裏璃は繋がらない世界に眉間に皺を寄せていた。
燈霞がどこかに行ってしまう。
それでは彼は困るのだ。
紗宮耶を呼んだ。
鯨群は再び多賀見神社に引き寄せられる。
縁側に座る裏璃の元に、苛立ちを隠さないでいる紗宮耶が現れた。
「あんたねぇ、いい加減にしなよ?」
「解ってないね、今の危機的状況が」
「だからあんたの事情なんて知らないっての」
「僕も池の鯉の明日に何て興味ないよ。ただ鯉は鯉らしくしてて欲しいんだ
よ」
「言ってくれるねぇ」
「伊瑠コミュニティにブラフだけ送って逃げようとしたいい歳した大人がいた
ものだから」
「誰が逃げるだって?」
「もう一度言おうか?」
「楽しい反応じゃないか。ならあんたも来な」
「へ?」
裏璃は間抜けな声を出した。
すぐに片腕で首を後ろから絞めにされて、そのまま鯨の中に吸い込まれた。
「……マジか」
裏璃は考えてもいなかったことに、鬱陶しそうに息を吐いた。
ザトウクジラたちの姿を見た、湖守はやはり来たかと本部に緊急体制を敷か
せた。
技術室から、全体の指揮を執ろうと椅子に鎮座している。
信じられない光景がリンクした頭の中で広がっていた。
後頭部を撃ち抜いたはずの奇喩ら七人が立ち上がっている。
傷はそのままに。
舌打ちする。
「お望みなら表出してやるよ」
湖守は記録係に釘打ち事件の情報をまとめるように命じた。
ことの発端は二年前。
東京の八王子で死体があがった。
両手に釘を打たれて絞殺された女性のものだ。
それ以外、性的な被害はない。
以降、一か月半から三か月の間をあけて釘で打たれた死体が発見されてい
た。
惰性機関となった警察よりも、コミュニティのほうが情報が早く迅速な処理
に動いていた。
ことは彼等の市場の重大事だ。
東京のコミュニティらは普段の対立を捨て、この件に関しては積極的に情報
を交換していた。
犯行の共通点は釘で被害者の手の平を打ちぬいていること。被害者の共通項
は四人目の事件に寄り浮き上がってきた。
皆、多賀見神社詣での趣味を持っていたという点だ。
多賀見神社は設立が四十年前。
丁度、燈霞始動の年と同じくする。
意識のトンネルが出来た時期である。
トライ・クロス・クルが結成された時だ。
ヘッドの奇喩はいち早く燈霞への接触を試みていた。
彼らの動きはコミュニティが把握している。
とはいえ、たかが路上のギャングでしかない。
メンバーは早期にコミュニティによって拉致されて自白を強要され、頑なに
拒否する者は見せしめに釘打ちと同じ方法で殺されていった。
それが六人。
最後に残ったのが、奇喩という少年だ。
彼ははっきりと言った。
自分が犯人であると。
コミュニティは見せしめに両手に同じ穴をあけて放逐した。
「ラ・モールよ、奇喩の私怨に付き合う気か?」
大々的に発表してから、湖守は呟いた。
「湖守も老いたな」
紗宮耶は笑いを堪えているようだった。
「離璃」
呼ばれた少年は諦め半分で顔を上げて応じる。
「何が老いただよ。あんたがいつまでもチャラいだけでしょ」
「うるせー」
起こった様子もなく、むしろ今度は本当に笑う。
「おまえも行ってこい」
「なんでだよ?」
「巻き込んだ罰に決まってんだろ」
言って彼を蹴り飛ばすと、人間の御堂と同じ姿をした者たちの中に放り込ん
だ。、
湖守のリークに何の反応もしなかったザトウクジラたちからは、巨大なハル
バードをもった御堂のコピーたちが十数名降りてくる。
伊瑠コミュニティの建物は多重建築と一言でいうものの、実際は城塞の形を
取っている。
構成員たちはそれぞれの場所で配置につき、襲撃に備えていた。
「ヴァリスよ、加護を」
湖守が言うと、技官たちが操作を始める。
ヴァリスとリンクした構成員たちの体内に変化が訪れた。
無限に力が湧き上がってくる。
異様なまでの怒り。
そして、自制心。
三つが身体と意識を覚醒させて、獰猛に御堂コピーを待ち構えた。
いきなり離璃はまっただ中に放り込まれていた。
「おや、お久しぶりですね」
隣に、パンクロック風の恰好をした長身の男がいた。
祥蕪だった。
「……あんたなんでここに」
「いやぁ、一度ヴァリス乗っ取ったと思ったのですが弾かれまして」
弾かれた?
全てを内包する燈霞のヴァリスが?
