一切ない私のこれからの関係性を踏まえた上で、婚約という提案を出してくれたこと。
皇宮での立場が弱くて後ろ盾が必要な私に、エヴァンズ家が後ろ盾になってくれるということ。
これは、あくまで私の考えだけど、多分、お父様の采配で、将来、私と自分の婚約が破棄されると確信しているんじゃないか、ということ……。
あと、これから親睦を深めるためにもルーカスさんが『私のマナー講師』として来てくれるようになったことなども含め、かいつまんで、色々と手早く説明した私の話を聞き終えてから。
「そうです、か……」
と、口ではそう言ってくれつつも、どこか納得出来ていないようなローラのその姿に、私は首を傾げた。
――何か、今の話で、変なところでもあっただろうか……?
「……確かに、その話を聞く限りでは、聞こえのいい言葉で此方には一切不利なことはないように思えますが。でも、それでは、アリス様は将来を縛られたも同然ではありませんかっ?
婚約破棄は余程の事情がない限り、認められないはずです。
一度、婚約関係を結んでしまえば、ルーカス様と結婚をされずとも、いずれは、どこか他国に嫁ぐようなことだって……」
そうして、どこまでも浮かない表情を浮かべながら、気遣うように言われたローラのその言葉に、ローラが何の心配をしてくれているのか、ようやく、そこで私自身も合点がいって、私は苦笑しながら声をあげる。
「うん。
そうなったら、多分、お父様がこの先、話を持ち込んできた方と結婚することにはなると思う。
私の髪が紅色なのだけがネックだけど、こんな自分でも、それでも他国との友好の証になるくらいのカードにはなると思うし……」
「……っ、そん、なっ!」
わなわなと唇を震わせたあと、ローラがぐっと押し黙るのが見えた。
「……っ、!
姫さん、俺も、侍女さんと同じくこの話には反対だ。
……教会で、第一皇子のことを引き合いに出して、姫さんに君主になれだなんて言ってくるような奴だぞ。のらりくらりと、その腹の内に、何を考えてんのかも一切読ませねぇような感じだし。口では、姫さんと第一皇子のことを考えてるって言っても、その目的は他にもあるかもしれねぇだろ……?」
そうして、ここに来て、真っ向から反対するように私のためを思って声を出してくれているセオドアの言葉に、私もその可能性については、ちょっとだけ考えない訳でもなかったんだけど。
それでも、ルーカスさんが私に対して持ち込んできた『プラン』にはどこにも穴がなかったから、指摘することも出来なかったし、さっきの、お兄様とルーカスさんの雰囲気を見れば、少なくとも二人が幼なじみで親友同士だということには間違いないだろうから、何となくそこまで心配はしなくても大丈夫なんじゃないかなとも思う。
ただ、セオドアがかけてくれた言葉には心配と、私のことを思いやってくれるような感情しか乗っていないのは分かるから、私はセオドアに向かって、ありがとうという感謝の気持ちを込めて、ふわりと微笑みかけた。
「心配をかけてごめんね。
でも、どちらにしてもいずれは、きちんと考えなければいけないことだから……」
仮に、ここでルーカスさんと婚約関係を結ばなかったとしても、私自身が皇女として生まれた以上は、いずれは『強力な友好のカード』として、国のために政治的な駒になるのは避けて通れない道だろうし。
早いか遅いかだけの違いだからこそ、きちんと考えなければいけないと思う。
巻き戻し前の軸の時、自分にそんな話が一切出てこなかったのは、私を他国に出すには、きっとお父様からしても恥ずかしい人間だったからに他ならない。
……ただでさえ、髪の色が紅色なのに加えて、私の『最悪な評判』は国内問わず、他国にもそれなりに知られていただろうから。
それで多分、誰にも
今回の軸では、お父様との仲もそこまで悪いものではなくなってきているため。
これから先、多少、国内での評判も良くなれば、他国の王族と婚姻の話が持ち上がってきても、何ら、おかしくはないだろうし。
髪が紅色の私が『皇后』というような重要なポジションにつくのを求められることは、よっぽど嫁ぎ先が、赤を持つ者に寛容で、変わった考えじゃない限りはあり得ないだろうけど……。
