「やあ」
扉を開けたら、知り合いがそこには居た。
「やっと来てくれたんだ、ジオさん」
「やっと落ち着いたって、連絡をありがとう、ケンネル」
さあさあ入って、とケンネルは知り合いを中へと招き入れる。無論その際、周囲をちら、と見渡すのを忘れはしない。もっとも、見渡してそこに誰かの視線があろうが、この男は客人は中に入れるのだが。
首府郊外にあるその一軒家に、科学技術庁長官ノーヴィ・ケンネルが越してきたのは、つい一週間前だった。ずっと空き家だった、というその家は、いくら一つの庁の長官の家とは言っても、一人暮らしには広すぎる程だった。
実際、この客人も、入ってすぐに、高い、三階まで吹き抜けの天井と、取り囲む二階三階の廊下に見える扉の数に呆れた。
「君、本当にここに住んでいるの?」
「まあね。まあだいたいは物置になってるけど……」
それはそうだ、と客人はうなづく。
「本と、鉱物標本だけでもずいぶんな数だったからね、あの時君が持ち出したのは」
「必要なものだったら、やっぱり持って来なくちゃいけないでしょう? フアルト助教授」
「その名は止してくれ、とあの頃も散々言ったろう?」
ジオは顔をしかめて手を横に振る。
「すいませんね。だけど俺にとっちゃ、あなたはジオという名より、そっちのほうがぴったり来るんですよ。ゼフ・フアルト助教授」
そしてその後に、ケンネルはすみませんもう言いません、と付け加える。ゼフ・フアルトと呼ばれたジオは、苦笑するしかなかった。
「それより、君がわざわざ僕を探して呼び出した理由を聞きたいんだけど? 科学技術庁長官どの」
「そう、そこなんですよ」
ケンネルはぴ、と指を一本立てた。
*
ケンネルが最初にゼフ・フアルト助教授に会ったのは、もうずっと昔のことだった。まだ士官学校に居た頃だった。
正確に言えば、「会った」訳ではない。「見た」のだ。
まだ若かった。若いなんてものじゃない。まだほんの子供だったのだ、と後になって彼は思ったものである。
士官学校は時々外部の大学から講師を招いて、専門の授業をする。その年は、隣市のベグランの大学から、地学の助教授がやってきていた。
しかしまだ子供の延長だったケンネルにとって、その「助教授」はひどく若く見えた。首府でよく見る「教授」や「助教授」というものは、皆四十五十と歳を重ね、ある遊び友達の担当教授は、八十を越えたご老体だとも聞いていた。
なのに、だ。彼はその時少なからず驚いていた。
フアルト教授は、どう見ても、二十代の真ん中だった。それは理屈で考えてどう歳を食わせてみても、という意味である。外見はもっと若かった。下手すると自分達を指導する先輩士官候補生のほうがよっぽど老けて見えるくらいだった。
したがって、そんな若い助教授に対し、生意気盛りの士官学校の生徒は、かなり侮っていたと言える。実際、地学など何の役に立つのだ、という生徒が大半だったのだ。ケンネルも元々そのくちだった。
だがしかし、その助教授が講義を始めた途端、彼はあっけにとられている自分に気付いた。地学など、それまでの初等学校や中等学校の予科で学んだ限りでは、大して面白いものではない、と思っていたのだ。
無論ケンネルは、そんな面白くないとは思っていたとしても、成績は良かった。その程度には要領は悪くなかった。文系よりは理系の頭をしている、と自分自身のことはよく知っていたから、良くできることに関しては、とりあえずその力を周囲にも示していた。
その程度でしか、無かったのである。だが。
「例えばこの大地をこの建物と同じくらいの深さで掘り進めると?」
助教授は彼らに対し、言葉を投げる。
「眠る地層の中には、その時々の歴史が全て詰まっている」
だから、それを調べて行くことは、星の歴史をひもとくことなのだ、と言葉を続ける。何てクサいことを、と彼は当初あっけに取られた。呆れたロマンティストだ、と思わず持っていた鉛筆を口にくわえてしまった程である。
ところが、その季節限定の講義に毎回出席するごとに、ケンネルはどうも自分の調子が狂うことに気付きだしていた。
