陽慈璃は、登賀の木偶体の解析と改造の同時作業に夢中になっていた。
この中年男の深層心理には面白いところがある。
露夢衣の統治委員という、最高の地位を得ているはずだが、それでいてさらには、ソラ・コミュニティに参加している。
渇望感があるが、どこまでも尽きない欲望というモノとは違う。
どちらかというと、絶望に近い。
壱樹が常に抱いているモノと一緒だ。
彼には家族がいたが、全員が事故死している。妻と一人娘だ。
特に登賀は娘に執着していた。
陽慈璃は皮肉に、この木偶にあえて人間の姿を再び取らせた。
黒いロングヘア―に十四歳にふさわしいスレンダーな身体。
服は、白いブラウスに黒く細いリボンを首から垂らし、黒いショートサロペットと皮の靴。
壱樹にマッド・サィエンティスと呼ばれた陽慈璃は歪んだ感性で、彼の実の娘の生前の姿を取らせたのだ。
あとは、意識を目覚めさせるだけである。
冷蔵庫から疑似ビールを取って、ソファに座って一息つく。
冷たい苦めの液体を喉に流し込んだ時、彼女は部屋に異様な気配を感じた。
素早く目を向けると、長身痩躯の異様な仮面をぶら下げた、目の青い、ロングカーディガンを羽織った男が立っていた。
見覚えがある。
典馬だ。
「よう、しばらく見てた。さすがといったところだな」
彼は笑みを浮かべていた。
陽慈璃は冷めた目で、鼻を鳴らす。
「いるならいるって言ってほしいかな。 君ちょっと失礼だな」
場違いなまでに、落ち着いた普段通りの口調だ。
「良い趣味してるな。父親の身体を実の娘のモノに変えるなんて」
「なんか話したいなら、飲み物でも出すかい?」
典馬は鼻で笑った。
「これ、譲ってもらえないだろうかと思ってね」
軽く手を持ち上げて、力の入っていない指で少女姿の登賀をさす。
「ダメかな。これはあたし特製のおもちゃだから」
きっぱりと拒絶する。
「そうか。できれば、あんたみたいな人とは敵対したくなかったんだが」
「あたしがどうしたって? 炭燈楼に籠るただの祇術師だけど?」
「謙遜してるのか、何なのかわからないが、笑えないな」
典馬は陽慈璃に向き直り、顎を浮かせつつも、心持ち腰を落とした。
「身を隠すのに、丁度いいからここにいるんだろう、あんた? 堕天使としては」
「……堕天使? なんのことかな?」
典馬はわざとらしい彼女のとぼけっぷりに小さく吹いたようだ。
「露夢衣を造った集団だ。今のこの都市の状態は納得できるものじゃないだろう」
「例え、堕天使でも、そんなものに興味がないのもいると思うよ」
「なるほど。はなっから俺との話合いをする機などないといった様子だな」
典馬の右手指が軽快に動く。
次の瞬間、陽慈璃が典馬の身体の脇をすり抜けかけた
青い火花が派手に散る。
「ほう……」
陽慈璃の身体を囲うような円形をした分厚い刃物が、床から現れた巨大な手によって、受け止められていた。
素早さが仇となって陽慈璃の身体が、やや痺れる。
典馬が振り返ると、彼女の隣で登賀の少女が片手で拳銃をかまえ、狙っていた。
左に一歩ずれて射線を反らし、銃撃を避ける。
そのまま、動きのゆっくりした登賀のほうに走り込み、ナイフを振るう陽慈璃の腕を蹴りあげて、小さな身体を抱え込んだ。
典馬の神経系がいきなり、一部の反応を拒絶した。
陽慈璃の祇術だ。
典馬は全体を侵される前に一気にドアから飛び出して、全力で炭燈楼の複雑な迷路の中に身を消していった。
「……やれやれ」
陽慈璃はその場に身を崩して、大きな息を吐いた。
円刀が巨大な音を立てて、床に転がる。
とてつもない威圧感だった。
彼を見た時から、内心恐怖で震えていた。
自分にこれほどの影響を与えるとは、ただものではない。
とにかく、落ち着いたら壱樹に連絡しなくては。
ソラ・コミュニティは露夢衣の南西部にあった。
中央部から断絶されたわりに、不便めいた雰囲気はない。
この人工都市は、何処に行っても似た雰囲気がある。
狭苦しく店や家屋が立ち並び、昼だろうがよるだろうが容赦ない電光掲示板、電光看板が並んで、上空にはロープウェイの蜘蛛の糸が張ってある。
陽慈璃からの接触後、壱樹に直接、幾都からの連絡が来ていた。
会合場所の指定である。
場末のバーという言い方がそのまま当てはまるような、狭い店だった。
