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翌日書庫へ行くと、迷わず彼は一昨年の記録のある辺りへと足を伸ばした。
4月23日の処刑は、その一週間前のクーデターに対するものだった。彼はその日の記録に手を伸ばす。
だが一日の記録と言ったところで、実際にはかなりな量になる。とりあえず彼は、首相官邸の常駐日誌や、軍の記録からクーデターに関する記述を探した。
823年4月16日、早朝4時にそれは起こったのだという。首府警備隊第35連隊に属する若手の士官数名が、宿舎で武装して集合していた所を発見され、逮捕された。
その数名が、逮捕された軍警本部において、活動の一部始終と、参加メンバーの氏名を全て自白したことから、この一斉検挙は行われた。
だが彼は、読み進めるうちに、自分の眉が知らず知らずのうちに強く寄せられてくるのを感じていた。……変だ。
確かに経緯の記述はある。あるのだが、どうもそのつながりがおかしい。彼は何度も何度も記録のページを繰り直す。
この日誌は、ファイリング式になっていて、担当になった者が紙に書き込んで提出したものを後で記録者がまとめてファイルに綴じ込む、昔ながらの方法になっている。無論それを後でデータ化もするのだが、最初はその方法だった。
ぺら、と連なる金属の輪に通ったその書類を見ながら、彼の頭にぴん、と突然来るものがあった。
……抜けている?
なるほど、そう考えるとつじつまが合った。彼が開いているページの左側には、まだ朝の記録がされているのに、右側には、既に正午すぎの記録がなされている。その間の記述が、全くもって抜けているのだ。
早朝に最初のメンバーが逮捕。それが前のページから引き続いた、左側のページに記述されている。だが次のページには、既に全部が逮捕され、拘留された、という記述となっている。
そう言えば、と彼は当時自分が疑問に思ったことが不意に頭に浮かぶ。あの時は、何かひどく情報が入ってくるのが遅かった。入ってきたのは、その参加メンバーが自分とさして変わらない年代の士官であること、それに、その人数が25人であること……
25人。
その数字を思い出して、その記述が果たしてその中にあったか、と彼は再びページの上に視線を走らせる。無い。人数も無ければ、メンバーの所属も姓名も何も無い。
これは変だ、と彼は思う。それに、彼には当時疑問に思っていたことがあった。確か、あの時処刑場で見た「柱」は23本だった。
あと2本は何処に行ったのだろう?
無論、その自分の聞いた数字の方が間違いという可能性はある。だが、自分が実際に数えた、その時その場所での処刑された若手士官の人数だけは間違えはしない。確かに、あの時立っていた、彼らをくくりつける柱は23本しかなかったのだ。
彼はひどく嫌な予感がした。何か、見てはいけない様なものをのぞきかけている様な、そんな不安が、自分の中に走った。そして資料を閉じる。唇を噛みながら、階上のオートショップへ一息入れよう、と足を運んだ。
「あ」
そしてそこには、見た顔が居た。
「こんにちは」
こんにちは、と彼は返す。昨日の今日だ、忘れっこない。幾枚かのコピーされた用紙を読みながら、ゾフィーはパックのジュースに口をつけていた。
「どうしたの? また司書の彼に追い返された?」
「今日は、中の書庫の資料じゃないから、そういうことはないの。新聞記事」
「新聞記事?」
「ついでに言うなら、今日は、私用なの」
そう言って彼女はどうぞ、とカウチの自分の横を空けた。テルミンはありがとう、と言いながら、自分もパックの茶を一つ取り出す。
「私用で、新聞記事?」
「ええ。調べてることがあるの」
「本当に、私用?」
「私用よ。人捜しだもの」
人捜しで新聞記事、というならそれはなかなか尋常ではない。少なくとも、研究対象を探すとか、そういう対岸の火事の様なものでは無いような気が彼にはした。
「知り合い?」
「ええ。兄の友人だった人。ねえテルミン少佐、3年前の水晶街の騒乱を覚えてます?」
「水晶街の騒乱? ああ、確か俺も出向いた」
「鎮圧側ですよね?」
「いや、後かたづけ。だってその頃、俺はまだ本当に配属されたばっかりだったから。散乱した水晶街のガラスを掃除する市民の手伝いをしろ、って上官にみんなしてたきつけられて」
くす、と彼女は笑った。
「なら良かった。ううん、もちろんお仕事だっていうのは判ってるんですよ? だってあたしだってその時、そんな様子を、高みから撮影する側の一人だったんですから」
