「固い話の前に、食事など一緒にいかがでしょうか。少し早いですが昼食を用意してあります」
ヴィクトルに食事を誘われて空腹なことに気付いた私は、ぺこぺこなおなかが鳴ってしまう前に誘いを受けることにした。
「はい……いただきます」
「良かった。シェフの仕事が無駄とならずに済みます」
ヴィクトルがやわらかな笑みを浮かべる。
なんて笑顔が似合う男性なんだろうと思った。その笑顔が自分に向けられている。気分が良くなってしまうのも当然かな……。
自分の気分を受け入れる言い訳を見つけた私は、ヴィクトルに案内されて食堂に入った。
食堂の中央には重厚な造りの大きなテーブルがあって、ヴィクトルが当然のように私の席となる椅子を引いてくれる。
エスコートされることに慣れていない私は、ちょっとドキドキしながら椅子に腰掛けた。
ヴィクトルとアルフレッドも席に着いて、三人での昼食は乾杯で始まった。
「美味しい……!」
一口飲んで、私は思わず感想を漏らした。
リバージュ公国の特産だという赤みを帯びたビールは、ほのかに甘く後味がすっきりとしていて好みの味だった。
「お口に合ったようですね。安心しました」
ヴィクトルに微笑みを向けられて、赤面しちゃってないか今さら気になってしまう自分が少し情けない。
この王子様は女性を自然にもてなすようだ。このままでは王子様のペースに呑まれちゃう。
よし、自分から話を振ってみよう。私は意を決してヴィクトルに話しかけてみた。
「あの……ヴィクトル殿下」
「ヴィクトルで構いませんよ」
「いえ、そういう訳には……」
「では、こうしましょう。三人でいるときだけ敬称はなし、というのはいかがですか?」
「え……?」
「私は確かに公世子という立場にありますが、アルフレッドとは立場を越えた無二の親友です。なあ、フレッド」
ヴィクトルがアルフレッドに視線を向ける。
アルフレッドは微笑を浮かべて首肯すると、私に穏やかな視線を向けてから口を開いた。
「ノエミ殿がよろしければ、敬称抜きの会話にお付き合いいただけると嬉しいのですが」
「あ、はい。私は構いませんが……本当によろしいんですか?」
「私……いえ、俺は庶民の出なんです。正直に言ってしまうと、堅苦しい会話は苦手なんですよ」
アルフレッドは口調に合わせるように、わずかにくだけた笑みを浮かべた。
「私も庶民です。そういうことでしたら、私のことはノエミと呼んでください。敬語も必要ありません」
「それはありがたい。じゃあ、そうさせてもらうよ。もちろんヴィクトルと俺にも敬語は必要ない。俺のことは、フレッドと呼んでくれると嬉しい」
「分かった。よろしくね、フレッド」
「ノエミは順応が早い。感心するよ」
「そうかな……内心はドキドキしてるけど」
私が打ち明けると、アルフレッドも気さくな性格を明かすように笑ってくれた。
「連休と言っていたけど、元の世界では、どんな仕事を?」
「事務職。面白い仕事じゃない」
「それはもったいないな。聡明で美しいノエミには、相応しい仕事があるように思う」
「……お上手ね」
「いや、俺は本心から言ってる。なあ、ヴィクトル」
私とアルフレッドのやりとりを聞いていたヴィクトルは、すぐさまうなずいた。
「ああ、ノエミは実に美しく、聡明で魅力に溢れている」
褒められることに慣れてない私は、耳が赤くなっている気がした。
「私なんか背だけひょろりと高くて、三白眼で、声もすごい低くて……」
恥ずかしさをごまかすように私が否定を口にすると、ヴィクトルは不思議そうな表情を浮かべて首を傾げた。
「それらは全てノエミの魅力だと思うが……すらりと伸びた手足も、知性を感じさせる瞳も、心地の良い声も、私には魅力としか思えない。そのように卑下する理由が分からない」