夜の涼しい空気から中に二人の少年少女が現れる。
幾都の壱樹を見た第一印象は、暗いな、というものだった。
合法とはいえ、脳内麻薬を誘発させる飴を咥えつつ、余裕ぶった表情をしているが、明らかに内心を誤魔化している。
深く見てみれば、壱樹にあるのはあきらめきった絶望というものだ。
この少年のなにをして、ここまで堕とさせたかは興味があるところだ。
一方の少女は、司天の幾都から見ても、読み切れなかった。
多分、同じ司天だからだろう。精神を読まれないように分厚い壁を作っている。
「陽慈璃の奴の頼みだ。来てやったぜ?」
幾都は、あくまであらっぽい物腰だった。
マスターが、疑似ビールを二杯、カウンターに置いて姿を消そうとする。
「ああ、このコにはなにかジュースを」
壱樹はその背に言う。
こんなところで久宮に以前のような状態になってもらっては、困るのだ。
二人がストゥールに座ると、久宮の前にはオレンジジュースが運ばれた。
「おまえよぅ、司天だろう? だが、協会の名簿には乗っていない。ってことは、どういうことかわかってるか?」
幾都はウィスキーのロックを前に、いじわるそうに、久宮に言う。
「登賀が何をやっていたか、知りたい」
無視して壱樹が言うが、幾都の視線も態度も変わらなかった。
「言っておくが、司天というのは都市の認可制度の上にある。能力を使えるのは、認可を受けたものだけで、それ以外の者が使った場合、厳罰がまっているんだよ。わかってんのか、嬢ちゃん?」
「あたしが何時、そんな能力使ったかなぁ?」
「最近で具体的には、登賀委員の殺害行為。加えて芽倉市での自警団虐殺。記録に残ってんだよ、お星さまにはな?」
「んー……」
久宮は天井辺りに視線を這わせてから、ぽかんとした様子で幾都を見た。
「それがどうかしたん?」
「な……に?」
「だから、どうかしたん?」
「てめぇ……」
幾都が怒りに頬を引きつらせながら、無理やり笑みをつくる。
疑似ビールのグラスを傾けた壱樹は、面白そうに彼らを眺めていた。
「面白れぇタマだなぁ。ここでバラしてやってもいいんだぜ?」
「あんたが知りたいのは、典馬のことだろう? バラしても情報が得られるとは、さすが役人司天だなぁ」
壱樹が挑発的に言い放って、グラスを置いた。
ついでに遠慮なくゲップをしたため、久宮からの嫌な目を食らった。
幾都は今にも飛び掛かりそうな雰囲気で瞳をギラギラさせながら、不気味な笑みで沈黙していた。
必死で何か考えているようだ。
これでいい。主導権を渡さなければ、必ず優位に立てる。
「典馬? あのイカレたテロリストか。知らねぇなぁ」
「そ。なら別にあんたに用はないわ。重要人物かとおもったら、ホントの小役人で笑えたよ」
壱樹はストゥールから降りて、久宮の腕を取った。
「……馬鹿にしくさってんじゃねぇぞ、ガキども」
唸るような声だったが、無視を決め込んだ。
だが、気づくと店のドアが消えていた。ただの壁が、二人の前に立ちふさがるかたちになっていた。
壱樹が疑問を口にする前に、久宮は首を振る。
舌打ちして、壱樹は元のストゥールに戻った。
「飲んでくれ、幾都さん。少し頭冷やしてさ」
「言われなくても、飲んでるよ!」
「で、あんたら統治機関お抱えの司天としては、どうしたいんだ?」
「典馬の奴を、ぶち殺す」
久宮は二人が話している間、関係ないかのように、ぼんやりとオレンジジュースをストローで飲んでいた。
「で、登賀はどうして殺されなければならなかったんだ?」
頬肘をついて、壱樹はグラスに疑似ビールを注いだ。
「ウチが黒幕のようなことを言ってくれるなぁ」
「気になるのが、典馬が街道因子の元メンバーだってことなんだけどね」
壱樹は仕事がら、司天の機関と街道因子が同じ統治政府の下部組織でありながらも、敵対関係にあることを知っている。
「あんたソラ・コミュニティのメンバーだろう、下っ端の。率先して登賀を始末する役目だろう? そして、登賀の事件は今、何故か街道因子が捜査中だ。困るだろう、街道因子が『真相究明』とかしたら」
まるで見透かすかのような壱樹に、幾都は子供っぽく機嫌を悪くしてみせた。
「何が言いてぇんだよ、クソガキが」
「壱樹キモイ」
