アルシューン公国――王都アルシューネは普段通りの日常を迎える。先日迄クーデターを謀った者達が蠢いていた事実が嘘のように、街は平穏を保っている。笑顔で石畳の整然された通りを走り回る無邪気な子供達。朝からパンケーキの店へ並ぶ多種多耳な女性客の行列。
何気ない日常。平穏という名の宝物。
当たり前が当たり前である事がとても大切。
街並みを抜けた先に王都で一番立派な建物が王都アルシューネを見下ろすように佇んでいる。アルシューン公国の中心、アルシューン城。この日、とある人物に呼び出された私は、この場違いな場所を訪れていた。廊下を歩く度、ブーツの音が木霊する。高い天井を見上げつつ、私は目的地へ歩を進める。
「メイ、オ前ハ優シイナ」
「何の事かしら?」
肩を竦ませ、私の前を往く守護者と会話をする。
「マァイイ。ココダナ」
「……そのようね」
大理石が敷き詰められた天井の高い廊下。巨大な建物を支える石柱。見上げる程の重厚な扉を開けると、白虎頭の男が出迎えてくれた。
「メイちゃん! 待ってたっす!」
「貴方に〝ちゃん付け〟される筋合いはないわ」
スピカ警備隊副隊長ヴェガの出迎えを素通りし、隊長の執務室へと入室する私とトルマリン。そう、この日私達は、今回の事件を終え、獅子座の加護――レオ・レグルスとその守護者、サンストーンと会談の場を設けていたのである。
「メイ。そして、トルマリン。今回事件の主犯である上級魔族をよくぞ倒してくれた。君達の協力なければクーデターを食い止める事は不可能だったよ」
「いえ、レオ隊長。無事に王女の命と王都は護られた。スピカ警備隊の迅速な作戦行動あってこそ、私は使命を全うする事が出来た。感謝します」
私は隊長へ向け、恭しく一礼する。守護者であるサンストーンが紅茶を淹れてくれるという事で、お言葉に甘える事にした。トルマリンは毎度お馴染み、温めのホットミルク@猫舌仕様だ。
「そういえば、ヴェガ。お前が共闘した赤髪の青年。メイの知り合いだったらしいぞ?」
「え? そうなんすかっ!? 炎を纏った彼の槍術、中々強かったっすよ!」
そうか、副隊長はハルキと共闘していたんだったわね。クーデター当日の話題に触れつつ、紅茶を嗜む。柑橘系のフレーバーな香りが心を落ち着かせてくれる。
「そういえばご主人様。〝あの事〟をお伝えしておいた方がいいのでは?」
「あの事?」
紅茶のカップを置き、狐耳をピンと立てたサンストーンの発言に眉根を寄せる私。隊長がゆっくり口を開く。
「メイ。上級魔族ジュークを審判したんだろう? 何か〝視た〟んじゃないのか?」
「その事ですか。審判には影響ありませんでしたが、彼の記憶には干渉出来ないよう強力な
ガラステーブル下でホットミルクをペロペロしていた黒猫がテーブルの上へ飛び乗り、妖狐の侍女へ向けこう言い放つ。
「大体ノ予想ハツイテイルノダロウ? サンストーン」
「ええ、懐かしい気配を感じました故。今回起きた一連の事件、全て
守護者同士の会話。審判を終えた後、私も、トルマリンからその〝加護者〟の話を聞かされた。
「欲望、憎悪、嫉妬、憤怒。歪んだ感情こそが上級悪魔の好物。メイ、君はそうではないのかい?」
「私はそんな悪趣味ではないわ、隊長」
髭を弄りつつそう尋ねるレオに私は冷笑する。
「隊長ぉ~~さっきから話が読めないっす~~」
頭上にハテナマークを浮かべるヴェガだけが、話題についていけない様子で口を窄ませていた。
「嗚呼、ヴェガには話してなかったな。あのな。商人や貴族に旨い話を持ち掛け、冒険者へ
「主により極上の
ヴェガの頭上にはハテナマークが浮かんだままだ。
「え? どういう事っすか?」
「オ前ノ頭ニハ脳味噌ハツイテイルノカ」
「この黒猫、酷いっす! おいらだってちゃんと考えてるっす!」
ヴェガはトルマリンを捕まえようとするが、両腕は空を切り、黒猫は私の肩へと飛び乗った。
「教えてやるよ。奴等はな。人間の
「うげっ!? なんすかそれ……」
隊長が説明をしていく内に、みるみるヴェガの表情が曇っていく。口元を覆い、嗚咽を押さえる副隊長。私も生前の肉体だったなら、同じ反応をしていたかもしれない。
「彼女は昔から欲望に塗れた人間の身体を好んで食していた。此処最近目立った動きをしていませんでしたが、どうやら単調な食事に飽きて、部下を寄越したのかもしれませんね」
そして、クーデター前に
「今回残念ながら尻尾を掴む事は出来なかった。だが、もし次、そいつが王都を脅かそうとするなら、俺は斬るぜ」
「いえ、隊長。私が審判をする方が早いかもしれませんよ?」
(私はずっと一人だった。今までもこれからも、そのつもりだったんだけどね)
隊長と私は握手を交わす。
この世界は残酷だ。脅威はいつ背後に潜んでいるか分からない。
それでも抗い、生きようとする者達は確かに存在している。
「メイ、覚エテオケ。蠍座ノ加護――ルルーシュ・プルート。ソレガ彼女ノ名ダ」
「蠍座の加護――ルルーシュ・プルート」
まだ見ぬ宿敵の名を反芻し、私は静かに双眸へ光を灯すのであった。