「相棒も、かなりの馬鹿だったけど、でもあれは、天然の馬鹿という奴だったから、ゲオルギイの様な悪意のあるのとは違うさ。時々壊してやりたいと思うほど、天然だったよ」
「壊してやりたいって、思った?」
「思ったね。俺さ、ケンネル、別にゲオルギイが最初って訳じゃあないよ? でも女とやったことが無い訳でもないけどさ。嫌いじゃあないよ、こうゆうことは。ゲオルギイは好かなかったけどさ。あの野郎は、俺にこうゆうことしなかったら、結構いいおっさんだったかもしれないけどさ、何だってそういうこと、考えちゃうんだろね」
「人間ってほら、皆馬鹿だから」
「その中にはお前も入るでしょ」
「そりゃあ当たり前。俺もかなりの馬鹿でしょう」
くすくす、とヘラは笑った。
「ただあんたに惚れたことは、前の首相閣下も馬鹿だったね、と思うよ」
「だけど、奴は俺の相棒を約束通り生かしてはおいたらしい。それだけは感謝してる。それと奴を陥れたのとは別だけどさ。相棒は、俺が唯一、やりたいと思った奴だからさ。俺が、だよ?」
「へー」
ケンネルは軽く、だが心底意外そうな顔で、ヘラの方を見た。
「何その顔」
「それさ、聞いてもいい?」
「何を」
「それはさ、あんたが抱かれたいと思ったってこと? それとも、あんたが」
「後の方さ」
ヘラは当然のことの様に言った。
「そんなに可愛い奴だった訳? あんたのその相棒っていうのは」
「可愛かったね。別に俺より小さいとかそういうのじゃないさ」
「そりゃあそうでしょう」
ぺん、とヘラは相手の頭を、指を思い切り広げた平手ではたく。
「痛いじゃないの」
「はたかれる様なこと言う奴が悪い。そりゃそうだ。俺の様な美人がそうそう居るかって言うの」
「自分でそんなこと言う?」
「俺は言ってもいいんだよ。俺は総統閣下さまさまなんだから」
「それはともかくとして」
「何でそこではしょるんだよ」
「それはともかくとして、あんたにはその男は可愛かった訳ね。どんだけ図体がでかかろうと」
そう、とヘラはうなづいた。
「俺だけじゃあなかったさ。でも俺と違って、別に、外見は普通のにーちゃんだったから、本人、何も気付いてないの。俺はさ、こうゆう見かけだから、周りもそういう目で見るし、俺は俺で、そう見られてるってのが判る。だからそれを時には利用してやることもできる。色仕掛けだって使える」
「やられた方は不幸な巡り合わせって訳?」
「お前どの面下げてそんなこと言う訳?」
「こんな面」
べー、とケンネルは両手で顔を引っ張った。ぷ、とヘラは吹き出す。
「お前本当に科学技術庁の長官?」
「あんたが総統閣下である程度には冗談だよ。それで、その彼氏は本当に、何も気付いてなかった訳?」
「全く。故郷がそういうとこだったんだろうね。辺境から配置換え出来て街の方に出られたら、いい女の子見つけてどーの、なんてすごく真っ当なこと言ってた。自分の資質をちゃんと見つけてからそんなこと言えって言うの。俺には判ってたけどさあ」
「それで、あんたは行動に移した訳?」
いいや、とヘラは首を横に振る。
「何で」
「俺に聞いたってそんなこと判るかよ。別にさ、俺は気に入った奴には結構適当にやらせてやったこともよくあるし、別にそれがどうってこともないことは知ってる」
「暇つぶしとか?」
ふふん、とヘラは上目づかいに笑った。
「ま、ね。だから俺は、正直、どーだって良かったんだ。何もかも。滅茶苦茶強烈に生きたいとか何とやら思うことも無かったし、けど死ぬのも馬鹿ばかしいし、俺がそんなとこで死ぬのも嫌だし、そんなの、悔しいやら憎らしいやらあるから、前線では何とかして生き残ってきて、気が付いたら、何かやけに強くなってた」
「ふうん」
ケンネルはそう言って、細い腕を取る。
「そうは全然見えないけど?」
「お前一人くらい、すぐに殺せるけど?」
くくく、とヘラは笑う。
「それも、面白いけどな? 総統閣下、ご乱心か」
「心にもないことを。よせよせ。殺すよりは、お前にはキスする方が面白い。跡がすぐつくし」
「それはどうも」
そして言葉の通りに、ヘラは相手の頬にキスを落とす。
「それで、その相棒は、どう可愛かったの?」
「何って言うか、馬鹿だったよ」
「へえ」
「頭はいいんだけどさ、時々それが変に空回りしてすべる。考えすぎて、簡単なことまで難しく言ってしまったりして、周囲をしらけさせる。だけど本人はひどく真面目で、俺はそういう奴を本当に馬鹿だなあと思いながら見てる訳だ」
「何かその図が目に浮かぶね」
「だろ? なのに、あの馬鹿は、銃を取らせると本当に滅茶苦茶強い訳だ。この落差に皆訳が判らなくなる。言葉はいつも的を外してたのに、銃の的は外さない。それでいて、人を殺すのが大嫌いで」
