「遺体の発見場所は、案の定烏丸御池にある公園だったぜ? 月下弥生が殺害された場所と同じだな。被害者は――
遺体発見のニュースを受けたのか、善太郎は私のスマホに電話をかけてきた。
私は、彼から寄せられた情報を飲み込んだうえで話す。
「それはそうでしょうね。――とはいえ、同じ手口で2人も殺害されたとなると、さらなる事件の可能性も考えられるわ。速水くん、ここはあなたの腕の見せどころよ?」
「ああ、当然だ。すでに事件解決の依頼は京都府警から承っているぜ?」
「――仕事、早いわね……」
「ハハハ、オレを何だと思っているんだ?」
「なんでもない。とりあえず、私に協力できることがあれば何でも言って」
「オウ、分かってるぜ」
善太郎がそう言ったところで、私は――通話アプリの終話ボタンを押した。
仕方がないので、私は2つ目の事件について記事を読むことにした。
記事を読んで分かったことがあるけど、確かに殺害されたのは善太郎が言っていた通り武田早紀という女性だった。年齢は28歳で、職業は派遣社員か。遺体は烏丸御池の公園で大の字に広げられた状態で遺棄されていたが――殺害場所がこことは限らない。もしかしたら、犯人はあらかじめ彼女を殺害したうえで遺体を遺棄した可能性もある。私はそう思った。
そういえば、事件現場に凶器類は残されていたのだろうか? 仮に残されていたとしたら、犯人の手がかりはつかめるはずである。私は、善太郎のスマホにメッセージを送信した。
――速水くん、少し聞きたいことがあるんだけど、事件現場って、凶器の類は残されてたの?
――覚えてることがあったら、私のスマホに返信してちょうだい。
これでいいか。――既読はすぐに付いた。
既読が付いてから数分後、スマホが短く鳴った。当然、送信元は善太郎だった。
――凶器か。……言われてみれば、月下弥生の事件は凶器が残されていなかったな。
――そうなると、やっぱ武田早紀の事件も同じか。一応、2人とも直接的な死因は
――この時点で、公園で直接殺害したという線は消えるか。あとは犯人がどこで2人を殺害したかだが……全く見当が付かねぇ。
――オレは引き続き事件について調べていくから、お前も調べられることは調べておけ。
メッセージはそこで終わっていた。――少しだけ、事件解決に近づいたかな。
***
善太郎からのメッセージを読み終わったところで、私はなんとなく本棚から『棒人間の殺人』を手に取った。――読むか。
話の内容をザックリ説明すると、「神戸でホームレスを狙った連続猟奇殺人事件が発生して、たまたま殺害現場を見てしまった主人公が事件を解決する」というミステリとしてはありきたりな内容である。当然、それだけじゃつまらないので、私は主人公に対して自分の心をそのままトレースした。つまり、主人公は心に闇を抱えていて、なんというか――メンヘラというか、ヤンデレというか、そんな感じである。そういう主人公の何気ない闇を抱えた言動が、Z世代の共感を呼んだのだろう。
それにしても、我ながら文章が拙いな。こんな代物が大ヒットするなんて、自分でも信じられない。ちなみに、私の担当者曰く「あまりにも売れるから単行本でも出すべきだろう」という案もあったらしい、溝淡社のお偉方から却下されてしまった。
――ちょっと待った。『棒人間の殺人』における事件の舞台は神戸だけど、例の事件はいずれも京都で起こっているな。となると、犯人は京都市内に在住している人間だろうか。当然、速水善太郎は容疑者から除外したうえで考えている。
それに、もう一つ気になることがある。私は『棒人間の殺人』において被害者をホームレスにしたが、例の事件において狙われたのはいずれも女性である。職業こそ違うけど、年齢は近い。そうなると、私の小説とは無関係なところで――事件は起きているのか。偶然にしては、あまりにも出来すぎている。
私は、『棒人間の殺人』を読みながら事件について考える。小説の中において、探偵役――名前は
犯人の動機は「勤務先をクビになったことによって『どうでも良くなった』」ということにして、現代社会においてすぐそこで起こり得る殺意をそのまま原稿用紙に殴り書いた。――だから、ライト文芸というジャンルで考えると予想外に売れたのだろうか。もっとも、『棒人間の殺人』が売れたことによって私は一躍時の人には……ならなかったのだけれど。
