ケーリィンは悩んでいた。
ダンスパーティーもとい収穫祭の準備は、幸いにして順調に進んでいる。
ただ彼女が知るかつての祭は、すべて口伝えによる情報で構築されていた。せっかく当時の祭りに倣うのなら、もっと詳細な当時の雰囲気も知りたくなったのだ。
そこで当時の状況がよく分かる、あわよくば写真も掲載された文献はなかろうか、とまずは神殿内の図書室を漁ることにした。
が、その途中で神殿に遊びに来ていた子供たちに捕まり、絵本の読み聞かせをねだられたのだ。
子供たちを拒むことなど、ケーリィンに出来るはずもない。かくして決意は半ばで
「――こうしてお姫様は王子様と結婚して、幸せになりました」
ケーリィンはちびっこを周囲に座らせて、十冊目の絵本を読み終えた。さすがにそろそろ、喉が疲れて来た。
読み終わるのを待ち構えていたのか、実にタイミングよくロールドが顔をのぞかせた。彼は大きな木製のトレイを抱えており、その上には手作りクッキーとミルクの入ったピッチャーと、人数分のグラスも載っている。
「さて、舞姫様もそろそろお疲れじゃ。おやつの時間はいかがかね、皆の衆?」
きゃーっ、と子供たちから黄色い歓声が上がる。
それでもロールドに群がるようなことはせず、皆が子ども用の低いテーブルに座り、お菓子と飲み物が配られるのを大人しく待った。
「みんな、いい子ですよね」
ケーリィンがロールドの手伝いをしながらこっそり囁くと、彼も温和な顔を綻ばせて頷いた。
このまま穏やかな午後が過ぎるかと思われたが、子どもたちがクッキーを頬張り始めた頃、神殿の扉を開く音が空気を変えた。
神殿の扉は、ケーリィンたちが私的な時間を送る朝晩以外は、基本的に開放したままだ。
シャフティ市は田舎故、治安だけは良いのでこれまで問題もなかった。
だが両開きの大きな扉を全開にする音と、続く一糸乱れぬ規則的な靴音が、非日常の匂いをもたらした。
「なんでしょう。警察の方でも、来られたんでしょうか?」
ケーリィンは首を傾げ、図書室の扉を見た。扉は神殿の玄関口でもある、広間に繋がっているのだ。
ロールドが白い口ひげを撫でてうめく。
「ううむ……そんな話は聞いておらんがのう……」
「わたし、ちょっと見てきますね」
立ち上がったケーリィンに、ロールドがかすかに難色を見せた。
「しかし……」
言い淀む彼に、ケーリィンは微笑みかける。
「たしかレイさんは、地下室にいるんですよね? もしも何かあれば、きっとすぐに助けてくれますから」
こう宣言して、小走りに図書室を出た。
ケーリィンが図書室の扉を開けると、
彼らは警察でも、もちろん犯罪者集団でもなかった。
全員が身にまとっている灰色の軍服には、見覚えがあった。色こそ異なるものの、ディングレイが普段着ているものと同じデザインなのだ。
「護剣士の方……でしょうか?」
おずおずとケーリィンが伺えば、一団の中央に位置する初老の男性が膝を折った。一拍遅れ、他の護剣士たちもケーリィンへ礼を取る。
「お初にお目にかかります、シャフティ市の舞姫様。我々は護剣士団の、魔術保守部隊でございます。本日は警護部隊所属の、ディングレイ・ジルグリットの身体調整に伺いました」
ケーリィンは、「あっ」と小さく声を漏らす。
ヒヒイロカネ――ディングレイが魔術を使うため、共生している不思議な生命体。
彼らは定期的に再定着処置が必要なのだ、と以前彼から教えられたことがあったのだ。
階上の出来事に気付いたのか、それとも事前に来訪を知らされていたのか。ここで地下室の扉がゆっくりと開かれた。
中から出て来たディングレイは、彼らを見るなり思い切り顔をしかめる。
「あんたらは相変わらず、忘れた頃にやって来るよなぁ。俺のことなんかそのまんま、忘れちまってくれても良いのに」
「ご冗談を。貴方は護剣士の中でも、一際特殊な存在です。我々に放置されれば、最悪命にかかわりますよ」
ディングレイの軽口にも、初老の男性は淡々と応じた。
肩をすくめ、ディングレイは地下室への扉を開く。
「侵入者検知用の術式を、一時解除した。再起動する前に、さっさと入ってくれ」
「ありがとうございます」
男性が短く指示を飛ばすと、来訪時と同じく一糸乱れぬ動きで、膝を折ったままだった保守部隊が立ち上がる。
そして男性を先頭に、機敏な動きで地下へと下りて行った。
広間には、ディングレイとケーリィンが残された。
ディングレイは地下へと続く階段を見つめ、うなだれたままだ。ガラの悪さに反して、ディングレイはケーリィンに対していつも気安い笑顔を向けている。