「それでよく生き残ったね」
「人殺すのが嫌いだから、銃の腕が上手くなったんだよ」
「と言うと?」
「とにかく足とか手とか、じゃなかったら持っていた銃しかし狙わなかった。致命傷になる頭や心臓や腹はとにかく避けてた。それで動きが止まったら、とにかく後はすばやく動いて、次へ次へと足を進めていた。俺なんかとは違う」
「あんたはどうだったって言うの?」
「俺?」
ヘラは目を伏せる。
「俺は別に。自分が生き残るのが一番なのに、そんな、人のことなんか考えてられるか。足を撃たれても、手が銃の引き金を引くかもしれない。手をやられても、口で手榴弾の信管を抜いて道連れにされることだってあるんだ」
「容赦なく」
「そう、容赦なく」
「怖いね」
「そう、俺は怖いんだよ」
「そんなあんたが、どうしてゲオルギイ首相を殺してでもここを出なかったか、俺は疑問に思ってもいい?」
「いいよ。でもお前その理由は判るんじゃない? 頭いいんだから」
「あんたは、相棒の行方を気にしていた?」
「ああ」
あっさりとヘラは言った。
「ライに行ったかもしれない、とは思っていた。追放だったら、それはそれだけでもいい。だけどライに行ったんだったら、俺が何かした結果で、奴がそっちで殺される可能性はあった。だから、それはしなかった。お前の言う通り、俺はゲオルギイを殺して、ここから脱走することくらい、できたさ。難しいことじゃない。ここの建物がどんな作りになっているかも、俺はよく知ってる。伊達に長い時間を暇ひまに過ごしてきた訳じゃない。俺はこの壁の向こうに通路があることくらい知ってる」
「へえ、そんなものあるんだ」
「屋根裏もある。地下室もある。何かよく判らないけど、格納庫まである。一体いつの誰がそんなもの作ったか知らないけど、そんなものを利用すれば、逃げ出すのは難しくはない。過信してる訳じゃないさ。俺は、知ってるんだ」
「だけど、逃げ出さなかった」
「馬鹿じゃないかって、俺も思うけどさ」
「……本当に、馬鹿だねえ」
「だけど、仕方ないだろ?」
ふっ、とヘラは笑う。ケンネルはすっと手を伸ばすと、指先で、相手の頬に触れた。
「でも、あんたは、そいつと結局寝たことは無いんだろ?」
「そうだね」
「損したって思わなかった?」
「思ったよ」
指は、ゆっくりと頬から耳へと移動する。少し大きめの、だけどそれ自体が何処か奇妙に顔にアクセントを与えている耳に、ケンネルはゆっくりと触れる。
「あんなことに、なるなら、よっぼど前に無理矢理でもやっちまえば良かった、って思ったね」
ケンネルは苦笑する。
「想像ができないよ、俺には」
「俺にだってできない。だから結局できなかったんだと思う。奴が、俺をそういう目で少しでも見ていりゃ、俺も何とかしようがあったかもしれない」
「ふうん。至極真っ当な奴だったんだね」
「失礼だね、お前」
「まあそれはおいておいて」
「……おいておいて、かよ。……!」
耳をゆっくりたどる指が、その裏側に一瞬力を込めた。
「しごく真っ当な奴、でもさ、あんたには負けると思うけど」
「俺だって思ったさ」
ヘラはその手を払おうとする。だがそれは逆に相手に自分の手を掴ませてしまう結果となる。
「でも、三年、そうだった。結局俺には何もできなかった。そうした時、俺と奴の上手く行っていた関係は終わると思ってた。奴は俺がそういう奴だ、って知っていたのかもしれない。だけど、俺から言うことはできなかった」
「好きだったんだねえ」
「そうだよ」
力を込めて、ヘラは言い放つ。
「本当に、そうだったんだよ。俺にはさ」
「テルミンが聞いたら泣くようなセリフだね」
「全くだ」
そして起こしかけていた身体は再び沈んだ。
「奴は、あんたにこうゆうことしないんだ」
「不思議なくらいに」
「何でだろう? 俺だったらすぐに落ちる」
「そうだよな。あっさりとお前、落ちたし」
「落ちない方がおかしいよ」
「奴には、他の誰かが、居るからさ」
「それは、あの放送局の監督さん?」
いいや、とヘラは首を横に振った。
「違う、と思う。誰かははっきりとは判らないけど、奴は」
「あんたでも、判らないの?」
「予想できないことはない。だけどテルミンは、俺に言わないことがたくさんある」
「信用できない?」
「信頼はしている」
なるほど、とケンネルはつぶやいた。
「奴は、知ってるはずなんだよ? ケンネル。俺があの時の、クーデターの25人の中に入っていて、処刑されたのが23人。そんなこと、奴は何処からか探してきて、俺をけしかけた。俺を自由にしてやりたいって気持ちは判るよ? 俺も馬鹿だけど、その程度には判る。だけど、じゃあ、何で俺が、そのもう一人と関係があるって、気付かないんだ?」
