声は鮮明に聞こえたのにすがたは見えない、俺は半信半疑で呼びかける。
「イーリスか……!?」
『これ言うの二度目だけど、あんたは強いから、今までずっと、無理すればなんとかなってきて、挫折なんてなかったんだろうね』
些細なやりとりだった、言われたほうが忘れたような皮肉をよくもおぼえていたもんだ。
『声帯を通さない意思疎通法は竜神さまの力だよ』
スマフラウの力だって効果範囲は半径一キロメートルだ、イーリスの声がこんな崖下までとどくとは思わなかった。
もしかしたら橋の上まで来ているのかもしれない。
「どこにいるんだ、スグに都からはなれブフェェッ!?」
スマフラウの足が地面をはなれようとしている、その羽ばたきが巻き起こす風で俺は埃まみれになった。
『冗談、『竜の巫女』が聖都を見捨ててまっさきに逃亡とかありえない』
「聖都はおまえを選ばなかっただろうが!」
スマフラウは信者ごと聖都をほろぼすつもりだ。
古竜が橋の高さまであがれば【支配】の効果範囲は直径二キロメートル。
人々は意志を失い、竜の息吹がイーリスを巻き込まない保証はない。
『体は神殿においてきた、メディティテからうけとった魔具の力でいま、あんたのとなりに来てる』
俺は上体を起こして周囲を見まわす、そこにはイーリスの影もかたちも存在しない。
「竜の力を増幅する道具だよな?」
そう聞いていたがくわしい効果は知らなかった。
『巫女と竜は一心同体、本来は能力を同等にシェアできるはずなの。だけど人間の肉体をとおすと出口がせまくて力を小出しにしかできなかった』
イーリスが竜の力を一部しか行使できなかったのは与えられなかったわけではなく、人間の体をとおしてだせる力に限りがあったから。
『魔具は肉体から魂をときはなつことができる道具なの、肉体をとおさないことであたしは竜の力を最大限行使できるってこと』
力を増幅するのではなく肉体からときはなたれることで制限がなくなる。
スマフラウと同等の力が発揮できる。
「……まだ、戦えるのか?」
『竜神さまの力を相殺することはできる』
イーリスの返答は勝利を確信できるようなものではない、しかし俺は立ちあがる。
いまさっきすべてを失い、失意の底にいた少女が加勢に来た、寝転がっていられるか。
『もう立ち直ったの? かわいくないなぁ
がんばった男の子が落ち込んでる姿を女の子はほってはおけないのよ?』
「知るか、時間がもったいねえ!」
こうしているあいだにも巨竜は都にせまっている。
『童貞ってば、ほんっとに童貞!』
「…………」
そうなのか、思う正解と反対を選択していたら俺はモテたのか。
邪竜が都を滅ぼしかけているというのに一念発起せず、落ち込んでたほうがモテるのか。
「──だとしたら、俺がモテる日はけしてくることはない……」
『そこで落ち込まないでよ!』
俺ががんばれなくて都が滅んだら、それは心無い一言のせいだ。
「だけどよ、どうやってアレの背中まで行けばいいんだ?」
スマフラウはすでに渓谷を抜けつつある。
精神存在であるイーリスには翼どころか実体がない。
まさか崖をよじ登れとは言わないよな。
『まだ、あきらめてない人がいるよ』
言葉の意味を確認するまえに飛竜が猛スピードで突っ込んでくる。
俺は迎撃しようとしてその背に乗る人物の存在に気付いた。
「オーヴィル・ランカスター! つかまれっ!」
飛竜を操縦しているのは死んだと判断していた竜騎兵ツィアーダだ。
はじめに騎乗竜が食われたときに、どうやら難を逃れていたようだ。
一命を取り留めはしたが、落下によるダメージで動けずにいたのだろう。
「おまえ、無事だったのか!」
飛竜は頭上を通過、俺はその足にガッチリとしがみついた。
ここから地上までは千メートル、片足にぶらさがられてさぞや飛びづらいだろうが飛竜はまっすぐに聖竜スマフラウを追いかけた。
古竜の手下に成り果てたはずの飛竜をツィアーダは完全に従わせている。
──どうやって操縦してるんだ?!
