結局、俺たちは竜の巫女イーリスを解放する他になかった。
アルフォンスは監禁、人体実験するべきだと主張したが、巫女イーリスが子供のように泣き出してしまった。
思えば不幸な娘だ。
あまりの不憫さにもはや誰も強硬な態度はとれなくなってしまった。
本心では皆、イリーナの存在の有無を確認したがっている、しかし明確な手段はない。
ティアン女王はイーリスに真摯に滞在と協力を求めたが彼女はそれを拒絶、すぐにでもこの場を離れたいという気持ちは察するに余りある。
「はあーっ! やっと自由を取り戻したわ!」
城から出ていく際、なぜか見送りに指名された俺は彼女と二人で城門をくぐったところだ。
イーリス・マルルムは両手を掲げて力いっぱい伸びをする。
「文字通り体も取り戻したしっ!」
一年半ぶりに所有権を取り戻した肉体に感覚を行き渡らせているようだ。
俺は呼び掛ける。
「イーリス」
──しかし、イリーナと紛らわしいな……。
依頼を受けたときはたしかイーリスと聞いてた、イリーナの名を聞いたときには覚え間違えくらいで納得してたっけ。
彼女は「ん?」と言って振り返った。
「なぜ俺を同行させた?」
アルフォンスは論外としても道案内なら誰でも構わないだろう。
「なんでって?」
「男女問わず俺の見た目のいかつさには萎縮するもんだ」
つい先ほど暴れたところを取り押さえて縛り上げた男だ、よく背後を歩かせるなと思う。
「竜を毎日みていたあたしからすれば人間なんてみんな同じサイズよ。それに、アンタが見た目に反してお人好しなのも知ってるから」
ほほう、気になる発言だ。
「入れ替わっていたあいだの記憶はあるのか?」
巫女イーリスは感情的にまくし立てる。
「あったわ、ずっとあった! 体が意思に反して無茶ばかりするのよ、勝手に痛い思いしたり死にかけたりするのっ! もう、この……、分かるっ?!」
確かにたまったものじゃない、俺は「ああ」と、相槌を打った。
「──なにが悲しくてデカパイとイチャイチャしなきゃいけないの! ああ、忌々しい!」
たしかに誰かが俺の体の主導権を握って、自分の意識があるにもかかわらず男とイチャつきだしたらキツいと思う。
「ねえ、トロル?」
「俺を鈍重で知能の低い種族の名で呼ぶな」
すげえ自然に呼んだな。
「トローヴィルさん」
「混ぜるな」
イーリスは振り帰ってジッとこちらを見ている。
「あたし、アンタの依頼主だっていうマウ人の商人に心当たりがないの」
「とつぜんなんだよ、外見以外のことはなにも知らないぜ」
身内ではない、名前を言っても伝わらないとは先方も言っていた。
イリーナの正体が判明し、巫女に戻ってほしいとの伝言も受け取った。
それで進展するものと確信していたが、実際にはまったくの情報不足だ。
「その人を紹介してほしいの」
「なんでだよ、胡散臭いじゃねーか」
救出の依頼を受けた当初は仕事だった。
生きて出られないと噂のコロシアムに幼い少女が囚われているから脱獄させて欲しい。
自分には適性があったし、助けた方がいいだろうと単純に考えて受けた。
しかし赤の他人という情報を踏まえて考えてみたら、依頼主が彼女をどうするつもりか怪しいもんだ。
「──金儲けに利用するつもりなんじゃねえの?」
身内でも仲間でもないならあとは損得の問題だ、会わないほうが無難な気はする。
忠告はしたが、イーリスに響いた様子はない。
「都を維持するために『竜の巫女』は不可欠なの。あたしが一年はなれていたあいだにきっと、ううん、絶対に他の誰かがあたしの代わりの巫女になってる……」
それは現状の確認か、それとも未練の話か。
「──その人はあたしに巫女に戻る気はないかって言ったんでしょう? それが可能なら、あたし巫女に戻りたい!」
彼女の態度からは懇願めいた必死さを感じる。
そもそも巫女がいやで飛び出したのではないならば、なぜ都を離れたりしたのだろう。
そのまま続けていれば、こんなややこしいことにはならなかっただろうに。
──どうしてコロシアムだったんだ?
