第6話

 50歳も過ぎればジェネレーションギャップが若い世代との間に生まれる。


「私、陰キャなので」


 いんきゃ? と白木啓介は目を見開いて立ち尽くすと

「なるほど、いんきゃさん、ですか」

 変わった名前だなぁ、と思いながら告げた。


 ゲームセンターの激しい音が支配する空間で彼は中学の制服を着た少女を前に隣で立っていた隼峰統がそっと耳打ちするように「明るくない性格ということです」と言うまで本当に意味が分からなかった。


 正にジェネレーションギャップである。


 少女は白木啓介の失言に

「刑事さん、おもしろーい。名前はカナミ! カナミだよ」

 本名じゃないけどね、とケラっと笑った。

 白木啓介はそれに

「いや、明るくない性格には見えないんだけどなぁ」

 と思いつつ、困ったように

「いやはや、明るくない性格のことをインキャというんですかぁ、初めて聞いたよ。凄いねー」

 名前はカナミさんですね、と笑った。

「勉強になる」

 正直にそう告げた。


 正に時間と共に色々なものが変化していくということだろう。


 彼女は肩を軽く竦めて

「まあ、良いわ。私、ロマンスグレー風のおじさんも美形さんも好きだから……」

 というと

「でもナナコとはここで一緒にゲームしていたくらいだよ? そうだねー、ナナコはね、学校終わったらここへ来て、私とあのマギ・トートストーリーアーケード版をしていたの」

 と告げた。


 白木啓介は彼女が指をさしたゲーム機の前に立ち

「これかい?」

 と聞いた。


 彼女は笑って

「それそれ」

 と言うと

「最初にアバターを作ると次からも使えるの」

 と告げた。

「それで私はカナミでナナコはナナコ」


 白木啓介は機械の画面をジーと見つめて

「なるほどねぇ」

 と感心して呟き

「やり方を教えてもらえるかなぁ」

 と告げた。


 カナミと名乗った少女は笑顔で

「やるのー? いいよー」

 と明るく告げた。


 手早くボタンを押して説明をしながら

「ナナコはね、すっごく明るい子だったよ。私は陰キャだけどナナコは陽キャだったね。可愛かったし」

 と笑みを浮かべて呟いた。


 そして画面がアバターの全体像を映した時に

「おじさんって地顔を基礎にしても中々悪くないね」

 と言い

「どうする? このまま地顔を基礎にする? それとも自分で最初から作る?」

 と聞いた。

「私は長い髪に憧れてたから基本は地顔で髪は長くしたの……まあ、魔にしようと思ってたから服もそういう感じのものを選んだの」


 白木啓介は驚きながら画面を見入り

「いや~、似ているようには……見えないけどねぇ」

 と苦く笑った。


 ……実年齢より30歳は若くみえるねぇ……

 そう心で呟いた。


 隣の台で隼峰統も自分のアバターを手際よく作りながら覗き込むと

「白木警部補、意外と似てますよ」

 と言い

「ナナコさんもやはり地顔を基本で?」

 と聞いた。


 カナミはそれに少し顔を顰めて首を振ると

「う~うん。ナナコ、可愛かったし地顔で良いじゃんって思ったけど本人は嫌だったみたいで最初から全然違う姿を作ってた。ネナベだった」

 と答えた。


 白木啓介は「ネナベ??」と心で呟き

「ネナベ……と言うのは」

 と言いかけると彼女は笑って

「男の見た目にしたってことだよ」

 と言いふっと「ああ」と呟いた。


 白木啓介は彼女の手が止まると

「何か気になったことがあったら何でも言ってもらえると助かるね」

 と言い、画面の中で出来上がったアバターを見つめた。


 隼峰統もアバターを作り

「こうしてみると自分に多少似ているだけに変な気分ですね」

 とメガネのブリッジを上げた。


 カナミは笑って

「そうかなぁ~、ちょっと違う自分って感じでいいじゃん」

 と言い

「そうそう、ナナコはね、自分の姿が好きじゃないって言ってたの。ゲームの中まで自分を引っ張りたくないって」

 と告げて白木啓介と隼峰統を見た。

「ちょっと気持ちわかるけどね、自分を忘れたーいみたいな?」


 白木啓介と隼峰統はそう言って視線を少し下げて口元を歪めた彼女を見つめた。


 今回の裏取りは斉藤和子という中学生の少女が自宅で自殺をしたことの初動捜査であった。自室でタオルを首に引っ掛けて死んでいるのが見つかったのである。

 現場写真を見せられた時に白木啓介と隼峰統は多少の違和感を覚えたが、他殺自殺を切り分ける一つの目安となる殺されるときに抵抗した痕の『吉川線』がなく血中から睡眠薬成分などの薬物反応もなかったことで自殺と判断されたのである。