それから、私は『棒人間の殺人』を最後まで読み終わった。――改めて思うけど、やっぱり文章が拙い。私は中学生の頃から「京極冬彦のようになりたい」と思いながら小説を書いていたが、どう考えても自分にはそういう類の才能がない。所詮、凡人は凡人でしかないのだ。だから「文芸第三出版部のお荷物」なんて言われてしまうのだろうか。――スマホが鳴っている。
私は、着信画面に表示されていた名前を見て――躊躇った。でも、大事な人からの電話は出ないといけない。
少し間を置いたうえで、私は通話ボタンを押した。
「――もしもし?」
私の「もしもし」に対して、電話の主は――間抜けな声で話す。
「卯月先生にしては声が明るいですね。――もしかして、機嫌が良いことでもあったんでしょうか?」
間抜けな声で話す男性。それこそが、私の溝淡社での担当者――文芸第三出版部の
そういう真田宗介のフランクな質問に対して、私はやんわりと否定した。
「いや、そんな訳じゃないんですけど……。それはともかく、わざわざ私のスマホに電話をかけてくるなんて、一体どうされたのでしょうか?」
そう言うと、彼は――私が予想していた通りのセリフを発した。
「新作小説の原稿、どうなっているんでしょうか? 一応ゲラの方は一通り読ませてもらいましたが、卯月先生の文章って少しネガティブすぎるんですよね。一応、僕は嫌いじゃないですけど、明らかに読者を選ぶタイプの文章でしょうね」
「そうですか。――まあ、そうでしょうね」
「もし、修正稿があればこちらに送ってほしいんですけど、多分……相当苦労しているんでしょうね。心中お察し申し上げます」
「分かりました。原稿の方は修正ができ次第そちらに送りますので、少し待っていてください」
「承知しました。――そういえば、京都で卯月先生の小説に似た手口の事件が発生したらしいですね。今朝の朝刊で見ました」
「そのニュースなら、私も見ました。現時点で2人殺害されていて、被害者はいずれも若い女性だとか。まったく、小説を読んで犯行に及ぶって、どうかしていると思いますけど……」
「まあ、それだけトリックが実際に実現可能なモノだったんでしょうね」
「実際に実現可能なトリック? ああ、確かに――『棒人間の殺人』は金属バットと硫酸さえあれば犯行は可能ですけど。でも、犯人は捕まっていないじゃないですか」
「もしかして、卯月先生――本気であの事件を解決しようと考えているんでしょうか? そういうのは警察に任せておいたほうが良いと思われますが……」
「ですよね。――何か、すいません」
「いや、いいんですよ? それも小説家の仕事だと思っていますし。――これ以上執筆の邪魔をしても申し訳ないと思いますし、僕はこれで失礼します」
そう言って、真田宗介は電話を切った。――自由なやつだ。
彼に言われたからには、ここはゲラを修正しないといけないか。私はダイナブックで『
題名が示す通り、『狐面の死神』は狐のお面を被った殺人鬼による連続猟奇殺人事件を庵野千鶴が食い止めるというモノである。
庵野千鶴を主人公として登場させたのは私の唯一のヒット作である『棒人間の殺人』以来2度目ということもあって、溝淡社からの期待は高まる一方だった。そして、溝淡社が期待を高めれば高めるほど、私の胃は痛くなるし食欲は減るしおまけに不眠症に陥ってしまうのだ。
原稿のマスターアップ自体は終わっているが、細かい誤字脱字やニュアンスの修正なんかで校正が入っていて、私は度重なる修正に対して――頭を抱えていた。
そんな最中で発生した今回の事件。――正直言って、私を挑発しているとしか思えない。偶然だろうが必然だろうが、この事件は起こるべくして起こったのか。
そういうことを考えつつ、私は『狐面の死神』の原稿を修正していく。修正箇所は真田宗介からメールが送られてきたので、それを見ながら修正していけばいいだけの話である。
***
原稿を修正してから2時間が経った。――これでいいな。
私は、溝淡社宛に原稿を添付してメールを送信した。そのうち、真田宗介からの返信メールが来るだろう。
牛乳で少し薄めたコーヒーを飲んで、一息つく。――善太郎、どうしてるんだろうか。善太郎のことが気になった私は、とりあえず――彼に「事件、どうなってる?」という短いメッセージを送信した。――既読はつかない。やっぱり、事件の捜査でいっぱいいっぱいなんだろうか。
仕方がないので、私はサブスクで適当に曲を垂れ流すことにした。ランダム再生だから、hitomiじゃなかったことだけは確かである。それから、私の方でも事件について考えてみる。――仮に、月下弥生と武田早紀が同じ勤務先だとしたら?
