私が家に戻った時、美津子はまだ帰宅していなかった。冷蔵庫からビールを取り出し、お店から持ってきたおつまみと共にリビングで一人で飲んでいた。
しばらくすると美津子が戻ってきた。
「お帰り」
私がそう言うと美津子も返事した。その時表情を確認したが、いつものような明るさはない。お店が忙しかったかもしれないが、少し気になった。
「忙しかった?」
「いいえ、普通くらいの込み方だった」
「そう、でも顔色が優れないね」
気になったのでストレートに尋ねた。
「分かる? 今朝、あなたと話したじゃない。2号店のほうでも気を付けて様子を見ていたけれど、なんだか心配になっちゃった」
美津子も冷蔵庫からビールを取り出し、私の隣に座って言った。私は1号店の様子を話した。大方は変わらないが、たとえそうでも人によって受け取り方は異なる。
話をよく聞くと、年齢が近いためか私たちの感覚は似ていたが、スタッフは1号店同様、軽い受け止め方だったのだ。健康に自信があり、年齢的に若いということもあるかもしれない。
しかし、年齢や立場が違う私たちの場合、社会的な変化が仕事にも影響するということを知っているし、もし中国のような状態になったら、ということが頭の隅にある。だからこそ、事前に対応するということの重要性を意識しているけれど、こういうことは自分のお店だけの問題ではない。店単位で衛生管理の意識を高め、食中毒を防止するというようなことではないのだ。
「呼吸器関係の感染症だから、基本的にはインフルエンザ対策と同じで良いのかなあ。外出時にマスクするということと、うがい・手洗いをきちんとやるということくらいしか思い付かないけれど、そうだったらこれまでと同じだね」
自分たちに何ができるかという決定的なことが分からないため、美津子はインフルエンザの対策と同じ方法を話した。この点、私も専門家ではないので、それ以上の案は出ない。お店として言うならば、今朝やった手指の消毒のためにアルコール消毒液を店内に置き、その実践を来店する客にもお願いすることぐらいだ。だが、そのようなことはこれまでやったことがない。そのため、それが不快感につながらないかということが懸念されたが、しばらくは消毒液のそばに衛生管理を促す告知をするしかない、ということで話がまとまった。
「ところで、お願いしていたマスクやアルコール消毒液は買ってきてくれた?」
お店の対応のためには必要なグッズを切らすわけにはいかない。こういうケースの時は在庫が増えても構わない。この日に買っただけではまだ不足するので、他の人に迷惑が掛からない範囲内で少しずつ在庫を確保し、毎日使ってもそれなりに大丈夫なようにしようということで、1号店・2号店のスタッフにも協力してもらい、少しずつ備蓄していくことを改めて確認した。
もちろん、感染症対策の意識はスタッフ全員にも共有してもらわなければならない。仕事中だけでなく、通勤の途中でもきちんとマスクを着用することは徹底しようということになった。手洗いに関しては飲食店だから問題はないが、これからはうがいもやってもらうことにした。それが自然にできるようになるまでは違和感を感じるかもしれないが、インフルエンザ対策の習慣づけにもなるからということで、今後の方針ということで明日、1号店も2号店の全員に話すことにし、この日は休んだ。