1号店はいつも通り午後4時からオープンした。この時間はまだ来店はほとんどなく、私も含めスタッフ全員はテーブルの上を拭いたり、セットしている備品の確認、本日の特別メニューなどを確認している。同時に表の通りの様子を確認しているが、人通りについてはこれまでとは変わらない。ただ、改めて観察すると、以前よりはマスク姿の人が多くなっているように思える。
そうこうしているこの日、最初の客が来店した。この時間に来るのは近所の常連の高木で、顔見知りのために雑談もできる。まだ来客ゼロなので、私は新型コロナの話を何気なく振ってみた。
「テレビではコロナの話がよく出ていますね」
「そうだね、日本でも数字が増えているようだけど、まだ知り合いに感染した人はいない。念のためにマスクをしているけれど、慣れないから息苦しくて、する時としない時がある。今日はたまたましている時だけど・・・」
高木はそう言いながらメニューを見ている。そしてほどなくして私に目線を向け、言った。
「じゃあ、とりあえずビールと煮込みをもらおうか」
「かしこまりました」
私はオーダーを聞き、厨房に通した。いつもは私が厨房担当なのだが、この日は直接自分の耳で生の声を聴きたかったので、ホールに出て、なるべく顔見知りの人と会話をするようにした。そのため今日は矢島が厨房に入っており、いつもと違う感じでのオープンになった。普段は私がずっと厨房で、忙しくなったら矢島がヘルプに入る、というスタイルでやっているため、料理の味には違いは生じない。レシピもきちんと共有しているので、今回のようなシフトでも問題はない。
高木のオーダーはすぐに出せるメニューだったので、すぐに運ぶことができた。この時点で他には誰もいない。私はさっきの続きということで再度話しかけた。
「高木さん、今度のウイルス、怖くないですか?」
私は今回のウイルスに対する意識について、他の人はどう感じているのだろうということに興味があり、尋ねた。
「新型というところは気になるけれど、コロナウイルスというのは普通の風邪の原因にもなってるという話でしょう。テレビでは武漢での話や映像を流しているけれど、日本の医療体制は世界的にも整っているという話だし、ちょっと前に出てきた新型インフルエンザも大した問題にはならなかったよね。だから今は、普通の風邪やインフルエンザ予防くらいの意識で対応しているよ。俺もそれなりの年だから、コロナに限らず、他の病気も怖いし、健康には普通に気を付けているよ」
思ったより重大な病気といった捉え方はしていないようだった。ただ、まだコロナウイルスの詳細は分かっていない。私は高木の話を聞いて、逆にこのような意識の人が多いのであれば、もし厄介な病気だったらすぐに感染者が増えるかもしれないな、という思いが出てきた。
もう少し突っ込んで話そうと思ったが、少しずつ来店者が増え、すぐに高木のテーブルから離れ、おしぼりを持っていったりオーダー取りで忙しくなっていった。
そこで今度は客同士の会話に耳を傾けることにしたが、この時点では相変わらずの話題ばかりで、身近なことが話題になっている。平和的で良いのだが、今日初めて店頭に設置したアルコール消毒については、高木を含め、来店者の誰もが実践していない。そもそも設置してあることを気付かない様子だし、慣れていないことなので仕方ないことかもと思った。
来店者数が増えてくると、何人かはアルコール消毒をしていたが、この日はまだ数えるくらいであり、明確にやっているという感じではなかった。