*
「独占取材の申し込みがありました」
朝、一日の予定を官邸の皆の前で読み上げることから、ゲオルギイ首相の一日は始まる。
さすがにヘラも、プライヴェートな場以外ではゲオルギイ首相にもきちんと敬語を使う。必要とあれば、それは別にできない訳ではない。
「独占取材? それは何処からだ」
「中央放送局です」
「またか」
ゲオルギイ首相は、ややうんざり、という顔になった。
実際、ここしばらくというもの、この中央放送局は、首相の近辺をクローズアップしていた。それまでは報道屋の目も、閣僚それぞれに分散されていた。だが閣僚の中でも特に有力な五人が失墜してからというもの、権力だけでなく、視線もが首相に集中していた。
ゲオルギイは首相になってしばらくは権力集中型をとってきたが、ここ数年というもの、その五人にそれを分散する形を取っていた。
一人や二人でなく、五人というその数がバランスが良かったのか、内閣の運営は可も無く不可もなく、時々起きる各地の暴動も押さえ、何とかやってきたのだと言える。
だが、その五人がいない現在、首相は数年ぶりの権力の重さにやや疲れていたとも言える。少なくともテルミンにはそう見えた。
「断りましょうか」
ヘラはそれでも一応確認のために訊ねる。そうしてくれ、と首相はこめかみを押さえながら答えた。どうやら軽い頭痛がするらしい。
「それではその様に。次に、アンペル新宙港の視察が入っています」
「ああ、それか」
「ご気分がすぐれなさそうですが」
「いや、これ位は大したことはない。ヒドゥン、ドクトル・ビルクレに後で頭痛薬をもらってくれ」
「はい」
「それは午後までかかるのか?」
「アンペル宙港はまだ今のところ一般には解放されていませんので、道路の整備状況などまだまだ不十分なところもあります。今回はそれも踏まえて……」
「わかったわかった。午後までかかるのだな」
はい、とヘラは答えた。
「夜には、クリンゲル財団の夕食会がありますので、それまでには」
一日中車に乗りっ放しだな、とゲオルギイは苦笑いをした。そしてテルミンは内心で、同じ表情を作った。好都合だ、と。
*
アンペルまで行くには、途中まで高速道路を通るのだが、途中からは一般道に入らなくてはならない。
とはいえ、位置が位置なので、一般道とは言え、通りかかる地上車の数もそう多くは無い。だがものものしくなるのを首相は嫌い、視察に向かう車に付き従う警備の兵士も、軍の車を使用していた訳ではなかった。
そしてやや車間距離を離す。いくらものものしいのは嫌だと言ったところで、首相の地上車が外見が全く一般のそれと同じということはない。一台で走る姿は、何処の金持ちが、という程度には目立つ。黒光りのするボディ、後部座席の見えないシェードのウインドウ、機能性を無視した大きな車体。
そんな車におまけの様に小型車がくっついていたら、それはそれで通りを行く者から目を引いてしまうだろう。
そしてどうやら、目を引いてしまった者が居たらしい。運転手のヴェスタはちら、とバックミラーを見ると、隣に座っているテルミンに話しかけた。
「少佐、ずっとこの車を追っている車があります」
テルミンは黙って、車内のモニターに目を移した。言われる通り、背後から追ってくる車がある。しかも一台ではない。
「どうします?」
「放っておけ。あれは確か、今朝独占取材を申し込んできた、中央放送局の奴だ」
ついてきたな、とテルミンは中に乗っているゾフィーの姿を認めながら思う。そうだ、ついておいで。そして君はその目で、見るんだ。
「し、しかしそうでない方は……」
運転は上手いが、その上手さが普通以上の臆病さから来ているこの運転手は、語尾が消えそうな声でそう言った。ちょっと待て、とテルミンはモニター画面で、ゾフィーの後ろからやって来ている別の車をクローズアップした。
「! しまった、ヴェスタ、スピードを上げてくれ!」
予定されていた言葉をテルミンは叫ぶ。運転手は言われた通りに、アクセルを強く踏む。テルミンは端末を掴むと、同方向二車線の斜め後ろについている警備の車に向かい、声を張り上げた。
「後方二台目の車に気を付けろ!」
何ごとですか、と背後からの雑音混じりの声が飛び込んでくる。
目の前には、真っ直ぐ、長い道が延々続いている。道の脇には人の手が入らない大地が広がっている。
その大地の土質は、農耕には適さない。そして季節によって強風が延々吹き続くその気候は、住宅地にもできなかった。