ニヤニヤとした笑みを浮かべている壱樹に、久宮はストローに入ったジュースを吹きかけてくる。
完全無視を決め込みんだ壱樹は、まったく構っていなかった。
「弱み見せたらどうだい、街道因子にね」
「……へぇ。クソガキはホント、クソみてぇなこと考えるな?」
街道因子は一個の武装警察のような存在に収まる存在ではなかった。
隊長が厳格なのはいいが、それが部下だけではなく、上司、さらには統治政府にまで及ぶほどだ。
「忘れてるみたいだけど、ウチ等が目的にするのは、典馬で共通してるんだよ?」
「まぁ、たしかにな」
「みんなで頑張ろう、うん」
「壱樹キモイ」
無事、バーからの帰りはロープ―ウェイを使った。
これだけは、南東地区と他の地区が繋がっている唯一の交通機関だった。
ゴンドラは他に客はいなかった。
夜景を足元に星々を空に思う存分堪能できる。
ただ壱樹の飴は切れていた。
離脱症状はまだだ。家までには間に合うだろう。
久宮は窓に張り付いたままだ。
シートに角にもたれた壱樹は、空中ディスプレイを開く。
そろそろ、接触し終わった頃だろう。
街道因子隊長のホットラインに介入して、連絡を入れる。
『……来ると思って待っていた、壱樹だな?』
重いが静かな声だった。
画面に、髪を後ろになでつけた鋭い容貌の若い男が現れる。
街道因子局長、仙久戯(せんくぎ)だ。
確か、若干二十四歳だったはず。
それにしては、落ち着いている。というより、まったく動じないかのような芯の強さがある。
見るものには、相当な圧迫感だろう。
「ソラ・コミュニティの方から何かあったのかい?」
一方の壱樹も物怖じしない。
『あった。が、それはそれとして、我々の方針は変わざるを得ない』
「変わる?」
『ああ。ソラの連中は後回しだ。一刻も早く、典馬を斬る』
静かだが、確固たる意志に固められた声だった。
「どうしたんだよ。ついでにソラ・コミュニティの連中もとっ捕まえればいいのに」
『モノには順番がある』
仙久戯は長々とした言葉を吐かない。その代わり、断定口調だ。
「どうしたんだ?」
『ちょっとした事件だ。だが、我々街道因子の矜持にかかわる』
「あー、そうかい。典馬殺るなら、俺も手伝うよ」
冷ややかな沈黙が返ってきた。
仙久戯のプライドなら断られるだろうと思ったが、一応、壱樹は伝えておこうと思ったのだ。後々、揉めると面倒くさい相手だったからだ。
『そうか。助かる』
意外な答えに、壱樹自身が驚いてしまい、思わず軽く頬を掻いた。
『どうせ、おまえのところに居る司天の件をどうにかしたかったのだろう』
久宮は無心に窓の外を眺めている。
「よくわかったねぇ」
『本来なら我々のターゲットだ。だが、典馬の件が終わるまでは据え置いてやろう」
「ありがたい言葉だね。その時はこちらも容赦しないので、よろしく」
『死に体に何を言われても、説得力はないな』
「久宮に頼まれた仕事を終えるまでは、こっちゃ全力出す気だよ」
『ほぉ。面白い。それなら背中に気をつけることだ』
仙久戯から出た言葉だ。
冗談のつもりではないだろうことに、壱樹はうんざりとする。
『こちらも今忙しい。今後の事はその都度お互い連絡する。これでいいな?』
「構わない」
挨拶もなしに通信は切られた。
気が付くと、久宮が隣に立っている。
「壱樹、飴は?」
「あ? ああ、もう家に行くか買わないとない」
「ありゃー……。途中で買ってこうよ。家まで持たなかったらどーすんの」
「あー、持つんじゃね?」
久宮が見え上げて、壱樹の瞳を覗き込む」
「どした?」
「さっきの死に体って何?」
「別に。何でもないさ」
「そう」
久宮はすぐに窓のそばに戻った。
夜空を眺めながら口を開く。
「ねぇ。あの空の星の中にね、もう一人の自分がいるって知ってた?」
「あー? なんだそれ?」
壱樹はワザととぼけた。
魂の星。
有名な話だ。
パッケージ化された人の魂が、露夢衣上空には星として散りばめられているというものだ。
どこの誰の何のためのものかは、それこそ祇術師の数だけ理由がある。
「別に。それだけ」
「そうかよ」
久宮は一度振り返って壱樹を見た。
「あたし、壱樹の魂も見つけてあげるよ」
「あ?」
少女は笑いながら、また窓に向き直る。
あとは駅に着くまで二人とも無言だった。
