第4話

 幾都が手動でドアを開けた。

 無言の圧力が、壱樹から来たからだった。

 思わず自然な流れで従ってしまう空気だった。

 平行するゴンドラもドアは解放されている。

 そこには、人ひとりが中に入れるほどの巨大な円型の刃物を抱えた、張りぼてそのものと言っていい、木偶が立っていた。

 後ろに一人、男が立っている。

「……おまえ、典馬のところにいたどこぞの坊ちゃんだろう? まぁ、以前から知っているが」

 仙久戯は冷静だった。

「へへ、言い方が気になりますねぇ。いやあ、確かに彼のところに居ましたよ、アナタがそんな姿になるところを見てましたから、お互い確かってものです。へっへっへ……」

 二十前後か。金髪で黒ずくめの服装はところどころ破れて、チェーンが幾本も垂らされている。指にもリングを大量に嵌めて、爪は一本一本違うネイルをしていた。その手には、強化グラスナックルが嵌められていた。

 タレ目で、下唇にピアスをした口は、皮肉に笑んでいる。

「斉侘(せいた)商事の御曹司、稀烏爾(きうじ)だったな。たしか、可哀そうなコだったはずだ。なあ?」

「かわい……そう?」

「そう、おまえは可哀そうな奴だ。常人なら耐えきれないような酷い目にあってきた。それを耐え続けている、可哀そうな奴だ」

「う、うるさい、うるさいぞ!!」

 あくまで淡々とした仙久戯に、稀烏爾は突然金切り声を上げた。 

「へぇ。おまえは、あの稀烏爾か。ウチのファイルにも乗ってるな。下手で幼稚な手口の殺人を三件起こしてるだろう。丁度いいなぁ」

 壱樹の笑みには凄みがあった。

 青年は鼻で笑う。

「クソガキが何人来ようと、そこの街道因子が動けないなら意味がねぇんだよ、バカがよおおお!!!」

 内ポケットからリヴォルバーを抜き、壱樹に狙いをつける。

 構わずに壱樹はゴンドラから向う側へ跳び込んだ。

 真正面には円刀をかまえた木偶が稀烏爾の射線を邪魔する。

 木偶が振るう円刀に、壱樹は右の柄の底を振るう。

 風圧で輝く刃が現れ、円刀を受け止めた。

 すぐに壱樹はそこを支点として、身体を木偶近くに移動させる。同時に、左手の柄から伸びた刃を木偶に横から叩きつけるようにする。

 これは、木偶が円刀を横にずらして、弾くように防いだ。

 同時に、鎖が矢のように伸びてきて、稀烏爾のリヴォルバーを握る手に絡まり、二本目が彼の顔を真っすぐ狙い撃ちされる。

 稀烏爾は、とっさに左によけて、鎖の先に着いた刃物を避けるが、拳銃は衝撃に落としてしまった。

 壱樹は円刀を一瞬で消える刃でもう一度、右手で交差させて固定すると、そのまま空いた左の柄から伸びる風の刃で、木偶を横薙ぎにしようとする。

 木偶は器用に円刀から身を離して、底を上げると横向きにし、両方の刃を受け止める。

 そのまま、円刀は回転するように滑り、壱樹の側面から襲い掛かった。

 壱樹は身体をひねってよけると、三歩程身を離した。

 次の瞬間、鎖が三本、円刀に伸びてきて絡まった。

 ピンと張られた鎖に、木偶は円刀を動かなくなる。

 さらに一本が伸びて、稀烏爾の手から拳銃を叩き落した。

 壱樹は円刀を片足で踏み輪から覗き出た木偶の頭部に、左右の腕を交差させるように、風の刃を振るった。

 木偶の首は跳ね跳んで行く。

 だが、まだ身体は動いているんで、柄の反対側の刃も使い、胴体もみじん切りにする。

 下半身だけになった木偶に、蹴りを入れて円刀のそばに転がした。

「あとはおまえだけだな、稀烏爾」

 柄の左右から刃を見せて、壱樹は、まだヘラヘラしている彼に言った。

