4.-③


 部屋の扉をノックして入ると、警備相手のヘラは籐の大きな椅子に腰掛けて足と手を組んで、窓際でぼうっと外を見ていた。

 だいたいそうだった。自分が来る頃には、そんな風に気の抜けた表情で、外を見ていることが多かった。

 そしてようやく、テルミンが入ってきたことに気付くと、その大きな目を半分くらい伏せたまま、ゆっくりとヘラは彼の方を向く。そしてやっと、テルミンは言うべき言葉を口にする。


「遅くなってすみません」

「ホント、遅かったな。まあいいや」


 それでまた、しばらくぼうっとヘラは外を見る。

 あの派遣員と同じように、この警備する相手とも出会ってもうある程度の時間が経っていた。

 だが派遣員と違い、ヘラとのつき合いは決して深まることはなかった。あくまで仕事上の警備する相手、だった。それだけの時間が経っているのに、彼はヘラの考えていることもさっぱり判らなかった。

 派遣員の考えてることが判らないのは、向こうが隠しているからだろう、ということで何となく納得が行く。またそれは当然だろう、と彼は思う。

 だがヘラの場合、それとは何か違うものに思えて仕方が無い。

 そもそも、一日中ぼうっと外を見ていても平気そうな人間と、そうそう気持ちが通じ合うとは彼も思ってはいなかったが。


「テルミン」

「はい?」


 まだ少し乱れたままの部屋の中身をあちこち直しながら、テルミンは顔だけ警備相手の方を向いた。


「……今日はもういい、帰れよ」

「え? でもまだ勤務時間内……」

「いいから」


 かすれた声。彼は不思議に思いながら、それでも言われるままに、部屋を下がることにする。

 扉を開ける時、ちら、と振り向くと、ヘラはまた窓の方を眺めていた。何となく表情を見てみたい、とテルミンは思ったが、無論それはかなうことではなかった。

 扉を開けると、廊下の向こう側に、先程通り過ぎた知り合いが、腕組みをしながら壁に持たれていた。彼はまた、軽く頭を下げ、通り過ぎようとした。

 だがそれはできなかった。


「何か用ですか?」


 テルミンは振り向き、自分の肩を掴むスノウに向かって訊ねた。何て力だ、と彼は思う。ほんの軽く掴んでいる様に思えるのに、身動き一つとれない。


「ずいぶん早いじゃないかい?」


 テルミンは目線を少し上げて相手を見る。


「ええまあ。今日はもう帰っていい、と言われましたから」

「ふうん」


 スノウは口元を軽く上げる。そして小さくつぶやく。


「やっぱりね」


 え、とテルミンは思わず目を大きく開く。


「それって、どういう意味ですか?」

「いや、失言。ちょっと口がすべっただけだけど?」

「そんなことはないでしょう」


 彼は思わず反論していた。何故そんな言葉が自分の中から出たのかは判らない。すると再びスノウはひどく楽しそうに口元を上げる。


「気になるのかい? テルミン君」

「それはそうでしょう。警備する相手のことですから」

「それは、そうだね」

「それより、離して下さい。別に自分の仕事は、これで終わりという訳ではないのですから」

「それもそうだね。ところで聞きたくないかい? テルミン君」

「え」

「何で今日、彼が大人しいのか」

「失言じゃなかったんですか」

「失言だね。君がそのまま行ってしまうんなら」


 テルミンは思わず顔をしかめる。


「自分は、からかわれるのは好きじゃないんです」

「別に、からかってはいないよ。ただ私は、君が知りたいだろうことを教えてあげよう、と思ってるんだけど?」

「だったらさっさとそうして下さい。この手を離して」


 テルミンは空いた手で、彼の手を掴む。何を自分はこんなに必死になっているのだろう、と思う。

 だが、その手は離される気配は無い。


「……離して下さい」

「今日が何日か、君は知っている?」


 何をいきなり。


「4月…… 23日ですが……」

「そうだね。今日は4月23日だ。だから、君のご主人はご機嫌が斜めなんだよ」

「答えになってません!」


 テルミンは思い切り肩をゆすり、手を払った。そして思わず駆けだしていた。

 迷路の様なこの官邸でそうするのは、危険だ。何処をどう曲がり間違えるか判らない。

 だがその時彼は、そうせずにはいられなかった。

 廊下の突き当たりまで走ったところで、彼は一度立ち止まり、今まで掴まれていた肩に触れる。何って力だったんだ。

 まだ、掴まれた感覚が残っていた。痛いくらいの。



『今日が何の日かって?』


 端末の向こう側で、一つ年上の友人はそう繰り返した。


『……何っかあったかなあ……』


 気が抜けそうな軽い声に、彼は思わず苦笑する。何となく、話をしたくなった。

 この友人は、自分の職場の問題とはあまり関係が無いから。だが食事に誘うと、今日は忙しいから、と断られた。どんな忙しさかは説明しないが、技術研究所は度々そんなことがあるので、テルミンも無理強いはしなかった。

 だが、どうしてもこのことだけは聞いてもらいたかったのだ。


『何、なんか気になるの?』

「ああ。だから別に、何の日、でなくても、去年や一昨年のその時に、俺達が何をしていたかでもいいけど」

『ああ、そうすれば何か思い出せるかもしれんしなあ』


 そして数秒の間の後に、ああ! とケンネルは声を上げた。


『お前確か、一昨年のその日、広場の整理をしないといけないってんで落ち込んでたじゃん』


 広場の整理!

 彼の頭の中で、弾けるものがあった。


「そう言えば、そうだった」

『だろ? お前あのクーデター未遂犯の処刑現場の整理をしないといけないって、俺が行かない立場でいいなあってぼやいてたじゃないの』


 そう言えば、そういうこともあった様な気がする。ありがとう、今度食事おごるから、と言って彼は通信を切った。

 4月23日には、クーデター未遂犯の公開処刑があった。それは確かに事実だ。自分も言われてみれば思い出せる物事がたくさんある。

 だからと言って、それが直接彼の警護相手の不機嫌とつながるとは、彼には思いにくかった。

 だが、スノウがそこで嘘をつくとは思いにくかった。嘘をつくなら、こんな手の込んだ方法を取らないだろう。あの派遣員は、自分に考えさせたいのだ、と彼は思う。

 実際、スノウという人物は、他愛の無い会話の中で、彼を試すようなことがよくある。今回も、そんな他愛の無いことの一つなのだろうか。彼は目を伏せる。そしてそうであって欲しい、と願った。