第3話



 収穫祭3日目の夕方。



 昨日よりも早く、本日最後の治療者を見送ったレティシアに、皇宮から伝令がやってきて、皇太子サイラスの呼出しに応じた。



「レティシア嬢、疲れているところを呼びだして申し訳ない」



「いいえ、わたしは大丈夫です。それよりも……」



 執務室で出迎えたサイラスの手を取ったレティシアが、回復魔法をかける。



「殿下の方が心配です。無理されていませんか? 収穫祭の責任者を快く引き受けてくださり本当に感謝しています」



 聖なる力を得たレティシアの回復魔法は、身体の疲れも精神的疲弊も、すべて一瞬で取り除いてくれる。



 なんて心地よい──



 うっとりとした眼差しをレティシアに向け、甘美な時間を享受していたサイラスに、受け入れがたい現実が付きつけられる。



「そこまで。アンナ、それぐらいでいいよ。もったいないから」



 レティシアの後ろから入ってきた長身の魔導士が、恐ろしく冷めた視線で見下ろしてきた。



「ジオ・ゼア特級魔導士もご一緒とは、まったく気が付きませんでしたよ」



 オマエなんか、呼んでないからなっ! と、サイラスは声を大にして言いたかった。



 胸の内とは裏腹に、柔やかな笑顔を浮かべるのが得意なサイラスではあるが、この男を前にしたときだけは、どうしても感情が勝ってしまう。



 なぜ、こんなヤツがレティシア嬢の心を射止めたんだ! 



 実力はたしかだが、不遜な態度といい、口の悪さといい、とにかく腹が立つ。ああ、腹が立つ!



 レティシアが目覚めて数日後、ふたりが恋人同士になったと聞いたときは、この世の終わりを感じ、3日ほど放心状態で過ごした。



 その後「なぜだ!」という疑問が沸き起こり、さらに3日後「解せない!」と怒りを覚えた。



 レティシア嬢の恋人になったのが、トライデン公爵家のエディウスならまだわかる。



 ヤツも生意気で口は悪いが、皇太子であるサイラスに、最低限の敬意は払ってくれていた。少なくとも傷心のサイラスに、追い打ちをかけるようなマネはしないはずだ。



 それをこの魔導士は、これでもかと底意地の悪い笑みを浮かべ、優越感たっぷりに……



「用があるなら、さっさと云ってくれないかな。僕とアンナは、これから広場の屋台で美味しいものを食べて、夜の舞台を見にいく予定なんだ。わかる? 恋人同士のデートなの。それをいきなり呼び出して……お邪魔虫な。これだから、モテないんだよ。皇子様は」



 くそっ! だから、オマエは呼んでないっ!



 夏から、積もりに積もった醜い嫉妬心。



 できることなら、なりふりかまわず、



「なぜ、オマエが選ばれたんだっ! どんな闇魔法を使ったんだ!」



 返り討ち覚悟で、いますぐ怒りをぶつけたいところだったが──



「ジオ・ゼア、失礼なことを云わないで。サイラス殿下は賢く聡明で、謙虚さと忍耐を兼ね備えた尊敬すべき御方よ。そんなわかりやすい挑発にのるわけないでしょ」



 意地悪魔導士をたしなめるレティシアの前で、それはできなくなった。



 今は、耐えろ。いつか、いつの日か、必ず潮目が変わるはずだ。それまでは、自分ができることに最善を尽くすのみ。



 いつかのように極力レティシアだけを視界にいれたサイラスは、「じつは」と本題に入る。



「収穫祭の初日から今日までの混雑状況を分析して、ルーファスと考えてみたんだけど……」



 サイラスから提案されたのは、連日の大盛況により待ち時間が長時間化している特務機関の区画ブース割についての改善案だった。



「特務機関の上層部にも話して、もちろん意見を訊いたんだけど、連日の疲れのせいか、全然話しにならなくてね。それで企画発案をしてくれたスペンサー家のレティシア嬢なら現場の様子も詳しくわかるし、もう少し具体的な話し合いができるかと思って」



 サイラスは広場の新たな区画ブース割を見せながら、より混雑を解消して、待ち時間を軽減できる案をいくつかあげた。



「今日は収穫祭の中日なかびでもあるせいか、初日、昨日よりは落ち着いていたけど、明日以降、首都近隣の町からも多くの来場者が見込まれている。それで、なんだけど……」



 サイラスが提示したいくつかの具体策に、レティシアは多いに賛成した。



「素晴らしいです。これなら待ち時間も少なくなりそうですね」



「よかった。とくにリリーローズ嬢の占い相談は人気が高いから、今夜中に整理券を準備するよ。でも、それも争奪戦になりそうだな……」



「そうですね。本当にすごいんですよ、リリーさんの占い。大魔女の血を受け継いでいるせいか、占いの呪文を唱えるときは、いつもの可愛らしい表情をガラリとかえて、いにしえの魔女が降臨したかのような妖艶な雰囲気になるんです」



「聞いたよ。となりのテントで無料相談をしていた魔毒士長バラクスが、あまりの妖艶ぶりに鼻血が止まらなくなったって」



 レティシアがクスクスと笑う。



「そうなんです。サイラス殿下にも見て欲しかったです。もうフラフラしながら回復士のところにきて、回復士長に『仕事を増やすなっ』って、怒鳴られていました」



「それは見たかったな。明日ぐらい、僕も見学に行こうかな」



「是非いらしてください。そのときは、わたしのところにも来てくださいね。薬草も魔薬もたくさん用意していますから。サイラス殿下には息抜きが必要です」



 この数カ月で、今が一番の息抜きだと、サイラスは思った。