夕闇に蠢く ①

 食事を終え、腹を膨らませたサレナは満面の笑みで腹を擦り、食後のデザートに手を付けていた。


 柔らかいスポンジ生地にフォークを差し入れ、純白のクリームに包まれた生地を苺と共に食す。主張し過ぎない控えめな甘さのクリームと、ほんのりと香るスポンジ、そこに甘酸っぱい苺の酸味が加わり上品な味に仕上がったケーキを一口頬張ったサレナは、頬に手を当てだらしない笑みを浮かべた。


 「サレナ、口の端にクリームが付いているぞ」


 「え? あ、はい」


 「動くな、拭き取ろう」


 「い、いえ、自分で出来ます」


 「そうか」


 アインから手渡されたナプキンで口元を拭いたサレナは、若干頬を朱色に染め、一つ咳払いをする。

 「ね、サレナちゃん。夜って暇?」


 「そうですね、暇と云えば暇ですが……どうかしましたか?」


 「いやね、長旅のお二人さんに良い処を紹介しようと思ってね。女の子なら喜ぶと思うよ?」


 「どのような処ですか?」


 「それは行ってみてのお楽しみ、いや、大きい都市に訪れたなら一度は行かなきゃいけない場所だね。アインは―――」


 「サレナは貴様に任せよう、俺は少しばかり用事がある。サレナ、金は持っているな?」


 「え、アインは来ないんですか? それに用事とは?」


 アインの視線が会計カウンターへ向けられ、忙しなく金のやり取りを行っている少年に向く。帽子を被った黒白の髪が入り混じった少年、ティオは客とアインへチラチラと視線を寄越しており、剣士が稽古を付けてくれるか否かを心配している様子だった。


 「口に出してしまった事はやらねばならん。すまない、サレナ」


 「ティオさんとの稽古ですね。ならば仕方ありません。分かりました、私達だけで行きましょうクオンさん」


 「え? いいの? あの子は―――」


 クオンがその次の言葉を話そうとした瞬間、会計札を持ったティオが突然現れ「お会計は金貨五枚、銀貨三十枚、銅貨十一枚となります。人類共通貨幣で宜しいでしょうか?」と彼女の言葉に被せるように話した。


 「ティオさん、こんばんわ。少々お待ちください」


 「ティオ、アンタ自分の事―――」


 「クオンさんもお会計を済ませて下さい。銅貨三十枚です」


 「いやいや、アンタ」


 「此方は商売です。幾らボスの娘さんでもツケはご遠慮願います」


 肩に吊っていた魔導精算機をテーブルの上に置いたティオは、問答無用で金を催促し、テーブルを二度指先で叩いた。


 「この魔導具にお金を入れればいいんですか?」


 「はい、コレが自動で金銭の枚数を読み取り、釣銭や余分な金を払い出してくれます。どうぞ」


 三種の貨幣袋を懐から取り出したサレナは適当な枚数を精算機上部の穴に入れ、前面のカウンターの数字が回転する様を眺める。都市であれば広く普及している魔導具であろうとも、サレナにとっては未知数の機械故、その動きは大変興味深い。


 「……はい、清算完了です。下の払い出し口から釣銭と余分な金が出てきますのでお受け取り下さい。クオンさんも早く」


 「……はいはい、アンタがそう言って聞かないなら別にいいけどさ。銅貨三十枚だっけ? これって統一貨幣も対応してるの?」


 「人類領全域の貨幣なら全て対応しています。統一貨幣は銅貨の五十ですか? ならば十の統一貨幣が二枚のお返しになります」


 「ならそれで」


 硬貨の真ん中に鈍色の輝きを放つ魔石が嵌め込まれた銅貨を取り出したクオンは、サレナと同じように上部の穴に銅貨を入れ、釣銭として払い出された硬貨を受け取る。


 「あの、その統一貨幣とは何でしょう?」


 「ドルクの都市が発行している纏め硬貨です。現聖王が二十年前より流通させたものですね。十、五十、百の単位があり、一つ硬貨でそれだけの価値がある事を保証しています。サレナさんも都市運営銀行に行く用事がありましたら交換することをお勧めします」