「あんた、何たらネットワークって言ってたよね?」
「僕じゃないですけどね、正確には」
「どっちでも良いよ。ヴァリスはあれどうしてるの?」
「僕を弾いたくらいですからねぇ」
離璃は不吉な思いに駆られた。
彼は死にたくない。
はっきりと、死にたくない。
死にたくない以上、この世界も存在してもらわなくてはならない。
伊瑠コミュニティの威容をみて、彼は乾いた笑いを上げざるを得なかった。
「お互い様じゃないか」
「何がです?」
「なんでもないよ。祥蕪、もう一度ヴァリスに侵入できる?」
「無理ですね。僕の全データは最警戒度下にあります。地雷原に突っ込むよう
なことになりますよ」
「良いねぇ。そう来なくちゃ」
祥無は不思議そうに少年を見詰めてきた。
自然に這い寄るリンクを無造作にウチ払う。
「痛いなぁ」
彼がぼやくように言う。
「手癖悪いことするからだよ。悠真引き込んだ時と同じことしようとしたでし
ょ」
「バレましたか」
悪びれた様子もない。
「深羽もいないのに、どうするつもりなのさ?」
「代わりが欲しいなと」
「御免被る」
祥無の人間ごっこの為の依存相手になど、離璃はなりたくなかった。
それよりも、こうなればヴァリスに頑張ってもらわないとならない。
上手く誘導してやらないと、下手に自爆されてかなわない。
やはり必要なのは、奇喩か。
「祥蕪、奇喩探して」
「はい」
疑問も返さずに素直に言う通りにする祥無。
「……まだ中にいますね」
「じゃあ行こうか。御堂たちと一緒に」
「自力じゃないんですね」
「一人じゃ敵わないじゃないか、アレ」
城塞と化している建物を指して、恥じる気もなく離璃は言った。
疑問はあった。
ただただ、衝動もなければ感動もない。事務的な作業という殺人行為。
何故だと、常に自問していた。
どうして、このようなことをしなければならないのか。
そのたびに仲間が増えて行った。
内に。
正直気に入らないものも居たが、仕方がない。
多分必要な者なのだろう。
奇喩は殺すたびにその人格を内包して孤立した自己の世界を広げていった。
「疑問は解消しなかったのかい?」
離璃が彼の前に立っていた。
後ろには祥無がいる。
『おやおや。ニカラの一部が登場だね』
ヴァリスが声にした。
「先程はどうも」
祥無が不敵な笑みを浮かべる。
そして奇喩に向き直る。
「あなたも、ヴァリスの為にここまで来てご苦労さまですね」
「……おれがヴァリスのために?」
奇喩は不快さを超えて怒り混じり繰り返した。
杭のような、握りの部分を布のガムテープで巻いた者を懐から取り出す。
「ふざけるなよ……俺は最初から俺の意思で全てやっている」
怒りは爆発寸前だった。
「では、何に対する感情です、それは?」
祥無が聞く。
「証を見せてやるよ」
ヴァリスに向き直る。
相手は先程のことがあったというのに、やっとこちらに関心を向けたという
風である。
その時に、奇喩の意識にある思いが沸きだした。
いや、以前からあったが敢えて無視していたものだ。
とてつもない怒り。その源泉は孤独だった。
初めて人を殺した時の感覚はここに捨てられていた。
覗けば、耐えるのも難しいほどの過剰な興奮と同時に解放から来る喜びの快
感があった。
これだ。
自分が人を殺してきた理由は。
他のものになどわかるわけがない。この溢れんばかりで自己まで侵食する表
裏一体の依存性ある快楽を。
ヴァリスが微笑む。
嫌な笑みだ。嫌らしく、気持ちが悪い。
突然、何が起こったか理解した。
ヴァリスは彼の心象に潜入して彼の感覚を我が物にしたのだ。
「貴様!」
思わず怒鳴っていた。
土足で踏み込むなんてものではない。
自分を奪われた。
どんなに酷く醜く汚い自分でも、この自分を奪われた!