 つまり事件性がなく自殺原因究明と事実確認だけである。


 そういう仕事を率先してする刑事は正直多くはない。大体が52歳で漸く警部補になったようなうだつの上がらない『裏取り屋』などと揶揄されるノンキャリアの帳場の末席に座るような人間にお鉢が回ってくるのである。


 この斉藤和子という少女がこのゲームセンターでは『ナナコ』と名乗っていたのである。


 白木啓介は表情を変えたカナミと言う少女に

「言える範囲でいいからね」

 と優しく告げた。


 隼峰統はその彼を見て

「この人のこういう焦らないところが人の口を軽くするのかもしれない」

 と心で呟いた。

 成果を焦るとどうしても威圧的になり、相手はそれを敏感に感じとるものなのである。


 彼女はあっさりと

「言って悪いことじゃないからいいんだけどね」

 と言い

「ナナコって家族が好きじゃなかったみたいなんだよね」

 と肩を竦めた。


 白木啓介と隼峰統は顔を見合わせて驚いた。そもそもこの自殺の案件が回ってきたのは彼女の母親が『娘は良い子だったんです。本当に凄く出来が良い子で自殺なんて……学校で虐めがあったんだと思います。調べてください!』と言う話からであった。

 昨今は学生の自殺は世間の目が厳しく『自殺だけ』で終わることが出来ないのである。


 最初は母親から話を聞いた。

 母親は涙ながらに

『娘は素晴らしい子でした。ただ娘を誑かす悪いクラスメイトがいて虐めがあって苦にして死んだんです』

 の一点張りであった。


 残念ながら彼女は日記を残しておらず何を考えていたのかは全く闇の中であった。

 学校では教師がアンケートと第三者委員会が生徒の間で虐めがなかったかを調べている。が、今のところは集まったアンケートにそういう記述はなかった。

 そして、クラスメイトが以前に彼女が知らない学校の子と遊んでいるのを見かけたというゲームセンターに訪れたのである。


 白木啓介はカナミと言う少女を見て

「家族がって……そういうこと言っていたのかな?」

 と聞いた。


 彼女は首を振って

「何も言わなかったから」

 と答えた。

「私のお父さんは私を可愛がってくれてたんだけど~ちっちゃい頃に死んじゃってね。お母さんはねー私に興味のない人なの。お父さんが亡くなって寂しくって懸命に話をして振り向いて振り向いてってしていたんだけど、一人で喋ってた記憶しかないのよ、その内にこの人私のこと空気だと思ってるんだーって」

 そう笑って

「だからこうやって家に帰るの遅くしているの。でも本当に嫌いかって言われると難しいのよ。わかる?」

 と告げた。


 白木啓介は微笑んで

「わかるね」

 と答えた。


 彼女は笑むと

「だからね、ちょっと愚痴ちゃったりしちゃうの。フレンドやギルチャでもそういう話が出る時があるの。でもナナコはそういう時は沈黙するの。家のことになると話をしなくなるの……一回気になってこそっって横で顔見たら唇真一文字にしてじっとしてたの」

 と告げた。

「きっと私以上に家族との関係がねー悪かったんだと思うんだよねー」


 ……でも母親のことは一度だけ……


 隼峰統は斉藤和子の母親を思い出しながら少し考えると

「何となく……わかる気がしますね」

 とポロリと呟いた。


 それに白木啓介とカナミと言う少女は驚いて彼を見た。本心の言葉と言うのは分かるのである。


 隼峰統は眼鏡を軽く上げると

「いえ、俺の場合も嫌いではなかったんですが……」

 と呟いた。


 カナミは笑って

「ふっしぎー、何か今初めておじさん達が人間に見えた」

 とそれまではなににみえていたんだ? と思うようなことを言い

「私が知る範囲ではチャットで彼女の悪口もなかったよ。将来はだからパティシエになりたいとか、日記は書くことに悩むから書かない派だとか~。みんなでワチャワチャ話してバトルするくらいだったから悪口とかはねぇ~、反対に言う子は嫌われるし……何にもなかったよ、うん」