飛竜は【支配】を受けて強制的に従わされたのではなく、人間と天秤にかけて古竜に寝がえった。
従わせようとすればとうぜん抵抗されるだろう。
「言っただろ! 俺がいちばん竜のあつかいがうまいんだよ!」
ツィアーダは重症をおして古竜の支配下にある飛竜の翼、そして首を力づくでひねり、その背にナイフを突き立て力づくで進路を誘導していた。
首を左にむけさせれば左に進むよう反応を強制する、つまりは抵抗する相手を殴って従わせるのと同様だ。
乱暴な方法だが狙いどおりに飛ばすなど、飛竜の構造を熟知していなければとてもできない芸当だ。
「野郎ッ!! ドラグノ達のかたきは絶対に討ってやる!!」
ツィアーダは怒りの形相で飛竜を操作する。
「必ず追いついてやる! あとを頼むぜ!」
「ああ! 任せろ!」
俺たちは猛スピードでスマフラウを追撃する。
スマフラウと地上の高さが一致すればそこは都の中心、【支配】は全体におよび一瞬のうちに人々を虐殺することだって可能だ。
イーリスが後悔を口にする。
『あたしがもっとはやく決断してれば、被害をおさえられたかもしれないね……』
もともとイーリス抜きの作戦だ。
とても動かせるような体調ではなかったし、なにより彼女にとってスマフラウはこの都で唯一の理解者だった。
どんなに努力しても報われない才能を見出して選んでくれた唯一の存在だ。
たしかにそのせいで人生が狂ってしまった。
だとしても『真の巫女』であるイーリスに竜神を倒すという選択肢はなくて当然だ。
「いいや、よく来てくれた!」
それは巫女になるためならすべてをささげてきた彼女が、新しい一歩をふみだす選択をした証だ。
そう考えると尽きかけていた力がふたたびみなぎってくるような気がする。
巨竜はついに渓谷を抜け、百年を共にした儀式の橋に、今生の別れとばかりに体当たりを食らわせた。
巨大な黄金竜が都の象徴を破壊する光景は圧巻だ。
粉砕された橋の破片がふりそそぐ、致命的な物をさけて飛ぼうとコントロールをしているが、いくつかの破片は俺とツィアーダを直撃する。
──!?
頭部がはじかれて仰け反った、破片をよけることより飛竜にしがみつくことを優先した。
落ちたらおしまいだ。
『大丈夫!?』
額が割れて血液が飛び散っている。
「大丈夫か、ツィアーダ!」
俺は操縦者であるツィアーダの安否を確認する。
「関係ねえっ!! 死んでも追いつく!!」
ツィアーダは乱暴に飛竜を軌道修正させる。
頑強な飛竜にも限界があるだろう、ツィアーダからもおびただしい出血が見てとれた。
『オー、ヴィル……』
「おう!」
イーリスの呼びかけにこたえた。
謎の沈黙。
すがたは見えていないが、口ごもった理由はわかった。
「……なんだよっ! 照れるくらいなら普段から呼びなれておけっ!」
普段から小バカにしたあだ名で呼んでいたから、あらたまって名前を呼んだのが恥ずかしかったらしい。
『りゅ、竜の巫女って、なんだと思う!』
脈絡のない意味不明な質問。
「この切羽詰まったときに必要か!」
あとでは駄目なのだろうか、そう思ったが一応解答をさがす。
『竜の巫女』とはなにか──。
古竜に力添えを乞うとき人間側の代表を務める者の便宜的な呼称、それが一般的な認識ではないだろうか。
しかしそんな答えならわざわざ質問なんてしないだろう。
メディティテは竜の戦友という雰囲気があったし、この都では儀式用の神輿だ。
「わっかんねえよっ! 交渉役みたいなもんだろ!」
考えこそしたが結局ほうりだした、スマフラウがもう眼前にせまってる。
『巫女は、竜のお嫁さんなのよ』
結局、答えはイーリスの口から語られた。
『無限ともいえる孤独に耐えかねた竜が、いつか死ぬとき寂しくないようにって契りを交わすの』
意外にもロマンチックな解答だ。
神にもひとしい力をもつ大トカゲが、いざ死ぬときは寂しいってのか。
『巫女は竜に連れ添い孤独を癒す、その見返りに力を得る』
婚姻関係だから財産が分配される、そんな感じか。
──なんでいまその話なんだ?