生きている以上、これを超える屈辱と怒りがあるだろうか。
奇喩は逆手に持った杭をヴァリスに撃ち込もうとした。
彼と同時に現れた六人が同じくヴァリスを囲んで腕を振り上げた。
途端、壁のようなものに彼等は弾かれる。
だが、何度もそれに杭を叩きつけている奇喩たちがいた。
『なるほど、こういうものか。これもまた楽しいねぇ』
ヴァリスは恍惚とした表情だ。
黙ってみていた離璃は戸惑っていた。
手はある。
だが。
珍しく険しい顔の彼に、祥無が微笑んだ。
「今更何かを望んだのですか、離璃?」
言葉も出ない。
その通りなのだ。
元から彼には何もない。
だというに、何時からだろうか。
悠真と深羽の二人を観て、望みだしたのだ。
「代わりましょうか?」
祥無に向かって思わず顔を挙げる。
「代わるって……」
「僕は元々、燈霞のものですし。連中もヴァリスには手こずってきましたし
ね」
離璃は笑った。
「代わりはいないよ、祥無。君こそやることは残ってるんだし」
「おや、要らぬお節介でしたか」
彼は苦笑する。
「大体、君が行っちゃダメでしょ」
言って、離璃は一歩前にでた。
意識をヴァリスにリンクさせて、内部に意識を広げる。
『おや?離璃、いらっしゃい』
「他人行儀だなぁ、いらっしゃいじゃなくて、おかえりなさいでしょ」
『そうでしたっけ? いつも隠れていたんで忘れてましたよ』
「伊達に御隠れ様とか言われてないからね」
さらにヴァリスの中で拡大させて行くが、意外と抵抗はない。
不思議に思ったが、ようやく気が付いた。
ヴァリスという、内包する意思は、元々は離璃と一体なのだ。
ヴァリスことが離璃であり、離璃は燈霞が産んだ一つだったのだ。
そうなれば、離璃にとって乗っとることは簡単だった。
大きく広げた意識を掬うように、ゆっくりと狭めてゆく。
ヴァリスは離璃に囲まれながら、同時に境界をなくして溶けていった。
気泡のようなものが空高く上がっていった。
透明で外界を映しながら、中に粒子だけを内包した空っぽの泡だ。
見たものもいれば、見なかったものもいた。
ただ、燈霞はヴァリスとともに、軌道をずらして地球から離れて行った。
秋葉原の外れにある道路にテーブルを置いた店で、男はぼんやりとハイボー
ルを飲みつつ、熱い唐揚げを食べていた。
店の商品はこれだけで、価格も食べ飲み放題で千と安い。
昼間の通りに人通りは絶えず、空にはところどころの雲。風はない。
月も見えない青空である。
いた。
深羽は泣きそうになった。
涙でにじんだ目をこする。
ここが現実だ。
これこそが、現実なのだ。
「美味しいの、それ?」
深羽はふらりと近づいてきて、彼に尋ねた。
「あー、美味いな」
「ふーん」
少女は隣に座り、勝手に唐揚げを取って、小さい口で齧る。
「いいな、こういうのも」
「呑気だなぁ」
男は鼻で笑って、ハイボールを飲むと電子タバコを咥えた。
煙を吐いて、首を鳴らす。
「で、どうなってるんだよ深羽。これは?」
深羽は微笑んだ。
「燈霞から助けてくれたんだよ、悠真がね」
「ああ? おれはあの時、死んだぞ?」
「フラクタル・ネットでね。ここはワールド・ネット。燈霞の存在しない世界
だ」
煙をくゆらせ、どうでもよさそうに肘をつく。
「あ、そう。相変らず訳が分からないな。まぁいいや。終わったのか?」
「うん。終わった。全部ね」
「じゃあ、これからどうする?」
「それよりさあ、どっか行かない? とりあえず、唐揚げより、ラーメン食べ
たい」
「あー、ハイハイ。わかったよ」
よっこらしょと声にだした悠真は車の形をした店の窓口までいって、トレイ
を片づけた。
「ラーメン屋、どこにあったかな」
「それぐらい、調べろよ?」
「豚骨? 醤油?」
「塩!」
「渋いねえ」
悠真は笑うと、深羽を連れて歩きだした。
少年が一人、彼らとすれ違った。
どこかで見たような気もするが、どこにでもいそうな若者だ。
歩道は人でいっぱいだ。
日差しは案外鋭い。
「暑いな」
「服も買いたい!」
「贅沢いうなよ」
「んだよ、ケチィな!」
深羽はぶーたれた。
奇喩ははたから彼等を観つつ、混乱していた。
何が起こったのか?