駅から街に降り立つと、久宮が率先して飴屋に彼を連れて行った。
壱樹は好みのダウナー仕様の飴を五つほど買って、一つをその場で口に入れる。
思わず、笑みが漏れる。
何もかもクソだ。
人生に意味なんかあるものか。
壱樹はヘラヘラとしながら考えつつ、久宮とともに家路に向かった。
仙久戯は通信を切ったとき、鼻を鳴らした。
薄暗い、街道因子の多目的ホールの中央に、立って。
多目的ホールには、血だまりができている。
あちらこちらに、倒れたまま動かない隊員が多数、床に寝転んでいた。
すでに数えていた。
全員だ。
街道因子の全員の死体が、このホールには転がっていた。
仙久戯は無言でその様子をみて、何も言わずそのまま壱樹からの連絡を受けたのだった。
黙ったまま、彼はホールを出る。
ゆっくりとだが、乱れない歩調で執務室に入った。
酒も煙草もクスリもやらない彼は、そのまま机についた。
目は相変わらず、冷たくすわっている。
彼は恐ろしく冷静に、ひたすら典馬殺害の計画を考えていた。
今の彼の頭にあるのは、ただそれだけだった。
彼は、あらゆる反政府コミュニティに連絡を取った。
敵対していた者たちだけに、下手な隣人や上司などよりも、良く熟知している。
内容は、天馬への協力をやめること、情報を常に入れること、出来れば生きて捕らえること、だ。
見返りに、組織の存続を保障する。
街道因子壊滅の報は、すでに彼らに届いていた。嘲笑するだけで返事する相手もいた。
「私がなにか可笑しなことを言ったか?」
仙久戯が一言、そんなセリフを吐くと、決まって相手は戦慄を感じずにいられなかった。
非情にして冷徹な街道因子隊長の実力は、恐ろしいほどに身に染みてわかっているのだ。
その仙久戯が極端な要請をしてきたのだ。ただ事ではないことが、彼らにはわかった。
次々と各組織に要求を突き出しては、次に違う組織に連絡を入れる作業を終えた彼は、椅子にもたれた。
「ロクな死に方をさせないぞ、典馬」
声は冷え冷えとして、憎悪すら感じさせないものだった。
第四章
壱樹のところに、珍しく陽慈璃から連絡が入っていた。
典馬に登賀の木偶を奪われたという。
しかも陽慈璃はこともあろうに、木偶を登賀の娘の身体に改造していた。
「なんでそんなことしたんだ?」
半ば呆れつつ疑問を投げつける。
『ちょっとした好奇心かな』
こいつの頭は、本当に沸いているのではないか?
半ばではない。完全に呆れた。
悪ぶれていない陽慈璃は、あまり豊かではない表情を困らせたようにしている。
『壱樹、典馬をどうにかしてくれ。登賀の木偶を取り戻してほしい』
「あー、典馬は狙おうと思ってたところだよ」
『そうか。安心したよ。何か入用な物があれば、言ってほしいな』
「とりあえず、アマテウの件を調べておいてくれ。登賀をいじってたなら、どっかから手繰れるだろう?」
『わかった』
通信を切り、壱樹はソファの隣に座っていた久宮に尋ねる。
「正直ねぇ、典馬については余りよく知らないんだよ」
リビングのソファで、正面のペーパーディスプレイにバラエティののんきな笑いを垂れ流しながら、壱樹は相変わらず棒の付いた飴を舐め、疑似ビール缶に口をつけていた。
「知らないかぁ」
彼は久宮を無理に追及したりはしなかった。
ただ、喋りたい部分だけを聞くだけの姿勢を保っている。
久宮は久宮で、壱樹の態度がもどかしそうでもあった。
「んー、えっと、えっとねぇ……」
難しい表情で、必死になって記憶を手繰りする。
壱樹はぼんやりと、飴を舐めながら待っていた。
急に久宮が輝くような笑みを浮かべる。
「そう、そうだ! すごぃ強い!!」
「は?」
「え?」
「……あー、ね」
「なんだ、その残念そうな顔は?」
久宮がむくれる。
「いや……そういうコなんだなって。ほら、あまり喋らないし、たまに変だし」
「ざけんな! 壱樹こそ、全然かまってくれないじゃないか!」
「あー、はいはい、バブ~」
「うっせっ! キモい!!」
壱樹が腹を抱えて笑うと、久宮はつられて笑った。
「あー、まぁ安心しな。役割は果たすよ。絶対にね」
飴を口の中で回し、天井を眺めて壱樹は呟くように言った。
「思い出したよー。典馬は、露夢衣でしきりに奇怪を出現させてたんだよ。目的はわからないけど」