疑問は尽きないが、他人の事情を根掘り葉掘り聞くわけにもいかない。
本人が話したいことだけ聞いてやればいいと思っている。
「どのみち報告はしに行く」
当初の依頼はイーリスを連れ戻して引き渡すことだった、手ぶらよりは面目も立つ。
そこから先は彼女の人生か──。
「──依頼主に会わせればいいんだな?」
了承すると張り詰めていたイーリスの表情がパッと明らむ。
「うん、お願い、あたし一人じゃ右も左も分からないわ!」
正直まだイリーナがいなくなった実感がない。
死んだと聞かされたが死体の確認はできていない、そんな感触だ。
おなじ姿の人間がこうやって目の前で元気に動いている、そのせいでより現実味がない。
彼女を『聖都スマフラウ』に帰してしまったら、もう二度とイリーナと会うことは叶わない。
そんな不安が拭えずにいる。
方針が決まった頃合いにアルフォンスが追いついて来る。
イーリスは俺の背後にコソコソと身を隠した。
「ちょっくらスマフラウまで送ることになったわ」
引き渡して完了、というわけにはいかなそうだ。
ある程度の無事を確認してから帰りたい。
「やはり、留まってはくれませんかね?」
断固たる抗議の念を背中に感じる、再三にわたる説得の末にその道は絶たれたのだ。
魔術師は憂うつ気にため息をつくとひとり言のように呟く。
「人生を捧げてきたことからとつぜん解放されたことで、私はなんだか一度死んでしまったみたいです。なんとなく、たゆたうように生きている。まるで余生であるかのように……」
愚痴なのか、念押しなのか、それともなにかの暗示なのか。
強い後悔のようにも感じられた。
「──本来ならば居場所を見失わないために私が同行したいところですが、彼女がそれを許さないでしょうね……」
「許すわけないじゃん!」
イーリスが間髪入れずに拒絶するとアルフォンスは腹いせとばかりに言い返す。
「勇者様じゃなくおまえが消えれば良かったのに!」
「さいてー!! 死ねよッ!!」
それは本当に最低だと思うし、俺をはさんでやり合わないでほしいと思う。
「私は勇者様に恩返しをすると決めた矢先なので、かなうことなら協力を得られるよう最後まで彼女の説得を試みてください」
アルフォンスは俺にむかって念を押した。
イーリスがこの調子なのはおまえのせいだとは思うが、未練があるのは同じだ。
具体的にどう説得していいかは分からない。
手の届かないところには行かないでくれ、それくらいか。
「──こちらのことは上手くやります」
自分がいてはイーリスが意地になってしまい、説得できるものもできなくなる。
アルフォンスもそれは理解していた。
それにイリーナを思えばこそ、ティアン女王の周囲を手薄にする訳にはいかない。
俺は仲間として約束する。
「心配だろうが道中の安全だけは保障するぜ」
背後ではイーリスが俺の腰を小突いて出発を急かしている。
そろそろ別れのときだ。
「切羽詰まっていたとはいえ、あなたには大変申し訳ないことをしてしまいましたね」
アルフォンスは殊勝な態度でイーリスに声をかけた。
真剣な姿勢に打たれたのか、イーリスは俺の背後から姿を現した。
「…………」
身を縮めて視線を合わせない、当然ながら心を開いたわけではない。
最後に一言くらい謝罪を受けてやらないでもないという態度だ。
行ってきた非人道的な行為の数々を詫びる最後の機会に、アルフォンスは心を込めて誠心誠意で謝る。
「意識が無いのを良いことに胸を揉んだりしたことを謝罪します」
イーリスは叫ぶ。
「絶対許さないからなっ!!」
そんなこんなで俺は竜の巫女イーリスを依頼主のもとまで送り届けることになった。