ヴィクトルとアルフレッドの思いやりを感じながらの食事は、とても楽しいものだった。
料理はどれも美味しくて、何より自然に会話が弾む。
ふと、こんなに楽しい食事はいつ以来だろうと思った。思い出せない。
ママが生きている頃、十四才になる前まで遡らないといけないような気がして、思い出すのを止めた。
楽しい時間は過ぎるのも早かった。
メインディッシュだというラムのパイ包み焼きを平らげると、この時間が終わってしまうことに未練みたいなものを感じてしまった。
デザートのメレンゲ菓子とシャンパーニュがテーブルに運ばれると、ヴィクトルが提案を口にした。
「ノエミには、この屋敷を自由に使って欲しい。バトラーやメイドにはノエミを主人として職務に当たるよう伝えておくから」
「えっ……私が、主人? ヴィクトルは?」
「私とフレッドは、ホテルにでも滞在するつもりでいる。公邸は肩が凝るからね」
「それは不便なんじゃ……私なら一部屋あてがってもらえば充分だし、いきなり大きな屋敷の主人になるより、そのほうが落ち着くと思うんだけど……」
二人と離れたくないなんて既に思っちゃってる自分を隠しながら、私は希望を素直に伝えてみた。
「ノエミがそう言ってくれるなら、そうしよう」
アルフレッドがすぐに答えてくれた。
「うん。そうしてくれると嬉しい。私は庶民だからバトラーさんやメイドさんと、どう接していいかも分からないし」
わずかに思案する表情を浮かべたヴィクトルは、若干の間を置いてから口を開いた。
「……分かった。ノエミの意向に沿うとしよう」
「ありがとう」
ほっとした私を見て、ヴィクトルがやわらかく微笑んだ。
「お礼を言うのは私のほうだよ。ノエミと一緒にいられる時間を失うのは、一刻といえど惜しいからね」
ドキリとする言葉を自然に言ってしまう王子様。下心なんて全く感じない。というか、下心なんて感じたらこっちが負けな気さえしてしまう。
「さて、そうと決れば、次はショッピングだな」
アルフレッドが区切りを付けるように言った。
「え……何かの買い出し?」
私が訊くと、アルフレッドはうなずいてから答えた。
「ノエミの身の回り、外出着や寝間着や肌着、その他もろもろ必要なものを揃えないと」
「寝間着や肌着は確かに必要かもしれないけど、外出着も?」
「この世界に召喚した張本人が言うのも何だけど、折角の別世界を屋敷だけで過ごすのはもったいない、だろ?」
「うーん……それはそうかも、だけど……いいの? 公世子殿下とその副官である将校殿が、得体の知れない女を連れて歩いても……」
私の心配に対する答えは既に用意していたようで、アルフレッドは即答した。
「俺たちが
「そう……二人にとって問題が無いなら、いいけど」
「よし、決まりだな」
アルフレッドは満足げな笑みを浮かべると、バトラーを呼び寄せて店の手配など実務的な相談を始めた。
ゆっくりと食後の紅茶を楽しんでから屋敷を出ると、正面玄関前の車寄せに用意されていたのは馬車ではなく自動車だった。
ミュージアムに展示されていそうな自動車で、屋根は幌だったりするけど、黒光りするアンティークな車体は隅々まで磨き上げられていた。
私の中で異世界の乗り物は馬車というイメージがあったけど、この異世界は地球の西暦一九一二年に酷似した世界なんだと再認識した。
元の世界で聞き慣れている自動車の排気音とは違って、キーが高くて乾いたエンジン音には愛嬌があると感じた。
ヴィクトルに手を引かれ、私は後部座席に乗車した。
「まずは、ポルティエ通りの婦人服店からだ」
助手席に乗り込んだアルフレッドが運転手に目的地を告げる。
若い運転手もヴィクトルやアルフレッドと同じ軍服を着ていた。明るい栗色の髪と琥珀色の瞳がやわらかな印象を与える青年だった。
「了解しました。しかし、驚きました。東方の賢者殿が女性だったとは」
「乃笑です。よろしくお願いします」
私が声をかけると、青年は分かりやすく緊張を表わした。
「ア、アンリ・ナヴァル大尉であります!」
アンリの様子に微笑ましいものを感じて、私は思わずくすりと笑いを漏らしてしまった。
それに気付いたアルフレッドが、アンリを紹介してくれた。
「アンリは優秀な魔道士でね。二十一歳にして俺の右腕を務める大尉なんだが、女性にはからっきしなんだ」
「そんなことは、ありません。僕だって軍人として女性をエスコートする
「そうか。なら安心だ。安全運転で頼む」
「了解しました!」
アンリは快活に返答すると、スムーズに自動車を発進させた。