家に帰って勉強をしていると、スマホが鳴った。誰からのLINEからは分かっている。しばらく無視してやろうと思っていたけど、やっぱり内容が気になって、すぐにトーク画面を開いてしまった。
[今夜、会えないかな?]
きっと、私が帰りに不機嫌になっていたことに、凛は気づいていたんだろう。機嫌を取ろうとしてるのは分かっているけど、それでも嬉しくなってしまう。
[うん]
それだけ返すと、やったー!とペンギンが飛び跳ねてるスタンプが送られてきて、自然と口元が緩んでいた。
凛が指定した時間は22時で、思っていたより遅いので私はお風呂に入ってから会うことにした。どうせ親はまだ帰ってこないから、わざわざ断りを入れる必要もない。
9時半ごろ。お風呂から上がってお気に入りのヘアオイルをつけて、ほんの少しだけ前髪を巻いた。何度も鏡を見て、少しだけ色のついたリップを塗って。
デートでもないのに、とは思ったけど、少しでも可愛いと思ってもらいたかったから。無意識に、そんな女の子らしい考えをするようになった自分が可笑しかった。
自分の部屋で1人、数学の問題集を広げていたけど全然集中できない。何度もスマホを確認して、10時を少しすぎた頃、インターホンが鳴った。
急いで階段を降りて、すぐに扉を開ける。そこには、半袖半ズボンという、スポーツする時みたいな服装をした凛が立っていた。
「ごめんね、ちょっと遅れちゃった」
「今日、何かあったの?」
「うん。ダンスレッスンがあって。ちょっと長引いちゃった」
知らなかった。何かのレッスンがある日に、凛が会おうと言ってくることは滅多にないから、てっきり今日も休みなんだと思っていた。
「わざわざ来てくれたの?」
「やだった?」
「そんなわけ無いじゃない。早く上がって?」
私は凛を家に入れると、一緒に2階の自分の部屋に上がった。ソファーに座った凛は少しだけ汗をかいていて、私はクーラーの温度を下げて、冷たいお茶を出した。
私がいつものように凛の横に座ると、凛はふぅっとため息をついた。
「会ってくれないかと思ってた」
「なんで?」
「今日の帰り、ふててたじゃん」
やっぱり、バレてた。私達の関係は誰にも言ってないのだから、私じゃなくて遥香ちゃんが優先されるのは当たり前だ。そうだと分かっているつもりでも、全部態度に出てしまう自分が情けない。
「子供っぽいって、思った?」
「んー、まぁ。思ったかも?」
思うわけないじゃん、っていういつもみたいな返しを期待していたのに、凛の口から出たのはまさかの言葉だった。やっぱり、面倒くさいって思われてたよね。
でも、凛にこんな風に言われると、泣きそうになってしまう。別に怒られてるわけでもないのに、嫌われたらどうしようとか、そんな不安で胸がギューっと締め付けられた。
しばらく無言になっていると、私の顔を見た凛が急に焦り始めた。
「ちょ、え?な、泣いてる?!」
「泣いでな゙い」
どうやら目が潤んでいたらしい。適当に目を擦ると、凛は慌てて私の腕を掴んで立ち上がらせた。そして自分の膝の上にひょいっと私を乗せると、私のほっぺを両手で挟んだ。
身長があんまり変わらないから、普段凛を見下ろすことは滅多にない。少し下に凛の顔があって、ほっぺを挟まれてるから顔を逸らすこともできない。どうすることもできず、ただじっと凛の目を見つめていると、私の涙が凛の親指で優しく拭われた。
「別に子供っぽいのが嫌とか思ってないよ。子供っぽくて可愛いみたいな意味だったんだけど」
「ほんと?」
「うん、ごめんね。泣かないで」
ふふっと笑った凛の顔が近付いてきて、思わず目を瞑ったけど、合わされたのは鼻先だった。
くちびるだったら、良かったのに。バクバクする心臓と一緒に、私はそんなことを考えてしまった。
「侑希、なんか不満そうだね」
「そ、そんなことない!」
「んー、ほんと?」
「もうっ、からかわないでよ…」