 都市に住む民衆が持つ金は、巡り巡って最後には都市銀行に集積される。そして、都市銀行が魔導具を用いて金の洗浄、刻印を行い、再度流通させる。人類領の経済基盤の一角を担う銀行は種族関係無しに様々な人種が働く場所故に、都市に必ず一つは配置されている。


 貨幣の発行と開発はドルク、帳簿や管理は人間、刻印や魔導具の扱いはエルファン。それぞれの特性を活かした銀行運営により人類の経済は回っている。


 「ティオ、仕事はいつ終わる」


 「今日はもう上がりです」


 「木剣は持っているか?」


 「はい」


 「ならそれを持って広場に来い、稽古を付けてやる」


 「はい!」


 少年が帽子を脱いで礼をする。アインは立ち上がると鉄塊を背負ったままサレナの頭を撫でる。

 「俺は奴に稽古を付けねばならん。すまないな」


 「いいえ、それじゃ行ってきます」


 「ああ、クオン、サレナを頼んだ」


 「任せてよ、サレナちゃんは私が面倒みるからさ」


 「……ああ」


 店の出口から大広場へ向かったアインを見送り、小さく手を振ったサレナ一抹の寂しさを胸に、立ち上がる。


 「行きましょう、クオンさん」


 「本当にいいの? アインと少しの間だけど離れるなんて」


 「彼には彼のやるべき事があり、それに対して私が出来る事はありません。それに、アインが誰かに私を任せるなんてそうそうありませんから」


 「……じゃ、何があっても無事に帰さないとね。ま、これから行く場所はそう危ない場所じゃないし、大丈夫だと思うけど。あとね、サレナちゃん」


 「何でしょう?」


 「もし他の男に声を掛けられても一々反応するんじゃないよ? 君は可愛いんだから、もう少し警戒心を持ちなさいな」


 「は、はい、分かりました……」




 ………

 …………

 ……………

 ……………

 …………

 ………




 一人の男が、酒瓶を片手に路地を歩く。


 誰とも知らない似顔絵が描かれた張り紙へ唾を吐きかけ、破り捨てた男はふらめきながら石畳の上に座り込み、酒瓶を呷る。


 路地の隙間は濃い影に濡れていた。夕日により作り出された影が濃い闇を生み出し、仄暗い黒を路地に纏わせる。男はボウっと影を見つめ、酒気混じりの溜息を吐き出すと更に酒を呷る。


 「……?」


 ゆらり、と影が動いたような気がした。気のせいか? 酒に酔った頭が見せた幻か? いや、そんな筈は―――。


 冷えた吐息が耳元に吹きかけられた。男は突然の出来事に身体全体を飛び上がらせ、その方向へ首を回す。すると、其処には真っ白い肌に黒いドレスを着た絶世の美少女が立っていた。


 酒瓶を握る手が震える。少女の妖艶な瞳に恐怖し、息が詰まる。だが、それとは他にが叫ぶ。少女を殺せと、を殺せ―――と。


 「わたくし、貴男のような雑魚には興味無いの。けど、丁度お腹が空いていたし、良いわ。食べてあげる」


 影が蠢き無数の瞳が男を見据えた。何十、何百、何千もの瞳は男へ羨むような視線を投げ掛けると、幾重にも重なった理解不能な声  を発し、一斉に男を飲み込み自身の闇へ取り込んだ。


 「やっぱり人間は駄目ね、持っていると魔力が少なすぎるし、腹の足しにもならないったらありゃしない。そう思わない? 


 影の中からスラリとした中性的な青年が現れ、微笑する。


 「イエレザ、少しは堪えたらどうだい? 人類は数が多くとも、減らし過ぎたら面倒な種族だよ。都市に我々に、単独行動は許されていない」


 「なら攻め落として仕舞っても構わないでしょう? お兄様は慎重ね」


 「をするだけなら構わないが、君は食べ過ぎだ。壁に貼られている行方不明者は全員君が食べたんだろう?」


 クスクスと、優雅に笑った少女はくるりと舞うと影に潜る。また、それを見た青年も影に潜ったのだった。