「君、カメラ持ってたの?」
「まさか! ……カメラのケーブルひきだったわ」
肩をすくめ、彼女は口元を歪めた。
「でもまあ、当事者を遠い目で見ていたのは確かだったの。知り合いが、その中に居たのは知っていたんだけど」
「その知り合いが、そこで行方不明になったの?」
「ええ」
彼女は小さくうなづいた。
「兄の、友人なんです。本当の名はあたしも知らなかったし、兄も彼のことは、
「何かそれはずいぶん暗号めいた名前だね」
「実際、暗号だったかもしれないんです。兄はその時水晶街を打ち壊した側の学生の一人だったから…… 何ですか?」
彼女はテルミンの方をちら、と向く。
「いや、そんなことを軽く口にしていいのかな、と…… 俺は一応軍人だし」
「いいんですよ。あたし自身が関係無かったことは、局の皆の証言とか色々あるから確かだし、別にあたしをどれだけ洗ったとこで、何も出てきやしませんから。ま、普段から挙動不審だとか言われてるんですけど」
「そうなの?」
「そうなんです。別にあたしは普通にしているつもりなんだけどなあ」
彼女は両手を頬に置いて、ため息をつく。
「それに兄自身、その騒乱の時に、もう亡くなってるんです。だから今あたしがどうこうしたってどうってことは無いんだろうけど……」
「そのお兄さんの友達は、気になる?」
「ええ」
彼女はうなづいた。
「そのお兄さんの友達って、君の恋人か何かだったの?」
「まさか!」
勢い良く彼女は頭を横に振った。
「冗談じゃないわ、あんなヤツ」
「……嫌いだったの?」
「嫌い、って言うか…… どうだろ」
彼女は曲げた右手の指を、口元へと運ぶ。
「そりゃ、兄にも兄の事情はあったのかもしれないけど…… でも兄をそういう方向に引きずり込んだのは、バーミリオンだったのよ。好きにはなれなかったわ。それに、何か彼は、強烈な何か、がありすぎて、あたしはそういう風には初めっから思えなかったの」
へえ、とテルミンはうなづいた。水晶街の騒乱は、彼が首府警備隊に入って一年経ち、「最初の一年」を良好に過ごしたおかげで、そのままそこで任務を続けることが決まった直後の事件だった。
レーゲンボーゲンの首府は、毎年の様にそんな騒乱が起こる。掲げる主張は毎年変わるが、そこに一貫して流れているものは、現在の政府が、帝都に対する姿勢だった。
「穏健」を主張しているが、結局は「日和見」ではないか、この独立してやっていける星系を帝都政府の元に置くよりは、完全独立を果たしたほうがいい、という主張が、どの不平分子・反乱を掲げる集団の中にもあった。掲げるだけの場合もあったが、掲げていることが有効な主張であったのは確かだった。
それだけに、首府警備隊の役割は大きい。テルミンは士官学校の時からそんな話はよく聞いてきたし、赴任した最初の年にも幾度か小さな検挙には参加してきた。
だが、水晶街の騒乱は、それらの小規模の検挙とはやや規模が違っていた。
あれは明らかに、長い間計画され、そしてその計画が何処かからほころびたことから勃発したものだ、と当時「後かたづけ」に回され、その場の形跡を観察していた彼は感じ、そしてそれは後になって、そう間違っていなかったと知った。
結果、騒乱を起こした側は、首府の地下を巡る地下鉄や、首府最大の繁華街である「水晶街」を舞台に、背水の陣とも言える市街戦を演じた。一昼夜に及ぶ、警備隊との攻防の末、2/3が警備隊の銃弾に倒れ、1/6が検挙され、残った1/6が地下に潜ったと聞いている。
「死んだ訳ではないらしいの。局に回ってきたフォートには、彼の死体は無かったもの」
「じゃあ検挙されたか、地下に潜ったか……」
「そういうことになると思うの」
なるほど、とテルミンはうなづく。
「でも新聞記事じゃあ、結局は判らないのではないの? 君の居る局と同じ程度の情報しか載っていないのだろうから」
「そうかもしれないわ。でもとりあえず死亡者のリストから洗い出そうと思って」
ふうん、と彼は思う。彼女はかなり草の根的な洗い出し作業を行おうとしているのだ。思わずテルミンは感心していた。
「何か力になれることがあれば、手伝うよ」
「あらいいの? 少佐さんが」
「無論まずいと判断した情報じゃなければね。あくまで君の私用の人捜しだろう?」
「私用よ。全くもって。誰がそんな、三年前の事件を今頃TV局で掘り起こそうなんてひとがいますか。皆自分の身が大事なんだから、そんなこと、わざわざしないわよ」
それはそうだ、とテルミンはうなづいた。