 と告げた。

「ごめんね」


 白木啓介は笑むと

「何も謝罪を受けるモノはないよ。反対にこちらこそ情報をありがとう」

 と返した。

「ただ、ゲーセンに夜遅くまでいるのは危ないから気を付けてもらえるといいけどね」


 カナミは目を見開くと

「あ、そうだ。刑事さんだったねー」

 と言うと手を振って

「はーい」

 と帰る気がなさそうな返事で立ち去った。


 白木啓介は止まったままのゲームのアバターの画面を見て

「さて、これはどう終わればいいんだろうねぇ」

 と呟いた。


 隼峰統は手際よく画面を押して

「これでアバターは保存されたので、このIDと4ケタの番号をこの手の機械に入れると続きが出来ますよ」

 と告げた。


 白木啓介は「ほおほう」と言いながら警察手帳に書き込んだ。


 隼峰統は内心「本当に書き込むのか」と思いつつ自身のIDとパスワードも手帳に書き込みゲームを終えると

「しかし、カナミという彼女はこれまで斉藤和子のことはきっと本名も知らなかったんでしょうね」

 と呟いた。


 白木啓介は頷き

「そうだね、不思議だね」

 と呟いた。

「学校の話で彼女個人の情報はゲームセンターで遊んでるのを見かけたってだけだったからね。ほぼほぼ、かわいい子だった明るかったって話止まりだったね」


 ……本名を知っている彼らよりゲームでの名前しか知らない彼女ほうが『斉藤和子』をより知っているように見えるね……


 隼峰統はカナミと言う少女の言っていた言葉を思い出し

「そうですね」

 と言い

「どうしますか?」

 と聞いた。


 それは斉藤和子の母親に再度話を聞きに行くかどうかと言うことである。


 白木啓介は足を踏み出すと騒がしくけたたましい音と眩い光が広がるゲームセンターの中を歩きだしながら

「行こうか」

 と告げた。


 隼峰統は足を進めて

「はい」

 と答えた。


 ゲームセンターではゲーム機が両側に立ち並ぶ細い通りを多くの老若男女が身体を横にしてすれ違いながら行き交っている。肩を触れ合うほど近くにいても名前を知らない。同じゲームで楽しく話をしていても本名を知らない人々が恐らくは一定数いるだろうことがカナミと言う少女の話から理解できた。


 白木啓介は先ほど作ったアバターを思い出しながら

「ここは現実なのに……まるで先のゲームの世界のようだねぇ」

 人間関係も、と呟いた。


 隼峰統はそれに目を細めて

「そうですね……いま、世界自体がそういう関係性になっているのかもしれないですね。学校ですら」

 と呟いた。


 そうなのだ。学校の同級生よりも彼女のことをカナミと言う少女の方が良く見ていた。それは同級生たちのアンケートから斉藤和子の夢も家族の話も一行も出ていなかったことからもわかった。


 ……全員がほぼ同じ内容しか書いていなかったのだ……


 二人はゲームセンターの近くにある駐車場に停めていた車に乗り込み、斉藤和子の家へと向かった。

 家には母親の斉藤美津子だけがいて父親の和樹はなかった。一人娘が自殺をしてまだ数日だが彼女の父親は仕事へ行ったということである。


 母親の美津子が娘の斉藤和子が虐めにあっていたと訴えに来た時も父親の姿は無かった。

 俗にいう仕事以外は全て妻に任せっぱなしという状態だったようである。今風にいうとワンオペと言うことだろう。


 白木啓介は斉藤美津子に隼峰統と共に居間に通されると椅子に腰を下ろして

「何度も申し訳ありませんね。斉藤和子さんの自殺のことでもう一度お話をと思いまして」

 と告げた。


 斉藤美津子は目を見開くと腰を浮かせて

「もしかして……虐めていた子が分かったんですか? やっぱりあの子を誑かしていた子がいたんですよね!?」

 と叫ぶように告げた。


 白木啓介は隣に座った隼峰統を一瞥した。


 隼峰統は全てを理解すると

「学校の方のアンケートの結果はきっちりお聞きしてもらうと良いと思いますが報告では虐めの記載はなかったようです。斉藤和子さんが立ち寄っていたゲームセンターの方でも彼女を虐めていたという形跡はありま……」

