9話、後悔しても、もう遅い

 代理当主ハシムが捕縛されて数日後、行方不明だったアンカーサイン家当主ユスティヌスが発見された。


 ブライド・マートルだ。

 あのシンボルツリー、ブライド・マートルが、ユスティヌスを匿っていたのだ。


 その真実は、青い鳥がブライド・マートルを癒しきった時に判明した。


 癒しの力で以前のような美しく立派な木の姿を取り戻したブライド・マートルは、優しい光をほんのりと放って、さやさやと枝葉を揺らした。

 すると、根っこ付近からふんわり、ころりと、当主ユスティヌスが現れたのだ。


「……旦那様ぁっ!」


 ユスティヌスは意識がなかったが、愛妻イヴェールが泣きながら懸命に呼びかけると目を覚ました。


「弟に呼ばれたんだ。来てみたら、黒いイバラが襲ってきて……私は、眠っていたのか? その後の記憶がないぞ……」

「わ、わたくしは、旦那様にもうお会いできないかと……っ」

「イヴェール、心配をかけてしまったのだね。すまない……」


 ぼんやりと記憶を追いかけて語るユスティヌスは、妻イヴェールに慈しむようなキスをしてから、感謝の眼差しでブライド・マートルを見た。

「この木が守ってくれたんだ。信じられないことだけど」

「旦那様、この木は妖精が癒してくれたのですわ。そして、その妖精は魔女が……ああ、何から説明したらいいの」

 妻イヴェールは夫がいなくなってからの出来事を、ゆっくり一つずつ話した。


   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆


 処刑の日、兄ユスティヌスが無事な姿を見せると、ハシムは顔色を青くしたり赤くしたりして悔しがった。


「くそう! くそう! せめて道連れにできていれば溜飲りゅういんが下がるものを!」


 もはや兄への憎悪を隠そうとしないハシムに、ユスティヌスは悲しげに告げた。


「ハシム。お前の苦しみに気付いてやれなくて、すまなかった」


 兄の優しい眼差しに見つめられて、ハシムは苦し気に喘いだ。


「や、やめろ。同情するな! そんな目で見るな!」

「お前が贈ってくれた木が、兄さんを守ってくれたんだ」

「なっ……、お、オレの贈った木が!」


 ブライド・マートルが守ったのだと教えると、ハシムは口をあんぐりと開けた。


「兄さん、たまにお前に嫌われてるのかなって思う時があったんだ。でも、仲の良い兄弟みたいに過ごした時間もあったよね」


 兄ユスティヌスは、弟と視線を合わせるようにして静かに語った。


「兄さんも聖人君子ではないから、弟が優秀で劣等感を抱いたり危機感を感じることもあった。でも、お前は味方だと信じていた。あの木を贈ってもらった時にも、思ったものだ。ハシムは頼れる存在だ、頼もしい弟だ、と」


「に……兄さん」


 兄の言葉に、ハシムは動揺を見せた。

 その瞬間、間違いなく弟の胸には兄への情が思い出された。


 不満を覚える前、物心ついたばかりのハシムに絵本を読んでくれた兄。とことこと後ろをついて歩くと、「おいで」と手を繋いでくれて、笑ってくれた兄。

 イヴェールが好ましい、仲良くなりたいと照れながら相談してきた兄ににやにやして、酒を飲みながら互いのグラスの縁をコツンとさせて、乾杯して。


 憎い。嫌いだ。

 そう思う一方で、自分の中には、間違いなく――、


『素晴らしい木を贈ってくれてありがとう、ハシム。この木は我が家の家宝にしよう。これを贈った兄想いの弟がいたのだと、代々語り継がせようではないか』


 ――愛しいと思うあたたかな瞬間は、あったのだ。



 兄の唇が動く。声は発することなく唇が発音の形を見せる――「お別れだ」と。


「あ……、あ……――っ」


 自覚して後悔しても、もう遅い。


 ハシムはその日、処刑されたのだった。


   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆


  後日、事件の真相が世間に発表されて、アンカーサイン侯爵家は王室直々の命令によりパーティを主催することになった。


 手続きを済ませているものの挙式ができていなかったイオネスとローズメイの結婚お披露目。

 そして、当主ユスティヌスの健在を示し、無事を祝う目的だ。そこには、スカーロッド伯爵家の者も招かれている。


 優雅なワルツが奏でられるのを聞きながら、ローズメイは花のようなドレスの裾を揺らして招待客に笑顔をみせた。エスコートしてくれるのは当然、夫であるイオネスだ。


「ごらん、みんなが君の美しさに目を奪われているよ。あの公子なんて嫉妬を隠そうともしない」

「皆様が見惚れているのはイオネス様ではないかと思うのですが……あ、グランツ。お姉様もいる……」

「俺も久しぶりに人前に出たからね。ところで彼はグランツというんだ? ローズメイさんとどんな関係? 親しい? ……教えてよ」


 耳元に唇が近づけられる。内緒話をするような小さな声は柔らかくて甘やか響き。なのに、「絶対にこたえてね」というような逆らいにくい圧もある。


「従兄弟で、幼馴染です」

「危険じゃないか」

「きけ、ん? あ、いえ。口は悪かったりしますが、悪い人ではありません」 

「悪い人だと思ってほしくないんだね?」 


 イオネスはその回答にますます危機感を抱いた様子で、首を振る。


 動きに合わせてさらさらと流れる茶髪は、照明を浴びて黄金めいた艶をみせていて、美しい。

 健康を取り戻した彼は、お姫様というより立派な貴公子、という印象が強くなっている。


 洗練されたラインで仕立てられたトラウザーやクリスタルやダイヤモンドといったピュアな輝きを放つ宝石が、清潔感のある凛とした魅力を引き立たせている。

 一挙一動に気品があって、優雅だ。


 目を惹き付けられるが、会話中に返事をするのを忘れて見惚れてしまうのもどうなのか――視線を逸らすと。


「ローズメイさん。俺が彼を悪く言ったから、機嫌を損ねてしまったの?」

「えっ、いえ。そんなことはありません」


 イオネスは拗ねたように言葉を続けた。


「君の夫は俺だと主張したいんだけど、だめかな」

「あ、あの。彼と話したいわけではありません。彼ではなくて隣にいる姉に挨拶をしたいと思っていましたし」

「そうかそうか。よし、いこう」