02 砂漠

 その日、市中にはめずらしく日和雨そばえが降った。

 町人たちが雨に濡れまいと小走りに行き交う五条通りを、威風堂々たる集団があるいてくる。空色のだんだら羽織が、濡れてなおあざやかに古都の街なみに映えている。


 京都守護職御預、新選組――。


 土方は口を真一文字にむすんで、不逞ふてい浪士はいないかと底光りする瞳を走らせている。

 沖田は土方の顔を見て、またぞろ下手な俳句でもひねっているんじゃないかと思っている。晴天の雨は古来より天の思し召しであるとして、漢詩などで詠まれてきた題材である。

 そのあとには、原田はらだ左之助さのすけ藤堂とうどう平助へいすけ斎藤さいとうはじめ山南さんなん敬助けいすけがつづき、十名の隊士たちが脇をかためている。


 そうそうたる面々である。

 無理もない。

 元治元年七月。このころ、攘夷浪士たちのあいだで挙兵論が沸きたっている。長州藩が挙兵するだろうという予測は、ほぼ確実視されている。

 王城守護を任務とする新選組は、休むひまもなく市中の警護にあたっている。新選組の主だった剣客を引き連れた市中巡察は、京都に住むひとびとに幕府の権威をしめすという目的もあった。


 雨が、あがった。

 五条大橋に虹がかかっている。

「見事な虹だなあ」

 沖田は、すこし少年っぽさがのこる声で感嘆した。

「ふん」

 土方はおもしろくもなさそうに、

「総司よ、そばには土州としゅう藩邸はんていがあるんだぜ。空ばかり見てるんじゃねえ」

「またまた。トシさんこそ一句ひねってるんじゃないですか」

「馬鹿いうな」


 空色の羽織を着た集団が、虹のかかった橋をわたってゆく。

 そのとき、七色の光が新選組をつつんだ。

 ふわり、と隊士たちの体が浮いた。いかなる力が働いたものか、隊士たちは天地がさかさまになるような感覚をおぼえた。

 誰かのさけび声が聞こえる。平衡感覚がうしなわれて、意識がなくなってゆく。

 隊士たちの意識が途絶える寸前、異国の言葉が聞こえた。

 聞いたこともない言語だったが、隊士たちはなぜかその言葉が、「戦え」という意味であると理解できた。



 そして、じりじりと肌を刺す日差しに目をさました。

 新選組の面々が気づいたとき、かれらはどことも知れない荒れ地にほうりだされていた。


 ――蒼天の空のした、見わたすかぎり岩と砂地がつづいている。

 まれに背のひくい立木が生えているだけの、一面の荒野だった。

 十名の隊士たちは騒然としたが、修羅場をくぐってきた新選組幹部たちはさすがに落ちついていた。


「毒を、呑まされたのでしょう」

 隊内きっての頭脳派、山南敬助が言った。

 そう考えれば合点がいく。巡察中は飲み食いしていないから、屯所とんしょで茶かなにかに毒を盛られ、昏倒したところを連れてこられたのだろうと、山南は推測した。

「さっすが山南さん。眼鏡をかけてるだけのことはあるぜ」

 と、年少幹部の藤堂平助が、的はずれな感想を言った。


「しかし」

 土方は腕ぐみをして、隊士たちを落ち着かせるような口調で、

「おれたちは京に帰らにゃならん。隊務があるし、みな心配しているだろう」


 ここはどこか、という議論がはじまった。

 真夏のような日差しであることから、ずっと南方の地であると山南は主張した。異国の地かもしれないとまで言ったが、みなに一笑に付された。

「聞いたことがある」

 土方があごに手をあてて、

「鳥取藩のおさめる因幡国いなばのくにの地に、見わたすかぎりの砂地があるらしい。そこに連れてこられたんじゃねえか」


「それだ!」

 槍術つかいの原田左之助が、憤慨したように槍で地面をたたく。

「鳥取藩のやろうは長州びいきだぜ。そうにちげえねえ」

 十人の隊士たちからも、その説に賛同する声があがった。

「なんと卑怯な」「長州のやつら武士じゃねえんだ」「それにしても暑いですな」「羽織を日よけにすっか」「やめたほうがいいと思うぜ」

 普段から無口な斎藤一は、ただこくりとうなずいた。


 沖田はひとり、足もとの石など蹴っている。

「おい総司、お前はどう思うんだよ」

 土方が訊いた。しかし沖田は飄々とした声で、

「私は論じあうのは好きませんからね。尊皇佐幕の議論には飽きちゃった」

「そういう話でもねえと思うが」


 喧々諤々《けんけんがくがく》とした議論の結果、新選組の十六人は、因幡国の砂地に連れてこられたのだろうという線で決着がついた。

 ならば、東である。

 京へ帰る。

 毒を呑ませた犯人の思惑はわからないが、殺すつもりならばとっくにやられているだろうと推測し、かく、因幡国からみて京の方角へむかうことにした。


 行軍である。

 しかし、暑い。先だっての日和雨で濡れそぼった羽織が、またたく間にかわいていった。

「ぜってぇ初夏の日差しじゃないよなあ」

 羽織の袖を天にかざして、藤堂平助が愚痴を言った。

 湿気がすくなく、からりとした天候なのでそれほど不快ではないが、真夏のような日差しが首や腕の肌を焼いている。


「おかしいですね」

 山南が誰にともなく言った。

「因幡国の砂丘は、こんな岩地ではないはずなのですが」

「別の場所なんじゃねえか?」

 藤堂平助がだるそうな声でこたえた。平助は身の丈四尺二寸ほどの小兵なので歩幅がせまく、足をちょこまかと動かさなくてはならない。

「そうかもしれません。たとえば異国とか」

「腹の減りぐあいからして、異国に連れられるほど時間は経ってねえよ」

 山南はくすりと笑い、

「平助の腹時計は正確ですからね」

「応よ」


 行軍で隊士たちも疲労の色が濃くなってきた。

 そのなかで沖田だけが、汗ひとつかかずに平気の平左であるいている。先頭をゆく土方にちょっかいをかけては、叱られて嬉しそうにしている。

「あいつは化け物かよ……」

 肺を病んでいるといううわさが隊内で立っていたが、そんなそぶりは一切みせなかった。

 さらに進んだとき、土方が隊のあゆみを止めた。

 前方の丘に、黒い覆面すがたの人間があらわれた――。