8.満月の交易

 満月が近くなると各企業、各組織、公安、それぞれがそれぞれの思惑で騒がしさを増す。

 安岐の所属する集団もそうだった。

 満月は月一度。大切な日が月一度、というのは実に分かりやすい。計画も立てやすい。

 だが、どれだけ計画が完璧でも、満月の夜、その短い時間に目的を達成できなければ、どれだけ完璧な計画でも全く意味はない。


 火曜日の昼。


 現在では電気も水道も入らないゴーストビルと化しているところを安く借りて仕事をしている集団が多い。


「で、次の仕事だが」


 社長が話し始める。彼はまだ若い。三十そこそこである。

 この都市が孤立化してから、雨の後の筍よろしくうじゃうじゃと出来た会社や非合法組織は、たいてい構成員が若い。

 その中心は、行き場を失った学生であることが多かった。ここの社長も、副長の壱岐も、十年前までは学生だったのだ。

 だが学生はただ学生をやっているだけでは生きていけなくなった。

 何しろまず収入がない。特にこの都市へやってきた他地方の学生や、たまたまそこに来ていただけ、という旅行者というのは。

 仕送りのみを頼りにしていた学生は、当初、自分の安否すら保護者に伝えることができない。

 さすがに落ちついてからは、ある程度の「外」との情報交換だの、手紙の受け渡しができるようになったが、とりあえず目先の暮らしができない状況になってしまった。

 旅行者(これは「たまたま」都市の繁華街に買い物や催し物に来ていた人も含む)はなお状況が悪い。学生はそれでもまだ住むところはある。どうしても無くなった時でも、学校の校舎へ潜り込むという手段もある。 

 だが旅行者には、それすら無い。バイトと言っても限度がある。

 もともとこの都市には、他市の工場へと働きに出ていた市民も多かった。彼らは働き口を失った。だが失ったからと言って働かずにいたら食えなくなってしまう。

 行政の側も、そういった人々にまず仕事を供給した。家族を養わなければならないから、と。それは正しい。

 だが正しいからと言って、放っておかれた側はたまらない訳である。どうにも後回し後回しにされ、待った挙げ句働き口はない、と宣告された学生や若い旅行者達は、とにかく何か方法はないか、と探した。すき間を探した。


 ―――あった。


 それまでにはなかった仕事を、作ればいい。


 そこで彼らが思い立ったのは、「外」との交易を専門に行うことである。

 そしてその大半が表の顔と裏の顔を持っている。とりあえずこの集団も、表向きは「外」の服飾メーカーの卸しをしていたが、裏では、この都市が新しく作った条例に反するものの密貿易だった。

 外と、金銭の受け渡しができるようになった頃には、新しい生活が、彼らの身体に馴染み始めていた。

 このビルにはカーテンすらないから、陽射しが直接入り込んで初夏の今、かなり暑い。だが冬の寒い時に比べればマシ、とばかりに「社員」の彼らは汗をだらだら流しながらも、思い思いに椅子を引っ張ってきて、社長を取り囲むようにしてかける。


「で、表向きの方のはそのくらい。それぞれの受け持ちを上手くこなしてくれ」


 社長以上に若い社員達ははい、と声を揃える。中には中学生じゃないか、と思われるような者もいる。


「で、もう一つの方だが」


 全員の顔に緊張が走る。


「今回のこっちの主目的は闇煙草だ。輸入モノの『ダズル』。それは先週の打ち合わせと変わらない」


 大気条例のために煙草はこの都市では制限されている。「外」からの持ち込み量や、種類、喫煙場所も限定されている。空気洗浄機のある所、煙の出ないタイプ、等々。

 彼らの扱おうとしている「ダズル」はヘビースモーカーに好まれるもので、吸う本人はいいが、吸わない者には吐き気さえ起こさせるような臭気がある。また、人によっては幻覚症状が起こる、ということで、公安の取り締まりリストに載っているものである。