だが今は、声をかけるのもはばかられる空気を醸し出していた。ためにケーリィンも、たじろぐ。
「あ、あの……」
それでも彼女はためらいがちに歩み寄り、声を掛ける。ケーリィンの声に、ディングレイも視線を持ち上げた。
「レイさん……今から……何か、あるんですか?」
ケーリィンが問うと、ディングレイがぎこちなく笑った。取ってつけたような、急ごしらえの作り笑いだ。
「ああ、まあな。前に言っただろ、ヒヒイロカネの再定着処置だな。後は――俺の体の、メンテナンスもする予定だ。これでも人工物だから、色々手入れが必要なんだよ」
痛々しい笑みに、ケーリィンも顔をゆがませる。
「それって……やっぱり、痛いのでしょうか……」
「なんでそう思うんだ?」
「だってレイさんが、辛そうなので」
至極分かりやすい彼女の根拠に、一瞬ディングレイが目を見開いた。口もわずかに開く。
が、彼が何かを返す前に、背後から賑やかな足音と声がした。
ディングレイはたちまち無の表情になるも、すぐさまいつもの不遜な笑みで振り返った。
「おい、遅刻だぞ。あんた神なのに、時間にだらしねぇんだな」
腕を組む不躾なディングレイにも、リズーリは普段の太平楽な笑みを崩さない。
「あはは、ごめんね。この子もついでに連れて来ようと思ったら、意外に時間が掛かってね」
リズーリは何故かレーニオの首根っこを掴んで、引きずって来たのだ。そしてレーニオ本人も、連れて来られた理由が分かっていなさそうである。
彼のアホ面を見下ろし、ディングレイは短く嘆息。
「さすが年寄りは、のんびりしてやがる。で、このバカを連れて来て、どうするんだ?」
バカと呼ばれたアホ面のレーニオは、相も変わらず呆け面を浮かべていた。事態が全く掴めていない彼を見下ろし、リズーリは優雅に微笑む。
「ほら、いざという時の囮になるかなー、と思ってね」
「僕ぁ囮だったんですかっ?」
ギャッとレーニオが叫んだ。
一方のリズーリは相変わらずの食えない笑顔だ。
「それじゃあレーニオ君は、なんだと思っていたんだい?」
「だってリズーリ様が、楽しいことがあるよって言うから! てっきり集団お見合い的な、出会いの場が!」
「出会いの場に引き回しで登場するのも、どうかと思うけど。君はもっと、自分の頭で物を考えるように」
なおもギャイギャイ叫ぶレーニオをまるっと無視し、ディングレイはケーリィンへ向き直る。
「リィン。悪いがメンテナンス中と、メンテナンス後しばらくは俺が使い物にならねぇ。その間はリズーリが護衛役だ。今回はこうして囮もいるから、心配すんな」
「あ……はい」
ニッと笑い、彼はいつものようにケーリィンの頭を撫でる。
だがその手は、気のせいでなければ微かに震えていた。
いつだって自信満々で、腹立たしいぐらいにケーリィンを振り回してくれるディングレイが、怯えていた。
それほどまでに、護剣士たちのメンテナンスは過酷なのだろうか。
彼らがこんな重荷を背負って自分たちを守ってくれているなんて――聖域では、何一つ教えてくれなかったのだ。
ケーリィはどうして、と思う反面、その理由も薄っすらとだが察していた。
(わたしたちが、街を好きになれるように……)
外界から隔絶され、周囲の苦労や痛みからも引き離され、ひたすら純真無垢に「姫」の通称にふさわしい育ち方をしたケーリィンたち。
純真だからこそ、赴任地を素直に愛する者が多いのも事実だろうが――ケーリィンは、悔しかった。
周囲の人々の苦しみや辛さは、隠さないでほしい。ちゃんと知りたい。それが大切な、好きな人のものならなおさらだ。
初めて見る彼の弱気な姿に、ケーリィンは焦燥感と無知な自分への苛立ちに襲われた。思わず、叫び声を上げたくなる。
だが歯を食いしばって叫びと、蜂蜜色の瞳からこぼれ落ちそうになる涙をこらえる。
「――レイさん、あの!」
「……ん、どうした?」
「わたし、ちゃんとここで待ってますからっ。レイさんのメンテナンスが終わるの、ここでずっと待ってます」
手のひら越しに伝わった彼の不安を、少しでも拭いたくて。
ケーリィンは顔を上げ、伝播した不安に震える手を握りしめて声を張った。そしてじっと、彼を見つめる。
一瞬面食らったディングレイだったが、ややあって、少々不格好に笑った。それでも先ほどより、ずっとほぐれた笑顔だ。
「ん、ありがとな」
彼はかそけき声でそう言うと、すぐに踵を返し、地下室への扉をくぐった。
ガチャン、と扉の閉まる重い金属音が広間に響いた。