確かに、武田早紀は派遣社員だが――勤務先は、月下弥生が勤めているWebデザイン事務所という可能性も考えられる。武田早紀は、そこで派遣会社から派遣されて働いている。となると、やはり犯人はWebデザイン事務所の社員なのだろうか。
事件解決の糸口が見えてきたところで、スマホが短く鳴った。――言うまでもなく、善太郎からだろう。
スマホのロックを解除すると、確かに善太郎からの新着メッセージが3件入っていた。私はそれを読んでいく。
――オウ、事件についての手がかりは依然掴めないままだぜ?
――ただ、オレとしては月下弥生の勤務先が怪しいと見ている。彼女、勤務先は四条通にあるWebデザイン事務所だったな。
――もしかしたら、そこに何かのヒントがあるかもしれないな。オレはとりあえずそこへ行ってくるぜ?
メッセージはそこで終わっていた。――なんだ、私と同じことを考えてたのか。そうなると、事件解決の手間が省けるかもしれない。
善太郎と入れ替わるようにして。今度は溝淡社からメールが送られてきた。これは流石にスマホよりもダイナブックで開くべきだろう。
溝淡社からのメールには、「原稿に対する修正箇所はありません」という旨のメッセージが送られていた。――これで、いつでも発刊できるのか。私は少し安心した。
そして、メールに対して「ありがとうございます」と返信しておいた。
することもないし京都まで出てやろうかと思ったけど、まだそこまでのフェーズではない。私にできることといえば、こうやってスマホで善太郎とやり取りして、事件を解決に導いていくことしかできないのだ。なんとしても犯人による凶行を食い止めなければいけないのだけれど、私にそれだけの力は持っていない。――困ったな。
悩んだ末に、私はこれまでに発生した事件について振り返っていくことにした。月下弥生にせよ、武田早紀にせよ、後頭部を殴られたことによって命を落として、顔に硫酸をかけられている。そのうえで、顔に硫酸のようなモノをかけられている。つくづく思うが、犯人の手口が
そんなことを考えていると、善太郎からスマホ宛に着信があった。――電話で話したいのか。私は通話ボタンを押した。
「速水くん、どうしたの?」
「今、オレは月下弥生が勤務していた場所にいる。オレが探偵だと伝えたら、あっさりと社内に入れさせてもらったぜ?」
「そうなのね。それは結構。――それで、事件について何か分かったことでもあるの?」
私の質問に対して、善太郎は確信した声で答えていった。
「オレが思った通り、月下弥生と武田早紀は同じ勤務先だったぜ? 一応、武田早紀という人物は派遣会社から派遣されているが――それでも、月下弥生のオフィスで働いているということは事実だ」
「なるほど。Webデザイン事務所の名前はなんていうの?」
「ああ、『スタジオゼブラ』だ。――多分、あのアニメ制作会社とは無関係だろうな」
「それはそうよ。名前は微妙に似てるけどさ」
善太郎が言うには、「スタジオゼブラ」は中堅どころのWebデザイン事務所であり、勤務人数はリモートを含めて50人程とのことだった。彼も言ってたけど、多分「劇中の飯が美味しそうに見えるアニメ会社」とは無関係なのだろう。でも、これだけは言いたい。――バルス。
心の中でボケをかましたところで、私は話を続けた。
「で、スタジオゼブラの社員で怪しそうな人物はいたの?」
善太郎は、私の質問に答えていく。
「うーん、これと言って怪しそうな人間はいなかったぜ? 一応、社員名簿は渡されたけどな」
「社員名簿ねぇ……。コンプライアンス的にマズいとは思うけど、その社員名簿――私に転送してくれないかしら?」
「流石にそれはダメだ。――まあ、オレが目星を付けた人物なら転送してやってもいいけどな」
「目星は付いてるの?」
「いや、これからだ。少し時間をくれ」
「分かった。――待ってるから」
善太郎との電話は、そこで終わった。――大事になる前になんとかなるのだろうか。