「だが、先日持ち込まれた情報によると、公認の取引の方に今回は大がかりなソフトがあるらしい」

「ソフト?」


 一人が反射的に声を立てる。


「まあ色々だな、工業用もあるし、ゲームもあれば、音楽もある。だが、どうもその中に、入荷が禁じられているモノが紛れ込まされている可能性が高いということで、今回は公安が目を光らせている、と」

「と、言うと?」


 別の一人が訊ねる。説明してやれ、と社長は隣に座っていた壱岐を見る。


「『こちら側』には絶対現在は無いソフトというものがあるのは知ってるな?」


 その場にいた全員がうなづく。壱岐は安岐の方も見る。安岐も知っている。実際にその実物は見たことはないが、話として知っている。


「十年前にそのソフトは全て公安が回収し、破壊した。もちろんそんなことをしたのは、『こちら側』だけだ。『外』はそんなことをする必要がなかったから、そのまま市場には出回っている」


 ある特定のアーティストのソフトだ、と安岐は壱岐から以前聞いた。


「ただ、『こちら側』の騒ぎとその理由は、『外』の方も判っていたから、『こちら側』へ持ち込むような真似はわざわざしなかった」

「それが持ち込まれる、というんですか?」


 津島が訊ねる。


「そうだ。まあ『本当に』持ち込まれるのかどうかは判らない。公安がそれを口実に、別件の一斉検挙を行う気かもしれないし」


 珍しいな、と安岐は思う。

 壱岐はこのように不確かなことはそうそう口にしない。いつも持ち込まれる情報もただではないのだから、と冷静に検討して、確実なものを、自分で噛み砕いた形で持ってくるはずなのだ。


「情報自体は確実なんですか?」


 思い切って安岐は訊ねる。壱岐は口元を歪める。


「情報自体はな。そういう情報が流れているということは事実なんだ。ただ、それが何処から流れているか、というのがやや不明瞭なのが俺も気にはなるんだが」

「だが闇煙草の方の取引は前々からのものだ。それを違えると、ウチと取引先、それにウチから流す業者の信用問題に関わるからな」


 社長は低い声で付け加える。つまりそれは決定事項なのね、とメモを取る津島のつぶやきが聞こえる。


「で今夜、その準備がある。そう大人数は要らない。打ち合わせだけだからな」


 参加メンバーが告げられ、この場に集まっていた殆どがうなづいた。

 この集団はそう多人数の組織ではない。実際この場に集まっていたのは十人程度だった。

 ただ、それが全員ではない。この都市のあちこちに「社員」は散らばっている。ある特定の専門的な仕事だけを引き受けて、その仕事に対してのみ報酬を受け取る、という立場の者。彼らは特定の通信手段によって動く。   


「ちっ、今夜かよ……」


 舌打ちをする友人の顔は妙に悔しそうだった。津島はこの晩の打合せメンバーに入れられていたのだ。

 やけに悔しそうだったので、安岐は散開後津島にその理由を訊ねた。


「んー」


 津島は言い渋り、やや照れくさそうに視線をそらす。そこで安岐は気付いた。


「お前今日ライヴあるとか」

「そーなのよーっ」


 津島はわっと泣きつく真似をする。


「だけどお仕事だものね、仕方ねーでしょ? てな訳で安岐くん行ってきてくれない?」

「オレが?」

「いや一応俺、楽しみにしてたのよ? だからせめて俺に後でお話聞かせてっ」


 神様お願いポーズで瞳うるうるとさせて見せるあたり芸人である。本当にうるんでいるのだから。


「いーけど…… 何処?」

「あ、それはこないだのトコ。B・B」


 ポケットをごそごそと探る。四つ折りにしたクリーム色に薄いブルーの幾何学的な形が所々に散りばめられたデザインのチケットを出し、ほらここ、と印刷された文字を示す。


「OK。とりあえずがんばってな」

「うん」


 頼むわよっ、と半ば真面目、半ば冗談まじりに津島は安岐の手にチケットを握らせた。ふと触れた指先が堅い。ああ、ギターの練習もがんばっているんだな、と安岐は気付いた。