間違いないのは、彼が自己の感覚を取り戻したことだった。
急に、彼はとてつもない罪悪感に取りつかれた。
内在している人格の六人が総出で彼を責め、泣き叫びだしたのだ。
馬鹿なと思った。
彼の犠牲者とはいえ、所詮、彼の人格なのだ。
何を今更という気分だった。
むしろ、彼は自己の感情を楽しんだ。
そして、これから起こるであろう、いや、これから彼が起こす犯罪を思い、
喜びに身震いする。
「ああ?」
悠真が彼に顔を向けた。
その目が穴の開いた手の甲で止まる。
奇喩はワザとらしく手を軽く掲げて見せた。
「待ってろ」
深羽に言うと、彼は立ち上がった。
ゆっくりと奇喩のところに近づいてくる。
「……あんたかぁ。まさかご本人から接触してくるとは思わなかったなぁ」
「まぁ、一人じゃ面白くないんでね。ちょっと頑張ってくれる人が欲しかっ
た」
「あ?」
奇喩はニタリとすると、いきなり身を翻した。
相手が悠真なら申し分ない。
あらゆる門を曲がりながら走り、奇喩は大声で笑った。
残された悠真は、雑踏に目をやりながら舌打ちする。
また面倒臭いのが現れた。
「ゆっくりできないのかねぇ」
電子タバコを口に咥えて自嘲にも似た笑みを浮かべる。
煙を吐くと、言葉を吐く。
「出てこいよ、祥無。そこらにいるんだろう?」
「……いやぁ、探しました」
人込みの中から現れたパンクロック風の白い青年に、悠真は鼻を鳴らす。
「おせーよ。説明してもらおうか?」
「座っていいですかね?」
二人はテーブルに戻った。
「よぉ、祥無」
深羽が手を広げて上にあげる。
祥無は、パチリとお互いの手の平を叩きあって、席に着いた。
「さて、説明しますと、燈霞は去りました。代わりに我々が出て来ました」
「本的に説明になってねぇ」
「釘打ちは燈霞の中の存在だったのです。それが現実化しました」
「ほぉ」
胡散臭そうな目を祥無にやる悠真。
「どこまでが現実だ?」
「あなたと深羽がこちらに移動するまで。つまり死ぬまでです」
「なるほど」
悠真はすぐに納得して苦い顔をする。
不思議な話ではない。
「じゃあ、ラ・モールの連中は?」
「こちらにいますね」
「始末するか……」
間髪を入れずに、悠真は応えていた。
アレは屈辱の出来事だ。
あんな無力感は、深羽たちと出会う前に戻ったかのようなものだった。
二度とあの頃には戻りたくない。
「勝てますか?」
「勝てるでしょうの間違いじゃねぇのか?」
悠真はニヤリとした。
「総員、戦闘用意。我々は燈霞外に出た。ここは全て敵だ。焼き払へ!」
紗宮耶は命じていた。
離璃を燈霞に落とし込んでみれば、一緒になって気泡となっていた。
残された彼女には、何をどうしていいかわからない。
ならば迷いなく下す判断は一つ。
全て敵である。
一撃で辺りにラ・モールを轟かせる。
御堂のコピーが十体、戦闘用イマジロイドが五十体、地上に降りて行った。
彼女もバレカットの連装機関ショットガンに小型炸裂弾を十数個腰に垂らし
てあとに続く。
降下途中で、炸裂弾をばらまいた。
街のあちこちで閃光と共に爆風が起こると轟音が響き、瓦礫やガラスが舞い
散る。
「おいおい、派手に来るなぁ」
S&Wを抜き、目の前に着地した御堂コピーとイマジロイドを無視して紗宮
耶を眺める悠真。
「あれ?」
横で深羽が声を出す。
「どうした?」
「あの時だせた怨霊が出せない」
「ああ、それは燈霞の能力ですよ」
祥無が説明する。
「え、ちょっと待てよ! それじゃあ俺は何すればいいんだよ!?」
思わず声を上げる深羽。
「うるせーなガキがよ。おめぇ俺に任せてそこで黙ってろ。あそこに唐揚げあ
るし」
「でも……」
「ああ? 唐揚げじゃ不満か?」
悠真に悪戯っぽく睨まれて、深羽は何も言えなくなった。
彼は一発、正面に弾丸を放つと一気にイマジロイドを抜けて、御堂コピーの
真っただ中に突入していった。
御堂コピーたちが一斉に斬馬刀を振り込んでくるのをひらりとかわし、一体
の背中を押すと遠くのイマジロイドたちを連続して五発放って五体を吹きとば
した。
すぐにスピードローダーで弾を込めると、押してバランスを失い、振り向い
た御堂コピーの顔面に全弾見舞い、その懐に入る。
斬馬刀がその御堂コピーの肩口に三撃を喰らわした。
その御堂コピーは絶命する。
弾丸を込め終えた悠真は、下から除く御堂コピーたちの足首を弾丸で貫き、
立ち上がるとともにまたイマジロイドを打ち倒す。
後ろに飛びのき、彼は正面に銃を構えつつ、電子タバコの煙を吐いた。
