イバンの攻撃は彼の脳を完膚なきまでに破壊、リビングデッドとしての活動をも完全に停止させた。
頭部はもはや原形を留めてはいない。
それでもウロマルドは膝立ちの状態で体制を維持している、意識が途絶えても重心が中心にある証拠だった。
不謹慎だが称賛せずにいられない、死体の佇まいをすら美しいと思う。
「しぶとい化物めッ!! 倒れろよォォォッ!!」
イバンがすでに亡骸と化した巨体に更なる一撃を叩き込もうと鉈を振りかぶった。
その側面から勇者が体当りを食らわせる。
必死だったのだろう、豪快に転倒し諸共に地面を転がった。
「なん、ッで!? 姉弟子!! 邪魔しないでくださいよ!!」
イバンは非難の声を上げ、勇者は沈痛に歪む顔を付き合わせて叫ぶ。
「……何、やってんだよッ!! オマエ、何やってんだよォ……ッ!!」
涙がボロボロと頬を流れ落ちる。
転倒した時に負傷したのか「痛っ!」っと呻く。
「姉弟子?」
そして心配するイバンを「触るなっ!!」と跳ね退けた。
ぐっと歯を噛み締め苦しそうに息を吐き、立ち上がる。
「ウロマルド……ウロマルドォ……」
損壊した頭部に指をはわせて名を呼んだ。
無念の響きを湛えていた。
「……いったい、どうしたんですか?! 姉弟子、しっかりしてください! 気をしっかり!」
二人のやりとりは平行線だ。
勇者の行動は極めて感情的なものであって、むしろイバンの行動こそ合理的だった。
「アルフォンス――」
唐突に矛先がこちらを向いた。
「は、はい……?」
「おまえ、ウロマルドを魔法で縛ったな」
それは質問と言うよりは詰問のトーンだ、怒りをはらみ確信を持って咎めているのだ。
「いえ……」
私は一度否定し、無駄だと思い直して認める。
「──はい、止めました」
イバンの攻撃に加勢した事実を勇者には伏せておきたかった。
だが、後ろめたさから誤魔化そうとしたのは逆効果だ。
一瞬のとまどいは不信を買った。
向けられているのは見たことのない敵意に満ちた眼差しだ。
「なんで!!」
「しかし、それは――」
仕方が無なかったのだ。
イバンが襲い掛かる瞬間にウロマルドは反応していて反撃の体制に入っていた。
膝をついているところを不意打ちしても、イバンごときにやられる絶対王者ではない。
あのまま放っておけば死んでいたのはイバンの方だったのだ。
普段なら私にウロマルドの足止めなど適うはずもない。
だがリビングデッドになったいま、マリーの術式に介入することができた。
とっさの判断だ。
死んでいる者より生きている者が優先──。
その判断は正しいと確信している。
冷静になれば勇者だって同じ結論であるはずだが、タイミングが悪すぎた。
死者の意志が尊重されないならば、自分はどうなのか──。
彼女はつい先ほど自らの真実を打ち明けられたばかりで、それを受け入れられていないのだ。
私がどう弁明したものかと口ごもっていると、イバンが先に口を開いた。
「分かりませんよ!! いったいなにを怒っているんです?!」
語気荒く、捲し立てる。
「──どう考えたって、こうするのが正しかった。他の選択肢なんて絶対に無い!
だって、そうでしょう。コイツが暴れだしたら、もう誰にも止められないんです!
どれだけの犠牲が出たか想像も付かない。だからっ、未然に防いだんですよっ!!」
その行為の正当性を力説した。
正しい判断だった、一点の不備もない。
ただウロマルドほどのリビングデッドは前例にない。
もしかしたらその強靭な意志の力で自我を保つことができたのではないか、そう期待する気持ちはあった。
しかし、そんな絵空事ではイバンを責められない。
「これは英雄的行為だ!! 俺が決断したお陰で最悪の事態を回避できたんだっ!!」
「まだ、自我があったのに……」
勇者は後悔にうなだれた。
「なくなってからじゃあ遅いんですよ!! 分からないんですか?!」
イバンは理解を得ようと正当性を主張する。
「──いいですか、姉弟子! 死んだ奴はその時点でオシマイなんです。生きてる人間を護らなきゃ。
ここは俺たち生者の世界だ。死人になんて好き勝手させません。死んだら、黙って退場しとけって、そういうことなんですよっ!」
彼に悪気はない、むしろ仲間だからこそ理解を得ようと必死だった。
しかしそれは、マリーが勇者に言った『部外者は退場しろ』という言葉とシンクロしていた。
イバンがひとしきり喚き散らし、静寂が流れる。
重い、重い空気が漂っている。
その空気を纏ったまま勇者が声を絞り出す。
「わかった。なら、ボクはもうなにもしない、あとはおまえらで勝手にやってくれ……」
そう言って、のそりとこの場から離れて行く。
その背中はあまりに儚げで、このまま見送ってしまったら二度と姿を現さないような、そんな気にさせる。
「待って! 待ちましょう!」
私は引き留めようとその背を追って声を掛けた。
「勇者様、拗ねないでください。今は火急の事態ですよ。お怒りは重々承知です。でも、お叱りは後でいくらでも受けますから、どうか、いまはできる事をしましょうよ、ねっ?」
胸に弱々しい感触が当たる。
傍らに立とうとした私を勇者は突き放した。
「おまえの言うことは聞きたくない……」
かすかな声は疲れ果て、それでいて憎悪が篭っている。
私は驚いたはずみで「えっ?」と、戸惑いを漏らした。
「黙ってたろ……。
帰る場所が無いって知っていた癖に、ボクが帰る手段を探しているのを間近で見ていた癖にッ!
