*
「条件があります」
代表ウトホフトは、テーブルに肘をつけ、手を前で組むとそう切り出した。
「もしも彼を、この集団にどうしても加えたいというのなら、こちらにも条件があります」
「条件」
ヘッドはその言葉を返す。
「どんな条件ですか。それは、我々が呑むのにひどく難しいものですか?」
「あなた方、にはさほどのことはないでしょう。しかし彼には」
そう言って、代表ウトホフトはBPの方をちら、と見る。
「彼にとって、ひどく厄介なことかもしれませんね」
「何です?」
そう問い返したのは、BPだった。
「俺がすれば済む、という様なことなのか?」
「そう、あなたならきっと成功する。そうすれば、こちらの詰めもきっと上手く行くでしょう。あなたが、本当に忘れてしまっているのなら」
ひどく含みのある言葉だ、と彼は思い、眉を微かに上げる。
「では、何なのだろう?」
「一人の人物の、暗殺を」
がた、とリタリットは思わず音を立てて立ち上がっていた。やめろ、とBPは思い切り力を入れて相棒を椅子に引きずり下ろす。反射的に相棒は彼の方を向いたが、それに構っている場合ではなかった。
彼自身、自分の中で、危険信号の様なものが出ているのを気付いていた。
「それは、誰ですか」
「総統です」
ひどく短い答えだった。だが、その答えは、ひどく彼の胸に重く響いた。そんな彼の感覚に気付いたのか気付かずか、ウトホフトは確認する様に、付け足した。
「現在の首府において、この星系の政府を一手に納めている人物、総統ヘラ・ヒドゥンを、暗殺していただきたい」
「あんた方は、それを俺が断る、と考えているのか?」
「可能性は、否定できません」
「何故そう思う?」
彼は追求する。ウトホフトは一度自分のあごをざらりと撫でると、アリケの方をちら、と見た。
「先程彼が説明した、君と君の相棒のことだが…… ある日急に君達の姿が消えたので、その後捕らえた捕虜を尋問したところ、君達は、首府警備隊の方へ転属になったらしいですな」
「それが……」
「まあ最後まで聞いて欲しいですな。その転属先が、その後、どうしても見つからない。我々が同盟している組織から、首府の情報を回してもらったりするのですが、その中でも、ザクセンとアルンヘルムの名は何処にもない。ですが、あなたがここに居る、ということで、一つ推測ができることがあるんですよ」
「それは、俺が、そこで軍事クーデターに加わったんじゃないか、ってことか?」
「その通り。そしてあなた方が転属してのちの軍事クーデターは一つしかない。七年前の4月の、あの首府警備隊の若手士官達の起こしたものです。無論、あの時の逮捕者は全て銃殺刑に処せられた訳ですが」
それが当然だろう、と彼は思う。
「ですが、あなたはそうやって、生きてここに居る。軍人の政治犯ではなく、一般の政治犯と同じ扱いを受けて、ライに居た。これは一体どういうことだと思いますか?」
「だから別人だって」
黙れよ、とBPはリタリットの口を両手で塞いだ。
「どういうことだ、とあんた方は思うんですか?」
「残念ながら、それだけでは、説明がつかないんですよ。だけど、もう一つ。このアリケが、ひどく驚いたことがありましてね」
言ってごらんなさい、とウトホフトは青年をうながす。
「……この街にも、現在あちこちに貼られているポスターを御覧になりましたか?」
「あの、皆が彼の声を欲してる、って奴かい?」
マーチ・ラビットが口をはさむ。そしてさっきサンドイッチ屋の近くで見たんだ、と付け足す。
「ええ、あれです。あれだけではない。もっと様々な場面で、あの顔が、今ではあちこちで見られますよね」
「そりゃあ、『総統閣下』なのだから」
ビッグアイズは何のことだろう、と怪訝そうな顔をする。それだけではない。BP本人と、リタリットとヘッド以外の、ここに居る顔ぶれは、何を相手が言いたいのか、よく判っていない顔つきだった。
BPは一度目を伏せると、ふう、と息をつく。相棒は、確かに次に向こうが言いたいことの予想がついているのだろう。そして無論、自分は何よりも早く、その嫌な予感に気付いてしまっていた。
「我々は…… あの頃、あの二人の『化け物』から生き延びた我々は、最初にあの『総統閣下』が首相代理として画面に現れた時、目を疑いました」
BPは唇を噛む。
「彼は、アルンヘルムです」
*
長かった髪は短くなっているが、あの小柄で華奢で、それでいて化け物の様に強かった姿の強烈な印象が、彼らの中には残っているのだ、とアリケは言っていた。
「向こうは、オマエをザクセンとかいう奴だって言ってて、それでいて、アルン