「奇怪……か」
露夢衣での「異常」を奇怪と呼ぶ。
様々な「異常」があり、まさに、人工都市に異常があれば、それは奇怪と呼ばれる。
「どんなのだ?」
「んとねぇ……」
久宮が上げていったものは、壱樹の事件データの中のもの8割に符号した。
脳に刻み込まれたモノたちだ。
しかも、その半分はバタフライ・シーカーの犯行と同じ重要人物関係の殺害事件だった。
「マジかよ、これ……」
唖然としかけて、思わず笑んでしまった。
腹の底に喜びが蠢きだす。
明るく飛び出してくるようなものではない。
ひたすら闇の中からドロリと沸いてくる類だ。
壱樹は、飴を床に吐き飛ばし、疑似ビールを一気飲みした。
「……うっわ、汚なっ! その笑い、キモッ」
「うせぇな」
そんな反応も、喜びに満ちた声になっていた。
久宮は思わず、小さく笑った。
壱樹が虚無感から抜け出したのだ。
「あー、何見てんだよ?」
「んー? べっつに―?」
「何笑ってんだよ?」
「ふふっ、別に?」
「気持ち悪い奴」
「良いですよー、それでー」
久宮は壱樹を見つめながら、拗ねもせずに言った。
「なんだ、ここ?」
気が付くと、埃まみれの崩れかけた廃墟の一画だった。
目に映る手が小さい。服も少女のものだ。
近くにあった雲ったガラス窓に自分の姿を映すと、見覚えのある少女の姿がそこにあった。 那緒(なお)。
十二歳で死んだ娘のものだ。
彼女の好みとは違う少々ゴシック風な服装だが、確かに本人の姿だった。
「どういうことなの!? なんであたしが那緒の恰好を!?」
頭の中のセリフと出る言葉が変換されている。
背後に長身の男が立った。
「どうだ、気に入ったか? その身体は」
典馬は皮肉に笑んでいた。
とっさに振り返った登賀那緒は、見上げて彼を睨んだ。
「あなたね、これをやったのは!!」
登賀には相手が誰か分かったし、典馬ならばやりかねないと確信していた。
統治委員としては、「重要」な犯行分子として。
ソラ・コミュニティでは、これも「重要」なアドバイザーとして、だ。
「残念ながら違う。その恰好を造りあげたのは、陽慈璃という堕天使の祇術師だ」
「堕天使?」
次から次に情報が入ってきて、登賀の頭は高速回転する。
堕天使といえば、この露夢衣を造ったといわれている存在だ。
今の実質、人間のものとなっている露夢衣を快く思っていない。
彼らはどこかにコミュニティを作り、露夢衣奪還を練り続けているという。
そもそも、彼は殺されたはずだ。
登賀は、自己が何のためにこのような姿になったのか、理解した。
怒りが沸く。
堕天使は、死んだ娘まで利用しようとしているのだ。
「クソが!」
登賀は靴が硬いのをいいことに、壁を蹴った。
素直に悪態はでた。
「随分と荒れてる子供だな、登賀」
「あー? ざけたこと言わないでよ!! 知ったことじゃないよ、クソ野郎が!」
少女の高い声が響く。
言っておいて、登賀は複雑だった。
那緒にはこんな言葉使いをしてほしくないというエゴがでたのだ。
辺りを見回して、座れそうなコンクリの欠片を見つけると、登賀は細い脚を組んで腰を下ろした。
怒りを押し殺して、深い息を吐く。
「……で、その堕天使はどうして、あたしにこの姿を?」
「それが、単に趣味って部分が多いらしいな」
「ふざけ……」
少女は言いかけて、途中で黙った。
「都合がいいじゃないか。ソラ・コミュニティでの計画が、やりやすいというものだ。違うか?」
典馬の声は皮肉に満ちていた。
「那緒はあれとは関係がないんだよ?」
「何を都合のいいことを。おまえの家族がただの事故死だったとでも思っているのか?」
「え!?」
思わず見上げた登賀に、典馬は相変わらずニヤニヤとした笑みを浮かべている。
「アマテウ・コミュニティというところを知っているか?」
「んー、確か凄い小さな生活補助系の組織だったような……」
「存在は小さいが、やってることはでかい。表向きは援助組織だが、一方で人を使って政府の重要人物を暗殺させている」
「そこが、あたしの家族を殺したの?」
「そういうことだ」
登賀の顔が怒りで赤くなるのが分かる。
「なんで……ひどい……」
小さな手を思い切り握り、同時に涙が瞳からあふれ出す。