ヴィクトルは本心から不思議そうだった。
思慮を顔に浮かべたアルフレッドが、私に質問を向けた。
「不躾な質問になってしまうが……ノエミのいた世界では、それらの特徴は否定的に捉えられるのかな?」
私は素直に答えることにした。
「……少なくとも、私の特徴を直接的に魅力だと言ってくれた男性は、いなかったかな」
私の返答を聞いて、ヴィクトルとアルフレッドは驚きの表情を隠さなかった。
「ノエミ……」
ヴィクトルにまっすぐ見つめられながら名前を呼ばれて、私の鼓動が素直に反応して高鳴る。自分の鼓動がうるさい。
「な、なに?」
「ノエミは、この世界に留まるべきだ」
「へっ……?」
突然すぎるヴィクトルの言葉に、意識しない声が漏れた。
「ノエミの美しさを理解できない世界など、ノエミがいるべき世界ではない」
ヴィクトルの口調は真剣だった。
「ヴィクトル、突っ走りすぎだ。ノエミも驚いてる」
アルフレッドが助け船を出すように口を挟んでくれた。
ヴィクトルは自分を落ち着かせるように一度短く深呼吸してから、私に謝った。
「失敬……つい、本心が先走ってしまった。元の世界に大切な人もいるだろうに……すまない」
私の胸の内は忙しかった。ここまで率直な言葉を聞いたのは、いつぶりだろうか。いや、こんなに認められたことは、これまでの人生にはなかった。
「大丈夫。ちょっと驚いただけだから……それに、今の私には大切と言える人はいないかも……」
つい漏らしてしまった私の本音に、ヴィクトルとアルフレッドは顔を見合わせると、息の合った動作で同時に私を見つめた。
「私たちはノエミを最大限に歓迎する。どうか、この世界を楽しんでほしい」
「ああ、俺たちにできることなら何だってする。遠慮なく言ってくれると嬉しい」
私の事情を深掘りするようなことはせず、優しい言葉をかけてくれる二人に胸の内で感謝する。
そして、ふと絵に描いたような二人の美丈夫に見つめられながら、私は夢を見てるのではと不安になった。
この状況は、自分の願望が見せている夢。孤独に耐えられなくなった自分の弱さが見せている夢。もしそうなら、ひどく寂しい。
気付くと私は、自分の頬をつねっていた。
「ノエミ? どうしたんだ?」
私の突飛な行動に、ヴィクトルがかすかな驚きを表わす。
「いや、その……夢なんじゃないかと思って……」
私が言うと、アルフレッドが吹き出した。
「意外と子供っぽいところもあるようだ」
アルフレッドにつられて、私も笑ってしまった。
「うん。自分でもそう思う。二十八歳になっても、どこか子供っぽいところが抜けないの」
「そうか、同い年なんだな」
「え?」
「俺とヴィクトルも二十八歳だよ」
「そうなの?」
「ああ、仕事にかまけて未だに独り身な公世子と、それに付き合う副官」
「ひとつ、聞いてもいい?」
「ああ、なんでも聞いてくれていい」
私はアルフレッドの言葉に甘えて、抱いていた疑問を素直に訊くことにした。
「副官ってことは、二人は現役の軍人なの?」
「ああ、そうだよ。この軍服は王侯貴族の箔付けじゃない。ガリア共和国の陸軍外人部隊に所属する少将と中佐。今は本国に帰還してるが、いざ戦争となれば戦場へ赴くことになる身だ」
「そう……」
「軍人は嫌いかい?」
「ううん。ただ、二人の雰囲気は軍人っぽくないかもって思っただけ」
「そりゃあ嬉しい。なあ、ヴィクトル」
ヴィクトルが静かにうなずく。
「ああ、染み付いてしまった軍隊の匂いが、ノエミの前では出ていないようで安心したよ」
微かに憂いを帯びたヴィクトルの瞳を見て、大きなものを背負っている男性なのだと感じた。