『いや、無理だろ』
土方たちの提案を、中隊長が言下に否定した。
「なんでだよ!」
左之助が食ってかかるように言った。
『政治的な理由による士官の釈放には、閣僚何人もの許可が要る。ただでさえ戦後処理でごたついてるんだから、すくなくとも一ヶ月はかかる』
「しかし」
土方が渋い顔で言った。
「イーアドがカリフ国の隠れ家を知っているなら、潰しておかないとまずくないですか?」
『興味がないのさ』
中隊長室の机のむこうで、彼女はひび割れた窓を見ながら言った。
『報告はするが、望みは薄いだろう。いたちごっこだということをお偉方もよくわかっている。イーアドが嘘をついて逃げようとしているのかもしれんし、元カリフ国地方司令官と三人の人質を秤にかければ、どっちが重いかは言うまでもないだろう』
「そんな……」
平助が落胆したようにつぶやいた。
『いちおう食事に自白剤は混ぜてみるけどな』
中隊長がさらりと言った。
「怖っ」
と、誰かが聞こえないくらいの小声で言った。
『だが、G9の監視下で無理な尋問はできん』
「だからイーアドを連れ出すだけでいいんだ。人質の命がかかってるんですよ」
と、土方はなおも言った。
『めずらしくないことだ』
きい、と椅子を回して、中隊長は土方とむき合った。
『みんな慣れてしまった。お前たちが慣れていないだけだ』
しばし沈黙が降りた。
土方がふたたび口を開きかけたところで、
――みゃ。
猫の声がした。出鼻をくじかれた土方がぐるりと振りむくと、沖田の脚にぶち猫が首をなすりつけていた。風通しをよくするために開け放してある扉から入ってきたらしい。
「いま大事な話をしているんですよ」
沖田が微笑して言った。
「むこうで待っていてください」
と沖田がソファを指さすと、ぶち猫は言葉がわかっているかのように素直に従った。ソファの上に優雅に飛び乗って、
土方は不思議そうに沖田を見た。
昔からわかっていたことだが、どうもこの青年は人間離れしているところがある。さっきも平気で土方とイーアドを決闘させようとするし、仙人のようなところのある沖田は、下界の
「何か?」
もの言いたげな土方の視線に気づいて、沖田が訊いた。
「なんでもねえ」
土方はそう言って中隊長にむき直った。
だが、中隊長はソファに行儀よく座るぶち猫を、ほほえましい目つきで見ている。
「あの」
『なんだ』
中隊長はいつもの冷酷な無表情に戻った。
「……それでは、おれはひとりでイーアドを連れ出し、ミューたちを助けます」
中隊長はすこしだけ驚いた表情になって、
『馬鹿か。殺されるぞ』
と言った。
まず軍規がそれを許さないだろう。人質を助けるどころか、イーアドを捕虜収容所から出そうとした時点で反逆者として銃殺されてしまう。
土方は落ち着いた声で、
「自らの信じる義に、潔く死ぬことが武士道だからです」
と言った。
中隊長は考えこむように黙った。
ちらりと、左之助を見た。
「……まっ、しゃーねーわな」
左之助は頭の後ろで手を組んで、明るく言った。
「おれも土方っつあんに乗ったぜ。軽く人質を連れ戻してくらあ」
そして隊士たちから、「やりましょう」「トシさんに賛成です」「義は数あれど、おれの信じる義はひとつだけだ」といった声があがった。
『馬鹿ばっかりだよ』
中隊長は、処置なし、といった風に首を振った。
そして覚悟を決めたように言った。
『――二日待て』
二日後、新選組は朝一番に呼び出された。
隊士たちが顔をみせるなり、中隊長は土方にむかってジープのキーを投げた。
ぱし、と土方は片手で受け取った。
「……これは?」
『八人乗りジープのキーだ。イーアドを入れるとだいぶ定員オーバーだがなんとかしろ』
土方は、腰を折って深く礼をした。
「……感謝します」
中隊長は無表情で続ける。
『お前たちはイーアドを尋問中に取り逃がしてしまい、傭兵契約を解除されることになる。その書類はもう作った。捕虜収容所の兵士は私の部下と交代させておいた』
「ありがとなっ」
左之助が、なにも考えていないような明るい声で言った。かれにはめずらしく鼻声だったから、無理をしていたのかもしれない。
「ぜってー人質助けて帰ってくるかんな」
『馬鹿』
中隊長は、皮肉っぽい笑みをみせた。
『もう軍の支援は受けられん。無理だとは思うが死ぬなよ』
――そして、私まで疑われるだろ、と言ってさっさと新選組を追い出してしまった。
かれらの後ろ姿は、英気に満ちていたが、いかに残党とはいえカリフ国を相手にして無事で済むとは思えなかった。
中隊長は割れた窓から空を見て、ため息をついた。
しんとした沈黙が降りている。
やがて、
『気持ちのいいやつらだ』
ひとりごとを言った。
続けて、
『だが、いいやつはみな死ぬ』
とつぶやいた。
部屋のなかに視線をもどせば、ぶち猫はソファで毛をなめて身づくろいをしていた。
中隊長は机の引き出しを開けた。そこにはカリカリが入っている。
彼女は猫が好きだった。
なんの前触れもなく姿をみせる猫を見ると、もう会えなくなってしまった連中が、ひょっこり戻ってきたような――そんな気がするせいかもしれなかった。
カリカリを手にぶち猫に近づいていった。
ぶち猫が中隊長の手から餌を食べはじめる。
『お腹すいてたのかなー。舌ざらざらだなー。よしよーし痛い痛い痛い』