イバンが大聖堂宿舎に仕掛けた爆弾が派手に狼煙を上げた。
爆音と炎上は外部の人間にこの異常事態を確実に伝えたことだろう。
同時に興味本位で人が集まって来ることが危惧される。
――それらすべてがゾンビ兵予備軍になる。
それでも誰も気づかないよりは遥かにマシか。
イバンの鉈で拘束を断ち、ようやく私たちは両手の自由を取り戻した。
「さあ、脱出しましょう!」
この時点でまだ覇気があるのはイバンだけ、正直なところ私はとうに敗北気分だ。
ここから騎士団が奔走したとして、もはや事態が収束するとは思えない。
たとえ黒幕のマリーを撃退できたとしても、放った時点でリビングデッドは増殖し続ける。
際限なく増え続ける不死の軍団を相手に千人程度の兵隊に何ができると言うのか。
皇国の守護者たちも次の瞬間には人を襲う怪物に転じるのだ。
「ウロマルドが家族によろしくって、でもインガ族の故郷ってどこだろう……」
勇者もこの調子だ。
本人の性分にも寄るのだろうが、勇者はもともと私たちの世界よりも命の扱いが重い場所から来ているらしく、死が後を引きやすい。
闘技場にいた時分も仲間の死が彼女を激昂させ、その行動を大きく左右した。
その結果が革命に直結したのは確かだ。
「インガ族は戦場を求めて村単位の移動を繰り返す遊牧民的な部族ですから、いまどの辺にいるかは分かりませんね」
イバンは言った。
ならば紛争地帯にでもいるのだろう。
「ボクは、どんな人間だったんだろう……」
イバンに先導され出口に向かいながら勇者はそんなことを呟いた。
私は答える。
「劇作家、とかいう人物だったのでしょう?」
「そうだけど、たぶん。そうだけれど……。いくつくらいで死んだのかな? 幸せな人生を送れたのかな……?」
ウロマルド・ルガメンテという偉人が犠牲になり、庇われた自分はすでに死人であるという事実にだいぶまいっているようだ。
「勇者様の新鮮な反応を観るに、きっと、若いうちに亡くなっているのではないかと推察します。幸せだったかはどうでしょう」
あちらの世界、とりわけ勇者の国では殺しや餓死などは滅多にないと聞く。
それだけで私から見たら幸福、まるで理想郷のようだ。
「――若くして亡くなったのだとしたら事故死か病死、もしかしたら自殺だったのかもしれませんね」
そこは本人に思い出してもらうしかない。
いま思い付いたのだが、勇者の記憶喪失の原因は魔術の失敗とは無関係なのではないだろうか。
もし死因が自殺かなにかだった場合、その記憶を本人が封じ込めてしまったという可能性はないだろうか。
人間は都合の悪い記憶を忘却してしまうことがあり、同様の症状は決して珍しくはない。
だとしたら、私の過失ではないということだ!
ほどなく、出口へと先行していたイバンが宿舎側の扉へと手を掛ける。
「イバン氏、どうかしましたか?」
なにやらもたついているので声をかけた。
「んっ、かしいな、ビクともしない……。こらっ! 開けっ! おいっ!」
どうやらドアが開かないらしい。
私はその原因に思い当たり問いかける。
「もしかするとですが――」
するとイバンが振り返らずに答える。
「なんでしょう……?」
他人の感情の機微に疎い私にも解る、これは原因に気付いている者の反応だ。
「貴方が引き起こした爆発と火事の影響で、宿舎側の通路が塞がってしまっているのではないですか?」
――沈黙。
それがなにより明確な回答。
私は彼を咎める。
「えっ!? なぜ脱出経路を吹き飛ばしたのですか?!」
「あっれ、おっかしいな! 想定していたより爆発が大きかったのか? まさか地下まで影響が出るだなんて……」
反省の色は見られない。
普段なら立ち直れなくなるほどに罵倒したいところだが、いまはそのエネルギーすら惜しい。
私も一通り試したが、押しても引いても蹴りつけても扉が開くことはなかった。
「他に出口は?」
上の階を爆破した影響で廊下が塞がっているのならば、開たところで外に出るのはキビシイのではないか。
「あはははは! ここを抜ければ選択肢は色々あったんですけどねぇ、まいったなぁ!」
よし、立ち直れなくなる程に罵倒するぞ。
そう誓ったところで勇者が口をはさむ。
「引き返すしかないんじゃない?」
それはさきほど通った祭壇奥の扉を開くということだ。
「──あの爆発を無視してとどまり続けるとは思えない、マリーさんも大聖堂を離れてるんじゃないかな?」
確かに、兵力を一点集中している場所で爆薬が使われたのだ。
礼拝堂自体の爆破を警戒して避難するのは自然な行動だ。
まさか爆破の実行犯がこうして間抜けにも足止めを食らっているとは思うまい。
そうでなくとも人が集まってくる。
「そうですね、抜け出す隙はありそうです」
