聖都の夜は明るい。
白で統一された建築群が月あかりを反射して闇夜にしては視界が良好だ。
幻想的な景色ですらあるが高所の夜はかなり冷え込む。
──あらためてこんな場所によく集落ができたもんだ。
「見て」
イリーナに言われてすでにかなり距離をあけた倉庫郡を振り返る。
いつの間にか取り囲むのに十分な数のかがり火があつまってきている。
敵が個人ではなく集団であることが明確になった。
援軍の追跡から逃れるため俺たちはすみやかに商会宿舎をはなれた。
「敵はいったいなんなんだ?」
俺の疑問にイリーナは答える。
「祭司主導で警備隊も動いてる、イーリスの敵は聖都そのものってことかもね」
聖なる都そのものがイーリスの敵――。
「なんでだよ! あいつは『竜の巫女』なんだぞ?!」
聖都は竜のもとに平和が維持されている、そういうタテマエありきの都市だ。
それが竜の加護をうける『真なる竜の巫女』とも呼べるイーリスの排除を狙うなんて馬鹿げてる。
しかしイリーナはさも当然といった態度を崩さない。
「竜の威光を傘に権力を得ていた連中がいてそれは虚言だった、そこに本当に竜と対話できる小娘が現れたらどうなる?」
団結のためにウソが必要だったってことは納得した。
古い連中が変化を煙たがっているって話も聞いた。
「ウソをホントにできてバンザイだろうが!」
竜と対話できるイーリスを巫女にすれば嘘をつく必要がなくなる。
聖都が名ばかりじゃない現実になるんだ。
「巫女が頂点ってタテマエだけど実際は竜神官の独裁状態だよね」
竜神官が法律を決め、巫女を決め、竜騎兵を従える。
竜の声の聞こえていない偽の巫女は彼らの共犯者でしかない。
「──ホンモノを巫女にするとパワーバランスが逆転する」
これまではなんの力もない娘を都の象徴という夢を餌に従えてきた。
これがホンモノの巫女相手となれば竜神官たちには介入する余地がない。
竜や巫女がどんな要求をしてくるかわからないし、自分たちが失脚させられる可能性もある。
「だから本物は殺すってのか!?」
民の平和を守るためにはじめた『竜の巫女』を、権力惜しさ抹殺するってんじゃあ本末転倒だ。
「ウソで築いた王国はウソをかさねて守るしかない、虚構で理想を実現できているのに真実でぶち壊すわけにはいかないってところかな」
竜の意思を確認したところで神官たちの意向を組んでくれるとは限らない。
それどころか理不尽な要求をされるかもしれない。
「──平和に暮らしている二万人の生活を一変させる決断になるかもしれないと思ったら慎重にもなるんじゃない」
保身だけが目的じゃないのかもしれない、百年の歴史や民衆の平和をも脅かしかねない緊急事態ともとらえられる。
「ぜんぶ台無しになるかもしれねえのか……」
たしかに竜が生け贄の要求なんかをはじめたらたまらない。
変化を煙たがっているなんて段階じゃない、恐れてすらいるのかもしれない。
「──けどよ、なにもかも竜のさじ加減一つなんだぜ?」
聖竜スマフラウの気分次第で都はどうとでもなってしまう。
それこそ巫女を殺すことで暴れだす可能性だって考えられるはずだ。
「オルガースの必死さを見るとさ、上の人たちかなりテンパってるんじゃないかって思うよ」
もはや冷静じゃないってことか。
どちらにしても都の方針によってイーリスの抹殺は決定しているようだ。
『竜の巫女』を夢見た少女は竜の声を聞いた罪で殺される。
それはあまりに理不尽じゃないか。
「──なんかさ、謝っておいたほうがいい失敗を隠しつづける子供というか、不貞を墓まで持っていこうとする嫁というか」
破滅を予感しながらごまかし続けるしかない状況ってことだ。
「どうした?」
イリーナがそう言って振り返った。
聖竜スマフラウのいる断崖をめざしてしばらくもしないうちに俺は脱力して地面に膝をついた。
「いや、酔ってんのか手足に力が入らねぇ……」
宴会に参加はしたがこんなになるまで飲んだつもりはない。
本調子でないことは疲労を理由に納得していたのだが、いつまでたっても手足が重く血がいきわたっている感覚がしない。
原因不明の倦怠をしかしイリーナは容易く言い当てる。
「一服盛られたな」
なるほど、オルガースの野郎が酒に薬を混入していたのか。
その日の夜に暗殺するつもりならそうする。
「くそっ、おまえは平気か?」
「竜神さまから警告があったから手をつけなかったんだよね」
事前に危険を警戒していたイリーナはだされた酒に手をつけていなかった。。
「俺にもひと言いっといてくれよっ!」
敵地と警戒していれば俺だって手をつけなかった。
イリーナは視線を逸らして弁明する。
「ボクがイーリスを演じていることを誰にも気づかれたくなかったんだもん……」
たしかにあの時点では得られていない情報が多く、彼女を演じる意味はあった。
そして正体を明かされた俺がイーリスとして接する演技ができたかはあやしい。
「命にかかわる毒だったらどうしてくれるんだ……」