***
こういうことで京都まで出向くのも面倒なので、私は安楽椅子探偵的な立場で善太郎を支えることにした。今の時代、スマホやパソコンさえあればいつでも顔を見ながら話ができるし、わざわざ事件現場に出向く必要性は感じられない。
元々自分は引きこもり体質なので、外に出るという行為自体が体力を大量に消耗する。――少し外に出ただけで疲れてしまうのだ。
とはいえ、やはり外に出なければいけない時もあるので、そういう時は基本的にマスクとサングラスを着けたうえで外出するようにしている。
思えば、私は昔から「人と接すること」が苦手だった。なんというか、他人の顔を見ただけで過呼吸を起こしてしまうのだ。だから、面接でも自分の言いたいことを上手く言えないし、友達を作ろうと考えたこともなかった。
辛うじて中学校の頃に「
そうやって考えると、速水善太郎という人物は――こんな私に対して優しく接してくれていた。一体、どういう理由があったのだろうか? そんなことを考えても仕方がないのだけれど、やっぱり気になる。10年ぶりに会ったあの日から、私の中の錆びついていた歯車が、少しずつ動き出しているような気がする。そして、その歯車は、やがて――私の閉じた心の扉を開いてくれるはずだ。
***
善太郎から手がかりが送られてくるのを待っている間、私はなんとなくスタジオゼブラのホームページを見ることにした。スタジオゼブラはそんなに大きな会社ではなく、勤務人数は善太郎が言っていた通り約50人と書いてあった。そのうちリモート勤務が25人で、実際にオフィスで勤務しているのは半分の25人か。――月下弥生と武田早紀を除いたら、容疑者は23人まで絞られることになる。いや、そもそも内部犯とは限らないか。仮にこの事件がスタジオゼブラの社員ではない外部犯によるものだとしたら、一体誰がこんなことをしたのだろうか? そう思った私は、四条通で目撃した「ぶつかり屋」のことを思い出していた。
確か、「ぶつかり屋」はわざと相手にぶつかって金品をせしめようとする輩のことで、言ってしまえば「カツアゲ」の類である。あの時、恐喝の疑いで逮捕されたのは「
勝田譲治のことが気になった私は、善太郎のスマホにあるメッセージを送信した。
――そういえば、「ぶつかり屋」として逮捕された勝田譲治って、一連の事件と関係あったりするのかな?
――何か、彼に関して分かってることがあったら教えて。
これでよし。既読は――付かない。多分、今の善太郎はスタジオゼブラの社員名簿から事件の容疑者を割り出しているところなのだろう。
スマホを見ると、時刻は午後4時30分ぐらいになろうとしていた。
暇を持て余すのもどうかと思った私は、なんとなく――『狐面の死神』とは別の原稿を書こうとしていた。真っ白な原稿用紙には、1つも文字が書かれていない。でも、どうせこの原稿もボツにしてしまうのだろう。それぐらい私のメンタルは限界を迎えようとしていた。
色々考えた末に、私は京極冬彦のパクり――というか、京極冬彦のような怪奇推理小説を書こうと思った。自分の好きなモノを書いているときは楽しいのか、ダイナブックの画面には次々と文章が浮かび上がってくる。書いては消して、消しては書いてを繰り返しているうちに、原稿用紙は15枚になろうとしていた。
そして、原稿用紙が16枚目に入ろうとした時に――スマホが短く鳴った。スマホの画面を見ると、新着メッセージが入っていた。
――オウ、今何してるんだ? オレは容疑者の精査が終わったところだぜ?
――そして、残念なことにスタジオゼブラの社内には怪しげな人物は見当たらなかったぜ。オレとしては予想外の事態で頭を抱えている。
――メッセージにあった通り、お前が四条通で被害に遭いかけた「ぶつかり屋」との関連性も少し疑ってみたが、正直言って脈ナシだ。
――かと言って、親父の力はあまり借りたくないしな。困ったぜ。
――彩香、お前はどう思う?