登賀の反応は少女のそれ、そのものだった。
「おまえに残された道は、ソラ・コミュニティの計画を推進して実行するしかない。ここまで来たら、もうどうにもできないぞ?」
「仇を討ちたいよ」
「ああ、それなら俺に任せておけばいい。おまえは、ソラの方に集中するんだ」
実際、この体になった登賀には行動の限界がある。
何もかも一からだ。
仇を自分の手でどうにかしたくても、無理だろう。
典馬がどうにかしてくれるというなら、頼るしかない。
「典馬、あたし、どうなっちゃうの……?」
嗚咽混じりだった。那緒の目からは涙が止まらない。
登賀は、どうすればいい?と聞きたかったのだが。感情まで、那緒のモノになりつつあるのを、自覚した。
恐怖が登賀を捉えた。
自分は那緒になるのか。このままでは、身体だけではなく、心まで。
自分の娘を思い出す。
やがて恐怖はどこか暗い背徳めいた悦楽に変わって行った。
「どうなるのかは、正直わからん。俺が造ったわけではないからな。ただ、指示には従えばいい」
典馬は身をひるがえして歩き出した。
「……どこに?」
「寝床に帰る。ついてこい」
かく乱か。いや、確実に罠だろう。
仙久戯はわかっていた。
典馬が堂々と自己の名前でホテル・儀楓館(ぎふうかん)のスイートルームに予約を入れていたのだ。
中央区にある、露夢衣で最も高級で、統治委員や上級市民の御用達のホテルだった。
当然、客についての情報は徹底して秘匿されている。
だが、街道因子は統治委員議長直属の機関である。いくらでも秘密の情報には接触できるのだ。
典馬もそれがわかっているはずだ。
あえて予約したのがかく乱か罠でなくてなんだろうか。
仙久戯は儀楓館の地下にあるカジノのバーにいた。
直接の襲撃を窺いながら、典馬がどう出るのか様子を見るために詰めていたのだ。
儀楓館には彼が滞在しているのを知らせていない。
わざわざ承認を得る必要など、街道因子の考えとして元から無いのだ。
典馬が身分を明かしているというのに黙って泊めた儀楓館を問い詰める考えもなかった。
スイート・ルームには過去に街道因子が仕掛けていた大量の監視カメラと隠しマイクが生き残っていた。
それらは全て仙久儀の携帯端末につながっている。
ギムレットを飲みながら、彼は監視していた。
典馬は驚くほどの美少女を連れて、午後八時半にチェックインした。
そのまま、エレベーターで六十二階の最上階まで向かう。
典馬が、シャンパンを開けてソファでくつろぎ、少女はテレビを眺めていると、客人らしき人物が数人、あらわれる。
見覚えがあった。
統治委員の男と、財界の大御所で壮年の男だ。
典馬は彼らに少女を紹介し、いたって親し気に世間話をする。
『ほう、登賀委員の娘さんですか。整然のお父さんにはお世話になりましたよ』
壮年の男が少女に話かける。
いたって不愛想に、そうですかという反応が返ってきて、男は笑った。
典馬が奥のソファに座り、リラックスしだすと、どんどん来客が増えてきた。
まさに老若男女だ。明らかに下級市民の人間もいる。
見覚えがある。
ソラ・コミュニティの連中だ。
仙久戯は決めた。
代金を払い、バーカウンターから離れてエレベータ―に向かう。
左手に、鞘に収まった刀をブラさてて。
六十二階にでると、真っすぐスイートルームのドアまで来る。
仙久戯はいきなりフラッシュ・グレネードと、煙幕を部屋内に放り込んだ。
爆発音がした瞬間に、ドアを開けて中に入る。
人々はパニックをおこして、動けないでいた。
仙久戯は彼らを無視して、真っすぐ典馬の所に走り込んだ。同時に刀を抜く。
煙幕で人影にしか見えなかったが。
もうもうたる煙の中に、ソファでカクテルグラスを持った長身の男が目に入った。
典馬だ。
仙久戯は問答無用で、一気に袈裟懸けに刀を振るう。
だが、刀は典馬に届く前に、硬い岩のようなものに跳ね返された。
巨大な腕が床から生えて、手のひらで受け止めたのだ。
仙久戯は構わず、腕の脇をすり抜け、横薙ぎに典馬を斬ろうとするが、もう一本現れた手に阻まれた。
典馬は余裕の笑みで座ったまま、電子タバコを吸っている。
仙久戯は、すぐに考えを変えた。
身をひるがえし、煙の中に飛び込む。
目前に突然、少女が現れた。