ただただ道ばかりが延々と、次の町へのつなぎという目的だけで、続いている。目的も無く走っていたら、確実に眠気を誘いそうな……
しかし、どうやら眠気どころではないらしい。
「後方二台目、の座席の中に、銃の姿が見えた」
端末の向こう側で、一瞬動揺する動きが感じられる。外装はともかく、中身はこちら同様、いやそれ以上に機材を積み込んだ車だ。すぐにそれを操作する音が入ってくる。
『……確かに、反応がありました』
「乗員は何人だ?」
『三人です』
三人か、とテルミンは思った。
スノウがどういう人選をして、どう命じたのかは判らない。彼はあの派遣員を100パーセント信用している訳ではないから、この折りに、と自分が消される可能性も感じていた。
そして閉ざされた後部座席へと声を通す。
「すみませんが、明けさせていただきます」
「何があったのかね」
首相はたちどころに、首相の顔にと変わった。切り替えは早い。さすがだ、とテルミンは思う。
「後方からつけて来る車が、何やら怪しい行動をとっております。多少スピードを上げて振り切るつもりですので、その用意を……」
そうか、とゲオルギイは言うと、後部座席専用のモニターのスイッチを入れた。先程テルミンが見ていたものと同じ光景が、そこには映し出される。
「二台目です。一台目は、今朝の中央放送局のスタッフでしょう」
「しつこいな」
「仕方ないさ」
ヘラはつぶやく。
「それが仕事なんだから」
加速していくスピードに、窓の景色は違った色を見せ始める。端末からは、雑音混じりで、警備車が、ずっと報告を続けていた。
と。
その時、唐突にその報告が途切れた。報告だけではない。雑音も、全てが一度に途切れた。
はっ、と息を詰めて、ヘラは顔を上げ、テルミンを見た。
モニターに映っていたのは、短い草ばかりが生える、砂混じりのやせた土地の中へと転がり始める、見覚えのある地上車の姿だった。
そして、その後がまに座ろうとでもいう様に、それまで後ろに控えていた車が、ぐっ、と車線を越えて彼らの斜め右へと近づいてきた。その勢いは、後ろから一台目の車をも抜いてしまう。
ゾフィーの車は、一瞬その勢いに左に退く。だがそれでも決してスピードを落とすことは無かった。
そうだ、ついてこい。テルミンは思う。見るんだ。
がん、と車体に妙な震動が響く。モニターの中では、車の屋根を開け、長い銃を持った男が、こちらに照準を合わせている。
「左に行け、ヴェスタ!」
テルミンは運転手に向かって叫んだ。車の何処かに銃弾がかすめた。ある程度までは、この車体は銃弾を弾くことは知っている。だが程度がある。スノウの「手加減」を期待してはいけないのだ。
「!」
次の衝撃。運転手は声にならない声を上げた。
「どうしたヴェスタ?」
「タイヤをやられました、少佐」
すぐに空気が抜ける訳ではないのは彼も知っていた。だが、時間の問題だった。高速で走っているから、一つの車輪のトラブルも、そのままスリップにつながる。
運転手のヴェスタは何よりまず、交通事故で乗客を死なせる訳にはいかないから、抵抗の大きい地面へとハンドルを動かして行った。
「走行すること自体が危険です。一度止めてタイヤを交換しないことには…… 銃は持てますか?」
テルミンは後部の二人に訊ねた。ヘラはもちろん、とばかりにうなづき、上着を脱ぎ、シャツの袖を幾重にも折り曲げた。そして座席の後ろのトランクを開けると、小型の機関銃を取り出し、弾薬の状態を確かめた。ひどく目が生き生きしている、とテルミンは思った。
「首相閣下」
お持ち下さい、とテルミンは中から中型の銃を取り出すと、首相に手渡した。この首相には、軍隊経験はない。根っからの文民の出なのだ。
遮るもの何もない平野の真ん中で、車は止まった。運転手はタイヤを交換します、と扉を開けると、自分の足元の工具箱を掴み、外に出た。彼らもまた、引き続いて外に出た。
敵が一方からなら、中に居るよりは、外に出て車そのものを盾にする方が衝撃を受ける確率は少ない。テルミンもまた、狙撃用の長い銃と、連射が可能な通常の短銃を両方手にすると、同じ側から外に出た。
音が、近づいてくる。テルミンとヘラは銃がいつでも撃てる様に、用意をする。近づくエンジンの音。そしてその音に混じって、キューンと耳を右から左に突き抜ける様な鋭い音が流れた。
「ああっ!」
