第2話



 収穫祭の2日目が終了した夜。



 本日最後の治療者を見送ったレティシアに、背後から声が掛かる。



「レティシアさん、お疲れさま」



 振り向いた先には、げっそりとした顔のマルスが立っていた。



「お疲れさまです。薬草茶を淹れましょうか?」



「ありがとう。それを期待してきたんだ。もう、ヘトヘトだよ」



 レティシアが差し出したいカップを受け取るやいなや、一気に飲み干したマルス。



「ああ、生き返る。昨日、今日と、僕のところにやってくるのは、冒険者ばっかりなんだ。魔獣にやられた古傷が痛むとか、毒虫に噛まれたとか……」



 上級魔毒士であるマルスの元には、より症状の重い冒険者たちが回されてくるようで、魔力の消耗も激しいのだろう。



「ああ、明日は地方のギルドから冒険者たちが押し寄せてくるらしくて……今から泣きそうだよ」



 マルスが愚痴るなか、



「なに泣き言いってんのよ。レティシアちゃんの方がもっと大変なんだから」



 天幕があがり、アイリスとジオ・ゼアが顔をだした。



「そうそう、アンナに比べたら、キミなんて『かすり傷係』だ」



「わかってないな」



 マルスは不満をあらわに反論する。



「レティシアさんは『癒者の聖印』持ちなんだよ。僕と比べてどうするんだ。彼女は片手を添えるだけで、四肢の欠損部位を再生したり、機能不全になった内臓の再構築をしたり……それがどんなにスゴイことか、攻撃系のキミたちには一生理解できないだろうな」



「まぁ、たしかに。聖印持ちと比べるのは申し訳なかったわ。でも、さすがよねぇ。オルガリアの聖女なんて呼ばれているし、ああ、本当に何度見てもキレイな髪ねえ」



 蒼銀色の髪に触れようとしたアイリスの手に黒い影が巻き付き、強引に引き離された。



「勝手にさわらないでくれ」



「ちょっとぐらいいいじゃない。この嫉妬狂魔導士っ!」



「なんとでも。嫌なものはイヤなんだ。これは、数少ない僕の特権なんだから」



 アイリスの目の前で、これ見よがしにレティシアの髪を手にとったジオ・ゼアは、うっとりと口付けを落とす。



「ムカつくぅぅぅぅ! だから、アンタとは任務に行きたくないのよ! ああ、いつになったら、レティシアちゃんとふたりで行けるようになるのかしら」



「それはないよ。アンナとふたりきりなんて……男女問わず、この僕が許すはずないだろ」



「まぁまぁ、ふたりともそこらへんで──」



 アイリスとジオ・ゼアのいさかいがはじまり、ほどよいところでマルスが割って入る。これが、ここ最近の一連の流れになりつつあった。



 アイリス、マルス、ジオ・ゼア、レティシアと、いつもの顔ぶれでテーブルが囲まれ、会話をしながらお茶がはじまる。



 ただそこに、上級魔剣士エディウスの姿はなかった。



 レティシアが聖印を得てから2カ月後の或る日──



「国境治安部隊に志願した」



 エディウスに告げられたのは、夏の終わりだった。



「急に、どうしてなの?」



「俺は……もっと強くならないといけないから」



 理由らしい理由はそれだけで、それから1週間も経たないうちに、配属地となった北部方面治安隊に合流するため、エディウスは首都アシスを旅立って行った。



 幼いころからずっと一緒だった幼馴染が遠く離れていき、レティシアの心にポッカリと大きな穴があいた。



「アイツがいなくなって、さびしい?」



 ジオ・ゼアに訊かれ素直に頷くと、「アンナには、僕がいるでしょ」と指先で額をコツンとされた。



「あまり妬かせないでよ。まぁ、でも、アイツは悪い男ではないから、しばらくは目をつむるよ」



「エディは、幼馴染よ。これからもずっと」



 あえて「幼馴染」を強調したのに、恋人になったばかりの魔導士は、複雑な表情を浮かべた。



「それはわかっているし、アンナことも、もちろん信じている。でも、あの赤髪は、僕と同じ匂いがするから油断ならない。同属嫌悪的なものかな」



「ジオ・ゼアとエディが似てる?」



 いったいどこか。レティシアは首をかしげる。



「全然、似てないと思うけど。たしかに、ふたりとも馬鹿みたいに強いけど、エディは責任感が強くて仕事に真面目なタイプよ。寡黙で自分に厳しい人だから、少し近づきがたい印象はあるけれど、本当はとっても優しくて、騎士たちには信頼されているし人望もある。彼ほどの人格者をわたしは知らないわ」



 レティシアが評するエディウスの人物像に、ジオ・ゼアの金色の目が一気に細くなった。



「へえ、そうなんだ。じゃあ、馬鹿みたいな強さしか似ていない僕は、無責任なおしゃべり魔導士で、仕事に不真面目で魔導士たちからの信頼も人望もない欠格者、ってこと?」



「…………」



 すっかり拗ねてしまったジオ・ゼアの機嫌をとるのは一苦労だった。



 夏にエディウスを見送ってから、季節は早くも冬の訪れを待つ時期となっていた。



 エディウスの旅立ちとほぼ同時に、特務機関での任務に復帰したレティシア。



 目まぐるしい日々のおかげで、幼馴染のいない日常にもしだいに慣れていったが、ときおり燃えるような夕空を見上げたときは、やはり思い出してしまう。



『レティ』



 強く優しい幼馴染は今、北の砦でどうしているだろうか。



 天幕のなか。円型のテーブルを囲いながら、空席となった椅子を見つめる。



 エディは帰ってくるだろうか。いつの日かまた、みんなで任務に行ける日がきますように──



 そう願い、「さあ、明日も頑張ろう」と、レティシアは薬草茶に口をつけた。



 皇宮から呼び出しを受けたのは、その翌日だった。