「あの規模の飲み会で致死性の毒は使わないよ、睡眠導入剤とか害のない薬だとは思う」
さすがに標的一人を殺すのに隣国の商隊ごと皆殺しにはしない、そう願いたい。
イリーナの登場が不意打ちすぎて眠気は吹き飛んだ、意識は覚醒しているが体がついてこねえ。
実際、あぶないところだった。
イーリスの中身が入れ替わっていなかったら、俺たちはオルガースの罠にはまって殺されていたかもしれない。
結果だけ見ればイリーナのファインプレーだ。
「だからってなぁ……」
「安心しろ。道中に転がってたやつを蹴とばして、死んでないのは確認したから」
オルガースからの逃亡時、下階には酔いつぶれたルブレの部下たちが寝そべっていた。
イリーナが足を取られる場面があったが、あれはつまづいたのではなく生死を確認していたのか。
地面にへたりこんだ俺の背中を「大丈夫か?」とイリーナがさする。
倉庫郡の位置から都を出るだけなら容易かったが、目的は聖竜スマフラウに会うこと。
竜の巣である断崖は聖都の中心部だ。
朝になれば儀式の橋に近づくのはより困難になる、付近の警備が厳重になり飛竜による捜索を逃れるのもむずかしい。
一刻もはやく移動する必要はあるが、どこかに身を隠して休息を取りたいのが本音だ。
「ものかげで少し休もう」
イリーナは気づかってくれたが残念ながら休む暇はあたえられない――。
「やった! 本当につかまえた!」
進行方向に大柄な兵士が立ちふさがる、そして後方からもうひとり小柄な兵士がせまる。
「予想どおり儀式の橋にむかってたな!」
若い兵士が二人、はさみ撃ちのかたちで俺たちに迫ってきた。
それは今朝、儀式の橋のまえで聞き込みをしていた二人だ。
一言かわしただけの相手だが、身長差や雰囲気に特徴があったため記憶に残っている。
竜騎兵──。
イーリス、ルブレ、オルガースから断片的に語られたことで彼らが聖都の守護騎士であることを知った。
巫女に次ぐ象徴的存在で、飛竜を駆って自在に飛行する戦闘部隊。
聖都スマフラウは現在、三十騎からのワイバーンを有しているがその存在は貴重だ。
聖都の顔であるがゆえに騎乗者は若く美しい者から厳選され、民たちの心を掴んでいる。
年齢により任期を終えた竜騎兵は飛竜を降り、引き続き地上の警備隊に配備される。
「オレは竜騎兵第二部隊ツィアーダ!」
「おなじく第二部隊ドラグノ!」
二人の竜騎兵はやる気がみなぎっている。
第二部隊を名乗ったことから彼らが現役の竜騎士だということが分かる。
騎兵隊は五機編成、五部隊が存在し彼らは第二部隊所属の二人、つまりエリートというわけだ。
「おまえたちをここで処刑する!」
けして身長の高くないほうがツィアーダ、ガッチリとして長身なほうがドラグノ。
「ひと目みたときから気になっていた、おまえかなり強いだろ?」
喧嘩好きか手柄に貪欲なのか、体格に見合わずツィアーダの態度は尊大だ。
一方の
「さあ、勝負しようぜ!」
ツィアーダは槍をかまえた。
血気盛んな性格からかそのかまえは過度に前傾している。
俺は仕方なくそれと対峙する。
「ツィアーダ!」
「おまえは女が逃げないように見張ってろ!」
勝負の邪魔はするなとのお達し。
二人のあいだで上下関係はハッキリしている様子、この
「逃げないで! 大人しくするんだ!」
迫る大男に対してイリーナは「はいっ!」と言って力いっぱい両手をあげた。
「ええっ!?」
まったくの無抵抗をつらぬくイリーナにドラグノは立ちすくむ。
どうやら悪人ではないらしく無抵抗の女子を力づくというわけにはいかないようだ。
無防備をさらしながらもイリーナに降伏の意思はない。
この危機感のなさは彼女が俺の勝利を信じきっているからだろう。
二人とも俺が倒すから安心、勝てないから自分は参加しないというポーズだ。
信頼からくる慢心も、自信のなさからくる開き直りもひとしく人を小馬鹿にしているが。
仕方ない、イリーナがこの二人に歯が立たないのは事実だ。
「人質にだけなってくれるなよ……」
すべてを一任された俺がかるく愚痴るとイリーナは「うん」と返事をした。
だが、どうやらその心配はいらなそうだ。
最初の名乗りや一体一をいどむ態度から察っせられるとおり、この二人は正々堂々としている。
ならば一人づつ倒すだけだ、俺はトゥーハンデッドソードをかまえる。
対人用の武器ではないとくりかえし戒めるが、そんなことを気にしてもいられない状況にある。
睡眠薬が効いている──。
比較対象として、たとえばあのアルフォンスといまの俺が闘った場合、必ず勝てるという自信はない。
それくらい絶不調だ──。
かまえを見るかぎり眼前の竜騎兵はアレよりかは使えそうだ。
俺が両手剣をかつぐとツィアーダはスカした口笛を吹く。
「なるほど、そういう戦法か」
脇構えや担ぎ構えはリーチを誤認させる闘い方だ。
勝手に感心しているがそれは的はずれな考察、実際には指先に力が入らず水平を維持できないだけだった。
できるのは切っ先を地面に置くか、肩に担ぐかくらいなのだ。