「はははは、そう簡単にいくかよ。俺にはまだやることがあるんでね」

 窓を強化ブラスナックルで叩き割り、身を躍らせた。

 舌打ちして駆け寄り、空洞になった窓から覗くと、稀烏爾は他のゴンドラの屋根に着地し、また別のゴンドラに移って、姿を消した。

 驚くべき跳力である。

「……へっ、まあいい」

 壱樹は飴を外に吐き出した。

 そして、いつものダウナーの物を口に入れる。

「仙久戯、良かったな。代用の下半身が手に入ったぞ」

 言われた男は何も言わずに、深く息を吐いた。

 未だに自分の身体に納得がいっていないのだ。

 鎖を納めた久宮は、木偶の下半身を抱くようにして、彼らが乗っているゴンドラに運んだ。

「これから色々、大変だね、仙久戯ちゃん」

 いやらしい笑みを浮かべる。

 木偶の下半身は生殖機能の部品が男女どちらの物もついていなかったのだ。

「うるさい」

 珍しく不快そうな口調の仙久戯だった。




「俺は、ソラの連中がどうして殺されたかを調べる。ついでにコキラとかいう奴らも」

 結局、幾都とは別れ、三人で炭燈楼に向かった。

 内部の雑多な空間はベビーカーを押すのに難儀したが、なんとか、陽慈璃の部屋までたどりつく。

「おやまぁ、仙久戯か。見ないあいだに随分と可愛い恰好しているね、君」

 陽慈璃は笑いを押し殺していたが、頬がぴくぴくと痙攣していた。

「なんだ、知り合いか」

 壱樹がヘラヘラとしながら、様子を見ようとしていた。

「まぁ、籠っているけど、人脈は広いんからね。これでも」

「しかし、俺の身体を直せるって、おまえか。せっかくだが、遠慮させてもらうぞ。炭燈楼になら、祇術師はいっぱいいるだろうからな」

 仙久戯はきっぱりと言った。

「あー、他の連中よりもマシ……だとおもよ?」

 登賀の例を思い出し、壱樹の語調は弱くなった。

「なんだ、下半身くっつけるぐらいまかせておきなよ。条件次第で完璧にしてあげるよ」

 いまだ、文字の檻の中にいる陽慈璃に、久宮が赤ん坊用のガラガラを渡そうとしているところだった。

 仙久戯の頭に幼児化されるイメージがわいたが、すぐに払拭した。

「で、ついでに陽慈璃に聞きたかったんだけどさあ」

 ソファに、どすりと壱樹が座る。

 ガラガラを振りながら、陽慈璃が顔を向けてくる。

「陽慈璃、あんたワザと登賀を娘に造り変えただろう?」

 玩具を鳴らしつつ、彼女は二コリと笑った。

「よくわかったね」

「理由は?」

「最初は登賀の無力化が目的だったんだ」

「無力化? 木偶を破壊すれば済むことじゃないのか?」

 陽慈璃は首を振った。

「少なくとも、特にソラ・コミュニティの連中には、それだけじゃ消えない。天の五星の役割の一つを知っているかい?」

「なにさ?」

「天の星々を我々から守ることだよ」

「天の星々って……」

「そうさ、魂のパッケージに決まってるじゃないか。五星は、天に浮かび散っている魂を守っている」

「ならさぁ、守るだけじゃなくて、干渉することもできるんじゃね?」

 陽慈璃はニッコリと微笑んだ。

「さすがだね、君は。その通りだよ。五星をつかえば、可能だ」

 壱樹には、五星が集まった時、堕天使たちが何をしようとしていたかぼんやりとわかった。

「五星を使ったやつらは、木偶に命を入れたんだな?」

「おおむね正解かな」

「だからと言って、我々が木偶になるというのとは少し違うだろう」

 黙っていた仙久戯が口を開いた。

「こうは考えられないだろうか。つまり、人々に実体が与えられたと。それも、五星による影響下として」