「何か悠真の調子よさすぎね?」
「恐らく、燈霞から離れて彼本来の能力が発揮されているんじゃないでしょう
か。それと逆にラ・モールの方が弱体化してますね」
建物の影から、深羽と祥無が覗いていた。
御堂コピーらが悠真のところに殺到すると同時に、足元に小さな塊が転がっ
てきた。
小型炸裂弾。
悠真は一人の御堂コピーの腕を取って無理やり引っ張るとそのまま手を放
し、横に飛んだ。
御堂コピーの胸の下で爆発が起こり、彼は四肢をバラバラにして吹き飛ん
だ。
足を怪我した連中の動きは鈍く、爆風を避けているところを悠真のHPS弾
が集中する。
一体、また一体と御堂コピーたちは倒れてゆき、その隙間にイマジロイドの
屍が詰まれていった。
「私を舐めているのか、チンピラ風情が!?」
紗宮耶が連装ショットガンを構えた。
悠真は迷うことなく残っている御堂コピーとイマジロイドたちの中に紛れ
る。
紗宮耶も戸惑いもせず、そこを狙ってショットガンを連発する。
「……無茶苦茶やるなぁ」
煙を吐きながら這いつくばり、悠真はぼやいた。
一発、彼女に向けて撃つと、彼は立ち上がった。
「舐めるなだぁ? こっちは勝手に因縁つけられて、仕方なく商売だってのに
ただでことしてやってんだぜ? 特別扱いにもほどがあるってことぐらいわか
ってもらいてぇなぁ?」
「なら大人しく死んでろよ?」
銃口を悠真に向ける。
「あの、紗宮耶さん?」
いきなり背後で声がして、彼女は思わず飛びのいた。
そこには、恰好は派手なくせに無害そうな表情をした祥無がいた。
「なんだおまえ、こっちに来てもまだ生きてたのか?」
意外そうな顔をする。
「それなんですがねぇ。ちょっとお話があるんですよ」
怪訝そうな紗宮耶だが、無視できる雰囲気ではない。
背後に殺気に満ちた深羽がいたのだ。
彼女は御堂オリジナルを倒した時の紗宮耶を忘れていなかった。
「いきなりこんなところに飛ばされちゃ困りますよねぇ。腹立ちもわかります
よ、僕もなんで」
紗宮耶は小さくびくりとすると、まじまじと祥無顔を見た。
心の底を見透かされた気がしたのだ。
「何のつもりだ……?」
彼女は反射的に聞いていた。
「ことの原因を教えてあげますよ。奇喩が世界を一緒くたにした犯人です。何
故だか知りませんが、彼は世界の支配者になりたがってまして」
紗宮耶は少しの間、祥無を睨む。
「……オペレーター、奇喩を探せ」
彼女はザトウクジラの乗員に命じていた。
「不機嫌ですね」
祥無が、深羽に言う。
「わかりきってることを聞くなよ、ウザイな」
軽く睨まれた。
当の悠真は、ザトウクジラの中の片隅でしゃがんで電子タバコを吸ってい
た。
深羽に巻けるとも劣らず紗宮耶の機嫌が悪い。
「何でおれがこんな訳わかんねぇモンに乗ってんだよ」
悠真は呟くように苛立ちを声にする。
「紗宮耶、悠真に万が一あったら許さないからな」
深羽は彼女に低く言った。
「失礼な嬢ちゃんだな。私はとっくにそいつに興味なんてないね」
「……なんだと? こっちゃ忘れてねぇからな?」
「まぁ、のんびり行きましょうか?」
緊張しきった空気に、呑気な声を上げる祥無。
その割に、目には緊張感が抜けていない。
「ラ・モールがここではイレギュラーであることは自覚あるでしょう、先の暴
れぶりから言うと」
「だから南国に行きたかったんだ。本当に奇喩がここに引きづりこんだ張本人
なんだろうな?」
「彼を神としようとした人がいるぐらい確実ですよ」
紗宮耶は嫌な顔をする。
「おまえらビジネスライクって言葉知ってるか?」
「知らないよ、そんなの」
「知りませんねぇ。どこの言葉です?」
深羽と祥無が同時に答える。
「大体、己を自律的な存在だと疑っていない時点でおめでたい人ですから」
祥無が付け加える。
「は? どういうことだよ?」
紗宮耶は引っかかって聞く。
「あなたの存在理由は燈霞の万が一の時、力での軌道修正するための存在なん
ですよ」
「……燈霞はまだ諦めていないと言いたいのか?」
「自由意志は皆にあるとだけは言っておきますかねぇ」
「その一言が聞けてまだ良かったもんだ。そもそもが気に食わないけどね」
そういう紗宮耶を、暗く睨む深羽がいた。
「何だい、嬢ちゃん? まぁだ以前のことを気にしてるのかい?」
「以前? 軽く言うな。恨むのは当たり前だ」
低い声。
興味もなさそうに、悠真はしゃがんだまま黙って電子タバコを吸っていた。
それでもだという。
やれやれと言った思いだ。
たかだがガキとはいえ、燈霞が次世代の為に産んだ存在にそのような扱いを