地下への避難扉は鉄製でこちらから鍵が掛けてある。
敵がいなくなるまで潜伏する手もあるし、良ければ既にもぬけの殻である可能性もある。
「逃げたと見せかけて戻る。いやあ、爆発が陽動になって、すべてがうまく噛み合った気がしますね! 良かった良かった!」
責任を免れたイバンが胸をなでおろす。
「偶然な」「偶然ですよ」
勇者と声が重なった。
このイバンとはいまいち噛み合わないのだが、その身を危険に晒し救援に駆けつけてくれた友情自体は本物なのだ。
私たちは来た道を引き返す。
いまさら口にはしないが、ウロマルドの安否を気づかっての提案だっただろう。
先ほどまでとくらべて勇者の歩調が明らかに速い、率先して抜け道の閂を外すと聖堂内の様子をうかがう。
「どうです?」
私は梯子に乗り上げた勇者の尻に向かって訊ねた。
良い尻だと思った。
扉の隙間からは静寂が流れ込んで来る。
マリーはどうやら迅速に行動を開始したらしい。
「誰もいな……あっ!?」
私の問いかけに答え切らずに蓋を跳ね上げ、勇者が外に飛び出した。
私とイバンは後を追う。
「勇者様!」「姉弟子!」
勇者は走った、その先に見える人影に向かって。
――そこに剣闘王者ウロマルド・ルガメンテは立っていた。
「まさか……」
私は驚嘆した。
あの地獄から生還することは不可能、そう確信していたのだ。
いや、この時点で一瞬でも生還を思い起こさせたことが絶対王者たる彼に抱かされた幻想なのかもしれない。
少なからず、私は正常な判断力を失わされていた。
「ウロマルド!」
リビングデッドの残骸の中に悠然と立つ巨人に勇者は駆け寄った。
散らばる怪物の中に動くものはない。
「イリーナか」
王者はしっかりと反応し、私は専門家であるにも関わらず根拠のない安堵をした。
「酷い怪我じゃないか!」
かれの肌は真紅に染まり、本来の漆黒の部分が見当たらないほどだった。
リビングデッド達が携えていた武器の数々があらゆる角度から彼に傷を刻み、おびただしい量の出血をさせていた。
生前、弓の手練れだった者がいたのだろう。矢の一つは致命的な位置に深く突き刺さって見える。
それでも人類最強の戦士は長剣を両手にしっかりと握り、しっかりと直立している。
「生きてて良かった!!」
勇者の言葉にウロマルドは首をかしげる。
「……立っているだけでそうだと言うのなら、あの不死人たちにも当てはまる」
そして、何かを確かめるように腕を上げ下げすると言ったのだ。
「――死んだのは、はじめてだ」
勇者はその言葉を飲み込めずに「えっ……?」と聞き返した。
無事なわけがなかった──。
死を自覚するまでリビングデッドが自我を残すことはある。
ウロマルドは死ぬ前に感染しそのまま戦い続け、肉体の反応からいまその確信を得た。
痛みのなさ、血管を伝わる違和感、筋肉からも無駄な軋みを感じるはずだ。
さすがの一言──。
普通ならそれは疲れや怪我のせいだと転換し気付かない。
しかし彼は肉体の反応を熟知しすぎている。
死を自覚してなお自我を失わないのは驚きとしか言いようがなかった。
私は事実を率直に告げる。
「ウロマルド氏は、リビングデッドになったのです」
すがるような目付きで振り返る勇者に、ただ首を振って答えた。
「──どうにもなりません。死んでいる事実は覆りません……」
イバンが唸る。
「おい、冗談だろ?! こんな怪物が人間を襲いだしたら誰にも止められないぞ!」
ウロマルド・ルガメンテのリビングデッド。
イバンの言う通り、それが人類にとってどれほどの脅威になるかは明白だ。
「ウロマルド……」
勇者がその上腕に手を添えて真っ直ぐに瞳をのぞき込む。
「君はどうしたい?」
本人の意思を確認する。
「我は試したい。魔術に対し、どれだけ自分が抗えるのか。いつまで身体を動かせるのか。それまでにどれだけの敵を屠れるのか」
死を自覚してなお自我を保てている前例を私は知らない、だが確かにまだ抗えている。
それは常に死と対峙してきた戦士の覚悟、肉体を自在にする鍛錬で培った強い意思の賜物か。
死してなお可能性を追い求めるその姿勢に勇者は感銘をうけただろうか。
あるいは同じ境遇に自らを重ねただろうか。
きっと彼の意思を尊重するだろう。
「アルフォンス……」
勇者が切り出した時、肉体の欠損からかウロマルドが地面に膝を付いた。
次の瞬間――。
イバンの鉈が彼の頭部を半ばまで両断した。
「!!?」
勇者か、いや私かもしれない。音にならない誰かの悲鳴が聞こえた。
「もう一発ッ!! トドメだ、化物ッ!!」
イバンは深く埋め込んだ鉈を抜き取り、駄目押しの一撃を叩き込む。
二度の斬撃にウロマルドの頭部が大きく欠損し、中身が飛び散った。