 まるで人間には実体が無いかのような言い方だった。

 壱樹が皮肉に思いを寄せていると、二人は当然のように話を進める。

「どれぐらいの規模でだ?」

「露夢衣主要の人物達だよ」

「実体を持ったってのはいいとして、だ。登賀の無力化ってことは、そんなに強力なものだったのか?」

 一応、壱樹は疑問だけを投じる。

「木偶を本体とした人間は、意外な能力を発揮する。露夢衣から解放されたと言っていいかな。しかも見ての通り、しぶとい」

 彼女は、仙久戯を一度だけ軽く指さした。

 確かに仙久戯は少なくとも表面上、痛みや苦しみを訴えることもなく平然としている。

「堕天使たちの目的は?」

「最初は、露夢衣の支配層である主要人物たちを都市から切り離すことだった。だが、そのために五星に乗っ取らせたが、余りに強力過ぎた。というのが流れだね」

「五星に乗っ取られた木偶たちは、どうしているんだ? 自覚有って行動しているのか、まだ気づいていないのか?」

「儀楓館で天馬がソラ・コミュニティの連中を集めていた。多分、あれは気づいているからの集会だろう」

 陽慈璃の代わりに、仙久戯が答えた。

 彼は何か言いたげだった。

 鬱陶しそうな眼を一瞬送り、陽慈璃は文字の檻から出てきた。

「ちゃんと立派に元に戻してあげるよ。安心しな、仙久戯」

「ありがたいな」

 久宮はいつの間にか壱樹の隣のソファで寝息を立てていた。

 陽慈璃自ら、拾ってきた木偶の下半身と、ベビーカーを壁際の作業場所に運ぶ。

「ついでに言うとだね、壱樹。ソラの連中が動いたのが、アマテウに関係している」

「……ん? どういうことだ?」

「連中は、要人殺害を生業としてたからね。ソラが力をつけた時点で危険を感じたんだろう」

「だから、存在を隠した?」

 うなづき、陽慈璃は続ける。。

「危険なんだよ。ソラがアマテウを知らない訳がない。いずれ引きずり出されたとしたら、君の話が丸々と漏れることになる」

「俺がソラの典馬を狙ってるんだから、どっちもどっちじゃね?」

「あたしのこともバレるんだよ?」

 口だけ二コリと笑って見せてきた。

「あー、ね」

「だから、ちょっと考えてほしいんだ」

「あー、何が言いたいかは、わかる」

 アマテウをソラに見つかる前に潰してほしいのだ。陽慈璃は。

 思わず、息を吐く。

「いいよ、やるけどさ。色々と回り道に手間暇かかるな、今回のは」

 言ったあとに、視線を感じて横をみると、ジト目をした久宮の顔があった。

「……壱樹」

「何だよ?」

 飴で濁った眼で、反応を待つ。

 久宮は、しばらく睨むように見つめていたが、急にニッコリとした。

「アマテウなら任せてよ」

「ん? ああ」

 最木の紹介で、久宮は壱樹を尋ねてきたのを、やっと思い出した。

「でっさぁ、陽慈璃~?」

「なんだい?」

 ニタニタとした久宮に、小さな祇術師は応じるような笑顔になる。

「仙久爾をどっちにする? てか、どっちもかなぁ?」

「そうだね、せっかくだものね」

「おい、ちょっと待てよ、おまえら! 壱樹、何黙ってる!?」

 ベビーカーの中から、かつてない程に感情的な声が響いた。

 壱樹はその様子をヘラヘラと眺めながら、飴を堪能していた。




 久宮は起きているときは元気だが、その分、睡眠時間は長い。

 朝も苦手で、起きてからもしばらくぼんやりとしていることが多い。

 午前八時。まだまだぐっすりと寝ている。

 壱樹は、一人で家から外にでた。

 通勤も含めて、どちらかというと遊びに行く人々の方が多い、道とロープウェイを使い、中央区に向かう。