それでも、側室として、第二妃だとか、第三妃みたいな感じで求められてしまう可能性は高いと思う。
さっきまでは、そこまで頭が回らなかったけど。
お父様もきっと、『魔女の能力』を持っている私を、継承権を持つ子供を産まなければいけないような皇后のような立場で、皇族や王族での正式な配偶者として送り出すことはしないはず。
魔女の能力は、『遺伝』するものではなく、突発的に現れるものだと言われてはいるものの、それでも、私が魔女であると分かっていながら送り出した先で、万が一のことがあってはならないとお父様も考えるだろうから。
縁談があって、送り出されるとしたならば、きっと、
そうじゃなければ、エヴァンズ家みたいな国内の貴族に、政略的に降嫁することもあるだろう。
どちらにせよ、世間に私が『魔女』であることを知られること自体がリスクのあることだから。
お父様が先ほど、私の結婚の話に躊躇いがあったのは、そういう事情も含まれているかもしれないなと、今になって思った。
私自身、アルのお陰で、自分の能力を制御することが出来るようになっているから『隠し通せ』と言われれば、これから先、自分が魔女であることは誰にも言わずに黙っていることも出来るけど。
(それで、どこかの国に嫁ぐことになったら、確かにちょっと大変だろうな……)
仮にも、自分の配偶者である人に、一生、そのことを言わないままでいるのは、荷が重い。
あと、思いつく限りで、私に残された道は、誰にも嫁ぐ未来がないのなら、この『魔女の能力』を身を粉にして、国に役立てる未来くらいだろうか。
自分の能力が有効活用出来るものだと思われれば、誰とも結婚をしなくて済む道が残されているかもしれない。
(そうなったら、世間に私が|魔女《まじょ》であることを、公言しないといけなくなってしまうけど)
……どちらにせよ、そこまで先の未来になってくると、今考えてもどうしようもないことだけは確かだった。
今は、未来のことを考えるよりも、私との結婚でルーカスさんのことを縛ってしまう可能性の方が重要だ。
お父様に『黙っておけ』だとか『隠し通せ』だとか、そういうことを言われなければ、どこかのタイミングで、ルーカスさんには私が魔女【・・】であることをきちんと話しておいた方がいいのかもしれない。
『エヴァンズ家は元々、魔女容認派だから』
って、あの時、教会でルーカスさんはそう言っていたけれど、実際、妻という立場になる人が魔女だと知ったら嫌かもしれないし。
出来れば、隠さないでいられるのなら、黙ったままではいたくない。
先ほどは、お兄様もルーカスさんもいたから聞けなかったそのあたりのことを、改めてお父様がどういう考えでいるのかは、聞いておいた方がいいだろう。
(……そういえば、お祖父様のことも、報告出来ないままになってしまっていたな)
ふと、お父様に、そちらの報告も、まだだったことを思い出した。
……ここ最近のお父様が、かなり忙しそうな感じであるのを見ると、様子を見て暫く経ってから聞いた方がいいだろうか?
ただでさえ、アルと一緒に暮らすのに、人間としての素性をわざわざ用意してもらったり、毒のことや、御茶会での夫人のこと、今回のマナー講師のことなど、私の周辺のことで色々と迷惑をかけてしまっているのは自覚している。
とりあえずは、この話自体、保留にしてもらっているし。
――今は、大人しく、目先のことを一生懸命勉強するのが先かな?
ルーカスさんとも、ちょっとずつ仲良くなっていければ、私が魔女であることをルーカスさんに言いやすくなる関係性も築けるかもしれないし、その上で、お父様にこの件を言ってもいいか聞いた方がいいだろう。
まだ、完全にこの話を受けるかどうか自分の考えが揺らいでいる現状では、その話をするかどうかも決めることは出来なくて。
「とりあえず、この話は保留にしてもらっていることだし。
今は、勉強を一生懸命、頑張っていきたいから、あまりローラもセオドアも、先々のことを重く考えないで。……っね?」
と、自分の心の中にある原因不明の不安を払拭するかのように明るい笑顔を作りだした私は『大丈夫だから!』と、声を出して、いまだ、私の方へと心配そうな表情を向けてくれている状態のローラとセオドアに、安心してもらえるよう、にこりと笑みを溢した。