シエラ編

 参加者名簿に記載されている名前はシエラ。彼女の識別記号である。本名は早乙女さおとめハルヒという。幼い頃に不慮の事故で両親を亡くした彼女は、親戚に断られ、残されたと共に孤児院へと預けられた。姉妹は支え合いながら、善き大人たちと仲間に囲まれ、すくすくと成長していく。



 前回とほとんど同じじゃないかって?


 もう一度言おう。と共に孤児院へと預けられた。である。ここから先のの話は、すでにみなさんご存知でしょう。


 シエラは手術台の上で目を覚ました。術衣の男が「おめでとう!」と、ゴム手袋をしたまま拍手する。助手の男も、看護師の女も、まばらに拍手をした。その「おめでとう」は、新たな人生の門出を意味するものだ。これまでの人生を強制終了して、別の生命体として生きていく。


 誕生を祝うものである。


「キサキちゃんは?」


 上体を起こしたシエラは、まずの所在を訊ねた。しかし、妹はもうシエラにとっての妹ではない。シエラに妹がいてはならないので、周りの人間はざわついた。世界を救うヒーローは、天涯孤独でなければならない。古今東西、そういうものなのである。


「メモリーの消去がうまくいっていないようだな……いやあ、困ったねえ……」

「どうしましょう」

「戦闘データで上書きできないものか」

「やってみます」


 シエラの記憶はここで一旦途切れる。


 次に目覚めた彼女は、まぎれもなくヒーローであった。正義の味方として、この世に蔓延るを成敗する改造人間。彼女は警察組織と協力し――彼らには「冷酷無比な殺人マシーン」と陰口を叩かれながらも――我が国の法律を遵守できぬを、一匹残らず叩き潰していった。敵のアジトに単身で乗り込んで、かすり傷ひとつで戻ってくる。今日も大手柄である。


「おねえちゃん!」

「?」


 自分が呼び止められた気がして立ち止まり、振り返る。そこにいる少女が言う『おねえちゃん』が、自分ではなかろうかと。


「なーに?」

「今日はアイス食べて帰りたいな」

「暑いもんねぇ。……あっ、そうだ! シックスティーンアイス、寄らない?」

「ピエロのおじちゃんのいるお店?」

「そう!」

「わーい!」


 少女は別の女性に手を引かれて、シエラを追い抜いていく。


「……」


 こういった経験は一度や二度ではない。その度にシエラはポケットにしまっているタブレット菓子を一粒手に取って、ガリガリと噛み締める。ミントの味が、雑念ごと胃の中へ追いやられて、溶けていくような感覚があった。


「さて」


 正義の味方は忙しい。次のターゲットに関する情報がスマートフォンに飛び込んでくる。出前の配達員のように、彼女はバイクに跨って、その現場へと向かっていった。


***


「どーも、お嬢さん」


 埠頭にて。バイクでやってきたヒーローを、その男は「お嬢さん」と呼んだ。彼はみなさんご存知のナイトハルト(男)である。彼女は知らない。


「依頼者か」

「うん、まあ、そうなるかな」

「依頼は」


 彼女は忙しい。いつ警察組織から緊急の連絡が来るか、気が気ではないのだ。悪は年中無休で発生するので、四六時中、北は北海道から南は沖縄まで、どこへでも駆けつけられるように気を張っていなければならない。なので、ナイトハルト(男)から「まーまー、世間話をしようよ」と持ちかけられて舌打ちした。


「こわっ」

「依頼は?」

「オーディションに出てほしい。三ヶ月後に行われる『ウランバナ島のデスゲーム』の。賞金は一億」


 その『ウランバナ島のデスゲーム』について、彼女も知らないわけではない。警察組織のほうでも話題となっている。我が国にはという法律があるのである。


「ほう?」


 出場するか否かというと否のほうにあった。正義の味方として働く彼女には、代わりがいない。もちろん改造人間は他にも製造されているが、改造手術によって爆発的な力を行使できるようになったのは彼女ぐらいなものだ。成功率が極めて低い。その力を正義とできるのも、彼女しかいなかった。力に溺れた成功例を、彼女は倒している。


「この大会はチーム制だけど、お嬢さんは一人でも戦えるんじゃねェの?」

「まあな」

「お嬢さんは強いから、鍛えなくとも最後まで生き残るよな」

「断る」


 彼女は一度外したヘルメットを被り、バイクに跨った。


「待ってくれ!」


 引き留めようとするナイトハルト(男)に「メリットがない」と言い捨てる。賞金はいらない。警察組織からの協力感謝金は、バイクの整備費と日々の食費といった最低限のものを差し引いて、孤児院へと寄付していた。


「オマエは妹に会いたくないか!」


 妹。


「妹はいない」

「妹のほうは、ねえさんオマエに会いたがっている!」

「妹はいない」

「生き残れたら、妹のことを教えてやるよ! おまえは改造手術で、記憶を上塗りされている! 会えば思い出す!」


 シエラはバイクを発進させた。

 そして、数日後、この『ウランバナ島のデスゲーム』のオーディション会場に現れるのである。


***


 真柄レンの厳密には真柄レンの家ではないのだが、ウランバナ島での居宅としている家には、シエラとベアーもいる。真柄レンの家のテレビは『ウランバナ島のデスゲーム』の中継映像を流していて、現在はドキュメンタリーパートとなっていた。



 シエラはトランシーバーを取り出す。


「ねえ」

『なんだよ! 今交戦中だっつーの!』

「今話したいの」

『あとにしろ!』

「あなたの『ねえさん』の話なんだけど」

『あ? なんつった? こっち銃声で聞き取りにくいんだからもっとでかい声で喋れよ!』

「あなたの『ねえさん』は、ここにいる」

『は? だからこっちは戦ってんだよ! 切るぞ!』