 せんでした、と言いかけた。


 瞬間に美津子は目を見開くと

「違います!! 和子はそんないかがわしい場所に何ていっていませんわ!」

 とドンッとテーブルを叩いて怒鳴った。

「塾へ行っていたんです!! ちゃんと調べてください!!」


 隼峰統は彼女を見つめて

「和子さんはナナコと言う名前で学校が終わるとゲームセンターへ行っていたようです。それは学校のクラスメイトからも遊んでいた人物からも確認が取れています」

 と告げた。


 美津子はそれに

「違うと言っているでしょ!!」

 と怒鳴った。

「あの子は塾に行っていたんです! 塾に行かせていたんです!!」


 ……それを黙ってゲームセンターなんてバカなところに行ってたわけがないでしょ!! ……


 隼峰統は肩を上下に軽く動かして

「もう本当の声を聞いてあげてもいいのではないのですか?」

 と告げた。

「きっと彼女は貴方に言いたい言葉をずっと胸の奥に溜めていたと思います」


 ……貴方はそれを知っていたのではないんですか? ……


 家の話をしなかったナナコと言う少女。家族の話になると口を真一文字にして沈黙を作っていた彼女。

 ゲームセンターで遊んでいたカナミと言う少女は彼女が家族を嫌っていたと言ったが隼峰統にはそうではないと思っていたのである。


 だが。

 だが。

 家族関係が上手く行っていなかったのは事実だったのだろう。


 隼峰統は俯いた美津子を見つめ静かに笑むと

「彼女は貴方を嫌いではなかったと思います」

 と告げた。


 美津子はハッと顔を上げて表情を歪めて

「いえ、いいえ、あの子は私を嫌っていたんです」

 と呟いた。

「世の中は何だかんだと言っても学歴社会なんですよ! 勉強が出来ないと良い就職口なんて見つからないし! 夫は平社員だし口利きなんてできないしコネもない!! だから……あの子の為と思って懸命に言ってきたのに」

 そう言って両手で顔を伏せた。


「ずっとずっと塾サボってゲームセンターで遊んでたっですって……怒ったら何が分かるのかって……ババァって言ったんです……ババァって!!」


 隼峰統は背中を丸めて何処か小さく感じる斉藤美津子を見つめた。美津子がその言葉に受けた衝撃から恐らく初めて言われた言葉だったのだろう。しかし、それは斉藤和子の本気の言葉ではなかったと隼峰統には感じられた。言葉にできなかった鬱積とした思いがその一言を突き出させてしまったのかもしれない。


 一言だ。

 たった三文字の言葉なのだ。


 だがそれが取り返しのつかない言葉になることはある。


 隼峰統は彼女の肩に優しく手を触れると

「詳しくお話をお聞きしても良いですね? ただ一つ言えることはきっと言った和子さんも後悔していたと思います。彼女はパティシエになりたかったと……貴女が子供の頃よく作ってくれたお菓子が好きだったと言っていたそうですよ」

 と告げた。


 斉藤美津子はテーブルに突っ伏したまま号泣した。赤い夕闇が窓辺から長く手を伸ばすように射し込み彼らの足元を赤く染めていた。


 彼女は警察へ行くと口論になり無我夢中で娘の口を塞いでいたらぐったりと動かなくなり気が動転して慌てて自殺に見せかけて救急に電話をしたということであった。

 今は学校で問題があって自殺をしたと訴えれば良いと思い込み学校で虐めがあったと訴えたということだったのである。


 父親の斉藤和樹はそれを聞くと驚いて

「なんて馬鹿なことを!! 自分の娘を!」

 と怒りかけたが、白木啓介がカナミと言う少女から聞いたことを告げると押し黙って俯いた。


「彼女は母親だけではなく……『家族』の話になると口を真一文字にして喋らなくなったそうですよ? だたね、母親が幼い頃に作ってくれたケーキやクッキーが好きでパティシエになりたいと言っていた」


 ……父親の、貴方のことは誰にも何も言わなかったそうですよ……

「貴方も家族です。もし貴方が二人を顧みてくれていたらと思いますけどね」


 自殺とみられていた事件は解決し隼峰統は中央へ戻ることになった。その日は青い空が広がる日であった。


 白木啓介は隼峰統に誘われて所轄の屋上に姿を見せると

「戻るそうだね」

 と告げた。


 隼峰統は笑むと

「はい、色々ご指導いただきありがとうございました」

 と告げると

「俺の家は地域では特別な家で父は優しかったですが入り婿で……母には秋田を支える家の跡取りと言うことで厳しく育てられました。家族の温かさより家の格式と」

 と笑みを深めた。

「小さな頃はそれが孤独で母を母と思えなかった」


 上司と部下でした、と告げた。


 白木啓介は静かに頷いて話の先を促した。彼が反応を求めているわけでないことが分かったからである。


 隼峰統は空を見上げて

「正直、物事が分かるようになるまでは複雑でした。家の重みと言うモノを理解して初めて母親の愛情を確信できたくらいですから。斉藤和子の母親も俺の母親と似ていたのかもしれません。ただ彼女も斉藤和子同様に愛してはいても互いに嚙み合わないズレに澱が溜まっていたのだと思います。それが不幸な形で互いに出てしまった」

