絶対王者ウロマルド・ルガメンテがたった一人で聖堂騎士団を圧倒している。
もはや未来視と言えるほどの経験則、柔軟な発想とそれを確実に実行できるフィジカル、まさに最強戦士の完成度を見せ付けられているところだ。
すでに半数にまで減少した聖堂騎士団にむかってウロマルドが駆け出した。
戦場といえど歩兵が短期で多数の中に切り込む姿はなかなか拝めたものではない、闘争は基本的に囲まれたら終わりだ、その時点で闘いというよりは刑の様相を呈する。
散らばった敵を高所から各個撃破してきたのとは違い、訓練を受け連携のとれている兵士を複数同時に相手どるのは人間の処理能力的に限界がある。
この場合、私ならば第一に逃げる、それが不可能ならば全員が視界に入る位置を保ちながらの各個撃破以外に選択肢はない。
私の実力では修道士一人の処理も追いつかずにすぐ囲まれてしまうだろうが、ウロマルドならば背を見せずに一人ずつ迅速に仕留めることで数を減らしていくことができるかもしれない。
しかし、絶対王者は躊躇なく聖堂騎士団の真っ只中に突っ込んだ。
「あちゃぁ……」と漏らさずにいられなかった、彼は窮地を求めており不利な状況すらも大歓迎なのだ。
ウロマルドの鋭い攻撃をミッチャントが正面から受け止めた、絶対王者の一撃を真っ向から受け止めるなんて芸当を果たして何人ができるだろう、容易に見えたのはミッチャントの技術の賜物だ。
ウロマルドによる左右の剣での連撃、幾度も追い打ちが繰り出される。
ミッチャントが躱した二発目の突きは器用にもスライドし、捻った首を追従する軌跡を描いて迫る。
ミッチャントが雄叫ぶ。
「ぬぅぅアッ!!」
初撃を弾いた流れで長柄を回転させてそれを弾く、武器を引かずに一連の動きで三擊、四撃と防ぎ切る。
その刹那に交わされた技巧はもはや私ごときの理解では追いつかない。
ミッチャントの動きが冴え渡る、ウロマルドを高所から降ろし両足を踏ん張っての攻防にしたことで実力を発揮できているのだ。
その隙を付いて修道士たちが左右背後から同時に襲い掛かる、屈強な相手とサシでやるのと脆弱とは言え集団を相手にした場合、覚悟が決まってさえいたなら多くの場合後者の方が厄介だ。
ウロマルドは最強だが彼を殺すのに最強である必要はない──。
競技において絶対的な指針となる腕力だとか、耐久力だとか、瞬発力だとか、そういったフィジカル的なことは殺し合いの場合は絶対的なアドバンテージ足り得ない。
なぜならば殺す、ないし倒す、という行為は有効部位に有効打を与えるという一点に尽きるからだ。
先日、握力百キログラムのフォメルスをその十分の一程度の力しかないティアン姫にも殺せたように、急所に突き刺さった最強の魔剣と急所に突き刺さったペーパーナイフの招く結果は等価だ。
熟練者だろうが素人だろうが、どちらでも人は死ぬ。
それは絶対王者ウロマルド・ルガメンテであっても同じ事、四方を囲まれすべての攻撃に対応するのはもはや不可能に思えた。
――しかし次の瞬間、ウロマルドに襲い掛かった三人が同時に転倒した。
「おおおおおっ! な、なにがどうなった!」
マリーが叫んだ。
恐らく、背後からの攻撃が振り下ろされる前に後退、後頭部で相手の顔面を強打し、背で後方に倒した。
その動作で正面からのミッチャントの攻撃を避け、両手の剣をそれぞれ左右の修道士に突き立てたのだ。
その動作が一度に行われため三人が同時に倒れた。
なんたる冷静な判断、背後から来る敵の武器が剣や槍ならば後ろに下がることはできなかった。
振り上げる動作が不可欠なフレイルであったからこその判断、加えて四択の中からまさか視界の外にある自分の方を優先することはあるまいという心理に対して完全なカウンターになっていた。
そんな神業を見せつけられても聖堂騎士団は怯まない、倒れた仲間を踏み越えて次の者が波状攻撃を仕掛ける。
ウロマルドは左からの攻撃を受け、右を突き、後ろからの攻撃を弾き、前方の敵を薙ぎ払う。
なるほど、これが片手剣と盾の一式だったなら一方で受け一方で攻めるしかないところだ、二刀流であることで二方で受け二方で攻めることを可能にしている。
右前構えと左前構えを目まぐるしく切り替えている、スイッチ自在というわけだ。
なによりバスタードソード二刀のリーチによる広大な制空権と派手な立ち回りは圧巻である、何者の攻撃も届く気がしない。
「カッコイイ……」勇者が称賛した。
