三年前。政治犯であるらしい彼らは、収容されていた「冬の惑星」ライから脱走した。
政治犯である「らしい」。
そうは言われている。彼らの持つ「知識」は彼ら自身にもそう告げている。だが「自分」が果たして「政治犯」であるのかどうか、は彼ら自身にも判らないことだった。何せ彼らの記憶は、投獄される以前のパーソナルな部分が抹消されているのだから。
ただ、抹消といったところで、それは完全に「消す」ことを意味しているのではない。人間の記憶はそう簡単に、電子的データの様に「消す」ことができるものではない。要は、パーソナルな部分の経路を人為的に混乱させられているのである。
だがその処置を受けた当の本人達にしてみれば、「消された」という感覚が一番近かった。日々を送る上の「知識」は存在する。だが自分自身に関する「記憶」だけが、すっぽりと自分の頭の中から抜け落ちているのだ。
ただし、その中でも、自分の中で強い記憶は、断片的に残っているということはあった。それは皆それぞれに形が違っていたし、また、それは必ずしも「良い」ものではないことも事実である。
さてそんな脱走者は、故郷たるアルクにたどりついたのち、一度解散した。彼らはそれぞれに当座の生活に役に立つ程度の宝石をライで手にしていたので、そこから自分の道を歩む者も居た。
だが結局、かなりの人数が再びその場に集結したのだ。政治犯「らし」かった彼らは、今度は政治犯に「なる」ために。
「けっこういい値で売れたよ。ふんとにさあ、エンジニーヤ、あんた技師なんか辞めちって、宝飾デザイナーにでもなったらどぉ?」
リタリットは椅子の上に反対向きに座りながら、床の上で胡座を組む盟友の一人にそう言葉を投げる。
「リタリット、お前確かこないだ、愛用の自転車の調子が悪いって言ってなかったか?」
さらりとそう言って、「技師」と呼ばれる男は返した。リタリットは黙って肩をすくめた。
「リタの冗談はさておいて」
食卓の上で、リタリットが持ってきた布の袋から「代金」を広げたビッグアイズは金券の枚数を数える。
「実際いい金にはなるな。原石のままより、多少加工したほうがいいかもな」
「おいおいそれでまた俺かい?」
エンジニーヤは参った、という表情で手を広げた。食卓の別の椅子で聞いていたヘッドは頬杖をつきながら、にやりと笑う。
「まあまあ、それはそれとして、だ。方法としては悪いもんじゃないな、ということだ。資金はあったほうがいいに決まってはいるし、そうでなくても、芸は身を助けるのは確かだ」
「へいへい。それじゃ俺、仕事あるから、事を起こす時には呼んでくれよ」
そしてそれじゃあね、と言い残してエンジニーヤはその部屋から出て行った。その部屋には、四人だけが残される。すなわち、ヘッド、ビッグアイズ、BP、リタリットの四人だった。
脱走者達が一度に一所で動くというのが危険であることは、彼らもよく知っていた。彼らはとりあえず、各地に飛び、偽名を名乗り、そこで表向きの仕事をしながら、時期を待っていた。
また一方、その飛んだ各地に存在する地下活動家との連絡を取っている者も少なくはない。確かに一応ヘッドは全体のまとめ役であり、連絡役ではあったが、司令塔という訳ではない。飛んだ各地での役割は、それぞれの手にゆだねられた。
そして、一所に留まっているというものでも、ない。
「……で、ヘッド、今回俺達を呼び出したのは、何で?」
床の上で腕立て伏せをしていたBPは、ぴょん、と足のバネを使って立ち上がると、二日前に50㎞離れた街にいた自分と相棒を呼び出した訳を問いかけた。
久しぶりに会った仲間の部屋は、相変わらず殺風景だった。もっとも自分達のところにしたところで、大して変わりはない。そう広くもない、新しくもない鉄筋コンクリートのアパートメントは、カーテンはあったがカーペットは無く、向きだしの木の床に、置き付けの食卓以外家具と言った家具の無いところだった。
「まあ生活なんてあって無きがごとしだからさあ」
と言ったのはリタリットだった。
確かにな、とBPもうなづいた。どんな場所であったとしても、活動が当局に感づかれた瞬間、そこを捨てて逃げなくてはならない。そんな生活に、家具は必要ない。必要なのは、ただ雨風をしのげる寝床。それだけだった。
「ああ」
ヘッドは立ったまま答えを待つBPに向かい顔を上げる。
「……こないだ、ここから少し東の地区の境に居る奴から連絡が来たんだが、どうもその地区担当の奴……ま、マーチ・ラビットとキディなんだが」
「あれ、奴らこんな近くに居たの?」
リタリットは素っ頓狂な声を上げた。
「ああ」
「だって奴ら、最初にあそこで別れた時には、確かイヴェーゲンの」
