テオたちの大暴れは竜神官を中心に大量の負傷者をだした。
現在、街中の医者を神殿にかきあつめて治療にあたらせている。
聖都の神官は盗賊の隠れ蓑だ、継承されたのは詐欺の手口くらいで【治癒魔術】を使えるものはいない。
魔法に長けたエルフ部隊も性質上、肉体の再生に特化した者はいなかった。
あらためてアシュハは【治癒魔術】の本場なのだと思い知った。
それも教会が壊滅したいまとなってはどれほどのものかは分からない。
「……どこに行ってたの?」
奥の部屋でイーリスがベッドに横たわり毛布を被っていた。
けが人であふれかえるなか個室があたえられているのは特別処置だ。
ララーナに刺された傷は手術でふさぐほかになかった。
「──心細かったんだけど」
俺は安堵した。
「そうか、動かなくていいから寝てろ、ひたすらに寝てろ」
腹に刺さったナイフを摘出して縫った傷がふさがるまではとにかく安静にだ。
言ってきかすとイーリスは俺の後方に視線をむける。
「でも、後ろの人が……」
俺の背後にオオトリが腕組みして立っている。
「席はずせよ怪我人が怖がってるぜ」
普段なら怖いものしらずの天才少女もさすがに弱っている。
殺し屋みたいな顔をした奴がいたら安静になんてしてられない。
「危害をくわえるつもりはない、不審な行動がないか見はる必要がある」
隊長さまみずからの監視とはご苦労なことだ。
一兵士の手に終える相手じゃないのは分かるが、どちらにしろイーリスがその気になれば誰にも止められない。
責任をかぶる気概があるのは男らしいが。
「聖都はなくなっちゃうの……?」
イーリスが弱々しくたずねると、俺ごしにオオトリが答える。
「マウの管理下に入る。まるごと撤廃するのは労力の無駄だ、このまま有効活用することになるだろうな」
詳細などはまだ決まっていないのだろう。
鉱物が取れると言っていたが採掘を主産業とした拠点としてやっていくのかもしれない。
「儀式は?」
「交通の便や文化的価値を考えて橋を撤去することはないだろうが、儀式を継続する意味はないな」
ルブレは聖竜スマフラウを討伐するつもりだ、都からは信仰自体がなくなるだろう。
それも倒せればのはなしだ──。
イーリスはそれを理解ししばし物思いにふけっていた。
数秒あって、毛布を顔のなかばまでかぶりながら誰にでもなくつぶやく。
「パパとママは無事かな……」
大神官に直接確認するつもりができなかった。
彼女にとっては未解決なのだが、その結果はテオによって判明している。
最悪の結末だ。
「そちらは調査したが――」
「無事だってよ!」
俺はオオトリの報告を嘘でさえぎった。
絶対安静の状況で、両親の死まで伝えてしまったらどうなってしまうか分からない。
事故のたぐいじゃない、自分が失踪した腹いせに殺されたのだ。
巫女になるために人生をささげ、コロシアムに乗り込み、帰ってきて大神官に直談判までした。
しかし、聖都と儀式はなくなってしまう。
もう命いがいはなにも残ってない。
これ以上はやめてやってほしい。
せめて傷の経過が良好になるまでは隠しておくべきだと判断した。
「本当に!」
「あ、ああ……!」
だが、当然の答えが帰ってくる。
「いますぐ会いたい、ここに呼んで」
あまりに不用意すぎた。
反射的についた嘘を誤魔化す言葉に詰まってしまう。
──どうする、なにも思いつかねえ!