馬鹿にしやがって……、馬鹿に……ッ……しやがってッ!!」
つまるところはそこなのだ。
真実を語ることの都合が悪く、私はそれを先送りにした。
イバンのことはきっかけの一つで、根源は私が今日まで彼女をあざむき続けてきた事実。
そのツケが、最悪なタイミングでまわって来た。
もはや私は彼女に弁明する資格もない。
「ボクの功績はおまえの実験の成果なんかじゃない!! ボクはおまえの操り人形じゃないんだっ!! 消えろっ!! 二度と姿を見せるなッ!!」
勇者は怒鳴った、振り返ることもない。
そして私の前から去って行く。
「ティアン姫はどうするんですかっ!!」
最後の手段だった。
なんとかして呼び止めようと、この期に及んで私は彼女の弱点を利用する。
しかし、もう手遅れだった。
勇者は肩を落とし、ポツリと自嘲した。
「……見回りの兵士だって、ボクよりは頼りになるさ」
奥の手を出した私に次の言葉はなく、呆然とその小さな背を見送る。
「姉弟子、待ってください! 何処に行くんですか、危ないですよ!」
追いついて来たイバンが叫ぶ。当然、それはなんの効力もない。
「私も大概、人の気持ちが解りませんが、貴方も相当なものですよね……」
それは皮肉ではなく率直な感想だったが、イバンは。
「俺は正しかったですよね?!」
と、鋼の意志を見せつけ私を脱力させた。
「ええ、一点の曇りもない正義でしたとも……」
例外だとか、相手の都合だとか、時と場合だとか、そう言ったものがすべて抜け落ちていることを除けば、おおむね正しかったと言える。
イバンは善良な人物だ。
恩人のためとはいえ二度も自分の命をかえりみずにその身を危険に晒した。
とても常人にはできない?むしろ正義の人と言える。
ただ、どうしようもなく頑固で融通が効かないだけのこと。
「でしょう!」
私の賛同に対してイバンは力強く答えた。
凄いな本当に……。
「さて、どうしましょう?」
私は途方に暮れて呟いた。
遠くで人々の悲鳴が断続的に鳴り響いている、人々がリビングデッドに襲われているのだ。
申し訳ないがとても一人一人を助けることは適わない、自分の力で助かってもらう他にないだろう。
賛同する訳ではないが、マリー流に言うならばこれは『こうなるまでなにもしなかった罪に対する罰』なのだ
この国はもう駄目だ。
ヴィレオン将軍を筆頭に精鋭の多くは前線の国境警備に割かれている。
対リビングデッドを任せられた聖堂騎士団はそれ自体がリビングデッド軍の主力。
事前に警戒態勢を取っていたとは言え軍備は万全じゃない。
リビングデッドの威力を知る者はいまや年寄りと歴史家と死霊術師くらいで、騎士たちの想定するものよりもあれらは遥かに強大だろう。
数日で死者の都と化す王都が目に浮かぶ。
見限って亡命でもするのが一番賢い選択だろう。
もともと隠遁生活の身、土地への思い入れもなければ柵も最近出来た最低限のみと身軽だ。
後ろ髪を引くのは、家族とサラマンダーと、せいぜい勇者のことくらいか。
「――そうだ。私たちの奪還を依頼した人物ですが、どこに連れて来いって指示はありましたか?」
ウロマルドを差し向けたのが元老院であることに思い当たり、私はイバンに訊ねた。
なににしても、一つだけ確認しておく必要がありそうだ。
「はい、案内しますか?」
「場所だけ教えてください」
私の願いにイバンは首を縦に振る。
「一人で向かうんですか、なぜ?」
なせをかと問われれば、あまり他人に見せたくないものが出て来る予感がするからだ。
それに極めて私用であるという理由もある。
「イバン氏はできれば、騎士団と合流して状況の説明と勇者様の回収を頼むようお願いしたいのです」
あの勇者を放っておいたらその辺でパクリといかれてしまいそうだ。
「分かりました!」
イバンは快諾してくれた。
「私はそのお偉いさんとやらに要件をうかがって来ようと思います」
正直、気は重いが。
「では此処でお別れですね。ご武運を、生きていたらまた会いましょう!」
そんな縁起でもない挨拶をして私達は解散した。
背後では皇国を支えた大聖堂が煌々と燃えている。