リタリットは東の辺境の地名を上げた。するとビッグアイズは人差し指を立てて振った。
「いや、そこからまず奴ら、ハルホンに流れたらしい」
「げ」
「まだ続く。コルセウ、クダ、コルサゼル、アダマン……」
「おいおいおいおいおい」
ビッグアイズはその大きな目を呆れた様に半分伏せながらも、それでも間違えずに地名を並べ立てた。
「……でミケガンで、今居るハルゲウだって言うんだが」
「何かそれって、すげえあちこちでヤバくなってるってことじゃねえか?」
「何を今更」
ヘッドはあっさりと言った。その手にはここに来る途中にBPが買ってきた新聞がある。
そういえば、と黙って聞いていたBPは思う。何を考えてか、あの三月兎は、子猫を連れて行ったのだ。別段彼らは一緒に眠っている仲ではなかった。何よりも房が違った。ただ、あの蜂起の時に顔をちゃんと合わせたのだとは聞いたことがあった。それから行動が自由になってから、どんないきさつがあったのか知らないが、何となく気が合ったのだろう。
一度集結した彼らが、別れて行動を取る時に、一人で行く場合もあったが、誰かとコンビを組んで行く者も多かった。結局BP自身、相棒とその例にならっているのである。
理由は色々ある。ひと所の活動にしても、誰かと共に行動したほうが効率がいい、という場合もある。無論それはコンビを組んだ人間の特性でもあるから、一概には言えない。むしろ理由は、メンタルな面にあった。
要は、一人だと淋しいのだ。そういう者が、何かれと理由をつけて、気に入った仲間とコンビを組む。それはまだ当時少年ぽさが抜けなかったキディであっても、如何にも偉丈夫なマーチ・ラビットにしても同じだったのだろう。
「それで、あのでかウサギ、何言ってきたのさ」
椅子の背に立てた手で、リタリットはむぎゅ、と両頬をはさむ。
「向こうの反政府組織とコンタクトを取ったんだと」
新聞から目を離さずに、ヘッドは答えた。それだけは説明が足りない、と思ったのだろうか、ビッグアイズは続けた。
「それがさ、今までコンタクトをとってきた組織と比べて、ずいぶん組織的で、大規模なものらしい。何らかのバックがついているらしくて、資金もふんだんにあるらしい」
「へえ」
リタリットは思わず口笛を吹いた。
「金持ちなんだ。それはイイ」
「ただそれが何処であるのかがいまいちはっきりしないのが、俺としては気にかかるんだが……」
ぱさ、とヘッドは新聞を置く。
「ずいぶんと出来上がってきたようだな」
写真には、作りかけの首府の新スタジアムが写っていた。BPはそれを見て、口をはさむ。
「首府改造計画か?」
「ああ。このせいで、地方の労働者が結構今、首府に集中していると言ってもいい」
「スタジアムやら駅やら…… ま、確かに駅なんか手狭になってたらしいしな」
「ふうん?」
ヘッドは眉を片方上げる。それに気付いたのか気付かないのか、BPは続けた。
「混乱を起こすにはいい状況だな」
「そう思うか? BP」
「敵になる味方になるは関係なく、人間がいつも以上にあふれている状況ってのは、混乱を引き出しやすいと俺は思う」
「なるほどね」
意味深にヘッドは笑う。
BPは自分が軍の人間であったことは、この三年の間に完全に確信していた。ただどの部署であったのか、何を担当していたのか、は未だによく判っていなかった。銃が手にしっくり来るあたり、実戦担当であっただろうことは確かなのだが。
それだけでも自分の中ではっきりしているだけ、相棒よりはましなのだろう、と彼は思うのだ。
相棒の「文学者」は、未だに自分が何なのかさっぱり判らないらしい。その身のこなしからして、都市ゲリラだったのではないか、とは思われる。
だが手にした少しの鋭意なもので人一人殺せる程の手練れでありながら、血を見ると吐き気がするという矛盾を抱えていた。そして未だに、地下鉄に乗れない。正直、BPがこの相棒にくっついているのは、そういったリタリットの壊れた部分が気に掛かっていることもある。
しかし、BP自身も、この三年で、自分の中に訳の判らない部分があるのを発見していたのだ。
「で、会うの?」
リタリットはヘッドに向かって首を傾げる。
「ああ、そのつもりだ。あいつらが俺達に勧めてくるくらいだから、とにかく今までに会ってきた何処よりもでかい組織であることは確かだろうな。内容はともかく。取り込まれるというのは好かないが、手を組むという方向に持っていくのはそう悪くはないと思う」
「ふうん…… まあ、念願叶った暁に消される、って組織じゃなけりゃ、オレは別にイイけど」
リタリットはそう言って唇を尖らせる。
「BPお前は?」
「俺は…… 会わなくては判らないだろう?」
確かにな、とヘッドはうなづいた。