声と同時に、血が飛んだ。あああああ、とうめきながら、ヴェスタは予備のタイヤを取るために伸ばしていた手に思わず触れる。触れた手がすぐに赤く染まる。
テルミンはそれを見ると、無言で向こう側にと銃を撃った。目的は、まず、こちら同様、向こうの足を止めること。
彼は士官学校時代、実技の点はそう良くは無かった。自分の力というものをよく知っているテルミンは、銃に関しては、一発必中などという事態は避けることにしていた。彼が撃ったのは、炸裂弾だった。
キキュキュイ、と激しい音を立てると、追ってきた車は、大きく左に曲がり、倒れそうなくらいにバランスを崩した。
何とか持ち直したが、パンクどころではなく、車輪一つが、急停車の衝撃で外れた。
これで五分五分だ、とテルミンは思った。この様子を、ゾフィーは見ているだろうか。
見ていなくては困る、と彼はそれでも頭の半分で思う。そのために彼女を呼び出したのだから。協力してほしい、と彼はゾフィーに向かって言ったのだ。その頼みのあまりの曖昧さに、彼女は苛立ち、彼を追求した。
できれば。彼は思う。できれば彼女には何も知らないまま行動して欲しかった、と。だがそれは無理だった。この先彼の考える通りに物事を進めるためには、中央放送局の人間、という彼女の存在は重要だった。
稀代の犯罪人になるかもしれない、と彼はゾフィーにほのめかした。だが成功したら、君はおそらく歴史の目撃者になれる、そして局の中でも一歩抜けた存在になれる、と。
冗談はよして、と彼女は当初、苦笑した。だが彼の態度に、それが冗談ではないことが、彼女には判ったらしい。そして自分がとんでもない男と出会ってしまったことをも。
無論彼女には選択の自由をテルミンは与えた。だがその一方で、彼女がこちら側に飛び込んでくるだろう、と彼は予想していた。
彼女にとって、決してゲオルギイ首相は身近な存在ではない。彼女はこの星域の放送人達が「そうでありたい」と思うように、政治に対して確固たる態度というものを持たない。いや、むしろそれはこの仕事をする上で邪魔だ、と考えているふしがある。彼女の必要とするのは、事実である。事実を、それを利用する人間の都合の良いように解釈された「真実」ではない。
彼女は未来に起こるだろう「事実」を選ぶだろう、とテルミンは予想していた。そしてそれは当たっていた。
足を止められた二台の車の間に、土砂降りの雨の様な音を立てて、銃弾が飛び交う。テルミンは、車内から飛び出して正解だ、と思った。フロントガラスは丸く穴が明き、そこから放射状の傷が末広がりに長く伸びている。
時々果敢にも銃を撃とうとする首相に向かい、テルミンは首を横に振った。
「閣下の銃弾は、至近距離に来た時にご自分をお守りするためのものです。ここは我々に任せて……」
その間にも、腕を撃たれた運転手はだらだらと血を白茶けた地面に吸わせていた。
ヘラは自分のシャツの裾を引きちぎると、手慣れた調子で、応急の血止めをした。彼の撃った弾丸も、向こう側の車体を既に蜂の巣にしている。だがこちら同様、車そのものを盾にしているため、それ以上では無い。
「だけど長い間このままだと、腕そのものが駄目になる」
そうは言われても、この状態がどの位続くのか、テルミンには予想がつかなかった。いや、最後は判っている。それがあの男の提示した「決め手」なのだから。
ふと、その場が奇妙に静まり返った。テルミンは耳を澄ます。ばらばらばら、と音が上空から聞こえてくる。
「……ヘリだ」
ヘラは空を仰ぐ。警護の車の反応が途切れたことを察知したのか、それとも―――
いずれにせよ、援護が来たのは確かなのだ。時間が、無い。
そこへヘラが不意に大声を立てた。
「見てみろよゲオルギイ、ヘリだ!」
その声は、この広い、ただ広いばかりの大地の上にも大きく広がった。そして大きく、腕を空へと伸ばす。
「見てみろよ」
ヘラの腕は、真っ直ぐ、ヘリの来るだろう方向を空を指す。
ところが。
テルミンは目を疑った。
その時、首相の身体は、ふらり、とその腕の指す方向へと、ゆっくり立ち上がった。
あ。
彼は思わず声を立てていた。
ぱす、とひどく鈍い音が、同時に耳に飛び込んだ。
ゆらり。
何があったのか判らない、という表情を、そのままに。
ゆっくりと、ゲオルギイ首相はその場に、前のめりに、崩れ落ちた。