 オフィス街は、個性的なビルが並んでいる。

 斉侘商事本社は、その中でも普通の長方形のビルだった。

 露夢衣統治に置けるデータ処理の一部をになっている、半官半民の会社だった。

 アッパーの飴を咥えた壱樹は左手に風刀の柄を握り、正面から中に入る。

 受付に向かい、堂々と社長室の場所を聞いた。

「失礼ですが、アポはお取りでしょうか?」

 受付嬢がにこやかに尋ねてくる。

「案内して。稀烏爾の友達だよ。コキラ・コミュニティって知らない?」

 いかにも身内に近いかのような、堂々とした態度だった。

 受付嬢は真に受けて社長に連絡を入れるからと、コンソールパネルを操作した。

「お会いするそうです。案内しますので、こちらへ」

 彼女はカウンターから出てきて、エレベーターに先導する。

「……社長はまたお怒りのご様子ですよ」

「まー、だろうねぇ。また稀烏爾がちょっとねぇ」

「ええ、その話でです」

 壱樹はまったく事情を知らないが、まったく気にもしない。

 エレベーターが最上階まで昇り、大きな扉の一つ前までくると、受付嬢はノックした。

「入れ」

 焼けた年配の声が外に響いた。

 どこかにマイクがあるらしい。

 受付嬢がきびつを返し、壱樹はドアを開けた。

 中は広く、執務室として使っている空間だけでも、通常の家のリビングより広かった。

 巨大な観葉植物が床に直接植えており、天井からも蔓が垂れている。

 藤の椅子が並び、低いテーブルが置かれ、民族調の絨毯が敷かれていた。

 その椅子に一人、着物を来た痩身の白髪の老人が座っていた。

 杖の先に両手を置き、厳しい表情でいかにも精悍そうである。

「稀烏爾の友達だとは、ふざけた理由で来たな」

 社長兼会長の解莉(かいり)はジロリと壱樹を睨んだ。

「どうでもいいよ。時間がないんだ、爺さん。典馬はどこにいるんだ?」

「ガキめ。本当に礼儀も何も知らないもんだ。こっちはおまえらのおかげでどれだけ迷惑しているか……」

 壱稀は、藤の椅子の一つを蹴った。

 それは見事に解莉に向かって飛んで行く。

 だが、解莉は歳に似合わない動きで杖を振り、横に弾き返した。

「典馬だよ、爺さんなんかどうでもいいんだ」

 いつの間にか、テーブルの上にしゃがんで解莉の眼前に座った壱樹が、繰り返す。

「……おい、コイツをどうする?」

 まったく動じないで、解莉は振り返った。

 壱樹は気づいて目を細める。

 奥の部屋に続く廊下の脇にあるソファに、少女が一人、つまらなそうに座っていたのだ。

 黒いロングヘアーに、白磁の肌。白いブラウスにチョーカーをして、黒いホットパンツを履き、白いソックスに革の黒い靴。

「鬱陶しいのが来たら始末しておけって話だけど、個人的に殺したいな」

 少女の声だが、口調はかなり渋い。

「へぇ……あんた、登賀だな?」

 壱樹はヘラヘラとした表情になる。

「わかってくれて、うれしいね」

 可愛らしい顔に残忍な笑みを浮かべた。

 目には憎悪が宿り、爛々と輝いている。

「ただ殺すだけじゃ足りないんだよ。ただ、どう料理しても満足しないのがわかってるんだ。だから、単純に殺す。ありがたく思えよ?」

「面白いね。俺は登賀の次に、その娘も始末することになるんだな」

 瞬間、少女の笑みが消えた。

「黙れクソガキ!」

 素早く向けられた手に、巨大なショットガンが現れる。

 が、それはすぐに幾つものパーツに解体されて、床にバラバラに落ちた。

 壱樹が風刀を持つ腕を振ったあとだった。

 あっけにとられた登賀は、舌打ちして睨みつけてくる。