こんっと凛の肩を軽く小突くと、凛は全然痛くないくせに、わざとらしくイテっと声を上げた。
「もうお風呂入ったの?」
「うん」
私がそう答えると、凛がスッと顔を私の首筋に寄せてきた。
「ちょっと、」
恥ずかしくて、慌てて凛の顔を手で退かす。
「いい匂いする」
ふにゃっと笑った凛に、私はどんな顔をすればいいかわからなくなって、
「そ、そう…」
とそっけなく返して、すぐに顔を逸らした。凛は無自覚でこんなことしてるのかな。もしかしたら、遥香ちゃんにも同じことしてたりする?もしそうだったら、嫌だな…
そんな気持ちは、顔にも出てしまっていたらしい。
「ゆーきっ、また要らないこと考えてるでしょ」
「え?い、いや…」
「分かりやすすぎ笑」
凛が笑うから、私はお返しに、さっきされたみたいに彼女の首に鼻を当ててすぅーっと息を吸った。いい匂いがする。
「ちょ、やめてよ。汗かいたから」
焦って私を引き剥がそうとする凛。そう簡単に離れてやるものか。
「ううん。いい匂いする。凛の匂い」
「なにそれ、なんかやだ」
「なんかねー、爽やかな匂いする。香水してるの?」
「ううん。何もしてない」
しばらくそうして2人でじゃれあっていた時、ぐぅーっと凛のお腹がなった。
「へへっ、お腹すいちゃった」
「食べてないの?」
「うん。時間なくて」
「ちょっと待ってて」
私は凛の膝から降りると、すぐに一階へ降りてキッチンに向かった。
わたしはお盆に、レンジで温めたオムライスを乗せて再び自分の部屋へ戻った。
「はい、これ」
「オムライス?」
「うん。家政婦さんが作ってくれたやつだけど」
「え、もらっていいの?」
「うん。作りすぎたらしいから」
空になっていたコップにもう一度お茶を注いであげると、凛は勢いよく手を合わせた。
「んじゃ、いただきます!」
「はーい」
すぐにスプーンを持って、凛は一口目を口に運んだ。そして、もともと大きな目をさらに大きく開いた。どうやらお口に合ったらしい。
「んぅ〜、めっちゃ美味しい!!」
目をキラキラさせて、休む間もなくスプーンを口に運んでいく姿は、なんだか幼くて可愛らしかった。
「凛って、嫌いなものあるの?」
「?んー、とくにないかな」
口をもぐもぐさせながらそう答える凛。確かに、何を食べさせても、こんな風に嬉しそうに頬張ってくれそうな感じがする。
よっぽどお腹が空いていたのか、あっという間に凛はオムライスを平らげてしまった。
「ふぅ、ごちそうさまでした!めっちゃ美味しかった」
「こんな風に喜んでくれたら、凛のお母さんは毎回作り甲斐がありそうね」
「そうなのかな?」
「うん。もし私だったら、ご飯作るたびにこんなに美味しそうに食べてくれたら、絶対に嬉しいもん」
「ふーん。じゃあ、将来は侑希に作ってもらおっかな」
「すぐそういうこと言う」
「やだ?」
「考えといてあげるわ」
思わせぶりなことばっかりしてくる凛。こんなの、好きにならないほうがおかしいんだから。
星空蒼が女子にとてつもない人気を博している理由も、こういうところにあるんだろう。本人は何ともないことのように、スラスラと女の子が喜ぶ事をしてくる。そんな蒼くんの行動に、みんな簡単に落ちてしまうんだから、ほんっと、女の子の脳みそって単純で嫌になってしまう。
ふと、下を見ると、凛の足が目に入った。
今日は半ズボンだから、初めて見る凛の脚。細いけど、いつも動いてるからか、しっかり引き締まってる。私の細いだけで筋肉のない脚とは全然違う。
無意識のうちにじっと見つめてしまっていたらしい。私のほっぺがぷにっと人差し指で突かれて、慌てて顔を上げると、ニンマリと笑った凛と目があった。
「侑希のえっち」
「ふぇ?」
「そんな脚見られると、恥ずかしいんだけど」
「あ、ち、ちがうっ」
「ふはっ、そんな動揺しなくても」
ほら、まただ。こうやってすぐにからかってくる凛に、振り回されてばかりの私。私が彼女の上に立てる日は、果たしてくるのだろうか。