受けるのはあまり嬉しくない。
原因が彼女にあるとは言えである。
自己の存在などに疑問を持ったことはなかった。
人間、生まれて死ぬ。それ以外何があるか。
全ては着火された一時の炎だ。
燃え尽きたら存在は終わる。
だが、ここにきて奇喩はそれに疑問を持ち出した。
発端は、釘打ちの欲求と燈霞のヴァリスの存在だった。
再び、殺人の衝動に駆られ出したのだ。
よりによってこんな時にである。
しかも対象が絞られていた。
あの、祥無という者に対する欲求だ。
どうして彼が出てきたのかもわからない。
だからこそ、彼は自己の存在について考えざるを得ない。
何故、自分はこれほどまでに殺人を欲するのか。
自分の中の人格たちが奇喩を呪いだしている。
鬱陶しい。
他人が。
これほどまでに関心がない期と、邪魔でしょうがない期があるというのは、
世界との歯車が真向から合わさっていないからではないか。
そうなると、自己は燈霞とどれぐらい関係があるのかという点まで考え出
す。
だがデータがなければ答えが出てくるわけがない。
狭いネット環境の個室を借りている奇喩は、一人の男に連絡を入れた。
『なんだ、生きていたのか、おまえ』
「なんだ、存在してたのか、あんた」
『それはこっちのセリフだ』
声の相手は湖守だった、
「それなんだ。いいか、俺の言うことを疑わずに聞いてほしい。俺の出生記録
や学校の記録と言ったものを調べて欲しい。俺の過去を総ざらいして欲しいん
だ」
突飛なことを言っている割に口調は淡々としていた。
『……ああ、いいだろう。ちょっと待ってろ』
湖守は意外とあっさり承知して、一旦連絡を切った。
奇喩の携帯通信機に連絡が入ったのは約一時間後だった。
『面白いことが分かった。奇喩よ、おまえの記録は一切ない。この世に存在し
てないんだよ。何者だ、おまえ?』
楽し気な声だった。
奇喩は一瞬視界が真っ黒になった。
「ヴァリスはなんて言っている?」
『あー、アレとはもうこっち連絡不能なんだわ』
「そっちに行って良いか?」
『ああ、ヴァリスの居た跡しかないがそれでいいならね』
「問題ない」
奇喩はすぐに移動を開始した。
「はけーん。奇喩だ。間違いない。いま移動中だね」
紗宮耶は艦橋のような空間の真ん中に立ち、呟いた。
いきなり悠真の携帯端末に連絡が入る。
『仕事だ。釘打ちを始末しろ』
短文で書かれていた。送り主は、湖守である。
「気楽なもんだ」
悠真は笑いもせずに鼻を鳴らした。
ザトウクジラは、伊瑠コミュニティに向かって回頭した。
いつまでも自分は今の地位に胡坐をかいてられるとでもおもっているのだろ
うかと、悠真は思った。
「なんか、行ったり来たりだなぁ」
深羽がつまらなさそうに言う。
「これが終わったら南国行くか?」
悠真は、紗宮耶の聞いているところでワザと言った。
「あー、なんかお祭りまた行きたい」
「祭り? いいねぇ。全国の祭り巡りでもするか」
悠真はニヤリとする。
彼にとって湖守は特別な位置から下げられていた。
黒いアウディが国道を走っている。
ザトウクジラははるか上空からそれを捕えた。
伊瑠コミュニティまで、ざっと二十分ほどの距離だ。
アウディが城塞と言って良いままの建物の前で停まると、奇喩が中から出て
きた。
彼が中に入ると、ザトウクジラが迷うことなく建物の真ん中あたりに突入し
た。
廃材で造り上げたようなコミュニティの壁は崩れて、身体が半分ほど突き刺
さった形になった。
その前頭部が半壊し、紗宮耶と御堂コピー、イマジロイドに悠真らが飛び出
してくる。
銃声が彼等を狙っていたるところから鳴り響く。
イマジロイドたちがマシンガンで弾丸をばら撒きまくり、一気に黙らせる。
鉄の盾を並べて廊下に現れた者たちに、御堂コピーが斬馬刀を振るって突撃
する。
彼等が上階目指して突破口を拡大して造り上げて行くところを、奇喩はゆっ
くりと落ち着いて進んでいった。
半ば崩壊した建物の中を一歩一歩踏みしめる。
中に入ってから向かう先の光景は常にすでに形にすらなっていないものだっ
た。
そうだ、なにもないのだ。
だが、何かが。
歩み続ければ何かがあるはずだった。
わずかだが段々と体感温度に変化があった。
確かに、高くなって感じられてくるのだ。
確かにヴァリスの前でのあの時、奇喩の中の犠牲者たちは解放されたはずだ
った。
だが、人格は残ったままだった。
その人格が建物の中を昇ってゆくほどに崩れてゆく。
悲鳴もなく。
楽しさもなく。
