凛の看病のおかげか、次の朝、目を覚ました時には体がだいぶ楽になっていた。体を起こして熱を測ると、37.2まで下がっていて、安心してもう一度布団に潜り込んだ。あんなに酷かったのに、ここまで良くなったのは、きっと凛のおかげだろう。
明日会ったら、必ず直接お礼を言おう。そう思いながら、昨日の夜に凛から来ていた[しっかり休みなよ?]のLINEに[ありがとう]とだけ返信した。
月曜日。あんなに会いたかったのに、凛が1人になるタイミングが見つからなくて、私は結局、放課後まで彼女に一度も声をかけられなかった。
「月宮さん、今日誰か探してる?」
「え、いや…」
「なんか、ずっとキョロキョロしてる気がしたから」
「いえ、なにもないわ」
友達にもそんなことを言われてしまった。凛のことになると、いつもこれだ。周りが見えなくなってしまう。
今日は凛の配信はないし、わたしの塾も珍しく休みだった。会えるなら会いたいけど、平日に、しかも月曜日に誘うのはなんだか気が引ける。Twitterで見た凛の配信スケジュールには、今日は休みの表示があった。でも、配信がないと言っても色々と忙しいだろうし…。
[今日、会える?]
昼休みに打ったLINEは送信ボタンを押すことができないままで、わたしは悶々としながら1日を過ごした。
放課後。こんな日に限って、日直に当たってしまった私は、1人、誰もいない教室に残って日誌を書いていた。日誌には数行、1日を通してのクラスの雰囲気や、感想を書かないといけないのだが、こういう文章を書くのが私はとてつもなく苦手だった。先生もサッと目を通すだけだろうし、他の人も一言だけ書いて終わらせているのだが、どうしても空欄を埋めないといけない気がしてしまい、私が書き終えたのはみんなが帰ってから、時計の長針が半周もした後だった。
遠くの方、おそらく旧校舎の方で、吹奏楽部が練習をしている音が聞こえる。こちらの校舎はもう誰もいないのか、全く音がしなかった。
日誌を教台の上に置いて、ようやく帰ろうと教室を出ようとした時、もうみんな帰ったはずの廊下で、凛の姿が見えた。もう帰ったはずなのに、なんでこんな時間に?
お互いに目立たないように、学校では声をかけないようにする約束も忘れて、私は彼女の名前を呼んだ。
「りんっ!」
こちらに気付いた凛はかなり驚いた様子で周りをキョロキョロした後、近くに人がいないのを確認すると、私のいる教室に入ってきた。
そして当たり前みたいに手を広げてきた彼女。
心臓がドクンっと跳ねたのが自分でも分かった。
ちょっと前から距離感がバグってる気がするけど、でも、友達でもこれくらいはするし…。そんな言い訳を頭の中で言い終わる前に、私は彼女の腕の中に大人しくおさまった。
「ごめんね」
「ん?」
「学校では、声かけちゃダメだった…」
「ふふっ、そんなことか。誰もいなかったから別にいいよ」
彼女は私をギュッと抱きしめたまま、まるで愛おしい何かに触るような手つきで、私の髪を撫でる。それがひどく心地よくて、私もそっと、彼女の肩に頭を預けた。
「何してたの?」
「忘れ物しちゃってさ、どうしても今日いるから取りに来てた。侑希は?」
「日直の仕事」
「こんな遅くまで?」
「うん。感想のとこ埋めてたら時間かかっちゃったの」
「あんなの誰も見てないんだから適当にやれば良いのに。そういうとこ、侑希らしいなぁ」
私がぷぅっとほっぺを膨らますと、凛はクスッと笑った。
「あ、そういえば、体調大丈夫?」
「うん。もう熱も下がったし」
「そりゃ良かった」
「ありがと、看病してくれて。凛が来てくれて、嬉しかった、っていうか、その、安心したっていうか」
「いえいえ。何かあったらすぐ連絡して?」
「うん、ありがとう。今日ずっとお礼が言いたかったんだけど、なかなかタイミングがなくて」
「ふふっ。元気になってくれただけで十分」
ぎゅうっと抱きしめられる腕に力がこもる。しばらくそうしていたけど、廊下の方から誰かが来る足音が聞こえて、私たちは慌てて離れた。
凛は廊下に出て、私は机の上に置いていた荷物をとった。
「あれ、りんりんじゃん。まだ居たの?」
廊下に響く聞き覚えのある声。
「あ、遥香。忘れ物?」
どうやら、遥香ちゃんが忘れ物を取りに教室まで帰ってきたらしい。私はなんとなく後ろめたい気持ちになって、教室から出られずにいた。
そんな時、廊下から教室を覗いてきた遥香ちゃんと、ちょうど目があってしまう。
「あ、月宮さんじゃん!」
そんなに喋ったことはないが、愛想良く声をかけてくれた彼女に、小さくお辞儀をして会釈する。
遥香ちゃんは、私が凛と仲が良いことを知らない、まして、さっきまでハグしていたなんて、知っているはずがない。
「ちょうど良かった。一緒に帰ろ?」
遥香ちゃんは凛にそう声をかけると、すぐに凛の腕を取って自分たちの教室へ向かおうとした。腕を取られた凛は申し訳なさそうにこっちを見て、その場から動けずにあたふたしている。
「えっ、あー。んっと、」
私は、もごもごと言い淀んでいる彼女からふいっと顔を逸らして、自分の荷物を持った。
「それじゃあ、さようなら」
「あ、月宮さん帰るの。じゃあね〜」
私は凛の方を振り返ることなく、教室から出て階段の方へ向かった。降りている途中で、上の方から凛と遥香ちゃんが話しているのが聞こえる。
「りんりん、月宮さんと仲良いの?」
「いや、たまたま居たから喋ってただけ」
「へー、そうなんだ。それでさ…」
仲良さそうに喋っている2人の声を聞きながら、私は無意識のうちに、バッグの持ち手を強く握りしめていた。