翌日。私は――再び京都へ向かっていた。理由は言うまでもなく善太郎に呼ばれたからである。別にリモートでもいいじゃないかって言われたけど、彼曰く「実際に接触してみないと分からないことがある」と言われてしまったので仕方がない。
阪急電車は田園地帯を抜けていき、桂駅を出発したところでトンネルに入った。烏丸駅で下車すると、改札口の先に善太郎が待っていた。
「オウ、来てくれたのか。――こっちだ」
言われるままに地上に上がると、オレンジ色の日産GTRが停まっていた。――別に、探偵事務所まで歩いてもしれているのだけれど。
私は、相変わらず煙草臭い車内で善太郎と話をする。
「それで、あの年に立志館大学を卒業してなおかつミス研に所属してた面々ってどれだけ集まったのよ?」
「結構集まったぜ? ――7人ってところか」
「私と速水くんを入れて9人ね。かなりの大人数じゃないの」
「そうだな。そのうち実際に作家としてデビューしたのはお前だけだけどな」
「あら、そうなの? 私以外にもいると思ってたけど」
「現実はそんなに甘くねぇ。みんな、小説家を夢見ては――砕け散っている。お前のような存在は、貴重だと思うぜ?」
「そっか。――事務所、着いたけど」
その日はいつも混んでいる四条通の割にすんなりと目的地へと辿り着いた。ビルの最上階に上がって、速水探偵事務所の中へと入っていく。
応接間には、私以外に8人の男女がソファに座っていた。――見覚えがあるかもしれない。
女性の1人が、私に話しかける。
「あら、彩香ちゃん。久しぶりね。――私のこと、覚えてる?」
えーっと、誰だったっけ。切り揃えられた髪に、ポニーテール。――思い出した。
「えっと……礼子ちゃん?」
「そうよ。
「当たり前でしょ。私は人より記憶力が良いって自覚してるし」
私がそう言うと、目黒礼子は笑った。
「アハハ、確かにそうね。彩香ちゃん、理工学部でも常に成績上位だったじゃないの。文系の私が言うのもアレだけど、彩香ちゃんみたいな頭脳の持ち主は羨ましかったわ」
「そう? ――まあ、そうなんでしょうね」
それから、私はしばらく目黒礼子と話をしていた。現在の彼女は大阪の大手広告代理店に勤めていて、それなりに充実した生活を送っているらしい。――こっそり私の小説も宣伝してもらおうかしら。
そんなことを考えつつ、他の面々も自己紹介していく。
「俺は
「アタシは
「僕は
「私は
「僕は
「僕は
容疑者候補が揃ったところで、善太郎は話をする。
「――お前たちに集まってもらった理由は、言うまでもなく京都で起きている連続猟奇殺人事件を推理するためだ。オレ1人の力じゃどうにもならないからな、元ミス研の力を借りようと思う。いいか?」
当然だけど、全員の答えは――一致して「はい」だった。というか、「いいえ」と応える人間は皆無だった。
***
「――そういう訳だ。被害者はこの2人で、いずれも烏丸御池の公園で遺体が見つかっている。とはいえ、殺害現場がこことは限らない。オレは、あらかじめ2人を殺害したうえで遺体を公園に遺棄したのではないかと考えている。――誰か、他に考えはないか?」
善太郎の話に食いついたのは。目黒礼子だった。
「えーっと、顔は硫酸のようなもので溶かされていた訳なんでしょ?」
「オウ、そうだな。――それがどうした?」
「これは飽くまでも持論なんだけど、犯人はそういう薬品に長けた人間なんじゃないのかなって思って」
薬品に長けた人間――椎田英美里か村松諒太か。いや、2人ともシロという可能性もある。この考えは一旦捨てるか。私は、それを踏まえたうえで――発言した。
「薬品に長けた人間だと、椎田英美里か村松諒太が怪しいわね。――いや、ミス研の中に犯人がいるとは限らないんだけど」
私の意見に対して、村松諒太が反論する。
「いくらなんでもそれは言い過ぎですよ。僕が殺人を犯したとでも言いたいんでしょうけど、普通に考えてそんなことはしませんよ」
当然だけど、椎田英美里も同調していく。
「アタシもそんなことしないわよ。確かに化粧品会社ってそういう薬品も扱うかもしれないけど、アタシは飽くまでも化粧品のセールスよ? 実際に作ってる訳じゃない」
若干ギスギスしてきたのを察したのか、善太郎が間髪入れずにフォローをする。
「まあ、そういうことだ。――お前たちが事件の犯人とは一言も言っていない訳だしな」
それはそうだろう。――私は頭を掻いた。
そして、みんなに話をした。
「とにかく、速水くんがみんなを呼んだ理由は犯人探しじゃなくて事件の解決だから。それだけは弁えてよ」
私の話で、ギスギスした雰囲気は若干消えていった。
***
その後も話は続いたが――大した手がかりは得られなかった。でも、みんなの考えは中々いい線をいっていた。