テルミンは一瞬それがどういうことか判らなかった。そして不覚にも、立ち上がろうとして、ヘラに頭を思い切り地面に押し付けられた。
「何やってるんだ! 二の舞になりたいか!」
ああそうか、とテルミンは自分が余りにも馬鹿な行動をしそうになったのに気付く。
「あーっ!!!!」
遠くで、高い声が響きわたる。聞き覚えのある声。ゾフィーだ。彼女はあの局用の端末を、取り落とし、そのまま地面にしゃがみ込んでいた。
「……何であの女、こんなとこに居るんだ?」
平然と、ヘラはそう言いながら、車の扉をそっと開けた。
「運転、できるよな、テルミン」
「あ? ああ。だけど……」
窓ガラスは割れている。しかもタイヤは一つ欠けたままだ。
「あれだけの距離を、動ければいい。乗れ、テルミン」
ヘラはそう言って、開けた扉から、姿勢を低くして乗り込んだ。
ガラスの破片があちこちに飛び散っていて、腰かけるのすら危険な程だった。だが何とか二人は乗り込んだ。どうするのですか、と運転手は泣きそうな声で、額に脂汗を浮かべながら訊ねた。
「いいか、そこにじっとしていろよ」
ヘラは答えず、ただそれだけを強く言った。
その声に気圧されたか、運転手はそれ以上のことを言わずに、それよりも、と首相の倒れた身体を、傷ついていない方の手で懸命にうつぶせから仰向けに変えていた。
「真っ直ぐ、走ればいい。それだけだ」
ヘラの声は、ひどく生き生きしていた。
血が騒ぐ、とはこういうことを言うのだろう、とテルミンは納得した。
今までになく、ヘラの表情は、凶悪なまでに、綺麗だった。その大きな目が、相手に向かって機関銃を撃つ時、こう動けばいい、と指示を出す時、そして。
「行け!」
鋭い号令がかかる。手が自動的に動くのを彼は感じた。
アクセルを踏む。バランスが悪い。だが何とか動く。ひどい音だ。ガガガガガガガガガガガガカ。
向こう側が気付いて、銃弾を撃ち込んでくる。
伏せろ、という声にテルミンはその通りにする。
前なぞ見る必要はなかった。ぶつけることが必要なのだから。ただぶつかった時に、飛ばされるのは御免だ。テルミンはシートにしがみついた。
一瞬の衝撃。
背に奇妙な衝撃が走る。
だがヘラはそのままフロントガラスを蹴破ると、向こうの車体に飛び移り、片方の足を天井にがっ、と乗せると、そのまま一気に銃の引き金を引いた。
直接銃弾を頭の上から浴びる羽目になるとは思わなかったらしい、予期せぬことに対する驚きが、痛みが、その場を叫び声の渦に巻き込んだ。
く、とさすがにテルミンも、唇を噛んだ。
そして銃声が止んだと同時に、ヘラは彼の方を振り向き、こう言った。
「どうする?」
その問いには、二つの意味があることに彼は気付いた。
「裏を聞くのか?」
そして、
「生かしておくのか?」
「待ってくれ」
テルミンは扉を開けると、地面に転がっている三人の暗殺者の姿を見て、一瞬うっ、と息を呑んだ。
しかし足音が背後から聞こえる。あの気の強い、好奇心の強い彼女はすぐにやってくるだろう。テルミンは内心の動揺を押し殺すと、近づき、生存を確認する。「生かしておくのか」と聞いたにも関わらず、既に二人は息が無かった。かろうじて一人が息があったので、彼は問いかける。
「お前らを雇ったのは誰だ? 首相暗殺を命じたのは」
「しゅ、しょう? そんなの知らない…… 俺はただ、現金輸送車が……」
ぶつぶつ、と言いながら、そのままその一人も、仲間の後を追って行った。
「正当防衛だよな」
とヘラは平然とした顔で言う。
短く、真っ直ぐな髪が、乱れて白い顔にまとわりついている。
その姿がひどく綺麗だ、とこんな場合だというのに、テルミンは感じていた。
ちら、と視線を移すと、ゾフィーがその場に立ちすくんだまま、それでも手には、あの放送用端末を手にしていた。
ヘラはそれに気が付いたのか付かないのか、彼女の前を通り抜けると、そのまま機関銃をふらりと右手に持ったまま、ゆっくりとゲオルギイが倒れている場所へと歩みを進めて行った。
ゾフィーはその様子をずっと追っている。目が離せない、とでも言うように。テルミンもその後を追った。
そして既に目が閉ざされているゲオルギイのそばにひざを付くと、ヘラは目を伏せた。テルミンもまた、立ったまま、顔を大地に向け、少しの間、黙祷を捧げた。
ばらばらばら、と救助のためのヘリが近づいてくる。
その音が次第に大きくなってくるのを聞きながら、彼はひどく胸の中が平静になっていくのを感じた。