ヘルムって奴らしい総統ヘラをその手で殺せって言ってんだぜ?」
相棒は、真っ直ぐ自分を見据えながら言う。
「それがどんだけ残酷かって知ってんのかよ?」
「けどなリタ、だとしても、俺に断る理由がある訳じゃない。俺がザクセンって奴だ、っていう確証が無いんだから、アルンヘルムって奴が、俺の相棒だったという確証もない。俺はだから、昔の友人を撃つということにはならない」
「何でオマエ、そんなコトが言えるんだよ?」
だがしかし自分=ザクセンである可能性が高いのは、彼も判っていた。
自分の「記憶」とあの総統の顔がだぶっていることを、この相棒にしか話したことは無いが、それだけに、向こうから突き付けられる「事実」はひどく説得力があったのだ。
「正直、俺だって、何で、あの顔がだぶるのか、よく判ってないんだ」
「好きだったんじゃないのか?」
「判らない。気にはなる。だけどそれがどうしてなのか、俺にはさっぱり判らない。だから、それを確かめたいとは思う。だけど」
「それじゃ、オマエ、今度記憶を消されたら、オレのことも撃つのかよ?」
「リタ?」
「どうなんだよ?」
「お前は……」
「え? どうなんだよ?」
言いながら、相手の手の力がひどく強くなるのを彼は感じる。
絶対にそんなことは無い、とこの相棒に言ってはやりたい。言えば、リタリットは安心するだろう。
それはよく判っている。この相棒は、本当にそうであるかどうかを、ここで求めている訳ではないのだ。ただそう言って欲しいのだ。嘘でもいいのだ。彼もそれはよく判っていた。
だが、それを言い切れる自信が、彼には無かった。嘘でもいいから、という相棒に、彼はどうしても、本当のことを言ってやりたかった。できれば、本当に、そう言いたいのだ。
それなのに、そう言い切れない。
「……向こうは、事の成功か失敗かは問わない、と言った」
「それで、やるつもりかよ?」
彼はうなづいた。
「それが、本当であるかどうか、俺にだってわからん。だけど、会って、……会わなくとも、実物を目の当たりにした時、俺自身が、何をそいつに感じていたのか、判ると思う」
「だけどオレは、嫌なんだよ!」
声の端が、震えていた。BPはそれに何も答えずに黙って背中に手を回した。すると、背中がひく、ひくと痙攣している。ぴったりと顔を押し付けた胸に、何となく、濡れた感触がある。
「泣いているの、お前」
「泣いてねえよ」
嘘つけ、とBPはつぶやく。声が引きつっているじゃないか。
「そうやって、皆、オレを置いてくんだ」
「皆? ……皆ってことはないだろ?」
「なくなんかねーよ、けっきょくオレには。何やっても、ドコに居ても、みーんな、オレを置いてくんだ」
リタ、と彼は相棒の名を呼んで、回した手でゆっくりとそのぴくつく背中をさする。
その背の体温が、手を通して伝わってくる。暖かい。いつも、この相棒は、あの寒い惑星でも、そうだった。
「……記憶じゃあない」
つぶやく様にリタリットは言う。
「記憶じゃあない、と思う。だけど、オレ時々、ムチャクチャに、そう思う。何でかなんて、知らない。だけど、何か、すごく、怖くなる。リクツじゃねーんだ。何か」
BPは初めて聞く相棒の言葉に、返す言葉を探そうとしていた。だがそれがなかなか見つからない。
「オレは、誰かと、仲良くやってきたいと、思うのに、気がつくと、誰もいねーんだ。オレが悪いのか? って思っても、何かそういうのじゃなくて、何か、オレの知らないトコで、オレの周りの誰かが、オレから離れてく。そんな感じが、時々、背中にやってくんだ。何でだろ? オレは、そんな悪い子だったっていうのか?」
憑かれたかの様に、リタリットは言葉を吐き出した。
「オレは…… オレが…… 何を……」
そして、また、言葉の端が引きつっているのに彼は気付く。何か一番、この相棒の欲しがる言葉をかけたい、と彼も思っていた。
BP自身、この自分のことがひどく好きで、欲しがって、すぐに行動に起こしてしまう相手のことのことは、とても好きだった。
相手が自分にする様に欲情するという訳ではないが、それを受け止められる程度に、相手のことを愛しく思うのは確かだった。
言葉にする訳ではない。だがぼんやりとした感情の正体が、それであることは、彼もよく判っていた。
だがそれは言葉にする類のことではない。そしてリタリットが欲しがっている言葉は、そういうものではないということも、何となく判るのだ。
だが今の自分にとって、それは保証できない。
相棒が、泣き疲れて眠ってしまった後も、彼はなかなか寝付くことができなかった。