善太郎は、腕を組みながら話す。
「当たり前の話だけど、それぞれの考えは参考になるぜ? 少なくともオレは気に入った。――だが、まだ証拠が足りない。そこでオレは考えた」
私は、善太郎に「考え」を聞いた。
「考えたって、何を?」
「――グループチャットだ。みんな、スマホ持っているよな? スマホのグループチャット機能を使って、意見を共有し合おうということだ」
目黒礼子が、善太郎の考えに頷いた。
「良いわね、それ。――私は賛成よ? みんなはどうかしら?」
彼女の問いかけに、全員が納得してくれた。――まあ、そうだろう。
グループチャットという手段を手に入れたことによって、私はわざわざ京都に出なくても事件を解決することができる訳であって、なんなら家にいながら片手間に事件を解決することができる。――能率的だ。
帰りの電車の中で、「ミス研出身者の集い」というグループチャットを見る。そこには、確かに先ほど話をしていた面々が画面上に表示されていた。
その中で、私はある意見が気になった。メッセージの送信元は天金塁だった。
――俺、京都の桂川周辺に住んでいるんだけど、そういえば最近気になるモノを目にすることがある。
――黒い車に、覆面を被った人間? 明らかに怪しい人物を何度か目撃したことがあるんだ。
――多分、事件と関係がありそうでなさそうだと思うけど、参考までに共有しておく。
メッセージはそこで終わっていた。――なるほど。
確かに、黒い車で覆面は――怪しいとしか言いようがない。私はなんとなく銀行強盗犯を想像した。
覆面人間のことを考えていると、電車は淡路駅に停車した。――そろそろ十三か。降りないと。
十三駅で神戸線に乗り換えて、一旦西宮北口まで出たところで――私は改札口を抜けた。敢えて芦屋に戻らずに西宮北口で下車したのには、それなりの理由がある。
西宮北口という場所は映画館が併設された巨大なデパートがあるが、そこは富裕層向けの施設である。デパートの反対側は――貧民層向けの施設が多く、度々治安問題が取り沙汰されている。
私は、デパートの反対側――駅通りを歩く。治安が良すぎる優等生としての芦屋と比べると、西宮の治安は断然悪い。兵庫県の南東部は芦屋と西宮の間で「住みたいまちランキング」の1位と2位を常に争っているが、正直言って――西宮に住もうという気にはなれない。芦屋で十分だ。
そんなことを考えながら、私は西宮北口のスラム街を歩いていく。――ホームレスが酒盛りをしている。私はこういう光景を見ながら、『棒人間の殺人』を書き上げたんだっけ。
やがて、スラム街を抜けて――目的地へと辿り着いた。古本屋である。私は、アイデアに行き詰まった時、西宮北口の駅通りにある古本屋で小説のネタを収集するのだ。
店に入るなり、いつものおばちゃんが――私に声をかけてきた。
「おや、彩香ちゃん。今日はどんな用だい?」
「実は――気になることがあって」
「気になること? 誰にも言わないから、言ってみなさいよ」
「分かっているわ。――京都で連続猟奇殺人事件が発生したのは知ってるよね?」
「知ってるわよ? テレビも新聞もその話題ばかりよ。まったく、平和に過ごそうと思っているのに、いい迷惑よ」
「それはそうね。――それで、私は探偵に頼まれて事件の解決を依頼されちゃったって訳」
「それはすごいじゃないの! 推理作家として冥利に尽きてやってもいいんじゃないの?」
「それは買いかぶりすぎよ。――ともかく、私は一刻も早くあの事件を解決しないといけない。でも、あまりにも証拠が不十分で困ってるのよ」
私がそう言うと、古本屋のおばちゃんは――話す。
「――これ、持ってると思うけど……どうかしら?」
古本屋のおばちゃんが持ってきた本には『緋色の研究』と書かれていた。本自体は年季が入っていて、相当古い代物であることに変わりはない。
「えっと……『緋色の研究』って、シャーロック・ホームズの最初の事件としてよくネタにされてるヤツよね? 確か、毒殺されたアメリカ人の遺体が見つかってどうたらこうたらって……」
「よく知ってるわねぇ。流石ミステリオタクだわ」
「ミステリオタクじゃないと、小説家という職業は務まりませんからね。――というか、これ……もらっていいの?」
「良いわよ? お代はいらないし、『緋色の研究』は他にも売り物があるからねぇ」
「じゃあ、ありがたく頂くわよ」
そういう訳で、私は古本屋のおばちゃんから『緋色の研究』を譲ってもらうことになった。――採算、取れているんだろうか。
***
家に帰って、『緋色の研究』をパラパラと読み進める。『緋色の研究』自体はそんなに長い作品ではないので、30分から1時間あればあっという間に読めてしまう。