スマホのメッセージはそこで終わっていた。――「どう思う?」って言われても、どうしようもないじゃないの。そして、善太郎の父親って――どういう人物なのよ。私、知らないわよ。そんなことを思いつつ、彼からのメッセージに対して返信した。
――そもそも、速水くんのお父さんってどういう人なの? 私、知らないわ。
既読が付いて10秒で、返信は送られてきた。
――ああ、お前に話してなかったな。オレの親父は京都府警の警部だ。名前は
そうだったのか。善太郎の父親は警部だったのか。だから、善太郎は刑事になろうとして――夢破れたのだろう。そして、探偵になった。私はそういうふうに考えるしかなかった。
私は、善太郎からのメッセージに対して――返信した。
――だったら、素直にお父さんの力を借りればいいじゃないの。
でも、善太郎の返事は――申し訳無さそうなモノだった。
――すまない。親父に合わせる顔は持っていない。なんというか、オレは親父から
――多分、親父はオレがこの事件を追っていることを見透かしていると思うが、それでもやっぱり親父とは会いたくないんだ。分かってくれ。
メッセージはそこで終わっていて、ついでにお祈りするキャラクターのスタンプも添えられていた。――善太郎の気持ちは、痛いほどよく分かるかもしれない。
そうなると、この事件は迷宮入りだろうか。――いや、そんなはずはない。どこかに
そう思った私は、改めて『棒人間の殺人』を読む。劇中で殺害されたホームレスの数は4人で、5人目の被害者が出ようとしていた時に、主人公である庵野千鶴がすんでのところで事件を阻止している。――ミステリとしてはありきたりな展開だ。
仮にこの事件が『棒人間の殺人』をトレースしているとすれば、あと2人から3人は被害者が出るという計算になるのか。それだけは避けたいけど、私にそんな権限はないし、当然だけど善太郎にもそんな権限はない。私にできることといえば、善太郎と共に事件を推理することしかできないのだ。
こうしている間にも、時間は刻々と過ぎていくし、お腹も空く。――気づけば午後6時か。何か食べなければ。
電子レンジでレトルトのカレーライスを温めて、解凍した冷凍ごはんの上にかける。それだけでも立派な料理なのかもしれないけど、やっぱりカレーは自分で作ったほうが美味しい。そう思いつつ、私はカレーを口にしていった。
それから、改めて怪奇推理小説の原稿を書きつつ――例の殺人事件のことも考えていた。どっちか一つに絞れば良いんだろうけど、どうしても考えてしまう。
コロコロとボールペンを転がしたところでどうにもならないのは分かってるんだけど、手持ち無沙汰で転がしたボールペンは――テーブルから床へと落ちた。
私は、床に落ちたボールペンを拾って――テーブルへと戻した。そして、再び小説の原稿を書いていた。
***
原稿を書いてから2時間が経過した。――例の事件に関する進展はない。やはり、これ以上多くを望むことは不可能なのだろうか? そう思った私は、善太郎のスマホにメッセージを送信した。
――速水くん、色々とゴメン。
――私だって、好きでこんなことをやっている訳じゃないんだけど。
――せっかく久々に会えたと思ったら、殺人事件に巻き込まれちゃって、正直どうかしてると思う。
――ああ、これは飽くまでも私の愚痴だから……無理に既読を付けなくてもいいのよ? それじゃ、おやすみ。
眠るキャラクターのスタンプを添えて、善太郎に対するメッセージはそこで終えることにした。既読は付いていない。どうせ私は小説の執筆で忙しいから、逆にメッセージを送ってこられると困るんだけど。
ダイナブックで京極冬彦のパクりのような小説を書いていて気づいたけど、「ぬっぺらぼう」なんて妖怪がいたな。もちろん、京極冬彦もこの妖怪をネタにして小説を書いていたか。
なぜ顔のない肉塊のような妖怪が「ぬっぺらぼう」って呼ばれているかはよく分かってないし、諸説あるんだけど、昔見た水木しげるのイラストを見て「不気味な妖怪だ」と思っていたのは確かである。――顔のない妖怪か。例の事件の犯人は、被害者を「棒人間」ではなく「ぬっぺらぼう」として見立てていたとしたら?
そういう考えに至った私は、善太郎にその旨のメッセージを送った。
――夜分にゴメン。やっぱり眠れなかった。
――それはそうと、犯人の狙いが分かったかもしれない。
――多分、犯人は「ぬっぺらぼう」という妖怪に見立てて2人の女性を殺害したんだと思う。
――速水くんがどう思うかはさておき、参考までに伝えとくから。
――それじゃ、今度こそおやすみ。
既読は――やっぱり付かない。まあ、時刻は日付変更線を越えようとしていたし、当然だろうか。でも、下手に寝たら悪い夢にうなされるかもしれない。そう思うと、なんだか眠れない。早い話が不眠症である。眠れないと思いながら原稿を書いているうちに、原稿用紙は30枚を越えようとしていた。
それでも、寝ないと体に悪い。――キリの良いところだし、寝るか。
私は
***
鏡に、裸の自分が写っている。
白い肌に、
改めて自分の姿を見ると、あまりにも不健康である。――いつか死んでしまうのではないのか。自傷行為の傷痕も相まって、我ながら死の匂いが漂っている。
そういえば、自分の顔って――どんな感じだったっけ?
