俺達は再び山の洞穴へと足を運んだ。
冷たい空気が肌を刺す中、静寂を破るかのように、洞穴の奥から重々しい足音が響き始めた。
やがて、白い巨体がゆっくりと現れ、その大きな口を開く。
「ヒ ヲ サザゲヨ」
これまで何度も聞いたその言葉。だが、真実を知った今、同じ言葉がどこか違って聞こえる。その声の中には、ヌシの悲哀が込められているように思えた。
村を守ってくれていたヌシに対し、何も知らずに攻撃を仕掛けてしまったことへの後悔と罪悪感を覚えてしまう。
「メイ、ヌシの碑を」
「ああ、わかってる」
メイはアイテムウンイドウを操作し、崩れた石の碑の横に、新たに彼女が製作した鉄製のヌシの碑を慎重に設置する。碑は静かにその場所に納まった。
「俺達の行動が正しかったなら、これで何か変化が起きるはずだ」
俺達は息を呑み、ヌシの動向を見守った。
もし何も変わらなければ、まだ何か見落としているのか、それともこの行動自体が間違っているのか――緊張が全身を駆け巡る。
「……ヨイ ヒ ダ」
その片言の言葉が、俺達の心に静かに響いた。
きっと「良い碑」ということだろう。
それはつまり、俺達の行動が正しかったことを意味していた。
今まで険しかったヌシの表情が、ふと緩んで優しさを帯びる。それはまるで「ありがとう」と言っているように見えた。
ヌシは後ろを向くと、出てきたときと同じゆっくりした動きで、静かに洞穴へと戻っていく。
「なんだか、礼を言ってくれているような気がした」
「そうだな。私もそう感じた」
みんなも俺と同じことを思ったようだ。そのことが、俺にはなんだか嬉しかった。
「いつも村を守ってくれてありがとう!」
俺がヌシの後ろ姿に向かってそう叫ぶと、白い尻尾が軽く跳ねるのが見えた。
きっとヌシは、これからも村も守り続けてくれるだろう。俺は確信を持ってそう感じた。
ヌシの姿が完全に見えなくなるまで見送ると、メイが静かに俺達の方に振り返った。
「それじゃあ、みんな、村に戻ろうか。おそらくそこで村長と話せば、このクエストはクリアだと思う」
俺達はうなずき、4人揃って山を下り、村へと向かった。
俺は満ち足りた気持ちを抱えながら、クエストの終わりが近いことを感じていた。
村に戻った俺達はさっそく村長宅に行き、代表してメイがことの報告を行った。
「――というわけで、洞穴のそばにヌシの碑を設置してきた。ヌシも満足してくれたようだ」
「そうですか! ありがとうございます! 何とお礼を言えばよいものか!」
村長は安堵の笑みを浮かべ、肩の荷が下りたかのように深々と息を吐いた。
その顔には、これまでの重圧から解放された喜びが滲んでいる。
もとはと言えば、ヌシへの感謝を忘れたこの村が引き起こした問題だが、NPCとはいえ村長のこの表情を見てしまうと、責める気にはなれない。
「だが村長、ヌシへの感謝は忘れないでくれよ。あと、あのヌシの碑の手入れも村で定期的に行うこと! もし次同じようなことが起これば、今度こそヌシに見捨てられてもおかしくないからな!」
メイはしっかりと釘を刺し、村長を見据えた。
その真剣な表情に、村長も思わず背筋をただし、頷いていた。
あの碑は、世界一の鍛冶師であるメイが丹精込めて作ったものだ。それをないがしろにするようなら、ヌシの前に俺が怒る。
「はい、もちろんです! ヌシのことはしっかりと文書に残し、代々伝えていくつもりです!」
必死に答える村長に、メイは笑ってうなずいた。
その時、俺の視界にシステムメッセージが現れた。
鍛冶師専用クエスト「ヒ ヲ ササゲヨ」をクリアしました
ただしこのクエストは鍛冶師専用クエストであるため
鍛冶師以外はクエストクリアリストには登録されません
また経験値は加算されますがクエスト報酬を入手できるのは鍛冶師のみとなります
メッセージを見た瞬間、俺は胸を撫で下ろした。
よかった。これでメイを悩ませていたクエストが無事に完了したのだ。
クリアクエストリストに載らないことも、クエスト報酬がないことも、最初から承知の上だったので、がっかりする気持ちはなかった。むしろ、経験値がもらえたのは嬉しい誤算だ。
このゲームは、基本的に何をしても経験値が手に入る。
戦闘はもちろん、料理を作っても経験値を得られるし、極端な話、街を歩いているだけでもわずかだが経験値は増えていく。
しかし、クエストクリアによる経験値は別格だ。経験値を確認してみると、思った以上に増えていた。このクエストに費やした時間をすべてレベル上げのモンスター狩りにあてていたしても、ここまで経験値を得ることはできなかっただろう。
クマサンもミコトさんも、システムメッセージを確認したようで、俺と同じように満足そうな顔をしている。
そして、その中でも、メイはとびきりの笑顔を浮かべていた。彼女の体が、興奮と感動で小さく震えているのが見て取れる。
「メイ、クエストクリアおめでとう!」
「おめでとうございます!」
「やったな!」
「ああ……。みんなのおかげだ! 本当にありがとう!」
偏屈鍛冶師という評判がまるで嘘のように、メイの言葉は素直で、その顔には心からの喜びが浮かんでいた。
プレイヤーの中には、金を貰ってクエストに付き合うという仕事をしている人もいる。メイの財力なら、そういう人に頼んでいれば、俺達と一緒ではなくてもクリアできただろう。
でも、そういう人達とではなく、俺達と一緒にクリアしたことに、メイが何か特別なものを感じてくれているのなら嬉しい。
今のメイの姿を見れば、きっとそう感じてくれていると、うぬぼれかもしれないけど思ってしまう。
「三人とも、私のために頑張ってくれた……次は私の番だな」
和気あいあいとしたいい雰囲気の中、急にメイがやる気を出し始めた。
「え? まだ何かあるのか?」
俺は思わずメイに聞いた。
当のメイは飽きられたような顔で俺を見返す。
「おいおい、忘れてるのか? 私のクエストを手伝ってくれたら、ショウの包丁を作る約束だっただろ?」
「あ……」
素で忘れていた。
もともとそのためにメイの店を訪ねたというのに、クエストクリアに夢中になるあまり頭から飛んでしまっていたようだ。
「本当に忘れていたのかよ。……くっくっく、そういう奴らなんだよな、あんた達は」
メイはなぜか嬉しそうに笑っていた。
「それじゃあメイ、お願いできるか?」
「ああ、安心しな! ちゃんと作ってやるよ! この鍛冶師メイ、渾身の一本をな!」
メイは拳を固く握りしめ、俺に向けて差し出してきた。その拳には、彼女のすべての気合が込められているのが伝わってくる。
同じ職人として、これは期待が持てそうだった。ゲームの世界では、製作の出来はランダムなはずなのに、作る時の気持ちや気合が、どうしても出来を左右していると感じることが多々ある。だからこそ、今のメイなら、きっと素晴らしいものを作ってくれるに違いないと信じられる。
「任せたぞ、メイ」
俺は突き出されたメイの拳にグータッチを返した。俺の想いと気合もその拳を通じてメイに送ったつもりだ。
メイはそれを理解したように力強く頷いてくれた。