手に、大口径を超える大きさ程あるバレルカットのショットガンを持っている。
仙久戯は舌打ちした。
間に合わない。
ショットガンが火を吹いた。
凄まじい衝撃に、身体が跳ね返された。
深夜、久宮は自室に戻り、壱樹は疑似ビールを飲みながら、酔いに頭を朦朧とするのを楽しんでいた。
リビングの光はワザと間接照明にして、ペーパーディスプレイで、音楽番組を流したままにしている。
戸口で物音がした。
目だけ素早くやる。
薄暗い部屋の床に、何か塊のようなものが蠢いている。
「……壱樹、見ろ。俺を……」
「仙久戯?」
苦し気な声は聞いたことのあるものだった。
テーブルのリモコンで、照明をつける。
蛍光灯に照らされた仙久戯の姿は、床に這いつくばり、両手で必死にこちらに身体を引きずっていた。
見ると、その下半身が無い。
「どうした、それ……?」
驚いた壱樹は、気付けに電子タバコを咥えつつ、おぼつかない脚で彼の元に近づく。
仙久戯は自嘲しているようだった。
「これで生きてるのが驚きだ。凄いぞ、痛みが全くない」
いつもより饒舌だ。
「大丈夫なのか?」
「問題ない」
笑いを引っ込めた、仙久戯はソファに身体を置けと、目と指をさす。
華奢な壱樹は、それでもかなり重い彼の身体を持ち上げ、どうにか運んだ。
仙久戯はやれやれといった風に息を吐いた。
テーブルを挟んで、壱樹は座る。
「……これは一体どういうことか? という話だ、壱樹」
いたって冷静に素っ気なく、仙久戯は言った。
彼のズタボロになった腹部からはチューブや金属片などが覗いており、肉体が機械で出来ているのを物語っている。
「……俺はいわゆる『造られた』覚えもないし『改造』された覚えもない。いたって普通の家庭に生まれ育って来た。上級市民としてだがな」
ふと、手元にある壱樹が飲んでいた疑似ビールを一気に煽り、続ける。 「だが、デカいショットガンを撃ち込まれたら、このざまだ。壱樹、おまえは普通の人間か?」
問われ、壱樹は困惑した。
「いや、俺は……」
テーブルの上に、折り畳みナイフが放り出される。
それで腕を軽く切って見れば、すぐにわかると言いたいのだろう。
だが、壱樹も大怪我をしたことぐらい何度もある。
確かに、自分は人間だと思っている。
「ああ、今昔のことを考えてるな? 怪我の記憶だろう? 俺にもある。その時は、こんな中身じゃなかった。いつの間にか、こうなったんだ。わかるか?」
試してみろと言いたげな表情だ。
「なにか、きっかけかとか、覚えはないのか?」
壱樹はあえて折り畳みナイフを無視した。
「無いこともない。おまえのところに司天がいるだろう。呼べ」
黙って従い、携帯端末で久宮に『起きろ、ちょっと来い』とだけ連絡を入れた。
「なんなのもー?」
やがて、白地にピンクの模様が入ったパジャマ姿の久宮が三階から降りてきた。
仙久戯の姿を見て、一瞬、彼女は固まった。
人見知りではあるが、それ以前にショックを受けているようだった。
「この姿に、覚えがあるかどうか、だそうだ」
壱樹は簡単に説明した。
簡単すぎたのか、久宮は少し考える。
「久宮といったな。俺はいつの間にか、木偶にされていた。きっかけについて、何か知ってるだろう?」
仙久戯が少しだけ、事情を付け加える。
少しだけ間を置いて、久宮は頷いた。
壱樹の隣に座り、二人に向かって口を開く。
「……かなり前なんだけどね。登賀統治委員が暗殺された、数日まえかな。堕天使のこにゅにティで会議があったみたいなの」
通常、一つづつしか露夢衣に接近しない天の五星が、丁度全て揃う夜のことだ。
しばらく沈黙が続いた。
「それで?」
促すように聞いたのは、壱樹だ。
「それだけ」
「は?」
「あとは知らない」
「知らないって……何かあるだろう? 五星が集まったとかでどうしたんだよ?」
「星一つの能力だけでも、凄いのよ。で、集まったんだけど、それを堕天使がどう使ったかなんて、わかんないよ」
「こりゃダメだわ。とりあえず、仙久戯、その身体直せる人いるから、そこに行こう」
提案すると、複雑な表情を浮かべていた彼は頷いた。
「……不本意なんだが?」
「しょうがないだろう?」
運ぶ手段がなかったので、壱樹は仙久戯をベビーカーに載せて、バスタオルで開いているところを隠してロープウェイに乗っていた。
