つ、と誰かが立つ気配があった。
だが声を掛けたのは、その立った男ではなかった。立ち上がった男は、一度腕を上に上げる。判ったよ、と自分の下に居る男がその動作に対して答えた。
「終わりだよ、どけよ!」
彼は言われたままに押さえ込んでいた手を離した。
手ぇ出せ、と男は言った。彼が答える前に、相手は彼の左腕を掴むと、そのままぐっ、と外れた肩を元に戻した。
ひどい痛みが腕の付け根に響いたが、あの抜けている時の不気味な感触からは自分が解放されているのに気付いた。
相手はそのまま、ああ疲れた、と言いながら壁に身体を投げ出した。だが彼に合図を出した男は、立ち上がったまま、壁にもたれ掛かり、何かを考えているようだった。
「強いな。オマエ」
だがその時言ったのはその立った男ではなかった。
あの声だ、と彼は思った。ひどく響く声だった。
彼は目線をその方向へと動かす。
部屋の隅でだらしなく足を投げ出した、淡い金色の髪をした男がそこには居た。
奇妙にその男の声は、この部屋の中で、大きく響き渡る。広くはないと言っても、十数人が充分寝泊まりできる程の部屋だ。その中でこんな風に聞こえるというのが、彼はひどく奇妙に感じられた。
「それに、ひどくかあいらしいしぃ」
げ、と彼は腕に鳥肌が立つのを感じる。何でそう感じるのかは判らない。だが言われた瞬間、服の袖に当たる感触が気持ち悪くなった。
「なあヘッド、こいつ、オレがもらってもイイ?」
金髪の男は、あごをしゃくりながら立ち上がった男に向かって声を放った。
「何だリタリット。お前にしちゃ珍しい」
「イイじゃん。コイツずいぶんイカすと思わね?」
立ち上がると、リタリットと呼ばれた男は、状況の変化に対応しきれない彼の側に近づいた。
そして片方の手を腰に当てると、もう片方の手を伸ばした。何をするというんだろうか。彼はこの口元ににやりと笑みを浮かべまくっている男の次の行動がまるで読めなかった。
「ほーらこんな上等なな黒い髪、何か久しぶりだと思いませんかねえ? 皆さん?」
髪をつままれたのだ、ということを彼はその時やっと理解した。
「それにほら、上等の黒い瞳。おおキミの瞳はまるで黒曜石のやう…… それにほら、こんな白いお肌」
ぐっ、と左の襟元を彼は引っ張られるのを感じる。入れ直したとは言え、すぐには動かせない腕のせいで、抵抗もできず、彼は自分の肩がむき出しになるを感じていた。
ぴゅーぴゅー、と口笛が周囲から飛んだ。リタリットはそれにひらひらと手を振る。やや芝居めいた動作で、手を動かして、礼のまねごとをする。何だこいつは、と彼は思わずにはいられない。
「ありがとうありがとう皆さん~ ワタシは嬉しうございます~ ねえヘッド、どう? オレ、コイツ欲しいんだけど」
「俺は構わないがな。皆がどういうか」
ちぇ、という声が明らかに所々から飛んだ。だが、直接否定しようとする声は何処にもなかった。むしろ、仕方ねえなあ、という調子の声がその場には飛び交った。
「ヘッド、コイツ何って呼ぼう?
「BE? 俺はやだぜ? 同じ名は!」
ふとそこに、それまで聞かれなかった声が飛んだ。茶色の髪を短く切った男だった。その目はずいぶんと大きい。夜中の猫の目を彼は思い出す。
「あんたはビッグアイズだろう? でもそうだね、同じだと面倒だねえ。ねえヘッド」
「名付け上手が名付けてやれ」
ヘッドが「頭」であることに彼はその時気付いた。鶴の一声、という奴だ。何だかんだ言って、この男の言葉に誰も逆らおうとしていないのだ。
おっけー、と一言言うと、彼の前で腕を組んで、金髪のリタリットは口をへの字に曲げた。そして数十秒後、よし、と大きくうなづいた。
「BP」
「何だ、大して変わらないじゃないか」
BE――― ビッグアイズと呼ばれた男は、リタリットに向けて声を放る。
「違うよ~ ほら良く聞いて。アンタは『
げ、と周囲がざわつくのを彼は感じる。何が何だかいまいち彼はこの事態を把握できなかった。
「格好良すぎだぜ? リタリット」
何処からともなくひどく楽しそうな声が飛んだ。
「ワタシのネーミング・センスに文句がありましてっ?」
「まあいいさ」
応える様な形で、ヘッドは壁にもたれさせていた背を伸ばした。
「気に入ったなら、リタリットお前の自由にしろ」
「ありがとヘッド。アイしてるよん」
そしてこっちもね、と言うと、この男は、彼の首をいきなり抱え込むと、べじゅ、と音がする程強く、唇に唇を押し付けた。