 と言い

「俺は斉藤和子は母親を愛していたと思います。だから母親に口を塞がれて窒息するまで彼女は抵抗をしなかった」

 と目を細めた。

「心ですね。心を見ろと……心が作る織りが縺れた時に事件は起きる」

 そう言って敬礼した。


 ……ありがとうございます……


 白木啓介は笑むと敬礼し

「隼峰警部補なら秋田を守っていけると思いますよ」

 とても冷静だし人を思う心も持っている、と告げた。

「隼峰家のことは聞いていますから」


 隼峰統は目を見開き

「そうでしたか……それを俺に感じさせなかったとは流石ですね」

 と少し笑って告げた。


 この翌日、隼峰統は新潟県警を立ち去ったのである。白木啓介はふっとあのゲームセンターに行くとマギ・トートストーリーアーケード版の機械の前に立ちIDと4ケタの数字を入れた。


 自分に似てはいるが違う姿が映った。

「やはり別人だね」


 隼峰統が作ったアバターも自分と同じように自身を基盤にした姿であった。


 だが。

 ナナコと名乗っていた斉藤和子は性別すらも違うものだったらしい。


 彼女は現状から逃げたくて仕方なかったのだろう。それは彼女の心の中にある家族に言えない思いと、母親から掛けられる重圧を拭い去りたかったということかもしれない。だが、どれほど違うアバターを作っても、違う名前を名乗っても重圧を拭い去ることは出来なかったのだろう。


 結局、どれほど目を背けても現実は自らが変えようと動かない限り変わりはしないのだ。

 ただそれが現実問題として難しいことも事実なのだ。


「おじさん」


 白木啓介はふっと呼ばれた声に振り向いた。そこにカナミと言う少女が立っていた。彼女は隣の機械にIDとパスワードを入れると

「始まりの町へ来て……チュートリアル終わったら始まりの町だから」

 と告げた。


 白木啓介は言われるままチュートリアルを終えると辿り着いた始まりの町の神族と魔族の前に立った。そこにカナミに似たアバターの少女が立っていた。


『来て』


 彼女の後に付いて町はずれの塔を登った。彼女はそこに座ると偽物の空を見上げて

『私、引退する』

 と告げたのである。


 白木啓介が顔を向けると、カナミは笑みを浮かべて白木啓介を見つめ返した。


『ゲームの私を知らなくって、でもナナコを知っている誰かに言いたかったの』

 ……さようならって……


『ばいばい、ナナコ。私、頑張るよ』


 彼女はログアウトすると白木啓介の方に向いて

「思い切ってね、お母さんと話したの、あの後にもう何年ぶりだったかなー」

 と告げた。

「あの人さ、やっぱりほかの事しながら聞いてるのか聞いてないのか分からなかったけど……欲しい言葉をくれたし、結局どんなに苛立ったりムカついたりしてもお母さんなんだよね」


 ……手を止めてさ、泣いたって変わらないけど泣けばいいんじゃないって言ってくれた……

「一応聞いてくれてたみたい」


 彼女は少し泣きながら笑みを浮かべて手を振って立ち去った。白木啓介は見送りログアウトするとゲームセンターを出た。


「さようならか」

 彼女はきっとナナコと言う友人とカナミと言う存在に別れを告げたのだろう。


 逃げていた自分の足の踵を返して一歩を踏み出すために。


「斉藤和子も母親も澱が溜まり切る前に互いから逃げずに自分の心を見せていたら……もしかしたら違う現実に作り替えることができたのかもしれない」


 ただ斉藤和樹が良く面会に来て何も言わない斉藤美津子にそれでも懸命に話をする姿が見受けられるようになったという報告は白木啓介にとっては僅かな救いであった。


 白木啓介はゲームセンターの前に立ち空を見上げた。その視線の先の空には宵闇が迫り静かな夜が訪れようとしていた。




(あとがき)


 これで区切りです。元々、思い立ったら書く形のお話なのでここまでで問題ないと思います。

 続きの公開はなろうになると思います。


 あとがきまでお読みいただき、ありがとうございました(*'▽')