提案したのは久宮だが、実際にやっているところを見ると、時折、必死に笑いを押し殺している。
すっかり、仙久戯に慣れていた。
多分、彼の朴訥な感じが逆に受け入れやすかったのだろう。
「……まったく、何をしていると思いきや、ママゴトかよ、おまえら」
唯一の同じ搭乗者だと思ってた男が振り向き、二人に声をかける。
「あれ、幾都?」
「さんをつけろ、クソガキがよ」
幾都は別に怒るでもなしに鼻を鳴らした。
ゴンドラが違う線に曲がり、停止する。
「こんなところでなにしてんだよ?」
壱樹はソラ・コミュニティのメンバーである彼に聞いた。
「おまえらを待ってたんだよ」
「丁度いい、聞きたいことがある」
「あ? 俺の話が先だろう、ガキがよ」
「以前、天の五星が集まった時、何が起こった?」
「知らねぇよ」
幾都は取り付く島もなく断言した。
「役に立たないな」
「んだと、こら? いいか、確かにな五星が集まればこの露夢衣にとんでもない影響を与えることが出来る。だがやったのは堕天使だ。ウチじゃねぇ。奴らの閉鎖性はトンでもねぇんだよ。幾ら探ろうとしても、まったく手に負えん」
「威張られてもな」
「うっせーガキだなぁ」
煽られて口調はいつものように悪いが、気分を害した様子はない。
彼は改めて、咳を一つすると、喋りだす。
「典馬が動き出した。というか、街道因子かな? ついさっき、ホテルで典馬が招いたうちらソラ・コミュニティのメンバーが、街道因子に皆殺しにされた。生き残ったのは、俺だけってことだ」
「……ほぅ」
ベビーカーから地の底から響くような低い声がした。
幾都は怪訝な顔で、中身の覗けないそれに目をやる。
バスタオルをよけて、仙久戯が顔を出した。
「俺がその街道因子だが、覚えがないな。襲ったことは確かだが、すぐに返り討ちにされた」
「おまえ、仙久戯か……」
二人はお互いを知っているようだった。
仙久戯は頷く。
「その身体は……」
さすがに幾都は上半身だけの恰好になった相手に驚いたようだ。
「見ての通りだよ。ソラ・コミュニティがやられたというのは、多分、典馬にとって邪魔な相手だったということだな。おまえらは五星を使って露夢衣を支配しようとしてたんじゃないのか?」
いきなり本質を突かれた幾都は鼻を鳴らした。
壱樹も陽慈璃から聞いていた。
五星は露夢衣とは違う存在であると。唯一、露夢衣に干渉できる存在だ。
「俺は使いっぱだから、詳しくはわからねぇが、そんなところだ。邪魔というよりは、コミュニティを乗っ取られたといった方がいいな」
「あいつは、木偶を使う。それも並みのものじゃない。加えて、妙な少女が味方に付いている」
「へぇ……」
別のゴンドラが、近づいてきた。
全員が、警戒する。
「幾都、あれは?」
「わかんねぇ。どこのどいつだ!?」
「参るな。撤収しよう」
冷静に仙久戯が提案する。
「間に合わなねぇよ。あの線、何か知らねぇが早いぞ?」
幾都は一応、ゴンドラを移動させた。
だが、相手はそのまま追って平行線に入ってくる。
「いざとなったら俺は捨てて置いていい。幾都も知らん。壱樹と久宮だけでもどうにか脱出できるようにしろ」
「ちょ、それはないよ! ダメだよ、そんなっこと言ったら!!」
久宮が抗議の声を上げる。珍しく本気らしい。
壱樹は新しい飴を取り出してパッケージを剥き、口に入れると、ついている棒先をひと回転させる。
いつものダウナーではない。アッパー系で、神経が全身過敏に張り詰めて出す。
「……どっちにしろ、ぶっ殺せばいいんだろう?」
興奮で、多少震えがある口調だった。
深く考えてはいないが、ここのところもやもやが溜まっていた分、吐き出したい気分だった。
『警告する。ロープウェイは先日、我々コキラ・コミュニティが買収し、専用となった。次の駅でおりよ。さもなくば、ゴンドラごと破壊する』
「コキラ・コミュニティ? 聞いたことがない」
仙久戯は考えるように言った。
「まぁ、良んじゃね?」
壱樹は一歩両開きのドアに近づいた。
左右の袖の奥から、両手持ちの剣のようなものの柄だけを落として、手に握る。
目は爛々と輝き、平行するゴンドラを睨みつけていた。
その後ろでは、久宮がジャラリと、先に刃を付けた鎖を数本垂らした。