そもそもこれは人生ゲーム。プレイヤーによって左右されるのはルーレットの出目くらいで、実質運ゲーだ。
ゆえに勝つ負けるは運しだい、それでしかない。
ええっと、うん。
完全に撤回する。
これは運ゲーでもなんでもない。
「クソゲーじゃねえか!」
「なんですか戸景先輩。後輩が寝る間も惜しんでつくったゲームをクソゲー扱いするなんて!」
「寝食惜しんでるからこんな限界人生ゲーム作ることになるんだろうが! ちゃんと食べてちゃんと寝ろ!」
「ほら、戸景先輩の手番ですよ」
「回せねえんだよ! ルーレットが! 消費者金融からの取り立てがすごすぎてあと三日は家から出れねえんだよ!」
あれからというもの、僕のルーレットはひたすらに都合の悪い数字を出し続け、友人の借金の連帯保証人になったり、女性関係のトラブルから妻と離婚して慰謝料を払ったりと、首も回らないほどの借金苦になっていた。
「だからご利用は計画的にって言ったじゃないですか」
「……すごろくなんだし、徳政令とかあると思うだろ」
「すごろくじゃありません。これは人生ゲームです」
「ゲーム要素がないんだよ!」
「じゃあなおいいじゃないですか! これは人生です!」
「人生なら生まれてこの方ずっとログイン中なんだよ。わざわざ盤面上でも世知辛さを痛感したくはない」
僕の反論に腹を立てたのか、三門の声も次第にヒートアップしていく。
「ああ、負け惜しみですか! そうですか! 人生負け犬先輩!」
「今まで言われてきた言葉の中で一番重い!」
「……二人って、相性いいっすね」
僕たちの口論を傍から見ていた間宮が、呆れ混じりの声で呟く。
「どこが!」「どこがだよ!」
「そういうところが」
とにかく。
とにかくだ。ゴールまでは僕が二十マス前後、三門は……僕の二マス先か。資金差は僕が借金をしている分絶望的に開いてしまっている。つまり、このままだと確実に負ける。
何かしらの希望の光を探すべく盤面上を睨んでいると、僕の現在地から五マス先の、やけに細かい説明書きのされたマスが目に付いた。
「宝くじ……か?」
「ほうほう、これは面白いマスを見つけましたね。確かに今の先輩がうちに逆転するにはそのマスくらいしかないでしょう。しかしですよ、進むマスはルーレットで決めるんです。確率として六分の一。果たして、先輩にそれが引けますか?」
ずいぶんと挑発してくれるじゃないか。
だがなあ三門。僕はこういう悪運は強い方なんだ。他人が望んでないことをしれっと踏み抜いてしまうことが多い人生だからなあ! ナチュラルボーンの地雷処理班、戸景日向とは悲しきかな僕のことだ!
「引く! 絶対に引くぞ!」
「見せてくださいよ、先輩の人生力ってやつを!」
そうして回したルーレットは、見事に『五』の数字を指して止まった。
「っしゃあ!」
「本当に止まった」
黒卯が驚きを声に出す。
だが、肝心の三門はまだ余裕を残していた。
「さすが、うちのライバルを名乗るだけはありますよ」
そんなものを名乗った覚えはない。
「しかしですね先輩、この宝くじマスは更に人生力が試されます。三回連続でルーレットを回し、全て同じ数字が出れば三億六千万円。六百三十万ある先輩の借金を返しても、うちの所持金以上の金額が手元に残ります。まあ正直、うちも冗談半分で作ったようなマスです。が、ここで大金を手に入れなければ……残りのマスから言って先輩に勝ち目はないでしょう」
「正に天国か地獄か、これで決まるというわけだな」
「そういうことです」
それも地獄の方が圧倒的に確率の高い賭け。
いいだろう、俄然燃えてきた。
「先輩もなんだかんだで、梓帆のテンションに乗っかんてんな……」
「最終局面」
ギャラリーの二人もそれなりの緊張感を持って僕たちの勝負の行方を見守っている。
ちなみに間宮も黒卯も三ターンほど前にあがっているので、これは三位と最下位を決める争いなのだが、そんなことはどうだっていい。
まず一回目、僕の回したルーレットは『六』を指した。
「縁起がいいな」
「ははっ、そんな不確定なものに活路を見出そうとするとは。先輩、耄碌しましたか?」
完全に悪役の顔面で三門が煽る。
え? 先輩に耄碌とか言っていいの? そういう疑問符も、今は遠くに押しやる。
そして僕が繰り出した二回目の『六』を前に、三門は平静を保っていられなくなった。
「はははは! あーおもろい! これだからゲームはやめられへん! でもなあ先輩、これはうちの産んだ子や。調子に乗るのはええけどなあ、大怪我するでえ!」
お前もう誰だよ。
いや、そんなふうに達観してる場合じゃない。
こいつは三門梓帆、僕の倒すべき敵だ!