*
「特に、あなたがライの話を始めてからでした」
「そう、そんなことを僕は言ったのかい」
ぱら、と本棚に無造作に置かれていた一冊の本のページを繰りながらジオは乾いた声で言う。
*
フアルト助教授の講義に特別な熱が込められだしたのは、話がこの居住惑星アルクのことから、ライのことに移ってからだった。
地形や気候、おおよその大気の流れなど、一通りのことをさらってから、フアルト助教授はテキストをいきなり閉じた。そして、教壇の机に両手をつくと、口元に笑みを浮かべて、こう言った。
「しかし、こんなことは、結局外側に過ぎない」
ケンネルは驚いた。テキストを閉じてしまったことももちろんだが、むしろ彼の驚きは、助教授のその表情にあった。まるで、宝物を見つけた子供の様な顔だったのだ。
「まだまだ、ライには解明されていない部分が多くある。例えばここに記された鉱物にしたところで、それはまだ今の時点で判明しているものにすぎない」
それを聞いた途端、ケンネルは思わず手を挙げていた。助教授は何だい、と穏やかに問いかけた。彼は勢いよく立ち上がり、訊ねていた。
「それでは、まだこれからの研究次第で、もっと新しい発見ができるということですか?」
するとフアルト助教授は、大きくうなづいた。
「発見。そう発見だよ。あの惑星には、まだまだそういう要素があるんだ」
「それでは、先生はいつか、ライへ渡ってその調査をなさるおつもりでしょうか」
助教授は少しばかり困った様な顔になり、首を傾けた。そして少し考えると、こう言った。
「それは難しいことだね」
*
「実際、難しいことでしたね。ライには普通の研究者が行くことはそうそうできなかった」
ケンネルは机の上に座ると、足を組む。ジオは持っていた本をぱたんと閉じた。
「そうだね。僕の記憶はともかく、『知識』もそう言っている。鉱物資源の産出は、記憶を失った政治犯だけに政府はさせていた。誰も皆、ほとんどの者が、『知識』にも鉱産資源の内容はさっぱり判らない。これはどういうことだと、君は思っていた?」
「あの頃は、何も考えてませんでしたがね」
そう言って、ケンネルはポケットから煙草を出して火をつける。
「軍の研究所に入って、俺もだんだん見えてくるものがありましたよ。ライの資源は帝都相手の政治にも必要なものであるはずなのに、奇妙なくらいに、一般の研究者は手をつけようとしない。俺は士官学校卒業した後に、一般の大学に入り直すこともできたんですが、そのあたりに気付いたんで、そのまま研究所入りを受け取ったんです」
そうらしいね、とジオはうなづいた。
*
講義は短期間のものだったが、ケンネルの中に様々なものを呼び起こしたことは確かだった。だがその時点では、まだそれが自分の行き先を決定するとは考えていなかった。
それを決定づけたのは、卒業の前の年の事件だった。
その年、卒業して研究所に在籍する様になってから起きた「水晶街の騒乱」よりは小規模ではあったが、一つの騒乱がベグランで起きた。
実際、規模は大したことは無かった。参加した人数も多くはなかったし、軍や放送局が占拠される等の具体的行動に発展する前に、参加者が拘束されたことで、事態はひどく軽く終わったのである。
ただ、その騒乱が人目を引いたのは、その参加者の顔ぶれだった。ケンネルはその時、目を大きく見開き、食い入る様にその顔ぶれが勢揃いした新聞のフォートをにらみつけた。その新聞は、後輩で友人のテルミンが入手したものだった。
これ、あの時の講師ですよね、と一年後輩の友人はわざわざ早朝、塀を乗り越えて新聞を買ってきてくれたのだ。ケンネルはそれをほとんど奪い取る様にして広げると、思わず嘘だ、とつぶやいていた。
そこには、ベグランの大学や中等学校の講師や教師の名前がずらりと並んでいた。教育に携わるものの凶行、とその新聞の見出しはうたっていた。
嘘だ、とケンネルは繰り返しつぶやいた。
いくら目を閉じても、また開ければ無駄だった。そのメンバーの、首謀者の中には、ゼフ・フアルトの名前があったのである。