第9話



「シモーネ様、こちらです」



 使用人から渡された瓦礫には、炎によって溶けたガラスが波打つように癒着していた。



 煤にまみれ、くすんだガラス。しかし、その下に見えているのは、たしかに探し求めていた薄紅色の指環メモリー・リングだ。



 台座は変形し、指環としての原型はほとんどとどめていない。指環をこれ以上傷つけることなく、どうやって溶けたガラスから取り出せばいいのか。



 上手く取り出せたとしても、果たして研究記録データは無事だろうか。用心のために施している封を解除できるかもあやしい。



「首都で一番腕のいい魔具職人に来てもらってちょうだい。だたし、皇宮に出入りしている職人はダメよ」



 使用人に指示し、指環が埋まった瓦礫を抱えて邸内に入ったシモーネは、遅くなった朝食を取りながら、これからのことを考えた。



 研究記録データの無事を確認することはできないが、薄紅色の指環メモリー・リングが外部に流失していなかったのは良かった──と、安心するべきなのかもしれない。



 でも、この胸騒ぎは、なんだろうか。



 一向に進まない朝食をさげさせたシモーネは、年若い家令に書付を渡した。



 本当なら、長年仕えている信頼できる者に託したいところだが、昨日の火事騒動で古参の家令たちは手一杯の状態だった。



「皇宮にいらっしゃるお父様に届けてきなさい。外交部にいるはずよ。急いで」



「かしこまりました」



 本当なら、わたしが直接皇宮に出向いて探りをいれたいところだけど……



 一抹の不安を感じながらシモーネは、足早に出ていく家令を見届けた。



 シモーネの書付を受取った家令は、言いつけどおり皇宮に向かったが外交部には向かわず、宰相の執務室に飛び込んだ。



「トライデン閣下! こちらを!」



 シモーネの懸念は当たっていた。年若い家令は、数年前よりスフォネ子爵家を内偵中のトライデン家の密偵であった。



 その後、書付は外交部にいたスフォネ子爵に届けられたが、その日の午後──子爵が領地に戻る数刻前に、トライデン公爵から情報を得たルーファスが、レティシアとジオ・ゼアに伝令を送ったのである。



 スフォネ子爵家の城館に大穴があいたのは、その夜だった。



 城館がほぼ全壊したという一報を受けた皇太子サイラスの執務室には、重たい空気が流れていた。



 その原因ゼキウスについて報告をしなければならなかった不運な伝令役は、ブルブルと震え、額からは冷や汗を流している。



「それで──」



 死んだ魚が泥沼で腐敗したような目をした側近の顔が、とにかく怖い。



「ボヤ騒動を目にしたゼキウス将軍が、娘の危機と勝手に勘違いし、なりふり構わず突撃。燃え広がった火を消火しようと慌てて超攻撃魔法をブッ放し、証拠となる隠し部屋や地下室もろともブッ壊したと……ありえないんだけど。キミはそう云ったのかな。間違いない? 僕の聞き間違いではないよね」



「……はい。そのとおりです」



 それ以外、なんと答えたらよいのやら、伝令役は息苦しさに気を失いそうになる。



 その後、サイラスから退室の許可がでた伝令役は、脱兎のごとく執務室から飛び出していった。



「完全な人選ミスだ……」



 ルーファスの目が、どんどん腐っていく。



 大事な証拠品の数々が、四方八方に飛び散り、原型をとどめているものは、わずかだという。



 こんなことなら──トライデン家の息子の方がよっぽど良かった。



「筋書きを考え直さないと、マズイだろうな」



 顔を覆ったサイラスが呻く。



 桃華蘭の媚薬の闇取引を突き止め、ジハーダ王国とスフォネ家の決定的なつながりを掴んだと、父である皇帝に報告したばかりだというのに──1日も経たずに証拠が吹き飛んだ。



 そんな阿呆な報告を、僕はしなければならないのか。



 皇帝はまだしも、となりで聞いている皇后エリスの極寒の視線にさらされるかと思うと、



「練り直しだ。なんとしても、怪我の功名~的な感じにしろ」



 サイラスは、無理難題を側近に突き付けた。



 それから、かれこれ1時間半。



 頭をこねくり回して考える側近だが──どうしたって『怪我の功名』にはならない。無理がありすぎる状況だ。



「殿下、もうここは腹をくくって」



「イヤだ。くくれない」



 断固とした態度のサイラスは、



「ゼキウス将軍を護衛に選んだのは、誰だ? オマエじゃないか」



 責任とれ、と岩のように重たくなった腰をあげようとはしない。



「殿下、いいですか。悪い報告ほど、いち早くお伝えしないと、状況はさらに──」



「悪くならない。今が最低最悪の状況だから、これ以上は、悪化のしようがない。起死回生の筋書きが生まれるまで、この場から逃れられると思うなよ」



「…………」



 面倒だ。



 これ以上ないくらい面倒な展開になってしまった。



 大事な証拠を木っ端微塵にしてくれた張本人に怒りをぶつけ、ルーファス史上最大の嫌味を食らわせてやりたい気分だった。



 しかし──



 その相手は、あのゼキウス・スペンサー。



 何事も力でねじ伏せていく豪放磊落な性格。



 喜怒哀楽がハッキリしていて、たいていの場合、あとさき考えずに直感で動くので、周囲を引っかき回すのが常だ。



 そのくせ、人望は恐ろしく高く、いつも笑顔と笑い声の中心にいるようなタイプの男。自身とはまるっきり正反対な男を、ルーファスは最も苦手としていた。



 嫌味を云ったところで、『なんだ、ネチネチ小僧! ゴチャゴチャと、うるさいぞ! フンッ!』と、魔法を込めた鼻息で飛ばされて終わるだろう。



 本当に、なぜあんな傍若無人男が、最高位の聖獣に愛され、史上最強の『大地の聖印』まで得ているのだろうか……解せない。



 不満の吐け口がないまま、ルーファスは神業に近い『怪我の功名』となる妙案を捻りださなければならなかった。