相手の攻撃を食らわず自分の攻撃を一方的に当てる、戦闘とは武器や肉体の強い者が勝つのではない、戦闘理解度の高い者が強い。
ちなみに実践できない知識は理解度が高いとは言えない。
分かってる! 分かってるってば! と、失敗のたび勇者は反論、もとい言い訳をしているが『実践できてはじめて理解したと言える』とは当の勇者の言である。
指摘を受けているうちは言い訳でしかないという理屈だ、逆に言語化できなくても実践できるならそれは理解しているものと私は解釈する。
「アルフォンス!」
戦闘に見蕩れる私に勇者が呼びかけて来た。
「なんですか、口先野郎?」
「……えっ、なんでこのタイミングでボクをディスったの?」
「すみません、いろいろと考え事をしていたもので」
ただの本音だ。
「その悪口はこの状況を打開するまで取っておくべきだと思うけど……?」
勇者の言う通り、確かにこの場においてもっとも立場の悪い者同士でなにを言わんやだ。
そして勇者は興奮気味に同意を求める。
「勝てるかもしれないね!」「かもしれませんね!」
決して目に見えるほど楽観的な状況ではなかったが私は否定をしなかった、確かにウロマルドの動作は一々華麗すぎて負ける姿が想像できない。
しかし、それらは敵が弱ければ必要としない動きでもある、それを引き出しているのが彼の言う窮地なのだろう。
つまりウロマルドの動きが神がかりであればあるほど、彼は危機的状況なのだとも言える、実際これだけの立ち回りで敵が減っていない。
つまり【自動治癒魔術】の許容を超えるだけの一撃を打ち込めないくらいには切迫しているのだ。
とは言っても捕らわれの私たちには彼の勝利を願うことしかできない。
「そうだ」
勇者が不意にマリーを振り返った。
「リングマリーならボクを元の世界に戻せるって聞いて来たんだけど、その辺どうなの?」
「将来の話を始めちゃうとか、もう勝った気でいるの?」
私の中からつぶさに勇者を観察して来たと豪語するマリーも流石に困惑の色を滲ませた。
──どうしよう……。
妹ならば勇者を元の世界に戻せるかもしれない──。
それはその場しのぎの言い逃れでしかなかったので、あまり踏み込んだ話をされると困る。
「マリーは無事に帰す気ないって言った、言ったよね?」
自軍の劣勢を目の当たりにされたマリーは面白くない、しかし勇者は引き下がらない。
「とりあえず可能なのかどうかの確認はしておこうかなって、ウロマルドが勝つと思うし」
「はあ?! 分かってない、分かってないな勇者様っ!」
マリーが声を荒らげた。
いいぞ、そのままへそを曲げて勇者に余計なことを漏らすんじゃないぞ、私は戦いに夢中なフリをしながら背中越しに彼女たちのやり取りに注視する。
「マリーの勝ちは決まってるの! だって、いざ全滅となったら、ウロマルド・ルガメンテの肉体を乗っ取れば良いんだから!」
その場に器となる肉体がある限りリングマリーに敗北はない、そして闘争がある以上は敵が存在し、そこに肉体が必ずあるのだ。
この場の勝利者がウロマルド・ルガメンテだと言うならばその肉体を奪うだけ、しかしそれだけは勘弁願いたい、私は堪らずに口を挟む。
「やめてください勿体ない、戦闘個体の最高傑作に引き篭り女を上書きだなんて、それはもう名画に落書き、ご馳走に馬の糞です、美への冒涜ですよ!」
素人女の乗り移ったマッチョマンなんて私でも倒せてしまうだろう。
余計な口出しは妹を憤慨させる。
「だいたい、お兄ちゃんもさッ!!」
勇者に向けていた矛先は唐突に私へと反転された。
「お兄ちゃんもさあ?! 【通信魔術】でいつでも助けが呼べるって高を括ってるんだろうけど、教会本部の地下に張られた結界をお兄ちゃん如きが突破できると思わないでよねっ!!」
余計な茶々を入れてしまったせいで思惑が看破されてしまった。
頼れる仲間のいなかった闘技場以前の私とは違い、今なら外に頼もしいツテが幾つもある。
勇者の命が危ないぞ! と報告すれば騎士団が動く。
地下牢だろうがなんだろうが【通信魔術】で挽回可能と考えていた。
「絶対に逃がしてやんなッ!? ……ゲホッ、いか……!? ゲェホッ! オェェェ……!!」
大声を出したマリーは咳き込んでうずくまってしまった。
「おい、大丈夫か、不死者の王っ!」
倒れ込んだマリーの背を勇者が摩ってやる。
「そんなハッスルできる肉体年齢じゃあないでしょうに……」
このまま煽り続けていれば心不全とかで死ぬんじゃあなかろうか?