それにしても、こうも不可解な遺体が2つも見つかると――やはり、疑心暗鬼になってしまう。善太郎が殺人を犯すとは考えていないにせよ、怪しいのはミス研の同期のメンバーだろうか。私と善太郎を除いた8人全員が何かしら怪しく見えるが、私としては天金塁が言っていた「覆面人間」である。8人の誰かが件の人間だとしたら、それはそれで悲しい話だが……どうなんだろうか。
そんなことを考えながらベッドで仰向けになっていると、スマホが短く鳴った。グループチャットを見ると、呉島蜜里がメッセージを発信していた。
私は、メッセージを読んでいく。
――あの時言うのを忘れてたけど、私の勤務先って四条通なの。速水くんの探偵事務所があるすぐ近くのビルね。
――それで、私……天金くんが言ってた覆面人間を目撃したことがあるの。
――目撃した場所は京都市役所の近く。まあ、言ってしまえば烏丸御池付近ね。
――私が目撃したのは、黒い車から覆面を被った人間が出てきて、女性を犯してたところだったわ。というか、多分……誰かを殺したんでしょうね。
――まあ、こんなところかしら? 一応、グループチャットには共有しておくから。
やはり、この事件は京都市内に土地勘を持つ人間による犯行なんだろうか? それとも、善太郎への挑発としてわざわざ京都市内を犯行場所に選んだのだろうか? 私はたくさんの可能性を考えてみたが――いずれも決め手に欠けるところが正直な感想である。――また、スマホが短く鳴った。
メッセージの送信元は善太郎だった。どうやら呉島蜜里のメッセージを読んだらしい。
――オウ、オレも蜜里のメッセージは読ませてもらったぜ?
――なるほど、覆面人間か。塁と蜜里の2人から同じようなメッセージが送られて来るってことは、犯人は京都市内の土地勘に精通している人間だろうな。
――オレは引き続き事件について調査していくぜ? お前、早く寝たほうがいい。
善太郎がそう言うので、スマホの時計を見ると――時刻は午後11時になろうとしていた。いくらなんでも、寝なければ。
私は白湯で睡眠剤を流し込んで、ベッドに入った。
ベッドに入った瞬間、意識はすぐになくなった。――どんな夢を見たかは、覚えてない。
***
翌日。私はスマホのアラームでいつも通り目を覚ました。午前6時30分である。あれからグループチャットに何かメッセージは入っていないかと見てみたが、大した手がかりはなかった。
とはいえ、件の覆面人間は重要な手がかりである。その件は善太郎に任せておくとして、私は新しい小説――京極冬彦のパクり小説――の続きを書くことにした。
相変わらず、自分の好きなことを書いていくことは楽しい。ダイナブックの画面には文字がギッシリと詰まっていた。――多分、40行×40字の原稿用紙75枚ぐらい。でも、まだ書き足りない。どこまでも書いていけるような気がした。落とし前をつけないといけないけど、どこで落とし前をつけるべきだろうか。そんなことを考えながら、私は原稿を書きまくっていた。
やがて、原稿用紙が100枚を超えたところで――私は文末に「了」の文字を打った。ちょっと書きすぎたか。溝淡社に出すかどうかは、決めてない。
小説を保存したところで、スマホが短く鳴る。メッセージの送信元は、善太郎だった。それも、グループチャットじゃなくて、私に対して直接送ってきた。
――彩香、悪いことは言わないから、今すぐ京都まで来てくれ。
メッセージはそれだけで終わっていた。――仕方ないな。
私は善太郎からのメッセージに対して「OK」を示すスタンプを送信した。つまり、「これからそちらに向かう」という合図でもあった。
アパートを出た私は、芦屋川駅から阪急に乗って京都へと向かうことにした。1時間30分弱の間に悪いことが起こらなければいいけど、私はなんとなく不安だった。当然、スマホで音楽を聴いている余裕はなかった。
電車が烏丸駅に着いたところで、私は改札口を抜けた。――目の前に、善太郎がいる。
善太郎は話す。
「来てくれたか。――今すぐ、事務所に向かうぜ?」
「分かったわ。私だけ呼び出すってことは、相当深刻な事情でもあるんでしょうね」
「それが深刻かどうか判断するのは、お前じゃなくてオレだ」
そう言いながら、私は四条通に停まっていた善太郎の日産GTRに乗り込んだ。それでよく違法駐車にならないなと思いつつ、車は探偵事務所に向かって走っていた。
探偵事務所があるビルに着いたところで、善太郎は話す。
「――オレ、事件の真相が分かったかもしれない。それがどういう結末になるかはさておき、先にお前だけには話しておこうと思ってな」
「私に? まあ、いいわ」
そう言って、善太郎は――先にビルの中へと入っていった。
仕方がないので、私も、善太郎の後に続いてビルの中へと入っていった。