「困るんだよな、アンタみたいなのがいると」
だが、その手は
少年が立っていた。癖のない髪の毛に痩せた顔立ち。そこそこの長身だが、はっそりとした体つきをしてるためパッと見は小柄に見えた。学校帰りなのか、制服とおぼしき紺色のブレザー姿に身を包んでいる。
「この世界に干渉したいんなら、ちゃんと手続きを踏んで出てこいよ。〈
アンタさぁ、誰にも召喚されてないんだろ?」
「……キサマ、
耳ざわりな音を立て〈鬼〉が喋った。その言葉は不明瞭だ。
「ご名答。賞品は滅殺と封殺があるけど、どっちがいい?」
少年は、皮肉な笑みを浮かべた。
「若造ガ」
〈鬼〉が動いた。僅かな予備動作の後に跳んで、少年との間合いを一気に詰める。下からの突き上げるようなひと薙が少年を襲った。
少年はそれに驚いたふうもなく、右足を軽く後ろに引いて体を
「図体の割に、素早いのは認めてやるよ」
少年が言い終わるのと同時に、振り上げた〈鬼〉の腕が少年めがけて迫って来る。
〈鬼〉の腕の動きに合わせ受けるように、少年は左手を上げた。強烈な衝撃が少年を襲おうとした瞬間、〈鬼〉の腕の下潜るように体を反時計回りに回す。そして〈鬼〉の腕に擦りつけるように、左腕を振りおろした。
「ヌオ……!」
少年の腕は触れているだけなのに〈鬼〉はそれに引っ張られるようにして一回転。そのまま宙を舞った。何もできずに地面に激突する。
〈鬼〉はすぐさま立ち上がった。再び跳躍して間合いを詰める。今度は左右の腕を使ったコンビネーションで、少年を襲った。
だが少年はすべてそれを紙一重で躱す。
〈鬼〉は焦り始めていた。攻撃が次第に大振りに、そしてぞんさいになっていく。〈鬼〉の攻撃に隙ができた。大振りのあまり体勢に無理が生じ、
少年は突如体を沈めると左足で地面に弧を描いた。それは〈鬼〉の足がある場所を刈り、化物の体を宙に浮かせる。
そこから少年は左足ごと体を半回転させ〈鬼〉に背を向けた。今度は左に軸足を移しながら立ち上がろうとする。そして前屈みの姿勢から、そのまま右足を背後に蹴りあげた。
刹那、右足が微かな光を纏った。
右の踵が燐光の軌跡を残しながら、〈鬼〉の胸板にのめり込む。どのような力が働いたのか〈鬼〉の巨体は背後に吹っ飛んだ。
「クッ……ハッ」
〈鬼〉は苦しそうに呻いて地面にへばり付いた姿勢で少年を睨む。
対する少年は、何事もなかったかのような出で立ちで〈鬼〉を見据えていた。
「どうした、そんなものか? ならそろそろ終わりにしよう」少年はゆっくりと歩き出した。「お前は調子に乗り過ぎた。〈
「ヌヌヌヌヌヌヌォォォォォォォォォ!」
突如、〈鬼〉が吠えた。その声は重く低い。同時に人間の可聴域をはるかに下回る低周波音が生まれ、物理的な圧力を作り出し少年を襲った。
「くっ!」
内臓を揺さぶられるような感覚に、思わず少年の足が止まる。このまま〈鬼〉の咆哮を受け続ければ振動により体は揺さぶられ、内蔵は破壊されるだろう。
少年は背後に倒れている女性のことを思った。自分だけならこの中でも動けるが、一般人に長くは耐えられまい。
少年は〈鬼〉を見据えたまま、ゆっくりと鼻から息を吸った。長く静かに吸い、同じだけの時間をかけて吐き出す。そして下腹部の丹田に収めた自らの内氣と、呼吸で吸いこんだ外氣を練り合わせ両手に伝えた。
「
――ぱんっ!