想像に難くなかったが牢獄は魔術遮断処理済みとのことだ。
今ここで外に助けを求めることも可能だが、ウロマルドが敵の数を減らしきるなりを見届けるまでマリーを刺激したくない
──馬車での移動中にティアン姫に連絡しておくべきだった。
しかし、その時分は勇者が黒幕と断言した大司教の思惑について思考をめぐらせるのに夢中だったし、ここまでの大事になっているとは思いもよらなかった。
私が脱出の手段を模索しているとマリーを介助している勇者が余計な一言を放つ。
「そんな意固地にならずにさ、家族のよしみで見逃してよ」
私が「あ、それは――」と、制止するには手遅れだった。
家族嫌いのマリーにとってその一言は地雷に思えた、マリーは胸を押さえて呼吸を整えながらこちらを睨む。
憎悪の視線だ──。
「……い、いまさらそんな都合の良いことを言われても、ね。ウチに家族らしい思い出が一瞬でもあったかよって言う……」
──いや、私が言った訳ではないのだが……。
マリーと血の繋がっていない父は彼女を無視し続けたし、その才能には嫉妬すらしていた。
母はと言えば美容にしか興味がなかったし、そんな家族とどう接して良いものか、私もついぞ分からなかったのだ。
「ウチは勇者様みたいに円満な家庭ではなかったのですよ」
「いや、円満だったかどうかの記憶は無いけども……」
それはそう。
「ああ、イライラする……!」マリーは頭を抱えて呻いた、そして「まあ、いいや」と諦めたように開き直りこちらへと向き直った。
「──質問に答えたげる」
その雰囲気から私は事実の漏洩を覚悟した、なにを恐れることがあったのだろう、いつかは知られる事を先延ばしにしてどうするつもりだったというのか。
「本当に!」
勇者の表情が期待に気色ばむ。
場合によっては勇者の目的が叶う、いや叶わないことを私は知っているのだが少なくとも目処が立つ。
帰れないけど、どうするのか? という目処がだ。
「率直に言うと、勇者様は元の世界には帰れないよ」
「……マリーさんでも無理ってこと?」
マリーは容易く結論を口にし、勇者はその意味をまだ理解出来ずにいた。
「違う違う、お兄ちゃん程度にできたこと、時間があれば私にできない訳ないんだけど……」
「聞き捨てなりませんね……」
その侮辱、必要?
「じゃあ、なんでボクは元の世界に帰れないの……?」
勇者の声は失意に満ちていた。
思えば私はその事実を告げることを恐れていた気がする、恐れて答えを求める勇者を煙に巻いてきたのだ。
──この私が?
自分の成果以外に興味のない私が勇者とのあいだに確執が生じたところでどうってこともないだろうに。
ああ、そうだ、私が黙っていたことで勇者がヘソを曲げるようなことがあると研究に支障がでる、それが不服なのだ、この私は。
「……アルフォンス?」
勇者がこちらを振り返る、すがるような瞳で私を見つめている。
なぜだろう、口の中が異常に渇く、それを告げることでなにか決定的な変化が起きてしまう予感に緊張を覚えていた。
それでも、それを口にせずにいられないのが私なのだ。
「魔術の有無の問題ではありません、現世での勇者様はすでに故人であるため帰る肉体が存在しないのです」