「ベルナ!」

 部屋が小刻みに揺れた。

 床が水面下のように、巨大な張りぼてのような人型のモノが、ゆっくりと浮かびあがってくる。

「……木偶か」

 壱樹はベルナがまだ頭を出し切らないうちに、その上に跳んだ。

 脚が着くと同時に、柄を握った手を頭頂部に当てて、刃を発現させる。

 高い金属音が響いただけで、何も変化はなかった。

 ベルナは、叫ぶかのように口を開いて、手で壱樹を払おうとする。

 壱樹はそのまま木偶の後ろに駆け下りて、真っすぐに登賀に向かう。

 いつもの、本体を狙う手だった。

 幾ら強力でも脅威でも、敵の戦力は核を叩けばいいという、暗殺用個人戦の考えだった。

 登賀は立ち上がって、再び新たなショットガンを握っていた。

 射線と指の動きを見切り、撃たれるより早く、風刀の刃をぶつける。

 だが、素早く横を向いたベルナが出した手によって、弾き返された。

 進む壱樹はすり抜けるよりも、またその上に足をついて、飛び越えようとする。

 ベルナは彼が乗ったと同時に、一気に腕まで出して天井を殴った。

 予想外だったために、バランスを崩したまま、床に背中から落ちる。

 すぐに転がって、身体を起こすと、後方の床が爆発を起こしていた。

 登賀のショットガンだ。

 目前の登賀に風刀を持った両腕を振るおうとした。

 左手首から上が、吹き飛んだ。

 よろけたところを、さらに、ショットガンが、右腿を砕き散らす。

 壱樹は舌打ちとともに仰向けに倒れた。

 飴のおかげで痛みはまったくなかった。

 代わり、意思からの身体の反応が一気に鈍る。

 すぐにでも床にいる位置を変えたいと思ったが、言うことを聞かない。

 意外と反抗的だ。

 冷静に思った時、ベルナの巨大な手のひらが視界を覆った。

 終わった。

 ただそう考えただけだった。

 手のひらに大量の鎖が巻かれて、壱樹に触れる寸前で止まる。

「はい、久宮ちゃん参上!」

 意外な声が聴こえた。

 手どころか、ベルナは蜘蛛の巣に掛かったかのように全身に鎖が絡まっていた。

「壱樹、こんなところでなにしてんの!! しかも勝手に!!」

 明らかに怒りを込めて、久宮が叫んでいた。

「あー、ああ、ごめん」

 言い訳すらできないざまだった。

「出来損ないの司天か」

 にやけた登賀の黒髪の一部が、銃弾で裂かれた。

「だれが、出来損ないだって?」

 鎖とともに拳銃を手にした久宮は、鼻を鳴らした。

「クソガキ、なにこの身体に傷付けてんのよ……」

 登賀は低い声で唸る。

「騒がしいもの……」

 解莉の額に、銃声とともに小さな穴が開く。

 頭を後ろに弾くようにして、老人は椅子ごと倒れた。

「うるさい、ジジィ」

 久宮はかなりイラついているらしい。

 壱樹は場に合わないように、殺っちまったのかよ、と呆れた。

 素早く彼に駆け寄った久宮は、腕を肩を担いでいきなり、社長室から姿を消した。

 次に壱樹が見たのは、陽慈璃の部屋だった。

「……おやまぁ。珍しい」

 いつものように文字列の檻に入っていた彼女は、壱樹の姿を見て淡々と言った。

「いや、たまにはこういうこともある」

 壱樹は苦笑いした。

「そうか。でも君、わかっているかい?」

「ん?」

「血がまったく出てないよ?」

 壱樹は絶句しかけた。

 彼をソファに横たえさせると、久宮は大きく息を吐いた。

「陽慈璃、このバカをお願い」

「良いけど。随分と機嫌が悪いね、久宮」

「たまにはそういうこともあるの」

 壱樹を真似てみせて、久宮は鼻を鳴らした。