「あとで話そうぜ、そろそろ決着のときだ!」
そんな俺にイーリスは意味不明な罵倒をあびせる。
『あんたが、馬鹿で良かった!』
そして、言い返すまえに本題に戻る。
『迷わないで、当て感のよさがあんたの自慢でしょ。この飛竜も騎手も、もうもたないわ、最後のチャンスよ!』
そうだ、次は無い。
俺は雑念をはらい眼前のスマフラウに集中する。
それは天井というよりは空そのもの、翼をひろげて全身をさらした聖竜スマフラウは地上で見るよりはるかに巨大だ。
『カカカカカッ! カカカカカッ! 予想外にあがく!』
古竜は俺たちを冷たく突き放すようにあざけり、勝ち誇る。
『──だが、遊んでやる段階はとうに過ぎた』
しかしその余裕はすぐに戸惑いにかわる。
「……どうした、かたまってるぞ?」
イーリスが叫ぶ。
『なが、く、はもたないっ!』
おそらくスマフラウによる【支配】の力をイーリスが相殺している。
力が通じない、その状況に対する困惑が邪竜に隙をつくった。
俺たちはスマフラウに追いついた──。
だがこの位置関係で両手剣を振りまわしてもスマフラウにダメージをあたえる力は得られない。
片手で飛竜にぶら下がり地面にふんばることもできないのだ。
ツィアーダはそれすら織り込み済みだと飛竜を急加速、スマフラウの横にはつけずさらに上空へと全速力で舞い上がった。
威力を高度でおぎなうつもりだ──。
高速で自分を追い越していった小さな標的を巨竜は見失う。
ツィアーダの操縦は完璧だった、落下線上にスマフラウの背があり十分な高度が取れている。
くわえて俺たちの姿を目で追ったスマフラウには逆光が強烈な目くらましになった。
ペース配分も完璧だ、絶好の地点に到達すると同時にきっちりと力を使い果たしていた。
飛竜は息絶え、ツィアーダも力尽きる。
「行け……」
負けん気の強いやつらしい最後の言葉。
スマフラウの熱線の息吹が飛竜とツィアーダを焼き払い、塵すら残さない。
それは俺が飛竜を蹴ってスマフラウめがけて落下を開始した直後だった。
──ドラグノ、オオトリ、なんとか繋がったぜ、ツィアーダ、むくいるぞおまえの意地に!
「イーリス! 見てるか!」
『うん!』
高所からの落下による加速に全身全霊の力を加え、得られる衝撃力のすべてを逆鱗に叩きつけるべく一直線に突撃する。
「イーリス、よく見ておけ! おまえの未練は俺が断ち切る!」
『うん、オーヴィル! 終わらせよう、あたし達で決着させよう!』
錯覚か、実体のないイーリスのすがたが俺に寄り添っているように感じる。
両手剣を直下へとおしこむ腕にイーリスが手を添えているような感触をおぼえた。
俺は雄叫び、全身の細胞を鼓舞した。
頭の先から足の指の先まで一切のミスは許されない。
俺たちの渾身の一撃は邪竜の逆鱗をとらえた。
まっすぐに撃ち込んだ切っ先が巨竜スマフラウの高質化した鱗と澄んだ衝突音を奏で、それを粉砕する。
『――そんな、馬鹿なッ!!』
スマフラウが悲鳴をあげた。
「わるいな竜神さま、下等な人間どもを教育する機会をうばっちまった」
俺は逆鱗を叩き割った両手剣をそのまま体内へと力任せに押し込む。
到達時の衝撃力をたもったまま刃は竜の肉を貫き、骨を砕き、心臓を貫通する。
断末魔が延々と地上に降りそそいだ。
俺が聞いたのはその一部、手ごたえを得たことに満足するとカラダ中の筋肉が断裂し、骨が砕けたことを実感する。
しかし、いまは達成感しかない。
痛みも、苦痛も、危機感も、先への不安も、思考する余力は尽きていた。
俺は足場も手がかりもない空中を古の巨竜の死骸とともに落下していくのみだった。
意識は朦朧としてなにも見聞きできなくなっていく。
スマフラウの断末魔は聞こえない、同時にイーリスの声も聞こえなくなっていた。
最後にきいた言葉はなんだったか。
オーヴィル、ありがとう。あたし、アンタに会えて本当に良かった――