「僕は僕の! 作業への燃えたぎるような執着心を信じる!」
らしくもなく大声を上げながら、僕はルーレットを力いっぱい回した。
ギャルギャルギャル! と今にも火花を散らしそうな勢いで回るルーレットは、しばらくした後、ピタリと止まった。
そう、『六』の目で。
「一等……! 先輩の手元に三億六千万円の臨時収入!」
すっかり実況者然とした口調で間宮が決定的な事実を読み上げた。
残りのマス数から考えて、これから三門が僕を逆転する手立てはない。
つまり、僕の逆転勝利だ。
「あ……え……。嘘だ……私の子が、そんな……」
三連続の『六』。それは確率にして二百十六分の一の小さな奇跡である。
三門が動揺するのも無理はない。
しかし、なぜだか僕にはこうなることが必然であったかのようにすら思えた。そう、僕が作業へ抱く熱量から導き出される結果は、これ以外ありえなかったのだ。
作業の神様、いるのかどうか考えたこともなかったけれどありがとう。
落ち込む様子の三門に、僕は敬意を込めて右手を差し出した。
「いい勝負だった。勝敗がどうであれ、三門がゲームを愛する気持ちは、間違いなく本物だよ」
ただその愛より、僕の執念の方がほんの少し強かったというだけだ。
「次は……負けへん!」
涙目になりながら、三門は僕の手を力強く握り、そのまま走って部室を出ていった。
おいおいすごいな。特大青春ドラマかよ。
目の前で起きた、あまりに劇的で現実離れしているやり取りと、女の子を泣かせた、という事実が今更になって僕の頭を冷やす。が、
「ああ、僕もだ」
ここは、素直に喜ぶべきだろう。それが三門に対して僕が払える、最大限の礼儀なのだから。
「先輩、やるときゃやるんすね」
少し見直したような態度で間宮が僕の肩に手を乗せる。お前の中の僕の立場はどうなってるんだ。
「……正直勝てるとは思ってなかったけどな。それより、早く三門のフォローに行ってやってくれ」
「敗者に気遣いする余裕まであるじゃないっすか。先輩、今度あたしとも勝負しましょう」
間宮は不敵な笑みを浮かべ、拳をポキポキと鳴らした。いったい僕となんの勝負をするつもりなんだよ。言っとくけど、僕は女子にも余裕で力負けするんだからな。小説に腕力はいらないんだ。
「じゃ、また明日!」
綺麗な金髪の残像が残るほど機敏な動きで、間宮は三門の後を追った。
「はあ……とりあえず、よかった」
「はい、よかったですね」
「うおっ! ……黒卯、まだいたのか」
独り言のつもりで吐いた言葉に返答が返ってきて思わず飛びのけてしまった。
「いますよ。私は戸景先輩のそばにいます」
「……? ああ、ありがとう?」
なんだ? 上手く言えないけれど、違和感がすごい。
「それより戸景先輩、まさか本当に自分が運だけで梓帆に勝てたとお思いで?」
疑念を抱く僕をよそに、黒卯は突然そんなふうに切り出した。