「残念だが、両親と面会させることはできない」
俺の不自然な硬直の間を埋めたのは他ならぬオオトリだった。
「──人質として利用されるのを危惧していた我々が先んじて二人を都から脱出させておいた」
事実をしっている俺にはそれが思いきった嘘であることがわかる。
戦場の殺し屋で名を馳せたオオトリ・エホマが、少女を気づかって話を合わせてくれたことには驚いた。
「どこに?」
「任務に出ていてその後のことまでは把握していないが、マウ国のどこかで平穏に暮らしているはずだ。詳細を伝えられなくてすまない」
それ以上の追求を許さないまとめ方だ。
危害がおよぶのを察知して事前に逃がした、すぐに会える場所にはいない。
意をとなえる要素はない。
「ううん、両親を救ってくれてありがとうございます」
残念だろうが納得はしてくれたようだ。
これでしばらくは時間が稼げる、真実は頃合をみて話そう。
そのときになってどんなに責められてもそれは甘んじ受ける。
「俺は外に待機している」
嘘をついたことがいたたまれないのか少女に情けをかけたのか、オオトリは席をはずしてくれた。
俺は「すまねえ」と、短く感謝を伝えておいた。
これでイーリスもゆっくりできる。
なんにせよこの都でできることはもうない、時間をかけて治療に専念するのみだ。
「ララーナは?」
イーリスは自分を殺しかけた人物の安否をきいてきた。
「混乱していたが、いまは落ち着いてる」
これも負担をかけないための嘘、ひとつ嘘をつくとそれを支えるために嘘が増える。
ララーナはイーリスよりよっぽどひどい状態だ──。
すっかり気が触れてしまい、もはや会話もなりたたない。
断続的に発狂して奇声を発することがみんなの不安を煽るため、いまは拘束して地下に幽閉している。
自傷が激しいので縛り付け、見張りの者も精神をすり減らしている。
それはもう痛々しい、殺人未遂を責める気さえ起こさせない悲惨な有様だ。
「そっか……、よかったあ……!」
イーリスは安堵して喜びを噛み締めた。
さんざん上からの罵声をあびせてきたライバルだ、ましてや殺されかけた。
不幸を願ってもおかしくはない。
しかし、同じ道をこころざし十年以上も苦楽をともにした相手だ。
その執念には共感ができるのだろう。
俺も自分が苦戦するくらい強いやつに会うと自然と相手を尊敬できる。
楽して生きてきてねえし、途方もない努力が想像できるからだ。
「ほんとうに、よかった……」
よくねえよ。と、俺は心のなかでつぶやいた。
嘘を重ねることにこれ以上たえられそうもない、イーリスが寝付くまえに確認しておくこともある。
「はなしは変わるが」
切りだすとイーリスは耳をかたむける。
「――ルブレのやつ、スマフラウを退治するつもりなんだとよ」
それが心の安寧をそこねないか心配ではあるが、こればかりは『竜の巫女』の耳に入れないわけにもいかない。
「できないよ」と、彼女は断言した。
「だろうけどよ、おまえの意見を聞いておかねえと今後の方針が立たないからな」
ルブレの得体の知れなさと周到さには万が一を想起させるものがある。
聖竜スマフラウはケタが違う──。
竜殺しの伝説はきくし俺だって達成している。
しかし、古竜を人間が倒したという伝承はどれも信憑性のあるものではない。
メディティテは例外として、倒したという人物の関係者と出会ったことはなかった。
倒せば伝説の英雄と呼んで申し分ない。
そしてルブレみたいな極端な人物にこそ、その才覚が宿るように感じるのだ。
「あたしが言えば、竜神さまを守ってマウ王国と戦ってくれるの?」
「ああ」と、俺は肯定した。
イーリスが竜の存続を心から望むなら、動けない本人に代わって俺がそうしてやっても良いと考えている。
「本当、頭トロルね」
ひどい暴言だが音色は優しい。
「スマフラウが自衛するなら俺の負担は大したことないだろう」
「いいよ、もう無茶しないで。あとは成りゆきにまかせよう? 竜神さまはきっと勝つわよ」
消極策だ。
昨日までのイーリスなら、「なんとしてでもマウ国軍を止めて、竜神さまを守る!」そう決断したのではないだろうか。
「巫女は、あたしのなりたかったものと違ったんだって言ったよね」
言っただろうか? だが、そう思う。
勝手な願望だが、俺の敬愛する舞踏家の居場所として聖都はふさわしくないと思った。
「ここは、おまえには似合ってねえよ」
イーリスは複雑な表情をする。
「言うとおりだよ。あたし、存在しないものを目指してたんだ。ひどい勘違い女だね」
そんな否定的な意味ではなかったが、本人にとってはショックだったのだろう。
イーリスは話し続けた。
