【39】天使は天使を産み落とす

 その後、数ヶ月経った男爵家では――。


「どういうことだ! その腹は!!」


 結婚前だというのに妊娠し、その腹の膨らみが隠せなくなったエレナが、婚約者のバートンに責められていた。


「僕を裏切っていたのか……エレナ!」


 婚約者のバートンが絶望と怒りを浮かべた顔で怒鳴る。



「だって……みんなやってることだって……知り合いの令嬢も、誘ってきた令息も言ってたし……」



「やってるわけないだろう! 他の貴族の口車に乗せられたな! 何も知らない令嬢を誘ったり陥れる時によく使う言葉だ! ……そんな事もわかってなかったのか!?」


 怒りで頭がおかしくなりそうだ、とバートンは、髪をぐしゃぐしゃとかきむしる。




「バートン様の子じゃなかったのか!?」


「誰の子なの!?」


 両親にも詰め寄られる。




 エレナがこんなに追い詰められるのは初めてのことだった。


 いつもなら、誰しもが自分を笑って許してくれるというのに。



「わ、わからないわ……だって、結婚前にみんな恋は楽しむものだって……」


「あなたはもう婚約していたのよ!? 慎むべきでしょう!?」


「エレナ、私達にはバートン様の子だって言っただろう!」




「つまり、確信犯だということか! 気持ち悪いな! それに僕たちはまだ、そういう関係には至ってない。僕の子でないことは明らかだ!!」


 顔を真っ赤にしたバートンが怒り狂う。


「良くもバカにしてくれたな! こんな淫乱な女、願い下げだ!! 婚約は破棄させてもらう!!」


「そんな、お待ちくださいバートン様……!」


 ハミルトン男爵家全員で、バートンにすがる。しかし――。



 バートンは神経質すぎるほど生真面目かつ完璧主義で、大切なものは異様に大切にするが、自分に汚点をつけたものを絶対に許さない、気位の高い男だった。


「……婚約破棄だけで済むと思うな。賠償金、払ってもらうからな!! 僕をバカにした分と、僕の人生計画が狂う分全てだ!!」





 ――かくして。


 大した財産のない男爵家であるハミルトン家は、賠償金とそれを払うための借金で破産した。



 バートンはバートンで金は吸い上げたものの、完璧だと思っていた自分の経歴に傷がついたことに病み、その後、引きこもり生活になったという。



 エドガーは約束通り通報しなかったが、ミューラの虐待・暴行の件をこのタイミングで使用人達から通報され、親子3人、牢屋行きとなった。



 さらに借金返済のために、知人の屋敷から盗みを働こうとしたことがばれ、さらに罪は重なった。



 裁判中、牢屋暮らしになった3人は、同じ牢に入れられた。


 彼らは、お互いを責め合い、かなりの喧騒を響かせていたという。


「なんで私達がこんなところに閉じ込められなきゃいけないの!」



「ああ……もうなんて事だ。きっと爵位返上になる。私達はエレナ、お前に甘すぎた」


「そうですわね。厳しく育てたミューラは……いえ、私達の本当の子だけあって、慎ましかったわ」


 そう言ってエレナを見る目が冷ややかな両親にエレナは、自分の全てが崩れていくのを感じた。



「ああ、ミューラ……。あの子は大人しくて良い子だった。やはり本当の血を受け継いたミューラを跡取りにしておくんだった!」



「そうね……エレナはいつも我が儘ばかりで……。ああ、ミューラ。私の本当の娘……」



「な……! お父様、お母さま! どうしてそんなことを急に言い出すの!? 私のことを愛してるっていつも言ってくれてたじゃない! ミューラよりも!!」



「そうだ。それなのにお前は……だらしのない令嬢に育ってしまった。この、親不孝ものが……!」


「私達の愛を受け続けてきたのに、あなたが望むことを、なんでも与えてきたのに……いくら見た目が良くても、やはり平民の血はだめね」


「そうよ! いっぱい愛してもらってたわよ! でも、これからもそうなんでしょう? お父様なら、ここから私を出してくれるんでしょう!?」


「この状態で、できるわけないだろう! そんなこともわからないのか、この娘は」


「ああ、もう……。こんな薄汚い衣でできた服を着るなんて屈辱だわ……。エレナ、あなたどうしてバートン様で我慢しなかったの?」


「私を責める前に、お父様とお母さまだって無能なんじゃない!」


 ――愛し合って強い絆で結ばれていたはずの3人は、最後まで自分の事ばかり訴え、その親子愛はひび割れた。



 その後、裁判が終わり刑が決定すると、父親は炭鉱へ、母親は厳しい労働がある収容所へ送られた。


 両親は厳しい労働に栄養不足でしだいにやせ細り、その後はそれほど長い人生ではなかった。


 被害者のミューラなら刑を軽くできるだろうと思い、それを頼む手紙も書いたようだったが、それはエドガーが握りつぶしていた。



 母親とは別の収容所に送られたエレナは、妊婦だった為に、出産までは労働を免れたが――。


「なにこの食事!! 豚のエサじゃないんだから!!」


 と食事を拒否し続け、次第に体が弱り、その上でなんとか出産した。


 生まれて泣き叫ぶ新生児はエレナによく似た金髪だった。


「フフ……! やったわ! 天使が生まれたわ!! 私と貴族の血をひく子よ!! ねえ、おまえ。いつかおまえを高貴なお父様が迎えに――」


 しかし、産湯につけられ、すこし目を開くようになった赤子の瞳の色は――奇抜なオレンジ色だった。


 エレナは青ざめた。


 ――忘れもしない屈辱の夜。


 オレンジの髪に、同じ色の瞳の――ヘラヘラ軽薄に笑う、あの憎き男が頭に思い浮かんだ。


「あ……ああ! 違う違う!! あんな平民の子じゃない!! おまえは、貴族の血をひく子じゃないと駄目なのよおおおお!!」


 生まれたばかりの我が子を絞め殺そうとしたエレナを、側にいた助産師が止めたが、エレナはそのまま収容所の中の独房にいれられた。


「こんなの……おかしいわ……私は王妃になるような人間なのよ……助けてお父様! お母さま!!」


 そして発狂したエレナは牢で叫び続け、看護を受けられずに、日々弱り死んだ。


 そのエレナの子どもは、いずこかの孤児院へと預けられた。



 ――ミューラは、使用人に通報され男爵家がなくなった事は知っていたが、両親やエレナがどうなったのか、その結末は知らない。


 知りたくなかったし、知っていたエドガーも、口にすることはなかった。