迷って、見失って ②

 「苦杯を飲み下し、苦難と邪を恐れるべからず」


 一族が立ち向かってきた苦難が邪を是とし、正道に苦しみや痛みを与える存在であるのなら、己が掲げる信条は父の姿と意思に非ず。己が内面に広がる闇を否定せず、絶えず飢える渇望を否定しない。燻ぶる火種へ意思を焚べ、希望と未来を業火とせん。故に、クオンは父の先に進む為、己という存在を正道を往く者の道として敷く。


 とんでもない回り道、この思考に行き着く土台があったにも関わらず、自分からその土台を見ないよう視線を外し、わざとその場で足踏みを繰り返し疲れ果てていた。逃げ出そうかと、意味も無く迷い、恐れていた。だが、言葉の意味を理解し、なろうとせず、己は己であると認めたならば意思は確立される。


 己は誰かに己を捧げない。己の拳と意思は己が持つ最大の武器であり、脈動する心臓が叫ぶ確固たる命であるのだ。クオンは誰かに意思を託さない、誰かになろうとは思わないし己を貫き、立ち続ける意思を誓う。


 邪道は正道に勝てぬ、生命は闇に打ち克つ力を持っている。闇が己の一部であり、渇望が絶えず飢えるのならば、それもまた己。意思が正道を示し、生命が背を見ているのならばこの身と心は決して邪道に堕ちはしない。果てしなく広がる闇と渇望を力とし、燃え盛る意思を以て振るう。


 故に誓おう、己は決して倒れない。己は邪道を払い正道を敷く者であると。


 「……意外と、人とちゃんと話してみるもんだね。私、貴女の事結構好きだよ」


 「お力になれて良かったです」


 「それと、昼はごめんね? 自分ながらに酷い事言っちゃってさ。うん、反省するよ。アインもちょっかい掛けてごめん」


 酔いながらも頭を下げたクオンを冷ややかに見つめたアインは、別にどうでもいいと言った風に腕を組み、溜息を吐く。


 「……貴様の蹴りは、中々に速かった。それに、敵の剣筋を見極める術も長けている。今の貴様は強いだろうな、もう一度戦ってみたらどうなるか分からんだろう」


 「あんまり君とは戦いたくないな、だって君馬鹿みたいに強いじゃん」


 「俺も貴様を殺したく無くなった、少しだけ良い目をするようになったじゃないか」


 「……さっきまでバチバチに殺意を飛ばしていた人間とは思えないね、何か心境の変化でもあった?」


 「美しいと思ったからだ」


 「へ?」「俺は貴様が美しいと思った、だから殺さない。先程までの溝底のような瞳から、己自信に変化の意思を持った故に、貴様の瞳は綺麗な緋色を帯びた。だから殺さない。サレナ程じゃ無いが、貴様は美しい」


 「へ、へぇ、ま、君みたいな強者に言われるなら、悪くないかな」


 自己の意思を確立し、誓いを胸に抱いた者は美しい。クオンが抱いた誓いを見抜くように、彼女の瞳をジッと見つめたアインは兜の奥で少しだけ笑った。


 「どうした? 酒がまだ残っているぞ」


 「君ね、あんまり女の子にそんな言葉ポンポン吐いちゃ駄目だよ?」


 「美しい存在を美しいと言って何が悪い。この世界の大多数の生命は皆制約に盲従し、確固とした誓いを持たない肉塊だ。だが、こんな世界でも己の意思を持ち、誓いを抱いた生命は美しい。その輝きは老若男女問わず、人魔の隔たりも関係ない。綺麗だろう、生命を助ける為に己が在ると誓う者は。だから、貴様、クオンは綺麗だ」 


 「……何だか、本当に調子が狂うなぁ。私は君を利用したんだよ? そんで君はさっきまで本気で私を殺そうとしていたのに、今じゃ綺麗とか美しいとか、本当に分かんないな。何だい? アインは私を綺麗とか美しいとか言うけどさ、君にとって、その、サレナちゃんはどうなんだい?」