それでストレスが発散されるならと俺は黙って耳をかした。
「四歳の頃にね、はじめて儀式を見て、すごいって思ったの」
イーリスは当時の景色を思い起こすように宙を眺めた。
「技術的なことなんてなにも知らないし、なにがすごいか説明もできなかったけど、荘厳な祭壇できらびやかに踊ってる巫女が輝いていて、皆がそれを喝采して、とにかく子供のあたしにはまぶしかったのよ」
――素晴らしいものと信じてうたがわなかった。
だからすぐに舞踏をはじめ、そのためだけに生きた。
巫女になるまで他のものはなにもほしがらないと決めた。
「──候補として祭壇にあがって、ランクも上位になっていって、竜と交信しないだとか、夜の儀式だとか、そういう側面が垣間見えて。なにおかしい、なにか変だと思っても、競争に必死でうたがうひまも無かった」
足を止めたら誰かがその座をさらっていってしまう気がして、立ち止まれなくなってしまっていた。
「……ごめん」
イーリスはとうとつに謝罪した。
「はっ、なにがだよ?」
無礼を詫びるならそれはとっくに昔の話、俺たちのあいだでもはや遠慮や謝罪なんてものは不要なはずだ。
「あんたのことバカにして、説教なんかしたのが最高にダサいし、恥ずかしい。あんたは立派に一人立ちしているのに、あたしは、そもそもなりたいものを目指してすらいなかったんだから」
子供のころに見て憧れたのは幻、その実態はまったくの別物だった。
もう憧れない、昨日までの宝物が今日からはガラクタだ。
「──あたし、なんてバカなんだろう。はじめからなかった! ありもしないものを追いかけて、時間を無駄にして、たくさんの人に迷惑をかけて! ほんとに有害、無価値! 生きる資格がない大バカッ!」
わるい大人たちが私服を肥すために弱者を利用する、そんなのは世の常で被害者に罪はない。
「そんなことねえよ、ぜんぶ竜神官たちがわるいんじゃねえか!」
「イリーナならちゃんと気づけた、騙されるやつは頭がわるいんだよ……!」
その頂上に登れば星をつかめるといい聞かされた。
そのために他のすべてを我慢して登った、休まず寄り道もせずに登りつづけた。
けれど頂上に星なんて存在しないことに気づいた。
絶望した──。
進む道も帰る道もない、ただその場に膝をつくだけ。
「──もういいの。あたしのためになにもしないで、もう終わったの全部。
あたし、もうおりるよ。この体はイリーナにあげる」
自虐的に言って力ない薄笑いを浮かべた。
「おい!」
カベ役に徹していた俺もさすがに聞き捨てならないと声をあげた。
こらえていたイーリスの涙腺が決壊し、とうとう涙があふれだす。
「だって、今後、絶対にいままで以上になにかに夢中になることはないもの。断言出来る、あれ以上になにかがまぶしいと感じることも、これまで同様に情熱を注ぐことも絶対にない。そんな人生意味ない、ほしくない……」
声をつまらせながら、それでもこぼれつづける涙を明るい声で誤魔化しながら。
「それに、巫女でもなんでもないあたしなんかより、勇者イリーナが戻ってきたほうがみんな嬉しいでしょう?」
──ふざけんな。
俺は歯に衣きせずに思いつくままを言葉にのせることにした。
とりつくろって喋るには特別すぎる相手だ。
「おまえは負け犬だなっ!!」
フィルターを通さずにでたのはこの一言だ。
「えっ? あ、そう……です、けど」
とつぜんこ暴言にイーリスが戸惑っている。
感傷がピークの直後、とうとつな悪口に対しどう反応してよいものかを迷っている様子だ。
「なんだ、不服か?」
「……いや、ちょっと、想像してなかった切り口だったから。わるい意味でドキドキしちゃった。
そんな事ねぇよ! とか、希望を捨てるな! とか、言ってくれる場面かと思ったから……」
適当な相手ならとりあえずそんな中身のないなぐさめの言葉もかけるだろう。
だが、そんなものはなんの解決にもならない。
境遇の不幸は認めるが、それ以上にイーリスの態度には気に入らない部分がある。
「おまえもアルフォンスもよ! 天才気質ってのか? 自分は頂点に立てて当たり前だと思いやがって。そんな奴の言い分にはまったく共感できねえな、俺は!」
「そ、そんなこと言ってなくない!?」
心外だとばかりに反論するイーリス、涙はとまっている。
ならば遠慮は無用、俺は前のめりになって意見をぶつける。
「頂点に立てなかったから悲しい? アホか! 世界中、ほぼすべての人間が頂点になんて立てねえし、立っても転げ落ちるようになってんだろうが!」
だとしたらなんだ、全人類が可哀想なのか。
頂点に手がとどきそうな奴しか知らない苦しみがあるから、はじめから通用すらしない奴よりも不幸なのか?
