第11話 サラの研究室

 サラの一日は、陽の光とともに始まる。

 朝日の良く入る寝室で目を覚ますと、腕に何やら柔らかいものが当たった。


「もう、アリスったら、また私のベッドに潜り込んできて……」


 サラの年の離れた妹が、何かあるとベッドに潜り込んでくる。いつまでも子供じゃないのだからとたしなめるのだが、そんな妹の癖も可愛らしく思えてしまう。

 しかし、頭が回り始めたサラは、布団の中で丸くなっているのが、妹ではなく、もっと小さな女の子だと思い出した。

 エリオットたちと一緒に暮らすことになったのだが、この家にはサラ用のベッドしかなかった。そのため、ハンナはサラと同じベッド。エリオットはリビングのソファーで眠ることになった。

 ハンナとエリオットがベッドで、サラがソファーと言う選択肢もあったのだが、サラとハンナが一緒に眠ることによって、万が一、夜にエリオットがサラの所に来た場合、ハンナを起こせば、愛娘の前でおかしなことはしないだろうと言う、サラの防衛方法でもあった。

 しかし、サラが心配するようなことは何もなく、サラが支度をしてリビングに行っても、エリオットは静かに寝ているだけだった。


「今朝は何にしようかしら」


 サラは寝息しかしない家の中で、奥にある隠し部屋に入る。そこに扉があると知らなければ分からない構造になっており、扉を開いても中は小さな物置にしか見えない。その床を静かに持ち上げると、そこは地下への入り口になっている。

 緩やかな階段を降り、薄暗い地下室に入る。そしてロウソクに火をつけると、風でほのかに火が揺れた。

 一階部分と同じくらいの広さの地下室には樽や瓶が所狭しと置かれ、樽には色々な名前が書かれている。その全てが発酵食品、お酒の他、味噌やお酢、しょうゆなど調味料だった。


 ここは、サラの発酵令嬢としての研究所である。

 この家に引っ越しした時からこの地下室はあった。この家自体、どこかの貴族の別荘であったのであろう。有事に隠れるとともに、隠し財産の置き場であったようだ。

 ここは売買の禁じられている酒を造り、他の人々が知らない発酵食品を隠すために最適だった。どこからか常に涼しい風が入って来て、気温も大きく変動することもない。

 サラは毎日ここに来て、全ての物の発酵具合を、微生物を通して確認する。


「やっぱり、朝はパンとチーズかしらね。あとは、スープだけど、エリオットはどのくらい食べるかしら? ソーセージと目玉焼きもあれば足りるかしら」


 サラは、良く熟成されたチーズを持って隠し部屋へ上がると、床の扉が分からないように細工をして閉める。そのあと、扉に耳を付けて、隠し部屋の向こうに人の気配がないことを確認してから、やっと通路に出たのだった。

 幸いなことにエリオットもハンナも、まだ眠っているようだった。

 それも仕方がない、昨日はふたりで畑仕事をしていたのだから。そうなると、やっぱり朝からお腹が空いているはずだ。エリオットには卵を二つ焼いてあげようと、考えていると声をかけられた。


「サラ、どこに行っていたの?」


 そこには寝ぼけまぶたのハンナが立っていた。目が覚めて、サラがいないことに気がついて探しに来たようだ。

 サラは、隠し部屋のことを気が付かれていないか、ドキドキしながらハンナを見た。

 おそらく、隠し部屋から出てきたのは見られていない。

 ホッとした、サラは小さなハンナの目線を合わせて言った。


「おはよう、ハンナちゃん。朝はパンにチーズを付けて食べましょう。スープと目玉焼きにソーセージもつけるわよ。だから、お顔を洗っておいで」

「チーズ?」

「ええ、そうよ。ミルクを固めた物よ。おいしいのよ」

「それって、昨日食べたヨーなんとかとは違うの?」

「ヨーグルトね。そうね、あれもミルクから作るけど、ヨーグルトみたいに酸っぱくはないわ。ヨーグルトの年の離れたお兄さんみたいなものよ」

「ヨーグルトのお兄さん?」

「そうよ。ミルクが育って、子供になったのがヨーグルト。そしてお兄さんになったのがチーズよ」


 発酵と言う概念の無いハンナに説明するために、何とかひねり出した説明だった。そのため、正直言うとこれ以上説明を求めないで、とサラは心の中で祈っていた。

 その思いが通じたかのように、ハンナは明るい表情で言った。


「すごいね。料理って色々なことができるんだ。さすが、サラ。じゃあ、ハンナは顔を洗って、朝ごはん作るのを手伝うね」


 そう言って、元気よく顔を洗いに行くハンナの背中を見つめながら、サラは考えていた。

(とりあえず、隠し部屋のことに気が付いていなくて良かった。でも、これから発酵食品のことをどう説明しようかしら。ハンナちゃんだから、さっきの説明で納得してくれたけど、エリオットではそうはいかないだろう。簡単なのは発酵食品を食卓に出さないことだろうけど、せっかく作った物が美味しいかどうか、他の人の意見が聞きたい。いや、美味しそうに食べてくれるあの笑顔をまた見たい。でも……)

 サラはそんな、発酵令嬢とファーレン家の料理長の気持ちがせめぎ合っていた。