突き抜けるような音が、少年の打ち合わせた両手から響いた。気を込めた一拍手の音が〈鬼〉の咆哮を打ち消す。
少年の体が揺れた。一気に気を放出した反動に加え、思いのほか〈鬼〉の咆哮が効いていたらしい。思わず膝をつく。
咆哮を打ち消され〈鬼〉は驚いていたが、少年に生まれた隙を見逃すようなことはなかった。しゃがんだ姿勢から力を振り絞り、最後とばかり間合いを詰める。そして反応の遅れた少年に向かって渾身の一撃を放った。
それは、少年には決して避けられないタイミングでの一撃だった。遅いと知りつつも少年は防御姿勢を取った。
「――?」
だが、〈鬼〉の一撃は少年に届くことはなかった。少年の背後から突き出された腕に、がっちりと止められていた。
「ツメが甘ェンだよ」
少年の背後から声が聞こえる。
「余計なことをするな〈
堅い声で少年が言う。
〈鬼〉は少年の背後に突然あらわれたものを、驚いたように見つめた。
背は〈鬼〉を頭半個分ほど下回るくらい。西洋の甲胄を思わせる外観をしている。だが、実際の甲胄に比べ、繊細な印象を受ける。顔はSF映画に出で来るロボットのようであり、黒く艶のあるボディがそれを印象付けていた。
人間の顔の条件を満たしているが目のみで口や鼻はなく、仮面をつけているような印象を与える。両目は横長の楕円で、縦に筋の入ったガラスのようなもので覆われていた。それが、仮面であるという印象に拍車をかけている。
そして〈牙影〉と呼ばれた黒い甲胄もどきの足は、地面に半ば埋まっており、少年の影から生えていた。街灯の光量では作りえないほど、濃い影の中から。
いや、生えているというよりは影が起き上がったと見る方が正しいのかもしれない。その証拠に少年の影には
〈牙影〉が〈鬼〉を殴った。繊細な印象からは想像できないような力が〈鬼〉の顔面に炸裂する。だが、〈鬼〉は力学に則って吹っ飛ばない。〈牙影〉が腕を掴んでいるからだ。
〈鬼〉の腕は太く〈牙影〉の手で握り込むことは不可能だ。しかし〈牙影〉の指がめり込むことで〈鬼〉の腕を掴んでいた。
「とっとと片付けろ。それとも俺を纏うか?」
〈牙影〉の声にはからかうような響きがあった。
「必要ない」
少年は立ち上がると呼吸を瞬時に整えた。内氣が体内をかけめぐり精錬されていく。
少年の準備が整ったのを見届けて〈牙影〉は〈鬼〉を放した。〈牙影〉の一撃を受けた〈鬼〉は、思うように動けない。
少年が動いた。右足を大きく踏み出し左右の爪先を軸に足を九十度回転させる。同時に腰を落とし、右足の踵が強く地面を踏んだ。踏み込んだ力の反作用が右足を通じて迫り上がって来る。
その動作に遅れること僅か、少年の
その力は少年の肩を通って、剣印を結んだ右手へと向かった。
「哈っ!」
掌底のように繰り出された剣印が〈鬼〉の体に触れる。刹那、剣印を中心に光輪が生まれた。光が〈鬼〉の体を包み体を分解していく。数瞬後には、〈鬼〉は跡形もなく消え去っていた。
「礼は言わないぞ」
少年は背中越しに言った。完全に実体化した〈牙影〉が、軽く肩をすくめてみせる。
「期待なんかしてねェよ。で、あの女はどうするよ?」
「近くの交番にでも届けてやれ」
そう言って、少年はそのまま立ち去ろうとする。街灯の下を歩く少年に影はなかった。
「おい、オレがか!?」
「そうだ。置くだけならお前でもできるだろ」
それ以上は何も言わず、少年は去っていった。
「ケッ。ホント可愛いくねェガキだぜ」
〈牙影〉は真弓が倒れている場所までくると、そっと彼女を抱きあげた。そして何を思ったのか辺りを見回す。
「あれの方が楽か」
そう言うと、〈牙影〉は木が作り出す影の中へ真弓ごと入っいった。文字通り地面を突き抜けて。
誰もいなくなった公園の遊歩道に、真弓のスマートフォンだけがポツリと落ちていた。