周りが受験勉強に本腰を入れ始めた頃、私のスターセーバーの仕事は今までになく忙しくなっていた。
レッスンや準備のために学校を休むことも増えたし、侑希に会う土曜日も、なかなか予定が合わないことが増えていった。
今日も午前の授業を終えた私は、弁当を広げることなくそのまま職員室へ向かった。
「先生、今日も午後の授業休みます」
[分かった、他の先生にはうまく伝えておくから。頑張って」
「ありがとうございます」
大学に行かないことを選んだ私を、担任の先生が理解してくれるから、出席日数がギリギリでも何か言われることはなかったし、そのおかげで、私はスターセーバーの仕事に打ち込むことができた。
「りんりーん、最近休みがちだね。なんかあった?」
「うん、まぁ色々、ね」
「そっかぁ。ま、受験生だし、色々あるよね〜」
周りの人も、授業じゃなくて塾に行ったほうが効率がいいからと、学校休む人がちらほらいて、そんなこともあってか遥香にも、私の休みを深く追及されることはなかった。
授業が終わるとすぐに学校を出て、迎えにきてくれているマネージャーの車に乗って事務所へ向かうという日が続いた。一年前はすごく小さな事務所でビルの1階分だけを、撮影ブースとスタッフ用で分けて使っていたのに、今では一つのビルを全部使うくらいに大きくなっていた私たちの事務所。廊下ですれ違うスタッフさんも、知らない人が増えていった。
それから変わったことといえば、一人一人に専属のマネージャーが付いてくれるようになった事。私のマネージャーは20代の女の人で、何かと気にかけてくれる、明るくて優しい人だ。名前はナツさん。年齢が近いからタメ口で話せるし、何より彼女は、私が女の子だと言うことを知っている数少ない人間の1人だった。
「蒼さん、これ買ってきました」
ナツさんから受け取ったコンビニの袋を覗くと、ピンクのパッケージの薬の箱と、温かいお茶が入っていた。
「ナツさん、いつもありがと」
「いえいえ」
月に一度の女の子の日が来たりすると、どうしてもパフォーマンスが下がることがある。周りに男の人しかいない環境では、こういう女の子特有の悩みも言いづらかったりするのだが、ナツさんの気遣いによって乗り越えてきた。私にとってナツさんは、本当に頭が上がらない、なくてはならない存在になっていった。
私たちのグループはあまりにも急激に有名になったため、厄介なファンやアンチも多い。そのため、学校や家がバレないように基本的に、事務所までは送り迎えがつくようになった。そのおかげもあってか、今のところ、侑希以外に顔バレしたことはない。
でも、クラスで話している女子達の間からスターセーバーという言葉を聞くと、流石にヒヤッとした。前髪を下ろしただけでここまでバレていないのは、ほとんど奇跡と言ってもいいだろう。
侑希も志望校を決めてからは、ほとんどの時間を学校と塾で過ごすようになったらしい。連絡しても既読がつくのは次の日なんてことが、私たちの間では当たり前になっていった。
[土曜日、会える?]
[ごめん、深夜までライブ準備がある]
[分かった。がんばってね]
[今週は会えそう]
[ごめん、塾の補習が入っちゃった]
[そっか。頑張れ]
LINEではそんな会話ばかりが増えていって、結局一ヶ月以上会えないまま、私たちは高校最後の夏休みに入ろうとしていた。
「蒼さん。今日の収録後、少し時間取れますか?」
事務所に向かっている途中の車の中、横に座っていたナツさんに突然そう声をかけられた。
「大丈夫、空いてるよ」
「それじゃあ、終わったら、控え室で待っていますね」
何も心当たりはないが、ナツさんの雰囲気からして悪い話ではないのだろう。私はそこまで気に留める事なく、いつも通りに収録を終えた。
「おつかれさまでーす」
カメラマンにそう声をかけて、私は控え室へ向かう。扉を開けるとナツさんが机にファイルを置いて座っていて、私は向かい側のソファーに腰掛けた。
「それで、話って」
「蒼さん、リーフミュージックって分かりますか?」
「うん。もちろん」
リーフミュージックは、名前を知らない人はいないくらいの、日本で有数の音楽会社である。数多くのタレントを抱え、音楽系の事業はもちろん、ほかにもありとあらゆる事業を展開している。
「単刀直入に言いますと、そこの代表が、今までのライブで蒼さんの歌に目をつけて、契約を申し込みたいと言っています」
「え、け、契約?」
「はい。詳しい内容はこちらに書いてあります」
スッとファイルの中から取り出された一枚の紙を受け取って、目を通す。
内容は、今のアイドル活動を続けながら、個人でも歌を撮ったり、後々はライブをしたりするというものだった。スターセーバーの活動をやめろと言われているわけではないのだから、やってみてもいいのかもしれない。
「ナツさんは、どう思う?」
「蒼さんが少しでも興味があるのであれば、絶対にやった方がいいと思います」
「そうだよね…」
「でも、当たり前ですが、今より格段に忙しくなります。おそらく、向こうのほうのボイスレッスンなども受けないといけなくなると思うので」
「うーん…」
「今すぐに決めろというものでもないので、この一週間くらいで考えてみてください」
「うん、分かった。ありがとね」
「いえいえ。それじゃ、家まで送ります」
家に帰っても、私の頭の中は今日の話でいっぱいだった。興味はあるし、もっと上を目指したいという気持ちはあるけど、今より忙しくなるという事に耐えられる気がしなかった。最近は以前のように侑希に会える時間を取ることが難しくなってきたし、これ以上にスケジュールが埋まるとなると次いつ会えるのか想像もつかない。
多分、今の私には出来ないだろう。
チャンスを逃すのは惜しいが、こればっかりはしょうがない。そう考えて、ナツさんに断るメールを送ろうと思いスマホを手に取ると、ホーム画面に映る侑希と私のツーショットが目に入った。
イルミネーションを見に行った時に2人で撮った写真。あの日、ライブで疲れて寝てしまった私を、侑希はずっと待ち続けてくれたんだっけ。
侑希が好きなのは、キラキラしている蒼くんだ。蒼くんは、忙しさを理由に諦めたりしない。それなら…。
私は決意を固めると、ナツさんにメールを送った。