「あれは、矢……? だれかが、おれたちを射殺そうとしてる! なんでっ!」
「……私たちが、禁忌を犯したからだ」
「どういうことですか、
「おまえたちはもどりなさい。私は父上の……
「そんなっ、兄上!」
「──うぁああっ!」
それを呆然と目の当たりにした
「いけないっ、皇兄上っ!」
そして
墜ちる、墜ちる。
愛しい弟たちが、次々と。
──これは罰なのだ。
──神の怒りなのだ。
「おやめください、父上ッ!」
黒皇はもう、夢中だった。
「翼は……もう飛べなくてもかまいません。ですからどうか、弟たちのいのちだけはお助けください! 罰なら私がお受けします! どうか、どうか……!」
黒皇がいくら叫ぼうとも、天を
「皇あにうえ……!」
「……
幻覚を見たのかと、黒皇はしばし思考停止した。
だが、ほほをかすめた矢が刻んだ痛みは、たしかなもの。
「
「もどれッ!」
「ひゃっ……!」
考えるまでもなかった。
身をおどらせた黒皇は、おぼつかない羽ばたきで近寄るおさない弟の襟首をつかみ、力任せに放る。
「もどれ!」
「なんで! あにうえ、慧をひとりにしないで、あにうえぇっ!」
「もどれッ! 二度と来るなッ!」
怒りだけが、最後の気力だった。
黒皇は猛然と羽ばたき、巻き起こした竜巻で
七色の雲海の、その向こうまで届くように。
「さようなら、小慧……ごめんね……」
か細い声でつぶやいた刹那、黒皇の片翼を、灼熱が貫いた。
* * *
禁忌を犯した。決して許されない罪だ。
当然だ。
下界は灼熱の地獄につつまれたはずだ。
だからこれは、報いなのだ。
下界に射落とされた黒皇は、血だまりの中で慟哭していた。
──せめて、弟たちのいのちだけは。
懇願した最後の希望さえも、打ち砕かれて。
「
じぶんがいないとき、よい兄でいてくれた、しっかり者の弟たち。
「
いたずらには悩まされたけれど、みなを楽しい気持ちにさせてくれた、明るい弟たち。
「
だれより末の弟を可愛がってくれた、純粋で想いやりにあふれた弟たち。
「
そして、こんなじぶんを兄と慕ってくれた、ひたむきで無垢な弟。
「かわいいかわいい、私の弟たち……」
もう、顔を見ることができない。二度と。
「うぅ……あぁあ、ぁあああぁあああ!!」
なにもかもをうしなった黒皇は、泣き叫んだ。
声が枯れても、涙が枯れても、こころで泣き叫んだ。
黒俊、黒文、黒春、黒東、黒倫、黒杏、黒嵐、黒雲。
八人だ。八人の弟が、おのれの不注意のせいで死んでしまった。
もっと言い聞かせていれば。だが、そんな『もしも』を想像をしたところで、おのれの愚かさが弟たちを死に至らしめた事実は変わらない。
(……なぜ私が、生きているのだろう)
弟を殺したも同然の、じぶんが。
(太陽は……ひとつでいい)
なんということはない。その使命を担う真の選ばれし者が、末の弟だったというだけ。
そう考えたら、黒皇も不思議と楽になれた気がした。
どれだけの年月を、さまよっていたのかはわからない。
ただの非力な烏として生きる黒皇は、自身のいのちに執着がなかった。
どこぞの辺境で野良猫に襲われて、古傷のうずく翼を引っかかれ、あぁ、死ぬのだろうなぁと他人事のように思った。
「汚い烏だな」
そんなときだったか。不吉の象徴だとして、だれも気にもとめないじぶんの前に、だれかが足をとめたのは。
うつろだった日々のなか、黒皇は顔を上げる。
「来い、おれの食料にしてやる」
野良猫を追い払い、そういって黒皇を抱き上げたこどもは、とてもやさしく、ふれてくれた。
「わぁ、烏さんだぁ。はじめまして! わたしは
追い討ちのごとく聞こえた鈴の声音のほうを見上げ、黒皇は愕然とした。
はにかむその笑顔は、まばゆい瑠璃色の瞳は。
(『ハヤメ』さま……『ハヤメ』さま!)
間違いない。髪は翡翠色だったし、おさなかったけれど、その瑠璃の瞳も面影も、彼女のものだった。
「
「おれの食料にする」
「うそだぁ」
絶望の奥底へ沈んだ黒皇の前に突然あらわれた、こどもたち。
おさない兄妹が言い合う、秋の夕暮れ。
「ねぇ烏さん、わたし、お友だちになりたいなぁ」
黄金色につつまれたまぶしいその日のことを、黒皇は決して忘れることはないだろう。
* * *
たちまち灼熱に飲み込まれ、多くのひとびとが倒れた。
川は干上がり、草木は枯れた。
だれもが神に祈った。どうか、お助けください……と。
やがて、ひとつ、またひとつと、太陽が墜ちゆく。
天をも穿つ矢が、九つの太陽を射落としたのだ。
「やった……やったぞ! さすがです将軍! 万歳! 万歳! 万歳!」
周囲で沸き立つ男たちをよそに、弓をおろした青年は、深く息を吐き出す。
その漆黒の髪が、吹き抜けた涼風にひるがえる。
「おや、どうなされましたか、われらが
「いや、大事ない」
簡潔に返答した青年は、ひろい上げた黄金に輝く枝を懐に仕舞い、きびすを返す。
「もどるぞ」
颯爽と馬にまたがる青年の双眸は、鮮やかな緋色をたたえていた。
これが古くから伝わる『射陽伝説』──そして羅皇室の、はじまりの物語である。