「──吟遊詩人になりたいのに音楽センスがない俺の方が、よっぽど可哀想に決まっているだろうがッ!!」
「音痴をみとめたなっ!」
「みとめるよっ!! どうだ、可哀想だろ?!」
俺なんか演奏を聞いてすらもらえないし、努力してもたいして上手くならねぇんだぞ。
つーか、努力の仕方もわからねえっ!
「はじめっから可能性がない人と、現実味がある人を一緒くたにしないでよ」
「うるせー! 自意識過剰か! 負けたらいさぎよく切り替えろ!」
いつの間にか俺がねたみのあまり逆ギレしているだけの状況になっている。
「……信じられない。女の子なんて落ち込んでるときに優しくすればイチコロなのに! なぐさめとけばいい雰囲気になるのに!」
馬鹿か、その場しのぎのなぐさめになんの意味がある。
そんなことだから中身のない言葉でてきとうな相手にほだされて、痛い目を見ることになるんだろうが。
──弱ってるとこにつけ込む男はクズです!
しかし、イーリスは心底あわれむような視線で俺を見ている。
「童貞ってば、本当に童貞っ!」
「はあっ!? 処女は崇められるのになんで童貞は見下されなきゃならねんだ! 処女は童貞を対等にあつかえ!」
「認めたなっ!」
「認めてないぃぃッ!」
駄目だ、言葉での解決はやはり俺にはむいてない。
状況の好転を目指していたはずが俺の尊厳が危ぶまれるばかり、こうなってはもう行動でくつがえすほかにない。
俺は断言する。
「きめたわ、ちょっくらドラゴン倒してくる」
いきおいまかせの宣言はイーリスの度肝を抜いた。
「狂ったの?!」
「狂ってない!」
俺が優位に立つにはもはやこの路線しかない。
「──なんなら儀式の橋もぶっ壊してやるぜ! 聖都のしがらみをぜんぶ破壊して、おまえを路頭に迷わせてやる!」
「ええっ、なんでっ!?」
「それで負け犬を自覚したら、おまえは殊勝な態度で俺の演奏を最後まで聞け!」
聞いて懇切丁寧にアドバイスをしろ、負け犬らしくな。
「──前回のリベンジをかねてキャンプをやり直す! そこでさんざんアドバイスをさせたあと指導の報酬として、美味い飯をたらふく食わす!」
「なによ、それ……」
「その延長で諸国漫遊だ! そうだ、俺のへたくそな演奏で人々のまえで踊れ!」
「ひどいっ!! あんまりだっ!!」
いつの間にか笑顔がもどっている。
「そのまえの特訓でかたちにして、おまえの踊りでなんとか誤魔化せ! 俺の料理が食いたくねえのか?!」
あんな最低限の料理じゃねえ、今度は料理メインのキャンプをしてやる。
「……食いたい」
「それでいいんだ、グダグダ悩むなっ!」
頂点にむかって情熱を燃やしてなんていなくても人生は劇的なんだ。
日々のいとなみに感情は揺さぶられ、泣き、笑い、感動ができる。
夢がかなわなくたって、美味い飯を食えばしあわせだ。
「そんな簡単には割り切れないのよ……」
「簡単にとは言わねぇよ。だがよ、俺が竜を倒せばすこしは価値観かわるだろ」
「そんなの……。落ち込みから立ちなおるのに竜を倒すのよりも手こずってたら、あたし、かっこ悪いじゃん……」
イーリスは自信なさげに目を伏せた。
それでもだいぶ立ちなおってきたように見える。
あらためてイーリスはこちらを見つめる。
そして一言、「死ぬよ?」と言った。
とても思い詰めていた、それでいてもう止めようという意思は感じない。
「死なねえよ、心配すんな!」
これは俺にとっても過去最大の強敵、人生最大の決戦になるだろう。
馬鹿げた挑戦なのかもしれねえ、だが、やると決めたらやるだけだ。
俺はイーリスに聖竜スマフラウを討伐すると誓った。