私は鏡で自分の顔を見ようとしたのだけれど、――ない。顔がない。
まるで、ぬっぺらぼうのように自分の顔には部品と呼ばれるモノがなかった。そこにあったのはただの肉塊でしかなかった。
「――い、いやああああああっ!」
私は、そういう自分の姿を見て――悲鳴を上げた。
***
ああ、夢か。悪い夢だな。呼吸は荒いし心臓の鼓動は強く早く脈を打っている。
私は洗面台で自分の顔を確認したけど、顔の部品はすべて揃っていた。――当然だろうか。夢の世界が現実で起こるなんて、あり得ない。
とりあえず
スマホの時計を見ると、時間は午前3時ぐらいだった。――善太郎からメッセージが来ている。
私はメッセージアプリで、送られてきた一連のメッセージを確認した。
――あのなぁ、お前……いくらなんでも限度ってもんがあると思うぜ? 伝えたいことがたくさんあったのは分かるけどな。
――それで、遺体に対して「ぬっぺらぼう」という見立てを考えたことはファインプレーだったと思うぜ?
――いくらお前が京極冬彦のオタクだからといっても、オレはそこまで考えが及ばなかったからな。
――オレ? オレは……正直言って、行き詰まっている。これ以上手がかりは掴めないからな。
――まあ、そのうち親父……というか、京都府警が事件を解決してくれるだろう。オレたちの出番は終わりだ。
――後のことは、警察に任せるんだ。オレはもう寝るぜ。
メッセージはそこで終わっていた。送信日時は午前1時か。結構遅くまで事件と向き合っていたんだな。真面目に事件と向き合っている善太郎の姿を想像したら、少しだけかわいいと思ってしまった。
そういうメッセージを見ながら、私は――眠りについた。当たり前だけど、悪い夢なんて見なかったし、そもそもどんな夢を見たかは覚えていない。
***
スマホが鳴っている。――午前6時30分か。起きなければ。
伸びをしてベッドから降り、ダイナブックでメールを確認する。当たり前だけど、大したメールは来ていない。
バナナをかじりつつ、私は事件の続報について調べていたが、あれから事件が起きた
それから、原稿を書こうと思ったら――スマホが鳴った。どうやら、善太郎が電話をかけてきたらしい。
私は、通話ボタンを押した。
「――彩香、少しいいか?」
突然のメッセージに、私は困惑しつつも答えていく。
「どうしたのよ? 事件のことは忘れようって言ったじゃん」
「オレだって忘れようと思った。でも、どうしても忘れられないんだ」
「もう、しつこいわね。――いい加減忘れなさいよ」
「ああ、お前ならそういうと思ったぜ」
そして、善太郎はあることを続けて話した。
「でも、オレは諦めねぇ。――この事件を解決しないと、『探偵としての名が廃る』と思ったからな」
「探偵としての名が廃る? どうしてそう思ったのよ?」
私の質問に対して、善太郎は――深刻そうな声で答えていった。
「ああ、実は……月下弥生って、オレに対して『ストーカー撲滅』の依頼を持ちかけていたし、武田早紀もオレに対して『盗聴機器と盗撮機器の除去』を依頼していたんだ。つまり、今まで殺害されたのはオレの依頼人だったんだ」
「そういう大事なこと、どうしてもっと早く言ってくれなかったのよ」
「自分で自分のことを失念していたんだ。――こんなに偶然が重なるなんて思っていなかったからな」
「じゃあ、この事件って……」
「――そうだ。この事件は、お前じゃなくてオレを恨む人間による犯行だったんだ。そして、この犯行を止めるには……アレしかねぇ」
そんなこと言われても、分からないじゃないの。――私は、
「アレ? ――勿体ぶらずに教えてよ」
善太郎は、はっきりとした声で――答えた。
「――10年前に立志館大学を卒業した生徒から、元ミステリ研究会のメンバーを集めるんだ。オレの考えだと、事件の犯人はその中にいるはずだ」
「なるほどねぇ。――そんな簡単に集まると思ってんの?」
「オレは信じてるぜ? 探偵だからな」
そういう訳で、私は――善太郎のわがままに振り回されることになった。