悲鳴が関心を呼んだ。
公安の視線が津島の方を向き、何ごとが起きたのか、と確かめようとした時だった。
彼は空に向かって銃を撃った。
その瞬間、彼自身が驚いているかのように、公安の一人には見えた。
本物の銃であることに、それを持っている自分に驚いているように見えた。だがその、一瞬だけ正気に戻ったかのような目はすぐにまたぼんやりしたものに戻った。
朱明の直接の部下は手際が良かった。
この騒ぎの中心に居る奴は、正気でないことに気付くと、慌てて「橋」から業者を下ろさせる。取引の済んだ者は出口へ、そして入り口を封鎖して。
「……はい。何か幻覚剤のようなモノをやっているようです」
彼は彼の上司に報告する。上司はすぐに行く、と告げた。そして実際すぐにやってきた。
「橋」の上に残されたのは、公安の十数名と、「橋」の向こう側で、何ごとがあったのか、と不安げな顔で立ち尽くす「外」の業者と、津島だけだった。
公安は、「外」の業者にも下がるように、と注意を呼びかけた。さすがに業者の方も命は惜しいので、素直に引き下がる。
「聞こえているか?」
「聞こえているよぉ……」
今にも笑い出しそうな声で津島は答える。
何で自分が笑い出しそうなのか、彼には全く判らなかった。
ただ、妙に何かおかしい。背中から首筋、頭の反対側に妙につんつんとした刺激が加えられているようで、ぞくぞくする。何かおかしくておかしくてたまらない。
「それよりさあ、都市を脱出しようって奴を捕まえた方がいいんじゃなーい? 俺なんかよりさ」
そしてとうとう笑い出した。
馬鹿じゃないかこいつは。朱明は思う。
この状態で、誰が「外」へ出られると思っているんだろうか。銃を持った奴が「橋」の真ん中でいかれている状態で、その横を走り抜けようなんて馬鹿居る訳がない……
「どうしますか長官、周囲の警備を……」
「別にそっちはいい。それより、奴を取り押さえるタイミングをはかれ」
「はい」
朱明は苦虫を噛み潰したような顔になる。その顔を見て部下は触らぬ神に祟りなし、とそっとつぶやく。そういう顔をしている時の彼らの上司にはなるべく近づきたくないものだった。
朱明がそんな顔をしている理由は、津島の持っている銃にあった。見覚えがある。だがそれは公安の銃ではない。
「長官」
「何だ」
「奴の知り合いと言う者が……」
黙って朱明はあごをしゃくる。ぽりぽりとこめかみを引っかいて、やや動揺している気分を治めようと努力する。
だがその努力はたいてい現実に裏切られるのだ。
「お前らか……」
「久しぶりですね」
彼の前には安岐と朱夏が立っていた。
なるほど、確かに似ているが違うな、と彼は目の前の朱夏を見て思う。印象としては、似ている。それは安岐がHALに対して思ったのと同じである。
だが、この少女は、彼の持つ気配が全くない。
別人と言えば当然だが、これがレプリカであることは、間近で見た今、判る。朱明はHALが言う程鈍感ではない。むしろ一般人より、ある部分においては敏感である。
「長官だったんですね」
「お前があれの友達とはな。だが出てきてどうするつもりだ? 奴に説得でもするつもりか?」
「……出来れば」
ともすれば気圧されそうな自分を安岐は奮い立たせる。
「奴はダズルをやってるぞ」
「まさか」
「本当だ」
朱明の言葉には嘘はなかった。実際そう考えればつじつまが合うのだ。あの手に握られたままの銃の理由も。そしてそれを誰が与えたかも。
問題は、それが何故与えられたかが、自分にははっきりしないことなのだ。
「公安さーん、その二人を捕まえて下さいよぉ…… その二人は『外』へ出ようとしているんですよぉ……」
歌うように津島の声が流れてくる。びく、とその言葉に安岐の肩が震えた。
目の前の公安長官は、黙ったまま、声の主を眺めている。気付かれただろうか。安岐は自分の素直な反応に歯がみする。
「公安さぁ~ん…… 聞こえませんかぁ?」
「うるさい!」
朱明は怒鳴った。本当にうるさい。そんな口調で今の自分に語りかけてなどもらいたくはなかった。
「おい安岐」
「はい?」
何故名前を知っているのだろうか、と彼は思った。
「奴を説得できると思うか?」
「判りません」
「お前は本当に『外』へ出たいのか?」
並列する質問。同じ軽さで朱明は彼に訊ねた。安岐の心臓が早鐘を打つ。ここが勝負どころだ。感覚で判る。この長官には、ここで嘘はつけない。
「俺はいい」
「安岐? 何を言ってるんだ?」
「俺はともかく、彼女を出して欲しい」
そう言って、安岐は親指で朱夏を指す。
「何故だ」
「あんたは知らないの?」
強気に出よう。安岐は決める。もしかしたら、自分は勝てるカードを持っているのかもしれない。
「何をだ」
「HALさんは、朱夏を『外』へ出したいんだ」
素早く朱明の視線が朱夏の方を向いた。
目をむいたその表情は、驚きに満ちている。まるで怒った鬼のようだ、と安岐はのんきにもそんなことを想像してしまう。
「ああやっぱり知らないんだ」
「黙れ」
「あんたは、知らされてなかったんだ!」
「黙れと言うだろう!」
怒号する。安岐はさすがにその瞬間、頭からバケツで冷水を浴びせかけられたか、と思った。
朱明はしばらく黙った。そして「橋」の上で笑い続ける津島の姿を眺める。笑っているくせに、銃にはちゃんと手がかかっている。指はトリガーに掛かっている。器用なことに、それでいて発砲はしていない。
「安岐」
「何ですか」
「説得してみろ。注意をそらせばいい。どうせダズルをやっているなら、注意力なんて無いに等しい。一点に気を逸らせば捕まえる隙はできる」
「安岐が撃たれたらどうするんだ!」
朱夏が横から叫ぶ。その彼女の頭を、ぽんぽんと軽く叩きながら、安岐はつぶやくように言う。
「朱夏あのね、津島は俺の友達だよ……」
「友達だが、正気じゃない!」
「長官、『適数』は人間にのみ適用される訳だろ?」
「そうだ。レプリカントには適用されない」
「安岐!」
二人は朱夏を置いたところでうなづきあう。これは取引だ、と安岐は思う。かなり自分に分が悪い……
「安岐、お前が奴を説得する間にこっちはタイミングを見計らって奴を捕らえる。朱夏はその混雑にまぎれろ」
「私は嫌だ!」
「朱夏言う通りにして」
「安岐……」
「朱夏がするべきことをすれば、またすぐに帰ってこれる。朱夏ががんばれば、すぐだ。朱夏は一人ではできない? 彼を捜して、戻ってくる……」
「お前がいないと、あの声は、ヴォリュームを落とさない!」
「少しの間だよ」
「少しだな? 判った。私は出たらすぐに捜す」
誰をだ? 朱明は思わず耳をすます。
「BBの、FEWを」