「ぎゃああああぁぁー! 痛いぃぃぃー! 死ぬっ、死ぬから、お医者さん呼んでぇー!」
我が身の不幸に遅れて気づいたレーニオが、二の腕や肘、頭頂部にガラスの破片を突き刺したまま絶叫する。
顔面に刺さらなかったのは、不幸中の幸いか。
「そんな傷で死ぬわけねぇだろ。さっさと傷口洗って来い。あ、腕は心臓より上に持ち上げとけよ」
呆れ果てた声ながら、ディングレイが的確に指示を飛ばす。
泣きじゃくる彼を立たせるべく、ケーリィンが駆け寄る。
「レーニオさん、洗い場はどこですか?」
「あ、あっち……」
鼻水も垂れ流しでしゃくり上げる彼は、さながら幼児だ。
血染めのレーニオに目を剥いていたアンシアが、ここでようやく我に返る。
「ケーリィンさん。舞でお怪我を治癒して差し上げなさい」
洗い場へ向かう二人を固い声で制止し、そう厳命した。その目は彼の信頼を勝ち取る好機を逃すな、とケーリィンへ語りかけていた。
レーニオを支えているケーリィンは、焦った。視線をあちこちに泳がせ、どもる。
「で、でも、聖域では失敗して、あの、人面
しかも舞で生まれた人面瘡は、口まで利いたのだ。ついでにかなりの毒舌だった。
思い出したくない記憶の、上位十位に食い込む失敗談である。
「それでも一応、止血は出来ていました。この際、人面瘡が生えても構いません」
しかしアンシアは、えげつないまでに無慈悲である。
痛みも忘れて凍り付くレーニオを、ディングレイが代わって支える。
「良かったな。これでイチャイチャする相手が出来るじゃねぇか」
爽やかな声が、レーニオを慰める――ふりをしておちょくる。ついでに、無造作にガラス片を引き抜く。
無論、レーニオもすぐに騒いだ。
「いてっ! あっ、あんた、他人事だと思ってるでしょ!」
「ああ。実際、他人事だからな」
「うわぁぁー! やだよ、教官さん! 教官さんが代わりに治してよぉぉー!」
レーニオは涙と鼻水と血と、そしてよだれもまき散らしてアンシアへ縋りつく。
だが
「私は舞姫として魔力が足りなかったため、教官の任に就きました。美術教師をする元・画家志望のようなものです」
ぴしゃり、と断られた。
その迫力にレーニオも黙りこくり、そしてケーリィンも腹をくくった。
治癒の舞は、いつもの繁栄祈念の舞よりも短いが、その一方で振り付けは非常に複雑だ。
ケーリィンは目を閉じ、深呼吸を繰り返す。
(観客は、レイさんだけなんだから。ここにいるのは……わたしとレイさんだけ)
心の中でそう繰り返し、繰り返し唱えた。
次いでゆっくりと金色の目を開け、ディングレイの方を見る。彼もケーリィンを見ていた。
ディングレイの視線は優しく、温かかった。
いつも、こんなにも想いのこもった視線を向けてくれていたのかと、頬が熱を持つ。
同時に、少し後ろ向きだった心も奮い立つ。
絶対的味方の存在を知覚したケーリィンは、心の底からレーニオの治癒を願えた。
手足も軽やかに動き、楽器などないにもかかわらず、一挙手一投足が清涼な音を伴って動いた。
「すごい……」
遠く彼方からレーニオらしき声が聞こえた気がしたが、それは風のようにケーリィンの中を通り過ぎる。
嘲笑の記憶も、一緒にどこかへ流れ去って行った。
やがて彼女の足元から、白い光があふれ出る。それはぱっと飛び散ったかと思えば、レーニオの傷を覆っていく。
みるみるうちに血は止まり、傷口は跡形もなく消滅した。
幸いにして、今回は人面瘡も生えてこない。
「こんなにも……こんなにも見事な奇跡を起こせた教え子は、初めてです」
アンシアが目尻を指でそっと拭って、誇らしげに笑った。
ケーリィンも彼女へ笑い返すが、気が抜けたせいか、気張り過ぎて多量に魔力を無駄遣いしたのか、腰から脱力した。
尻もちを付きそうになった彼女を、隣に回り込んでくれていたディングレイが危なげなく支える。
ディングレイは彼女を支える姿勢のまま、耳元でそっとささやいた。
「リィン。綺麗だった」
それがまたいつになく甘い声音だったため、ケーリィンは腰と言わず全身の力が抜けてしまった。