結果としてこの三人はこのまま作業部に所属することになり、なんとか廃部の危機だけは免れることになった。というか、体験入部期間で作業部の部屋まで足を運んでくれた新入生は、彼女ら三人だけだった。
味方がいなければ作業部は発足すらできなかったわけだが、存続すらも彼女の力がなければ叶わなかったということになる。あれ、僕が部長でいいの?
しかし、新体制になってから最初の部活動で、僕は早くも音を上げそうになっていた。
「次、かさねの番な」
カチャカチャと卓上の駒を動かしながら、間宮は黒卯を指さす。
「次で借金チャラにしないと、破産待ったなし」
深刻な面持ちで黒卯はルーレットを回した。『三』の目が出て、黒卯の駒は『新規事業への投資で二百万失う』に止まる。
手持ちの疑似紙幣を指の間から零しながら、黒卯の表情は絶望へと染まった。
「……自己破産、確定」
「あー、かさねんって運だけは本当に悪いよね」
「致命的、人生」
そう、彼女たちが興じているのは、すごろく形式で人生のシュミレーションができる、ある意味神の領域に踏み込んだようなシステムのボードゲームである。
つまるところ、人生ゲーム。
ああはい、人生ゲームね。
なんで? なんで人生ゲームしてんの? 今、部活中ですよ? 作業部の、作業するための、ねえ。
「……限界だ」
思えば体験入部のときから、こいつらが作業をしているところを見たことがない。
主犯格は三門だが、毎日ボードゲームやらトランプやらを持ち込んで遊びに興じているばかりで、全然この部活の本来の目的を果たしていないのだ。
「限界だ……とおっしゃいましたか?」
僕の独り言を聞きつけたらしい三門が、作業机の近くまできてそう訊ねる。
「それは、戸景先輩も参加したい、という意味ですよね」
「すごい解釈だ。勉強になるよ」
「お褒めに預かり光栄です。それでは先輩は黄色の駒で」
「やらない」
「仕方ありませんね……今なら奥さんに、子ども二人までおまけしてあげますよ」
「いらないし、初期から子持ちだとデメリットの方が大きいだろ」
「穴を見つけるのがお上手で」
「掘るのが下手なんだよ」
もう一週間弱一緒に放課後を過ごしているのだ。会話をすること自体にはかなり慣れてきた。
しかし慣れないのは、こいつらのマイペースさというか、傍若無人ぶりというか、口先で先輩と呼ぶばかりで実際のところ僕に敬意なんか微塵も払っちゃいないところというか。
とにかく、今のままでは共存していけない。和気あいあいと盛り上がっている横で執筆なんて集中できるわけがないし、そもそも先にこの部活を作ったのは僕だ! 理性を持った人間社会だぞ! 弱肉強食ではなく年功序列であるべきだろうが!
「うちらの中に入りたかったら本当にいつでもええんですよ。あっ、いいんですよ」
三門は最近、僕に対してのみ、標準語がグラグラになってきた。味方の前では、ほとんどボロを見せないくせに。
ちなみにその味方は今日欠席だ。そもそも彼女はバドミントン部に所属していて、その掛け持ちというかたちで作業部の設立を手伝ってくれていた。
無事基準値以上の部員を獲得できた今、味方は週に一回か二回、少し顔を見せに来る程度になっていた。
ちょうどバドミントン部の大会も近いという噂も聞いているし、当然のことだろう。
「ありがとう。じゃあ混ぜてもらおうかな」
「あっ、えっ?」
なんなんだ。誘っといて引くなよ。
だがまあその動揺はあながち間違いでもない。これは敵情視察、というやつだ。
作業部の部室の半分以上を占領して勝手に『ボドゲ部!』をやっているお前らのどこに『作業』へと繋がる金脈があるのかを探ってやる。
趣味は、夢は、目標は。それらを手にするためには『作業』がいるだろう? その情報さえ掴めたなら、僕の安寧もすぐそこだ。
「あ、戸景先輩」
「何? 先輩もやるんすか?」
相変わらず黒卯は感情の読み取れない声をしていて、間宮に関しては未だに先輩と呼んでくれているのが奇跡に近いくらいの馴れ馴れしさだった。