それは、とケンネルは言葉に詰まった。
「俺のことを思うなら、どうして、俺がここに居続けたのか、気付くはずだろうに? なのに、奴はライに当時送られた人間のリストを挙げることもしなければ、俺にほのめかすことすらしない。その部分にフタをして、隠しているつもりだ。それが俺が自由より欲しかったものだって言うのに。でも、ライでは、集団で脱走した、って知らせが入った。俺はゲオルギイを生かしておく理由が失せた」
「……本当に、怖いひとだね」
「さっきから、言ってるだろ? 俺は怖いひとなんだよ?」
「ふうん。じゃあ、これは何?」
つ、とケンネルは相手の目のふちに指を軽く触れる。乾いた感触にヘラは反射的に目を細めた。
「……知らない」
「ふうん」
そう言って、ケンネルは指についた液体をぺろ、と嘗めた。
「塩辛い」
「……意地悪だなあ」
「俺は意地悪よ。テルミンと違って。ねえ、もいちどいいかなあ?」
「俺は眠い」
「別に、寝転がってるだけでもいいよ?」
呆れた、という様に、ヘラは肩をすくめた。それを了解ととったのか、ケンネルは再び相手の華奢な身体を抱きすくめた。そして目を伏せる相手の端正な顔のあちこちを、軽くついばむ。くすぐったそうな顔をしてるが、決してそれは嫌ではないらしい。
「結局、俺が奴にできたのも、その程度だったなあ」
「そうなの?」
「俺がゲオルギイの条件を呑むことを了解して、奴が一般の政治犯と同じ扱いを受けて記憶処理を受ける前だった。一度だけ会わせてやる、って俺は奴が捕まっていた独房に連れていかれて、五分間だけ、とかそんなふうに言われて二人にされた。でも五分で何ができる?」
「五分で、ねえ」
「今更その場に及んで、お前が好きだったどうしても好きだったしょうもなく好きだった滅茶苦茶にするくらい抱きたかったとか言ったところで、奴は訳判らなかっただろうと思う。だいたい奴も結構な取り調べの中で、疲れ果ててた。俺もそんな奴の姿見たら、結局言いたい言葉の一つも見つからなかった」
「そういうもの?」
「そういうものだよ。俺達はずっと、お互いがそんな姿になることなんて、想像もしてなかった。俺達は二人で居れば無敵だった。そう信じていた」
ヘラはそう言うと、言葉を切った。
「でもそれは、俺が勝手に思ってた幻想だった」
「そう思うの?」
「無敵の筈の俺達が、結局足元を救われたのは、馬鹿馬鹿しい、絶対成功するはずのないクーデターに『居合わせた』それだけのことだよ? あんな、首府警備隊なんて、頭でっかちの馬鹿ばっかりってことに気付かなかった。それが俺達の敗因だ。どんな悪条件の戦場でも生き残ってきたのに、俺達は、そんなとこで、自軍から殺されそうになったんだよ?」
「俺が、首相のクローン研究を提示された頃だな」
「皆、馬鹿ばっかりだ」
吐き捨てる様に、ヘラは言った。
「結局俺は、何もできなかった。言う言葉も見つからなかった。言いたくても、何も言えなかった。胸が詰まって何も言えない、なんて、俺は信じてなかったけど、さすがにその時、そんなことがあるんだ、と思ったね。悲しいんじゃなくてさ、ひどく悔しかったんだよ? 俺は」
「悔しかった?」
「何で、こんなことになるんだったら、本当に、少しでも、奴を何とかできなかったんだろう、って自分自身が情けなくて、俺達を追い込んだ馬鹿どもが憎らしくて、それでいて、そんな馬鹿どもに足をすくわれた自分が情けなくて。もう何も言えなくて、ぼろぼろ、涙が落っこちてくのを見てるんだ。俺は驚いたよ。自分の中に、こんなにたくさん、涙があるなんて知らなかった」
「へえ……」
「そうこうしているうちに時間が来る、って言うから、俺はもう、どうしようもなくて、奴の首をいきなり抱えて、思い切り強くキスしてやった。血の味がした。まだ覚えてる。口の中が切れてたんだ。唇の端の、腫れた熱やら、口の中の傷跡だとか、そんなのが、未だ思い出せる」
「それで、そのひとは、あんたの気持ちに気付いたの?」
「さあ。ひどくびっくりした顔はしていた。でもその後に待ってたのは、記憶処理だよ? 何が残るって言うんだろうね? 気付いても、それで、そこで終わりだ」
「それでも、生きていて、欲しかった?」
「もちろん」
ヘラは断言した。
「別に、そういう風に好かれなくても、どうだってよかった。俺は奴という馬鹿が、ひどく好きだった。だからあれが死ぬのは、嫌だった。それだけ。それだけだよ」
うん、とケンネルはうなづく。そしてその続きは言わせなかった。