吐息すらなく。
だから彼は昇って行った。
やがて、全て消えてなくなった。
「よぉ。やっと来たか。ここで誰かが待ってたらしいが、いるのは俺たちだ
ぜ?」
広い空間に出ると、悠真たちが迎えた。
全員が殺気を放ちながら。
奇喩は思わず微笑んでいた。
少なくとも、殺す相手として自分はアリらしい。
だが、彼がここに来た目的は違う。
「おまえら、後で相手してやるから、ちょっとだけここで待っててくれないか
ねぇ?」
「ああ?」
むしろ楽し気に聞き返す悠真。
煙を吐き、ニヤリとする。
「行って来な」
奇喩はうなづいた。
奥に続く扉を開くと暗い中に、むき出しの電子機器が山積みされた部屋が現
れた。
そこに、技官と湖守が椅子に座っていた。
「遅かったなあ。結構待ったぞ?」
湖守は苦笑いするかのような表情だった。
技官たちはピクリとも動く様子がない。
よく見ると、彼等はすでに死んでいるようだった。
椅子にもたれている湖守の息は多少荒い。
スーツ姿の腹部に滲みが出来ていた。
奇喩がそれに気づくと、湖守は小さく笑った。
「……俺を必要としなくなった奴から一発貰ってね。後はおまえだけだ、奇
喩」
「……ああ、そうだな。俺はおまえを殺す必要があったんだ」
太い釘を懐から取り出す。
奇喩は伊瑠コミュニティの指導者を手に掛けたとして、人々の記憶にも記録
にも残るだろう。
迷うことなく、釘の切っ先を湖守の左胸に突き刺した。
全力で根元まで。二度と引き抜けなくなるようにと想いながら。
全てが終わった気がした。
ふらふらとして戻ってきた奇喩を迎えたのは、紗宮耶たちだった。
「さてと。順番だが、この姉ちゃんと俺、どっちの用を先に始末する?」
悠真がからかうように聞いてくる。
「奇喩、あんたヴァリスになにをした?」
紗宮耶は横目を彼に向けていた。
「紗宮耶、良いことを教えてやるよ。おまえらがこの世界でずれないで存在す
る簡単な方法は、そこにいる深羽とかいうガキの存在を消すことだよ。まぁ不
可能だけどね」
「……へぇ」
短く答えた紗宮耶は、言葉の終わりに凄まじい殺気のこもった視線を少女か
ら感じた。
駄目なのだ。
紗宮耶のラ・モールはあまりにやり過ぎた。
彼女は凄みのある笑みを称えて奇喩に向き直る。
「あんた、ヴァリスになにをした?」
「なにも。ただ、欲しがってたものを上げただけさ。釘打ち事件というモノを
目前にして、ヴァリスは自己世界に改まって籠った。俺のやってきたことはヴ
ァリスから否定された。紗宮耶よ、おまえは言ったよな? この世界の神にし
てやると? してもらおうじゃないか?」
「……なら望み通りに」
部屋のドアが開き、銃を持った伊瑠コミュニティの人間が多数現れた。
彼等は問答無用で拳銃を放つ。
弾丸は奇喩に集中して、体中から血を散らした彼は衝撃に舞うようになって
から、床に倒れた。
「……あーあ。最後の俺の仕事が取られちまった」
悠真はぼやくように言った。
「悠真、そろそろオレの出番で良いか?」
深羽は低い声で紗宮耶を睨みつつ言った。
「おまえの仕事はまだあとだ。次は俺の番だよ」
悠真は電子タバコを吸い、煙を吐きながら敢えてのんびりとした雰囲気で言
った。
「……どうやら結局、相成れなかったってわけね」
「結局も何も最初からだけどな」
鼻で笑う悠真。
S&Wを手にぶら下げる。
「湖守がいなくなった時点で、おまえは存在価値がそれこそなにもなくなった
んだよ、俺の恨みの的として以外はなぁ。あんな屈辱は初めてだよホントに。
腹立つわー」
「あたしを殺したところで、御堂コピーは幾らでもいる。おまえに殺し尽くせ
るか?」
「面白いこといってくれるじゃねぇか。なぁ、祥無?」
白いパンクロック風の青年は頷いた。
「あなたを殺すことはしません。その代わり、全力で逃げてください。僕たち
に殺されないように。なにしろ、悠真も深羽も心底あなたを恨んで殺したくて
たまらないのですから」
ようやく、紗宮耶はゾッとした。
機会さえあればいつでも殺せる。
たった今この瞬間でもだ。
それは全て彼等の意思、気まぐれに支配されている。
一片たりとも紗宮耶の意図は含まれないのだ。それは完全に蚊帳の外であ
り、どうあがいても操作不能であり、危険なまでに気まぐれなものだった。
「……最悪な最後ね、まったく」
紗宮耶は髪をかきあげて深い息を一つ吐いた。
そして、三人をちらりと睨むようにすると、ニヤリとした。
「そんなことよりも、もっと良いものくれてやるよ。下手な鬼ごっこよりもよ