 「サレナか、この子は俺にとって、そうだな……守るべき一つの世界と云えるだろう」


 「せ、世界?」


 「ああ、サレナは俺に新たな世界を教えてくれる。何時も俺を導き、癒し、前を行ってくれる。この子の隣が俺の帰る場所であり、この子が守りたいと願った者を俺は守りたいし、救いたい。逆に、サレナに牙を剥く者は許さない。牙を見せ、剣を鞘から抜いた瞬間にその者は俺の敵だ。敵に容赦はしない、絶対に俺の意思を以て殺す。それが世界であっても殺す。だがな、もしそんな敵でもサレナが救いたいと言って、殺す事で救えるのなら俺は苦痛を与えずに殺したい。この子は俺の世界であり、力の源なんだ。サレナが笑ってくれるなら俺は何処までも強くなれる」


 一寸の迷いも無くそう言い切ったアインはサレナの頭を優しく撫でると、絹のような髪先を弄る。冷めていた真紅の瞳に柔らかな熱が宿り、彼自身が理解していない感情が内の殺意を鎮める。


 「俺は俺自身の記憶を失っている。俺の名はサレナがくれた名だ、この子は空っぽだった俺に優しさという水を与え、この子を守りたいと言う意思の大地をくれた。俺は、サレナの為なら命など惜しくない。だが、この子の為に死なない。命を懸けて死なずにサレナの待つ場所に帰る。これ誓約ではない、約束だ。サレナの騎士や剣なんかじゃなくて、アインという一人の生命の約束だ」


 「……サレナちゃん」


 「は、はい、何でしょう」


 「君、絶対にこの人を手放しちゃ駄目だからね? こんなに一人の女の子を大切にしてくれる人なんて中々居ないよ? ああいいなあ! 私にもこんな男が居たらなあ!! 本ッ当に手放しちゃ駄目だからね!? 分かってる!?」


 顔を真っ赤に染めたサレナは、指を忙しなく動かし熱っぽい視線でアインを見つめる。当の本人はただ彼女の頭を撫で、優し気な瞳を向けるだけだったが、少女はアイン自身の言葉に激しく動揺していた。


 「あ、アインの事は、その、私も大切に想っていますし、あの、そんな直球で投げられたら、少し、はい……」


 「……ねえアイン、この子私に譲らない?」


 「殺すぞ」


 「冗談だってば!! 本当に君は冗談を聞かないね!? あーもう、甘いよぉ、甘すぎるよぉ、君達をもっと見ていたいなぁ……」


 自身の身体を抱き締め、悶えるクオンを他所に山盛りの食事と飲み物を運んできた飯女が怪訝な表情を向ける。


 「お待たせしました、本日の山盛り定食セットです」


 「ありがとうございます、さ、さあ、食事にしましょう?」


 「今日は自棄ヤケだよぉ……」


 「阿呆クオンは放っておけサレナ」


 愛想笑いの混じった笑みを浮かべ、食器を手に持ったサレナは肉料理を口に運ぶ。甘い肉汁と香ばしいソースが口の中で弾け、肉も柔らかく少し嚙むだけで身がほぐれ、スルスルと喉を通り抜ける絶品の味。我を失う美味しさに一心不乱で食事を進めたサレナは、あっという間に料理を平らげ物欲しそうな顔でアインを見つめた。


 「……食うか?」


 「いいんですか!?」


 「ああ、今日はあまり食欲が無くてな」


 「あ、ありがとうございます!!」


 アインの分の料理を受け取り猛烈な勢いで食べ始める。その勢いは正に飢えた獅子のような食欲であり、呆然とするアインとクオンの視線にサレナ本人が気づいていない有様である。


 「ねえアイン」


 「……何だ?」


 「今までどんな食事を摂っていたの?」


 「……カロンから渡された大量の食料は三日で底を付き、後は山菜や食える野草、獣を狩っていた。普段から食欲は旺盛な方だと思っていたが、いやはや、まさか此処まで飢えていたとはな。反省すべきだ」


 「人ってのは、長所もあれば短所もあるんだねぇ」


 「……否定は出来んな」


 サレナが更に料理を追加し、店の食料の四分の一を食い尽くす姿を眺めた二人は窓の外から見える夕日を眺めたのだった。