嫌われるより全然マシなんだけど、マシなんだけどさ。
「戸景先輩は途中参加なので、最初にルーレット四回回していいですよ、あと奥さんと子どももプレゼントします」
三門が配慮の提案をしてくれたので、僕は素直にプラスチック製のルーレット盤に手をかけた。
『三』。
「あ、初任給ですね。十九万円現金手渡しで、残りは指定口座に振り込まれました」
あっけらかんとした様子で三門が告げる。
「……妙に生々しいな。この人生ゲーム、銀行とかあるのか」
「ありません。実質的に端数切り捨てです」
僕の独り言に黒卯が指摘を入れる。
「隠れてないな、社会の闇」
『二』。
「主任からの理不尽な叱責に落ち込んでいる帰り道、公園を見つけました! ブランコに乗り、力なく揺れながら携帯で友人のSNSを見ていると涙がこぼれ落ちます。『センチメンタル』をゲットです」
「まだ出だしのところのはずなんだが、限界が近いな僕の人生」
言葉通り、『センチメンタル』と書かれたプレートが三門から手渡される。これ、なんの役に立つんだ。
『四』。
「お、ボーナスですよ。想像よりも少ない金額に肩を落としますが、その月に車検があったことをすっかり忘れていたため後にその有難みを痛感することになります。プラス十三万円です」
『六』。
「同窓会に誘われます。が、子持ちである場合、金銭面、もしくは配偶者の負担を考え欠席します。それをSNS上であたかも夫婦関係の模範的行いであるかのような文面で投稿し、三桁台の高評価を得ます。以後、この経験があなたの人生の中で数少ない成功体験として心の支えに……」
「ちょっと待ってくれ」
「あれ、どうしました?」
心底不思議そうな顔で三門は首を傾げる。
なんでそんな顔ができるんだ。
「この人生ゲーム、もしかして自作か?」
恐る恐る僕が訊ねると、三門は目を輝かせながら立ち上がった。
「そうです! 何を隠そうこの『等身大リアル人生ゲーム』は、うちが三日かけて作ったんです!」
僕は衝撃を受けた。
それは、こんな子どもの楽しむボードゲームという媒体の極地にあるような代物を三門が作り上げたという衝撃というよりも、三日もかけて、つまり膨大な作業をして、彼女が一つのものを作り上げたという事実そのものに。
「毎日家に帰ってからコツコツと、そりゃあまあ大変やったんですけど、うちゲーム好きやから、ずっと楽しかったなあ。でもやっぱ、遊んでもらうのが一番やわ」
よほど気づいてもらえたのが嬉しかったのか、三門は完全に標準語が終わってしまっていた。
と、いうよりだ。
「部活でやれよ」
「はい?」
「いやだから、その作業、部活でやれよ」
「いやいや、これはもう趣味みたいなもんですから! 部活動の時間まで使わせてもらうなんて!」
「そのわりに実践は部活の時間でガンガンやってるな。……とにかく、作業することがあるならいくらでもやってもらえると助かる。それがこの部の存在意義なんだよ」
「とはいえ、ですね……」
まだ三門は何か気がかりがあるようだった。
そのとき、ドンッという音が部室に響く。それは間宮が人生ゲームの広げられた机を両手のひらで叩いた音だった。
「昔っから決まってます。人間、意見が分かれたときは正々堂々、勝負したらいいんすよ」
まるで少年漫画のような論調だが、確かにわかりやすい。
「……ああ、そうだな。この人生ゲーム、僕が買ったら部長権限で三門にはゲーム制作作業を部室でもやってもらう。三門が勝ったなら、これからも好きなタイミングで作業をしていいことにしようか」
「いいでしょう。ですが戸景先輩、まさか初プレイのあなたが、製作者であるうちに勝てるとでも?」
想像以上に三門はゲーム脳らしい。絵に描いたような魔王面でそう訊ねる彼女には、どこか貫禄のようなものまで覚えてしまいそうになる。
「勝つしかないなら善処するさ」
ただな、三門。
こういうときに勝つのは、勇者サイドと決まってるんだよ。