っぽどオモチャになる」
彼女は拳銃を明後日の方向に構えた。
御堂コピーもイマジロイドもそれぞれ構えた。
それは一発の銃声に同時に幾つも重なったものだった。
瞬間の発射音は、それぞれがそれぞれの眉間を撃ちぬき、全員が崩れるよう
に倒れた。
「クソが!」
悠真は吐き捨てた。
よりによって自殺しやがった。
よりによって、最悪の傷をつけてくれやがった。
悠真には、もう御堂への復讐を果たせない。
深羽を護れなかった事実を曲げることもできない。
全ては現実の過去となり、過ぎ去った記憶となった。
この上ない呪いと言って良い。
怒りのあまり、悠真は紗宮耶の死体にS&Wの全弾を撃ち込んだ。
「……気が済みましたか?」
祥無が冷静に聞いてくる。
「……済むわけがねぇじゃねぇか」
力ない言葉だった。
自嘲と苦笑とそして虚無すら除く声。
「……やれやれだよ」
疲れたとばかりに、悠真は息を吐いて腕をぶら下げた。
そんな彼らを無視して、伊瑠コミュニティの者たちは奇喩らの死体を運びだ
していた。
これから彼らなりの処理をするのだろう。
だが、もう悠真の知ったことではない。
祥無は軽く天を仰いだ。
「悠真、もういい。紗宮耶は死んだ。ラ・モールももう存在しないよ」
それを聞いていたのは悠真ではなく、祥無だった。
彼は敢えてそのままにしていたことに対して、改めて手を伸ばした。
「悠真。離璃と接触します」
「離璃?」
彼にとっては初めて聞く名前だった。
「ヴァリスと同じ燈霞の住民で、我々が燈霞で酷い目にあった後で処理をして
くれた人ですよ」
「今更、燈霞のそいつとまた連絡とってどうしようというんだよ?」
祥無は何も言わなかった。
ただ、確かに彼は燈霞都のチャンネルを開いていた。
「……僕が説明するよ、悠真」
少年の声が脳内に響いた。
幾分の歪みが空間的距離を感じさせた。
「紗宮耶はこちらで生き残ってる。燈霞内じゃ、銃弾ぐらいじゃ死なないんだ
よ、あの人たち。だから、燈霞は完全分離させない。そしたら、大変なことが
起こるんだよ。わかる?」
「わからねぇ」
もったいぶった言い方に、多少の苛立ちを含めて悠真は応えた。
「本当は奇喩の死で燈霞は満足していたはずなんだ。なのに、紗宮耶がそちら
で死んだ。永遠に君たちには手に入らない存在になったんだ。全て意味がなく
なるんだよ。そしたらどうなると思う? 全ての崩壊だ。燈霞も、燈霞外世界
も全てが壊れる。祥無がいる以上ね」
「祥無が、だと?」
「彼が今や、燈霞とそちらを重ねることができている唯一の存在だ」
「まてまてまて、どういうことだ?」
「祥蕪がいなければ、別世界として君たちのすべてを否定されるだろうね。祥
無がいる以上、いや、祥無が存在している以上、二つの世界は繋がったままと
いうわけだよ」
悠真は乾いた笑いを上げた。
「祥無よ、おまえ最後に何考えてたんだよ!」
「いやぁ、物は流れてゆくものです。役割をすませたなら終わりにするつもり
だったんですけどねぇ」
「ふざけんな祥無! なに勝手に消えようとしてんだよ! 悠真だっておまえ
だって黙ってどっかに行くのはゆるさないからな!」
「やれやれ」
祥無は息を吐いた。
ホッとしたような、戸惑ったような、複雑なものだった。
「とりあえず、リンクは祥無の存在で起こってるからそれだけは認識してて
ね」
離璃は言った。
つまりは、祥無が存在している間に紗宮耶をどうにかすれいいのである。
その悠真の考えを読んだかのように、祥無は笑んで言った。
「燈霞の時間についてですが、こちらから干渉するときに自由に設定可能で
す」
「……つまり?」
「好きなときに好きなタイミングをいつでも狙えるって事ですよ」
「……つまりはだ……」
話を聞いていた深羽はいかにもわかったかのように続ける。
「好きなときに好きなタイミングで何をしても良いということだよ、悠真君」
「そこまで拡大解釈するか?」
悠真は思わずツッコミを入れていた。
「でな、下にザトウクジラが乗り上げてるんだよ」
「そうだな」
「行こうじゃねぇかよ」
「ザトウクジラに何か用ねぇよ」
深羽はつまらなそうな顔をする。
「車より便利だろうが」
「何にだよ」
「全国お祭り巡りにきまってんだろう!?」
「……マジ?」
「マジ」
「アレで行くの?」
「当然」
何の疑問があるかと言いたげな深羽だった。
悠真は電子タバコを深々と吸い、ゆっくりと煙を吐き出した。
「まぁ、それも面白れぇか」
「決定だ!」
深羽は喜色を込めて叫んだ。
了